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喜多圭介のブログ

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八雲立つ……56

2008-11-13 17:39:02 | 八雲立つ……

「似合っているよ」

清潔な顔立ちのシャイな青年であった。眩しそうに人の顔を見るところなどは、子供の頃の信隆に似ていた。二人の遺児のうちでは高明がいちばん父親の面影を残していた。
「人柄が優しそうだな」と、孝夫が高明を眺めて言うと、「小中学生の頃はよく虐められてました」と、佳恵は清志を柔らかい眼差しで見つめて言った。
「虐めじゃないよ。ちょっとふざけていただけだよ」

高明は母親の言葉に不満そうな口振りで言った。

経済面では叔父の援助を受けてきたが、子育ての難しい時期に遺児二人を明朗に育てるのは、並大抵のことではなかっただろう。孝夫は自分の母と比べ、いやM市の叔母二人に比べても佳恵は、こころの健全な女であろうと思った。

義典のマンションからの帰路、車を運転しながら佳恵は、
「信隆さんとは見合いでした」

孝夫が訊ねもしないのにぽつりと言った。
「母から聞いて知ってました」
「そうでしたの」
「今時見合いかとちょっと意外でしたが……義典君もですか」
「義典さんも見合いです。大学当時は主人よりは発展家だったようですが」
「二人とも見合い……」

孝夫は信隆、義典の二人ともが見合い結婚であることに驚いた。こういう面でも、自分とは異なる人生を歩いてきた従弟たちだった。男と女の結びつきはそれこそ多様であろう。だが孝夫は男と女の結びつきに、見合いというものを考えたことは一度もなかった。

見合いと恋愛では異性に寄せる感情の深さ、期待が異なるものではないか。恋愛は対象とする相手が極端に狭められ、その分思慕する深度の深いものであろう。この人でなければという思いと、生活の方便のためにこの人でもという考えは、情熱の烈しさ、男女の結びつきの解釈に相当の開きがある。同じ人間が両方を使い分けることは、若い頃の孝夫には精神分裂に等しいことだろうと思われた。

だがこの考えが変わったのは、律子と結婚してからだった。孝夫は律子とは恋愛であったが、とくべつ烈しい恋愛というものではなかった。律子のほのぼのとした、安心感の漂う雰囲気は、ほかの女にはみられない優しさと柔らかさがあった。作った優しさではなく自然体の発露だった。お互いにその雰囲気の中にいると安堵するというか、居心地がよかった。

     *

大学を出た孝夫は京都の東福寺の近くに律子、長女と暮らすようになった。中堅印刷会社に三年間勤務したが、創作に情熱を傾けるようになり、そこを退社した。さほど大きくはない予備校の講師を、夕方からの勤務を条件に続けていた。午前中、午後は長女の保育園送迎と創作にかかっていた。律子は東京の職場と同じように、大学病院で医療検査技師の仕事に就(つ)いていた。

律子の休みの日は親子三人連れで満開の哲学の道の疎水沿いを散策したり、紅葉の嵯峨野路を楽しんだ。律子は孝夫が案内するところには、どこへでも浮き浮きした無邪気な表情で従いて来た。どこと行っても孝夫が案内するのは、市内の神社・仏閣、嵯峨野、嵐山であった。

京都での暮らしはわりと悠々自適であったが、長女が九歳、次女が三歳に育った頃から、いまの二人の手取りではその日暮らしで、貯金も少なく、二人の娘の将来を考えたとき、このままの暮らしではいけないのではないかと、孝夫は真剣に思案し始めていた。

家計に余裕がないのは孝夫が文学を優先して、予備校講師としては中途半端な稼ぎしかなかったためである。作家となって身を立てる、このことにも迷いがあった。孝夫は無頼派と呼ばれた坂口安吾、織田作之助、石川淳、檀一雄らの文学に共鳴していた。とくに坂口安吾の文学論に刺激を受けた。

坂口安吾が『新らしき文学』で述べていた――文学の領域は言うまでもなく個人である。個人を離れて文学は成り得ない。然し不滅の人間、不変のエゴは形而上学と共に亡び去っている。我々の個人は変化の一過程に於て歴史に続き永遠につながる。然し文学は単に変化への、そして時代への追随ではない。変化に方向を与える能動的な役割をなすものが文学であって、時代創造的な意思なくして文学は成り立たぬ。社会は常に一つの組織の完成を意味し、科学的なものであるが、個人は常に破壊的、反社会的であり、文学的である。文学は科学の系統化に対して、個人の立場から反逆的な役割をなす。――は、いまでも記憶にあった。

だから孝夫も初期の頃からこの趣旨に添った創作を志し、断筆前の『逃げるのだ!』、『観音島』、『淀川河川敷』は、この考えのものであったが、〈変化に方向を与える能動的な役割〉という点からみると、孝夫の文学は社会的、政治的方向には向かわず、屈折した心情分析に向けられた。


