朱禪-brog

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ラグビーを始めたきっかけについて

2020-02-06 04:42:07 | 雑記
中学生の頃はバレーボール部に所属しそれなりに好きだったので、高校進学後もバレーボール部に入部したが、女性監督に嫌われて、嫌われてまで続ける熱意がなかったのでドロップアウトした。

私が通った公立高校は、公立でありながらも、ラグビー、柔道、レスリング、剣道などは全国大会に出場する力を持っている学校であった。

当時のラグビー部はヤンキーが多く、中学生からの経験者が数多くいて、私にとっては近寄りがたい雰囲気があり、私もヤンキーだったが、何か馴染めないと思いどちらかと言えば敵愾心を持っていた。

かといって、ありあまる体力を持て余すので放課後は1人グランドを走り、トレーニングをしていた。

1年の終わりに、友達が調達してきたバイクを無免許で運転していた所、警察に捕まって、そのバイクが盗難車である事がわかり、私は犯人扱いされてしまったことがある。

幸い留置場行きとはならなかったが、警察から学校の風紀指導者に連絡が入り
私は母親に付き添われて、風紀指導の先生に面談に向かった。

停学は必至と思っていたのも事実である。

その先生はサッカー部の顧問で、沖縄空手の有段者でスキーのインストラクターもこなすスポーツ万能の方であった。

処分より先に、鉄拳を喰らうことを覚悟していたがその先生はなんのお咎めもせず、この事はご自分の胸の内にしまってくださった。

但し、1つ条件があると。
「ラグビーをしなさい」
言われた瞬間「はっ?」と思った。

当時私は、喧嘩三昧で1週間毎日殴り合いしていたこともあり、その中にはラグビー部の面子も含まれていた。

通学中には他校の生徒と喧嘩する。
学校にはバレてないだけであった。
しかし、素行問題児としてあとから聞いた話では、2年に進級する際に誰も引き受けしたくない生徒だったようである。

「私が顧問の先生を説得する」と言い、
私も従わざるを得なかった。

結果的にこのことが私の人生を変えたことになる。

牧歌的な時代も残っていたのだろうが、
この先生のお陰で、ラグビーと出会い、
喧嘩をやめ、本当の身体や心の痛みを知ることになった。

ラグビー部の顧問の先生は、まだお元気だが、この先生の行方は同期からも伝わってこない。

お礼がしたいのだが…



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