朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

小説感想 「三たびの海峡」 帚木蓬生

2022-05-24 09:18:10 | 本 感想

文庫本の奥付きをみると
1992年とある、30年の風月を重ねた
作品だ。
釜山でスーパーマーケットを
3店舗経営する、ある老実業家が
主人公。
彼の過去と現在が入り乱れた回顧録、
告白記の体で物語は進む。

そして「事実こそ小説」と信じて
疑わなかった故吉村昭さんの言葉を
反芻しながら、500頁近い長篇であるが
ほぼ、一気読了となった。

昭和17年、18年の戦時下に
慶尚北道に暮らす17歳の主人公
「河時根(ハシグン)」は、肺に持病をもつ
父親が戦時徴用となる知らせを受け
体の弱い父親の身代わりに17歳で
海峡(玄界灘)を渡る。
強制連行である。

小用は入口近くに置かれたバケツ。
ぎゅうぎゅう詰めの列車の揺れで
バケツは倒れ、主人公は尿まみれと
なり、屈辱に涙する。

鶴の集団が押し込められてるかと
見間違った、白のチョゴリと
パジの集団と共に
足を数珠つなぎにされ、嘔吐にまみれ
関釜連絡船で日本の土を踏み
九州北部、筑豊炭田にたどり着く。

造船所に徴用されたことは
嘘であることをしるが
高さ3mの塀に囲まれた
形ばかりの寮に至る。

この小説では、日本と韓国との
国家間に渡る記述はほとんどない。
あるにはあるが
ドイツとの比較が目にとまったくらい
だった。

再三、このブログで申しあげてるように
ぼくは、在日コリアン三世である。

日本全国に散らばった海峡を渡った
一世達は、全国の河川、港湾、鉄道に
炭鉱(ヤマ)
散らばったのも多い。

埼玉県東松山市に、名物の「やきとり」がある。
実際には、鳥ではなく豚肉であり
それも、カシラ、テッポウ、シロ、
コブクロがメニューとしてある。
カシラは頭肉の一部であり
テッポウ、シロ、コブクロは内臓

仙台では、牛タンが名物ともなって
いるが
これも、生肉(しょうにく)ではない
河川の護岸工事や防波堤などに
徴用、出稼ぎの、一世達が
日本人が食べない部位(棄てる)を
貰いさげ、唐辛子や唐辛子味噌、
味噌で味つけをして、食料としたもの
名残りであろう。

ホルモンは、よく知られているが
すてるもの
(関西では、ほかす、ほるもん)
だからが、由縁となる。

話が逸れた。

炭鉱仕事の過酷さを
よくもここまで調査し(史実)
炭鉱作業者の日々を克明に記録し
主人公が愛した2人の女性を
その想いに乗せ
姿形や言葉の言い回しを
生き生きと甦らせる。

後に、港湾や土方に従事した
主人公は、それに従事する同胞が
奴隷と一緒だとうそぶくのを聞き
「炭鉱に比べたら、この仕事は
殿様商売だ」と内心語るのだ。

強制連行や女子挺身隊が
あったとか、なかったとか
日本の植民地支配に対して
ぼくは、感慨や意見を持たない。

あるのは、権力というのは
いや、権力のある立場に立つと
人間はかくも、残忍で、非情で
人への慈悲や思いやりを無視し
己の保身と我が身かわいさが
露呈するのだろうと思う。

とくに、同じ朝鮮人である者が
炭鉱側(会社側)となり、
同じ同胞が、その同胞を人間としての
尊厳をズタズタにする行為が
正に、権力そのものだと思うのだ。


ぼくは、竹刀でボコボコにされた
ことがあるが
青竹を3つ割って、そこに塩水を
染み込ませたもので、幽体離脱する
まで、どつき倒されたことはない。

ゴムの鞭で、どつき倒されたこともない。

それでも
主人公は生きのびた。

冒頭に
回顧録、告白記と書いたが
それに加えると
女性の強さと愛情の記録である。

最後に

「水に流す」というのは
加害者側がいうものではなく
被害者がいうものであるという
小説内の言葉に
涙したことを残したい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