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八雲立つ……55

2008-11-13 13:52:59 | 八雲立つ……

     十章 嫁ヶ島


食事を予約してあるホテルには、宿泊しているホテルのフロントからタクシーを呼んで出掛けた。地方都市のホテルにしては落ち着いた、品のよい雰囲気であった。不況の影響だろうか、宿泊客は少ないようで、深紅の絨毯を敷き詰めた広いロビーは閑散としていた。佳恵たちはまだ来ていなかったので、食事の予約の確認をしておきたいと思い、孝夫は一階レストランに向かった。若い女が現れたので訊ねると、
「井口様ですね、ご用意できております」と礼儀正しく応じた。

孝夫はロビーのソファにコートを脱いで腰を下ろした。が正面の広い展望窓に宍道湖が展けていたので、立ち上がってガラス窓に近付いた。湖の風景はほとんど暗くなっていたが日没の残光に嫁ヶ島が黒く浮かんでいた。神隠れの小さな杜(もり)のようだった。子どもの頃から何度も眼にした小島であったが、遊泳禁止になってしまった湖に懐かしさは薄れてしまった。

この土地からも弾(はじ)かれてしまった自分の生涯を、漠然と思った。

――律子、ここもぼくに繋がる物が何も無くなってしまった。

従弟たちともゆっくり付き合ったこともなく、自分のこれからを思うと何が起こってもおかしくはない。こういう機会を逃すと佳恵親子とも親しく過ごすことはないだろうと、孝夫はM市に出掛ける前から考えていた。

――律子、なんだか疲れた。明日は家に戻る。あの家も寂しくなった。テレビを観ていても、律子の笑い声がないので近頃は観なくなった。生きている意味が無くなったが、二つ三つ手がけている創作があるので、世間に出る出ないに無関係に片付けておきたいだけだ。

孝夫がソファに座って胸裡の律子に語りかけていると、佳恵と高明が玄関口の方向からやって来た。高三の聡実は予備校でセンター試験の模擬を午前中から受けており、六時ちょうどに自転車で来ることになっていた。
「今夜はお招きいただき、ありがとうございます」

佳恵の明るい声だった。
「落ち着いたホテルですね」孝夫は言った。
「空いているでしょ」

佳恵は昼間のパンツスタイルを、全身ピンク色の花柄のワンピースに着替えていた。胸元にシルバーのブローチが光っていた。片手に革製の赤い物入れを提げていた。
「正月休みをホテルで、という客が少ないようですね」
「雪のある鳥取の大山とかに出掛けるようですよ」

三人はソファに腰を下ろして聡実を待つことにした。孝夫の向かい側に佳恵、高明が座った。佳恵の襟元から香水が孝夫の鼻先に匂った。
「お義父さんとお呑みになられたのですか」
「銚子一本だけ付き合ってきました」

信隆が亡くなって十年の月日が流れたが、佳恵は十年前とそんなに変わっていないように思えた。いや十年前の通夜、葬儀で孝夫は佳恵を詳しくは眺めることはなかった。その後二度逢っているが、佳恵を女として見ることがなかったせいか、この十年でどう変わったかは定かではなかった。電話で聴く声も、こうして傍らで話す声も、佳恵の声は少し甲高くはあるが、耳当たりのよい理性的な声だった。
「高明君好男子になったね」

孝夫は頬に笑みを浮かべた顔で、高明をまじまじと眺めた。

高明は照れくさそうな笑みを浮かべた。
「まだまだしっかりしてませんが」
「聡実さんの受験勉強の時期に、そちらの事情を無視してこういうことをプランし、申し訳なかった」
「とんでもありません。私も二人の子どもも大喜びです」
「なかなかみんなと逢えないから」
「勿体ないです」
「信隆君が再起したときに呑もうと約束していましたし、通夜の席で義典君が言った言葉も胸には刺さっていました。お互いにゆとりのない従兄弟同士でした。義典君はよくお宅を訪ねておられましたか」
「三年ほど前までは仕事の休みなどに来られ、子供たちと遊んでくれましたが、聡実が高校に上がると来られなくなられました」
「そうですか」
「義典さんのほうにも二人の子供がいますから、忙しくなられたのでしょ」

孝夫は真向かいの高明を見やり、
「高明君、いい色のワイシャツだね」とスーツの下の真新しい紺のワイシャツを誉めた。
「ここへ来るので母が買ってくれました」

眉の太い黒目がちの眼の高明は、膝を抱くような俯き加減で、恥ずかしそうな表情を見せた。


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八雲立つ……54

2008-11-13 07:20:34 | 八雲立つ……

タクシーで五時過ぎにホテルに戻った孝夫は、シャワーを浴びると一度ベッドに寝転んだ。ぼんやりと白い天井を見つめた。疲労が肩に貼り付いていた。

律子が胸の木陰から顔を覗かせた。割子蕎麦を食べさせたせいか満足そうな表情であった。

――寂しくなった、この土地も。ぼくはやはりこの土地にずっと何かを索めていたのだね。でもないことに気付いた。律子、もうすぐ桜が咲く。嵯峨野の広沢池の枝垂れ桜を観に行こうか。

