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カトリック情報

katorikku jyohou

土着化とは世俗化・異教化・棄教である

2010-02-04 | エキュメニズム
土着化にしろ受肉化にしろ、具体的に日本におけるカトリック教会を例にとると、ヨーロッパ化した教会が日本独自の教会となり、日本の地に根付くことをいいます。しかし、その動きは実に遅々としたもので、カトリック教会のもっとも大切で中心的な儀式(典礼)が日本語になり、聖歌(賛美歌)が日本人よって作詞作曲されたことぐらいでしょうか。より根本的な信仰教義や信仰のあり方はまだまだヨーロッパからの移入の域を出てはいません。
http://www.janis.or.jp/users/ito-mar/zatuwa/2002/dochaku.html

キリスト教会統一の計画

2008-08-13 | エキュメニズム
*1940年代 世界教会会議(WCC)は以下を決定:

1. 人は、すべての教会が同様なものであると認める義務を持っている、かつ
2. 教団教派の間にあって、兄弟同士であることを認め合う義務がある。
3. これが、世界規模の統一思考へと導く。
4. 「全世界と人生のすべての面をキリストに要求する」、そして
5. 神の国は地上で設立される、という光に導く

*1950年代 私達は、「後の雨」運動が教派、特にペンテコステ教団を通して隆盛になるのを見た。

1. それは異端と宣言され、それゆえ地下に潜る。
2. しかし、80年代と90年代を通して、「後の雨」は、全ての教団のカリスマ的な部分への浸透に成功し、巧妙に、「統一教会」の方向へと影響を与えた。そして、教派間において、その統一が増大するようにした。

*1960年代
重点は、各クリスチャンの宗派の教義が祈祷集会と、カリスマ的な超教派の組織を通して妥協させられた状況に持ち込むことにありました。(訳注:超教派集会の経験等を通して、各クリスチャンの「教会統一」へのアレルギー、抵抗を緩和するということか)

*1970年代
重点は、個々のキリスト教徒とリーダーが大きいエキュメニカルな会議と集会に集まることにより、彼らの中に統一の感覚を形成することにあった。

*1980年代
重点は大きな集会。1970年代に予定された、2000年までに世界を福音化するというグローバルな努力。
教義の妥協を通して、カトリック教会との協力において行う。

*1990年代
 重点はグローバルな福音伝道努力の実施と活動にある。

(コメント)
 以上を見ると、現在、アメリカキリスト教会で起きている「驚くべきキリスト教の変質」は決して、偶然でも、偶発的に起きたものでないことがわかる。
 逆に上記のどの運動も現在起きていることの伏線、用意として行われてきたことがわかる。
 現在、アメリカで起きている「教会統一」エキュメニカル運動、後の雨の異端的教理のばっこ、「王国を今」「統治主義」のような地上天国を求めるかのような運動は、意図的に教会に持ち込まれたものだということがわかる。

http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/a5.html

諸宗教統一の到達点

2008-01-11 | エキュメニズム
 旧約時代、「淫婦」とは神から離反したイスラエル(主の民)や同盟国ティルスを示した(イザヤ書1章・23章・57章、エレミヤ書3章、エゼキエル書16章・23章、ホセア書1~2章、ゼカリア書5章、他)。
 新約の時代では、この女とはキリストの花嫁たるキリスト教会・キリスト教国家・キリスト教徒のことであり、本来はイエスの花嫁たる7つの教会が、大淫婦バビロンとなる姿を示している。このことに、この幻を見せられたヨハネ自身が大いに驚いた。そして、驚くヨハネに、天使がその秘められた意味を明かしている。
「この女を見て、わたしは大いに驚いた。すると、天使がわたしにこう言った。『なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、7つの頭と10本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。』(ヨハネ黙17・6~7)
 教会が大淫婦バビロンとなっているからこそ、ヨハネは「非常に驚いた」のである。かつてのバビロニアのようなバビロンなら、驚くに値しない。
 かつてイエス登場の時、ローマは聖者らと戦ってこれに勝ったが、やがて「日の老いたる者」が現れて聖者らがローマに勝ち、王権を受けた。ところが、その王権は終わりのときに大淫婦バビロンとなり、再び現れるローマの上に乗っているのである。
 カトリック、プロテスタント、聖公会(英国国教会)、ギリシャ正教(ロシア正教なども含む)などのキリスト教会と、仏教やヒンズー教などの諸宗教が一つになってできる宗教連合が、大淫婦バビロンである。そしてこれを乗せるのが最後の獣=現世の権力である。世界中のほとんどの人々が、この支配下になり、彼らの奴隷となる。さらには、それに隷属する者はすべて、滅びに定められている。自ら進んで、獣と大淫婦を拝み、隷属するからである。

