有明のビックサイト国際展示場の
自社ブース内での
アテンド(説明員)を終えた
打ち合わせ以外では、
ほぼ丸一日立ちっぱなしで足が
棒になっている。
臨海線に乗り大井町経由で帰ろうか…
そうだ龍に行こう
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「いらっしゃい」
(こんばんは)
いつものL字型カウンターの奥に
チンと座る
おや?見慣れん人がいるな?
「やぁ朱禪さん、初めてですね
うちのかかぁなんです。ちょいと体を痛めてちまって、つい先頃まで入院してたんで、へい」
そうかどうりで店の雰囲気に馴染んでいると思った
「こんばんは。主人からよくお話聞いてました。俺より酒飲みで、焼鳥を70本一人で食べるお客さんがいると。(微笑)」
いささか赤面しつつ
(どうも初めまして、朱禪と申します)
これ以降、奥さんのことは「ママ」と言うのだが、年の頃はそう
60代前半だったと思う。
肌がつやつやして、よく笑う
優しい女性だった。
「何にします?」
(瓶ビールとせせり(鶏のネック)とねぎまを塩で2本ずつお願いします)
親爺は定番の藍染作務衣と
ねじり鉢巻に雪駄
本人曰く、「正装」で背中を向けて
大団扇で時に強く、時に弱く
風を操り、炭を仕込む
炭火焼の味わいは
肉汁が落ち、それが炭と反応し
燻しとなって香りがつくことと
団扇で扇ぐことで、灰がネタに
ふりかかること
灰はミネラルであるので微妙に
ネタと絡むことも味わいのひとつだろう。
皮やぼんじり、背肝(腎臓)、ちょうちん(卵管)などは、脂を含む
脂で炭が死ぬことは前回にお伝えしました
親爺は、脂で炭が燃えても
決して水で鎮火しようとはしなかった
「水は手っ取り早いでしょうけど
水で火を消すと、水蒸気がネタに移り、味が死にやす」と言う
大団扇を巧みに操り、炭の配置をこまめに替えて、燃えすぎた炭は鋳物製の
炭壷で鎮火させていた
これで一串/80~/120だった
(くろうまお願いします。
あ、ママさん退院されたばかりですけど、なんか飲まはります?)
「あらっ、いいのかしら」
(ママさんの体調が良ければ何か飲んで下さい)
「ありがとう。ではビールを頂くわ」
その時、焼き場の親爺が
「よし!今日はもういいや!閉めちまおう(笑)」
すかさず、ママさんが
「あんたが飲みたいだけでしょ。
まったくもう」
親爺は外に出て
「龍」と白地に黒で染められた
提灯と暖簾を店に仕舞う
「さぁ朱禪さん、かかぁの快気祝いだ。 今日は飲みましょう」
と愛飲の白馬錦と私用のくろうまを
でんとカウンターに置く。
(まったくもう)
ママさんは、困ったようなそれでいて
慈愛の目で親爺を見つめる。
(ママさんもよければ、ご一緒にどうですか?)
三人だけのささやかな快気祝いが
始まった。
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初めてママと出会った日の事でした。
注)この独白での、親爺とママさんは
すでに物故されています。
故人を晒すためではなく
私の故人への感謝の思いで綴っています。
ここまで読んで頂き
どうもありがとうございます。
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