律子が瞳を輝かせて、白い頬に柔らかな笑みを広げた。

――奈良の吉野山の桜もいいけどな。

律子は顔を横に振った。

――嫌なのか。広沢の枝垂れ桜のほうがいいのだね。

律子は頷いていた。

律子は小さな幸福で満ち足りる女だった。自分のこころを覗くことよりも、孝夫や娘二人のこころばかりを覗いていた。こんな律子だから孝夫も娘たちも安心して日々を暮らせた。信和叔父夫婦のようにいがみ合うことは一度もなかった。律子は孝夫にとって安心できる女だった。

孝夫は一度律子に、愛とは何かとくつろいだ気分で問うてみたことがある。愛とは何か、このことは孝夫にとっては中学高学年からの人生の課題であっただけに、学者、文学者の人生論や仏教書、聖書関係も数多く読んでいた。
「喧嘩しないこと」

即座に律子の口から出てきた言葉だった。
「喧嘩しないことか。単純明快だな」
「人はそれぞれ生い立ちも頭の中身も違うでしょ?」
「それはそうだが」
「気持ちの行き違いがあるのが当然でしょう。だから喧嘩もする。だけど愛し合うことって、その喧嘩が起こらないように、自分の感情に気を付けることだと思う」
「そうか、感情を剥き出しにしないということか。だから律子はいつも笑っていられるのだ」
「いつも笑っていたらバカだけど」

――律子、この土地では気持ちの安らぐことがなかった。ここに来るといつも胸の中が堅くなる。

業を煮やした芳信叔父の手元を離れて大阪で母親と暮らすようになってからも、学校の夏休み、冬休みになると孝夫は、妹の邦子の預けられていた芳信叔父の元に、一人山陰本線の汽車に乗車して出掛けた。叔父の家で過ごしても楽しいことはなかった。幼い頃とは違って叔父は孝夫を手を上げることはなくなった。だが孝夫の潜在意識には小学低学年の頃の虐待が記憶されていたので、叔父を見る孝夫の眼は水に浸けられた鼠のように怯えていた。

今まで考えたことがなかったことだが、面倒を見てくれた婆ちゃんの葬儀の記憶がないことに気付いた。祖母房江が亡くなったのは昭和三十一年、孝夫の十歳のときであった。孝夫に母親と一緒に、祖母の葬儀に出掛けた憶えがない。母は参列しなかったのではないだろうか、どうもそんな気がする。実母の葬儀あるいは危篤時に、母がその枕元に駆け付けなかったということはあるだろうか。

もしそうだとすれば実母と娘の関係は謎を深めてくる。孝夫が祖母に肉親の温もりを感じなかったように、母も実母に母親の温もりを感じることがなかったのではないか。おそらくそうであろう。孝夫が智世子と暮らし始めたのは小学四年生の三学期からだった。孝夫は自分の内に智世子や信和、芳信と同じような非情な感情が潜んでいるのを、青年期の頃から自覚していた。これを拭い去ってくれたのは律子の愛であった。

いままでは自分一人の気質、性格の問題として捉えていたことが、実はそうではなく、小野一族の一人一人に帰結してくるのである。鮭は自分の産まれた源流に向かって遡(さかのぼ)っていく。鮭の源流は地脈からこんこんと湧き出る清水であるが、人の源流はそうともかぎらない。おぞましい歴史を秘めているやもしれない。

だが小野の血の一滴も流れていない孝夫にとって、肝腎なことの一つである房江の最初の夫のことは、信和、芳信叔父に訊ねても皆目わからない。

予約しておいたホテルのレストランに行くのには、あと二時間の余裕があった。昨夜は叔父の家で十二時近くまで呑み、タクシーで戻って来た。寝不足の疲れが残っていた。目覚ましをセットすると孝夫は知らぬ間に深い眠りに落ちた。


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八雲立つ……53

2008-11-12 17:20:03 | 八雲立つ……

     *

この町の菩提寺は芳信叔父の家から近く子供の頃の孝夫の遊び場の一つだった。タクシーを門前に停めるとタクシーを待たせておいて、孝夫は寺門を潜らずに脇の細い坂道から墓石の並ぶ墓地に向かった。墓地の上の方は丘陵になっていて、当時から民家が数軒並んでいた。その一軒は孝夫の小学生当時の級友の家だが、孝夫が小学四年になる前に大阪に出てからは付き合いはなかったし、いまもその家に級友が居るとは思えなかったし、顔を思い出せなかった。