竜と大淫婦バビロンの幻の解釈より
http://homepage2.nifty.com/elienay/index23.html

プロテスタントにおけるエキュメニズム

2008-01-11 | エキュメニズム
 そして事態はメーソンによる全キリスト教会の一致という、彼らの目的の実現まであと一歩のところにまで、こぎつけている。プロテスタントとカトリックを一つにまとめる運動を推し進めている「世界教会会議(WCC)」と「米国教会会議(NCC)」は、メーソンによって推進されている。世界教会会議(WCC)と米国教会会議(NCC)は、すべてのブロテスタント教派と単立教派を一つに集めて、カトリックとの連合を目指す組織である。
 WCCは共産主義を認めている。また、いかなる異教とも平和(の名の下での妥協)を持とうとしている。この主イエスへの反乱は、アメリカの伝統的な教会からの献金によって支えられている。
 しかし、こうした運動は各教会の「交わり」だけに終始している。真の意味での教会の統一というようなことは、各教会の主張や信条が生きている限りは、ありえない。もし、教会の統一とか、一つの世界教会というものがありえるとすれば、各教会の信条や教会観とは別次元においてである。
 さらに諸宗教との対話は、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教が神を信仰し、その神が「わたしをおいてほかに、神があってはならない」(出エジプト記20・3)を共通の啓示とした上で、各々がその啓示を受け継ぐ唯一の民であるとの旗印を下ろさない限り、ありえない。ましてや、それ以外の諸宗教においては、この3宗教はいずれも「異教」として自らの下に置いている。そうである以上、対話は意味がなく、それでもなお対話するとすれば、対話の目的は別のところにある。
 キリスト教が一致するとすれば、かつてのカトリックのように現世的な権力をもち、その権力に従わないものは徹底的に排除することを意味する。現世の権力で一致した全キリスト教会は、他のあらゆる宗教をも一致させ、それに従わない宗教は壊滅させ、全世界の全宗教を一致させるであろう。それを推進する者は、神ではなく、彼らの現人神「キリスト」である。

神学校を支配する悪魔礼拝者より
http://homepage2.nifty.com/elienay/index25.html

エキュメニズムの目的

2008-01-11 | エキュメニズム
 フリーメーソンリーは、「人類が一致して信仰できる宗教」である。(略)
 しかし、バチカンは長い間、フリーメーソンリーを敵視してきた。現在もヨハネ・パウロ二世が前述のごとく排斥しているが、バチカン内部に及んだメーソンの勢力はすでに根強く、除去できないと思われる。(略)
 バチカンは一九六四年、「世紀の大改革」ともいうべき第二バチカン公会議を開き、これまでの独善的な姿勢を百八十度変えて、大方針を打ち出した。そこで注目すべきことは、エキュメニカル(教会一致)戦略とともに、ヒンズー教、仏教、イスラム教など他宗教にも「神の光」があるとする、宗教対話の精神を打ち出したことである。
 まず東方教会とプロテスタントは、今日、世界教会協議会(WCC)をもっており、すでにエキュメニカルを始めている。ここで重要なのは、プロテスタントの指導者の多くがメーソンであることだ。WCCの参加教団は約二百教団、約六億人の信者を有している。
 筆者が日本グランド・ロッジを取材したとき、元グランド・マスターの一人は、「パウロ六世教皇もメーソンでした」という衝撃的な話をしてくれた。また英国のメーソンの一人は、「英国では、プロテスタントの指導者の二五パーセントがメーソンだ」と言っていたのである。
 今日、フリーメーソンのバチカン支配が口にされているが、プロテスタントはすでにフリーメーソンに支配されているのだ。フリーメーソンリーの理想がエキュメニカルという方向で動いており、この大戦略を始めたのもプロテスタントのWCCである。

http://www.asyura.com/sora/bd19992/msg/671.html

エキュメニズム&カリスマ=教派解消&全教会統一

2008-01-10 | エキュメニズム
 現在、世界中で進んでいる「エキュメニカル運動」には隠れた意味あい、目的があります。この運動は、世界中の教会を一つに統合、統一しようというものです。「兄弟達が和合する」こと、「カソリック、プロテスタント教会が手を結ぶことはすばらしい」ことのように見えますが、聖書の神はそのようなことを推奨、奨励を全くしていません。聖書を一読すればわかることですが、聖書の神は「汚れたものに触れるな」と語り、アモン、モアブ等の異邦の民、また偶像崇拝の北イスラエル等との連盟、合一を「みこころの民」ユダに禁じています。
(略)
 デユプランシスは、ペンテコステ経験の見張り犬であった。彼はいう、1900-1908年の間、歴史的なプロテスタント教会は、ペンテコステリバイバルと戦い、これは悪魔から来ていると言ったと。しかし、1950-1958年においては、様相が様変わりし、プロテスタントの態度は変化した。デユプランシスはいう、1961年まで「私は、変化の結果を見る、そして教会内におけるペンテコステリバイバルは力とスピードを結集していると宣言できる。」
1963年迄、デユプランシスはペンテステ的経験を45の国々において、説教した。彼は、ペンテコステ派におけるエキュメニカル運動の主要な働き手であり、ローマと世界ペンテコステとの間のかけ橋であった。
(略)
 第2バチカン会議:新しいペンテコステ:
60年代において、個々のクリスチャンの心に大きな教理の破壊をもたらした。
エキュメニカルな第2バチカン会議(1962-1965)において、カソリック教会は、「世界教会の新しい時代」に突入したとの告知があった。我々は今、この会議にデービッドデユプランシス及び他のプロテスタントのオブザーバーが出席したということは、すなわち世界教会において、カソリックの支配を念頭におくエキュメニカルが大きな位置を占めることを意味するのを見る。
 (略)
 デービッドデユプランシス及びシャカリアンのFGBFのような組織、及び超教派的な祈り会の努力を通して、カソリックカリスマ、エキュメニカル、教派解消主義者がともに安全に集まっても問題とはならない状況が提供された。
(略)
 教派が引き裂かれ、そして統一教会へと再結成されただけでなく、更に教理もまた、同じ運命を辿る。キリストの再臨に関する教理はもっとも大きな破壊を受けた、何故なら、新しい世界的視点が立てあげられ、それが統一教会の大きな一部として受け入れられたからである。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/ekyu.html