ここに来るたびに孝夫は寂寥に襲われた。すべてが遠くに過ぎ去っていた。孝夫は元の分家の墓のある場所に行った。左右には昔からの他家の古びた墓石が建っていたが、分家の墓石はなかった。上のほうに移した、と叔父が言っていたので、孝夫は坂道に引き返すとさらに上っていった。風もなく穏やかだった。誰にも逢わず墓地の佇まいはひっそりとしていて、辺りの空気が希薄になった気配だった。

新しい墓石を一つ一つ確かめていった。分家代々の墓はわりと簡単に見付かった。墓石は昔のままだった。左右の花立てに小菊が差し込まれていた。孝夫は花も線香も持参して来なかった。墓石をじっと見つめ合掌した。

墓の左手下に叔父の家の屋根が眺められた。孝夫は銀色に光る屋根を見つめていたが、なんの懐かしさも覚えなかった。ちょっと叔父叔母に挨拶を、という気持ちも起こらなかった。もうM市に孝夫の居場所はなかった。

孝夫は一度目蓋をゆっくりと閉じてから開けると、立派になった寺の本堂を眺めながら坂道をゆっくりと下った。本堂は十年ほど前に建て替えられていた。孝夫たち子供が墓場で歓声を上げて遊んでいたときに、こらー、墓で遊ぶと怪我をするぞ、と境内に立って睨み付けた前の住職はとっくに亡くなり、いまは息子が跡を継いでいた。孝夫のこころとは関わりのない寺の雰囲気になっていた。孝夫は、もう来ることはあるまい、と悲哀の胸に思い、待たせてあるタクシーのほうに下りて行った。

そのタクシーで明日徳島に戻る挨拶に、本家に立ち寄った。居間に上がった。和服の叔父は炬燵に脚を突っ込み、うたた寝していたようだった。
「どうじゃったね。子どもらもおったじゃろ」
「息子さんと娘さんが」
「ここには一日に峰子が、二人連れて年賀に来ちょるわね」
「そうでしたか」
「峰子とこは子が大きいけん、佳恵ほど苦労せんですむわね」
「そういっても大学生と高校生では学費一つにしても、これから物入りですが」
「義典の会社からだいぶん出とるわね」
「出ますかね?」
「わしが会社に行って過労死扱いにさせたけん」
「叔父さんが出ていかれたんですか」
「そうじゃわね、元警察署長が」

叔父はそう言うと歯を覗かせ、頬に縦皺を刻むとにやりとほくそ笑んだ。

孝夫は胸の裡で、なるほどと呟いた。

そこへ叔母が大皿に何か盛りつけて運んできて、炬燵の上に置いた。香ばしい匂いが立ち昇った。
「孝夫さん、こっちが松葉がにの焼いたの。こっちはあごの蒲鉾。いまお酒もってくるから、これをつまみにうちの人と呑んでいてください。まだ時間早いけん、夕食はもう少しあとで」
「あっ、叔母さん、夕食はいいです」
「夕食食べんとホテルに戻られる?」
「ちょっと疲れて食欲がないので」
「孝夫は食が細いの」
「それじゃお酒だけもってくるわ」

すぐに熱燗の銚子二本と盃が運ばれてきた。
「孝夫、いかんけ」

叔父は孝夫の前の盃を手にするように促した。
「ありがとうございます。それじゃ叔父さんも」

と言って、孝夫は叔父の盃にも注いだ。
「ご苦労さんじゃった」

と、叔父は言うと、ぐっと一息に呑み干した。
「あごの蒲鉾は懐かしいですね」

孝夫は箸で丸い焼き蒲鉾を摘んだ。
「そうじゃろ。なんぼでもあるけん、食べなはいや」
「ぼくが子どもの頃は赤貝を鍋一杯醤油煮してましたが、今は鮨ネタの貴重品になりましたね」
「採れんがね」
「宍道湖を半時間ほど眺めてましたが、風情がまるで変わってしまって」
「そうじゃろ。何処もかも味気のうなってしもうた」
「そうですね」


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八雲立つ……52

2008-11-12 14:17:28 | 八雲立つ……

叔父が本家と分家の遺児を公平に扱っても、本家は本家、分家は分家であろうし、この点では冷徹な叔父の考えは本家筋の考えの持ち主だから、義典の遺児二人を信隆の遺児二人とは同等に扱わないだろう。義典の遺児二人を可愛がる感情を、叔父が持てないことを想像できた。

孝夫は昨年の夏、仕事上の知人とM市を訪れたときに入った、堀割沿いの蕎麦屋に向かって歩いていた。正月だから閉まっているかもと思案していたが、店の前にコート姿や着物姿の若い女たちが群れていた。

孝夫は暖簾を分けた。店内に暖かな空気が籠もっていた。ここだけが観光客、帰省客で盛況で話し声で賑わっていた。土塀に囲まれた広い内庭に山茶花、椿に混じって棚に盆栽が並んでいた。店員は孝夫を一人と見て取って二人用のテーブルに案内した。孝夫をメニューを開いた。

――律子、どれにする。ここのはどれを食べても蕎麦が旨い

孝夫は胸の裡の律子と相談してから、割子蕎麦を注文した。

正月一人で蕎麦を食べている自分を、孝夫は侘びしいとは思わなかった。いつ死んでもいいと覚悟を決めている孝夫は、近頃、寂しさとか侘びしさとかの感情が希薄になっていた。一日長く生きると一つの虚しさを拾ってしまう、こんな気持ちのほうが強かった。胸の中にいる律子に語りかけることで、なんとか一日一日を生き延びている気持ちだった。

一つの割子蕎麦を律子と食べている気持ちでいた。こんな旨い蕎麦を律子にも食べさせられたのでM市に来てよかったか、と思った。京膳を二人で食べていたときは、お互いに別なものを注文し分け合って食べたが、律子は自分の膳のものを箸で摘んでは孝夫の器に置いた。孝夫が旨そうに食べているのを、いつもの悪戯な瞳でじっと眺めていた。

蕎麦屋を出ると、もう少しこの附近を散策してみようと、様子のわからなくなった町並みを先に進んだ。途中で何度か道に迷ったが、城の堀割に沿って歩いた。下着を二枚重ね着していたので、暖冬で躯が汗ばんだ。歩いてみて改めてM市に昔の懐かしさが喪われていることを感じた。表通りの家並みが新建材で立て替えられ、記憶にある目印の建物は一軒もなかった。道を歩いているおとなの姿もなければ、広場で遊んでいる子供の姿もなかった。

孝夫は腕時計を見た。ホテルに戻っても佳恵親子を招待している夕食時間には四時間ほど時間が余っていた。ほとんど車の走らない大通りに出て所在無く佇んでいたら、昨春の芳信叔父からの聞き取りにくい電話の内容が脳裏に浮かんだ。

     *

「菩提寺の墓を移転したがね。あそこはあんたも知っているように日陰で水捌(みずは)けが悪いが」
「どこに移したのですか」
「ずっと上の高台に墓土地があったけん、買ったがね」
「もう墓はそっちのほうに?」
「移した。兄貴からは一円も出してもらっておらんけん。わしが全部したでぇ」
「知らせなかったんですか」
「知らせんでも兄貴にはわかっとる筈じゃけん。我が親の墓詣りもせんがね」
「そうですか」
「兄貴は罰当たりなことばかりしとるけん、ろくな事が起こらんわね。長男は早死にする。兄貴の躯はがたがたになっちょる。この点、わしは婆さんが見守ってくれとるのか、先だってもなぁ、こっちの放送局がテレビの取材に来たぜ」
「なんの取材にですか?」
「わしが布袋さんを作っているやろ、それを撮影させてくれと。話を聞かせてくれと言うので、スタジオにも行ったぜ」
「対談ですか」
「そうじゃがね。わしゃ喋るのが苦手じゃが毎日テレビ観とるけん、少しはなまりがとれたけん」
「あっそうですね。布袋さんを焼き始めて何年になりますか?」
「八年ほどになるじゃろか。あんたにもやらなあかんとええ物は横にのけておるけど、あんたは忙しいのかこっちに来んけんのぅ。公民館や小学校にも寄贈したけん」

孝夫はM市に何度か訪れていたが、本家に顔出ししても芳信叔父の家には、二十年前に長女を連れて訪れて以後、顔出ししていなかった。戻って来るたびに叔父にわからないようにして菩提寺を訪ね、墓詣りはしていた。
「それじゃ叔父さん、テレビ出演までしたらM市の名士ですね」
「地方のテレビ局じゃけん、名士というほどでもないわね」
「それでも叔父さんのしていることが世間に認められてよかったですね。鳩堂窯の話もされたんですか?」
「アナウンサーに訊かれたけん、少しは話したけん」
「よかったですね、M市の人達に鳩堂窯のことが知られて」

孝夫は路上を歩きながらタクシーを停めることを考えた。時間があるからタクシーで菩提寺の墓詣りを思案した。どこに移転したのか確認しておこうと思った。


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八雲立つ……51

2008-11-12 08:53:11 | 八雲立つ……

     *

宍道湖が眼前に展がる地点で孝夫は車を降りた。
「本当によろしいのですか。家(うち)に来られてゆっくりとされては」

佳恵はハンドルに手を置いたまま、見上げる視線で孝夫の顔を覗き見た。
「ありがとう。寒くなったらホテルに戻りますので」
「そうですか。それでは七時前には子供達とホテルのほうへ」

佳恵の白い車は城山の方向に走り去り見えなくなると、孝夫は湖畔沿いの広い歩道を湖を眺望しながら歩いた。歩道は観光客用に周辺は整備されていたが、人の姿はなかった。二車線の広い車道を時折、車が走り抜けていくだけであった。

肌寒いほどではなかったが寒風が吹き、寒天色の宍道湖に白波が騒いでいた。湖畔の景観に子供の頃に宍道湖で遊泳した、夏の日々を思い起こしていた。しかし当時の風景はどこにも見当たらなかった。新しく植樹された松並木はまだ背丈が低くて風格がなく、宍道湖の景観に馴染んでいなかった。なんの記憶を呼び起こすこともなく、これでは京都散策のほうが気持ちが癒されると思った。

――律子、子供の頃に蜆採りに夢中になった宍道湖だよ。あの頃の砂地はなくなっている。ひどく無愛想になっている。何一つ楽しい思い出のない街だが、この街を訪れるたびに何かを探していたのだけど、なにもかもなくなった。……お腹が減ってきた。律子も空腹じゃないか。おいしい蕎麦屋があるけど行ってみますか?

胸の裡から律子が顔を覗かせ、いつもの悪戯っぽい瞳で頭を二、三度頷かせた。

湖岸沿いを離れると城山のほうに向かって歩いた。三が日の一日だというのに広い道路に途切れがちに車は走り抜けて行くだけで、歩いている人影を見かけなかった。孝夫が子供の頃の正月は戸外に初詣の親子連れの姿が多かったが、この頃はどうなっているのだろうか。車でそそくさと初詣を済ませ、家族揃ってテレビ番組に興じているのかもしれないな、と思った。

繁華街通りに入ってみたが閉めている店が多く、人の気配もなく閑散としていた。M市も他の地方都市同様に大型店舗があちこちに進出してきたせいか、旧商店街筋は歯抜けになったり、駐車場になったりと寂れた佇まいだった。これではM市を観光に来ても観光客は土産物をデパートや大型店舗、あるいはホテルの売店で買うことになり、M市特有の古い街の情緒に触れることもないだろう。

だが現代の若者に昔の街の情緒への関心は薄く、中年以上も若者の好みに迎合しているのだから、変貌して行くのもやむを得ないことかと、孝夫は先ほどの峰子や二人の遺児の面影を思い起こしながら、こんなことを考えたりした。

信隆の二人の遺児と義典の二人の遺児は当然とはいえ、やはり違っていた。信隆の遺児は佳恵に似て陽とすれば、義典の遺児は峰子に似て陰であった。信和叔父にとっては、どちらの遺児も公平に扱わなければならない孫たちであるが、叔父は信和の遺児たちは可愛がっても、義典の遺児には親近感を持たないだろう。それが叔父の性癖であり、孝夫の性癖でもあった。だから孝夫には叔父の好みはよく判断できた。信和叔父と孝夫の母親は気位や性癖が似ており、孝夫は叔父や母親のこうした性状に、嫌悪を覚えることが多かったが、自分の中にも類似したものが多くあることを認めていた。

信和叔父、母親、そして芳信叔父の生い立ちは暗すぎた。暗い生い立ちを引きずった人間は明を求めるものだ。脳天気な明ではないが、陰鬱からは遠ざかる習癖が身に付いてしまう。孝夫が律子を愛したのは、底抜けに近い律子の明るさと孝夫への信頼であった。猜疑の眼差しを孝夫に向けることは一度もなかった。

佳恵と峰子を対照しながらそれぞれの遺児を観察すると、明らかに子供は母親によって作られることの、実証を得た思いであった。

長男の大学二年の高明は、佳恵の話では人間関係で内に籠もるタイプで、先が心配だと言った。昨日短い時間に逢った孝夫の眼から見ても、一見神経質な暗い面がなくもなかったが、目元が涼しく好ましい青年に思えた。叔父はいずれ本家を継ぐ高明を好んでいるようであった。

孝夫は自分が叔父に好まれているのは楽天性ではないかと思っている。胸裡には暗鬱なものを潜めていたが、それでいて心底から暗くはなれなかった。

高明に比べると義典とこの大学一年生になる長男重成のほうが気になった。高明より聡明な顔立ちであったが、神経質であることが明瞭に読みとれ、喘息の持病があった。

弔問に訪れたとき、昨夜は重成が急性胃炎か何かで急に苦しみ出し、救急車を呼ぼうかと迷ったがなんとか納まった、と峰子は佳恵に話していた。義典の突然死で長男として葬儀、初七日、四十九日と仏事の緊張の心労が胃にストレスをもたらしたのだろう。孝夫は高明と重成に信和叔父、芳信叔父の悪しき関係の招来を予感した。


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八雲立つ……50

2008-11-11 17:34:23 | 八雲立つ……

線香を立て、孝夫は義典の写真をまじまじと見入った。子供の頃からさほど容貌は変わっていない。信隆は両親に反撥して育った顔におとなの風格を重ね合わせた顔であった。義典は子供の頃に母親のスカートにくるまって甘えていた表情が、そのまま写真に残っていた。陽気に見える笑顔でありながらどこか狡猾さを感じさせる表情だった。眼差しに神経の尖った翳りがあり、それが芳信叔父の持っている病的な感じに似ていた。孝夫は信隆とは楽しい酒が呑めたかもしれないが、義典とは無理であったかもしれないと思った。

義典、お別れだな。あれ以来仲直りする機会が持てなく悪かった、と孝夫は、信隆、義典と川遊びした当時を思い起こしながら、胸裡で別れを告げた。
「どうもありがとうございました」

向き直った孝夫に、峰子は頭を下げ鄭重に礼を言った。
「驚かれたでしょう。急なことで」
「お父さんの家から戻って来て風呂に入り、その後は娘と二人でテレビを観ていました。バレーの試合をしていましたので。夕食はお父さんのところで食べてきたらしいです。十時には寝床に入っていびきを。いびきがひどいので、私はいつも別の部屋で娘と寝ています」
「義典さんのいびきは有名。信隆さんがよく言っていました。横で眠ると眠られないと」

佳恵は明るく言った。
「私は主人のいびきがなくても眠りにくいたちですので、あの人の横では無理です。十一時過ぎに風呂に入り寝ようかと思いましたけど、主人の部屋があまりに静かなので、襖を開けて覗いてみたのです。仰向けで口を開いて、どうも様子がおかしいので、お父さん、お父さんと声をかけてみましたが返事がなく、気になって近付くと青黒い顔色で呼吸をしていないようなので、お父さん、お父さんと両肩を揺すっていたら、隣の部屋で勉強していた娘も入って来てお母さん、お父さんおかしいよ、救急車呼ばないと、と泣き声で言うので、私も我に返り電話しました」
「高いびきかく人って心臓が停止する瞬間があるとか、いつだったかテレビでやっていました。そんなことが引き金になったのかな。義典君も中間管理職だから、流行のストレスが原因だろうと想像するけど」
「あとでお医者さんも普段自覚症状があった筈だがと言っていました。でもほとんどのかたが見逃すというか、無理して出社するとか」
「ぼくも夜遅くまでパソコンのキーボードに向かっていると、胸がチクリとすることがありますが、医者に診てもらおうとは思わないから。本当に大変でしたね。佳恵さんの話では、近頃は叔父宅によく寄っていると言っていましたので、信隆君の分まで親孝行していると、ぼくも喜んでいたのですが」
「近頃はよく会社の帰りに寄っていました」

大学生の息子と高校生の娘がちょうど居合わせた。お互いに初めての対面であった。孝夫は別な部屋に案内されたので、出されたコーヒーを飲みながら、二人の遺児に義典の幼い頃の思い出を話した。しかし二人の遺児に積極的に伝えたいことは何もなかった。早々に切り上げて、佳恵の車に乗った。なぜ義典は郷里に住みながら家を建てなかったのか。険悪な関係にある父親のところに、なぜ近頃は通っていたのか。痩せぎすな、どこか陰気な峰子の表情とともに、複雑な思いが孝夫の胸で騒いでいた。

おそらく信和叔父は義典、峰子夫婦を好きにはなれなかっただろうと思った。好きでない人間には情を示さない、むしろ冷たく当たる、これは孝夫の母親や信和、芳信叔父に共通していた。自分にもこういう面はあると孝夫は自覚していた。博愛精神とは何だろうか、孝夫は若い頃からこのことに煩悶してきた。それなりの正義感はある、虐げられた人々の側に立っているとも思うのだが、それでは誰彼なくと付き合えるかといえば限界があった。自分にはマザーテレサの真似は無理であった。博愛でありたいとは思うがなりきれなかった。

これからどうされます?と佳恵が車を運転しながら訊ねたので、宍道湖の眺められるところで降ろしてください、二時間ほど町を散策してからホテルに戻り、それからレストランの方に行きますから、と言った。
「うちに来られて休憩されてはどうですか。寒くないですか?」
「今度何時来られるかわからないので、少し歩いてみます」
「またそんなことを言われて……主人、義典さんと亡くなられて、私淋しくなります」

佳恵は宍道湖の湖面を眺めやっている孝夫の横顔をちらっと見た。それから胸の中に育てつつあった計画を口にした。
「明日出雲大社から日御碕に行かれ、それからT温泉に戻られるのでしたね」
「ええ」
「私日御碕に行ったことがないので、井口さんが来られる前にドライブ好きなお友だちに訊ねたら出雲大社より七、八キロ先。車で近くですがバスの便は悪いとか。バスで出掛けてあんなとこに立ってたら、帰りのバスまでに凍えるわよと笑われました」
「寒いかな」

孝夫は思案顔になった。
「私の車で行かれませんか。運転しますので」
「あなたと?」
「お嫌でなければ……家には大きな子ども三人がいて、私が一日中留守しても困りません。近くのスーパーも開いてますので」
「そうですか……それじゃお願いしようか。実はバスの便が心配でした。タクシーでも行けますが、稼ぎ時に一時間も待たせられないでしょ」
「よかった。T温泉までお送りします」


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八雲立つ……49

2008-11-11 13:29:05 | 八雲立つ……

     *

冬の薄ら陽に湖面は銀色に眩しく輝いていた。小舟の影はどこにも浮いていなかった。物寂しい静かな風景だった。

M市で過ごした頃の孝夫の救いは、小学校三年生までの近所の遊び仲間であった。孝夫の子供の頃は子供の世界に縦社会が形成されていた。リーダーに中学二、三年生が一人二人おり、下は小学三、四年生といつも八名前後の集団であった。

芳信叔父の家から宍道湖までは、子供の脚で三十分ほどかかったが、炎天下の町中を縦に並び、路上でも鬼ごっこしたり、五十メートル競走しながら、宍道湖に向かった。

遊泳しながらの蜆(しじみ)採りは楽しかった。湖底は潜ると波紋を描いた透き通った砂地で、片方の指先を砂地に突っ込むと、二、三個の黒い蜆が掌に残った。それを腰に付けた布袋に入れた。
「宍道湖では泳げないみたいですね」
「汚れてますので遊泳禁止になってます」

湖岸の南部と北部は山地や丘陵が迫っていた。湖岸線は単調である。潜って蜆を採っていた頃の、湖水の感触が記憶によみがえった。もう一度泳いでみたい気持ちに誘われるのだが、子供の頃とは比べようがないほどに、水質汚濁が進んでいた。
「この湖で遊んだことぐらいだ、楽しかったのは。この土地に子供の頃から何一ついい思い出がない。二度と味わいたくないことが多くて。でも宍道湖に潜って蜆拾いをしたことは忘れがたい。来るたびに宍道湖を眺めていますが、すっかりと変わってしまって寂しさと向き合っているようです」
「私の子供の頃からみても変わりました」
「ぼくには故郷と呼べる土地がないものですから、せめてここだけでも故郷であればと思うのですが、来る当てがなくなって」
「そんなこと言わないでまた来てください」
「ありがとう。また来られたらいいのだが……」
「私一人では小野のこれからのこともわかりませんし、孝夫さんに相談にのってもらえたら」
「いつからかぼくのことを孝夫さんと」
「ほんとだわ、いつから孝夫さんと呼んでいたのかしら。失礼なことを」
「そんな意味で言ったのではないです。M市にこんなふうに呼んでくれる人が叔父夫婦以外に一人増えたと」
「歳とりますと歳の差の感覚がなくなります」
「歳とっていませんよ」
「そんなことないです。本当にまた来てください」
「佳恵さんも子供さんの進路が落ち着きましたら、京都にでも出掛けてください。案内します」
「ありがとうございます」
「だけど今回の義典君の死を考えると、次は叔父、母よりぼくの番のような気もしています」
「そんな冗談言わないでください。主人や義典さんが亡くなっているのに、そんなことを言われますとこころ細くなります」
「従弟が次々と亡くなり、この土地もぼくには縁のないところになりそうです。実は今回を最後にもうこの土地に来ないだろうと思っています」
「嫌ですよ、そんなこと」佳恵は孝夫の言葉に悲しくなってきた。「そんなこと絶対に嫌ですよ。お義父さんお義母さんおられますし、芳信さんだって……それに私もいます」
「そうでしたね。あなたやお子さんが……」

そのまま孝夫は押し黙った。

孝夫は義典家族の住む市街地に入ると、昨夜叔父の言っていた言葉を思い出した。
「家を建てようとは思っているが、峰子の親が風水をやっちょるがね」
「間取りの位置などを占うあれですか」
「そうじゃ、だからややこしいがね」

孝夫は義典がすでに家を自力で建てていると思っていたので、義典家族の住む市営住宅のような建築の、間取りの窮屈なマンションを訪れたときには、意外に思った。家を建てる建てないはその家族の問題で、孝夫の関与することではなかったが、義典が亡くなる四十八歳まで家を建てずにきたことが不思議だった。昨今は結婚して五、六年も経つと、ローンしてでも家を建てる風潮が見られるだけに、義典はなぜ家を建てなかったのかと訝った。佳恵親子の家を建てたぐらいだから、いずれは自分たちの家もと、毛嫌いする父親を当てにしていたのだろうか。そういえば近頃は義典さん、お父さんの家に行かれています、と佳恵は電話で言った。このこととも関係しているかもしれないと、孝夫は推理した。

峰子が出迎えてくれた。小柄な顔の貧相な女だった。結婚式の折りに遠目にちらっと眺めた程度で、その後は二十数年間逢っていなかったので、峰子の記憶はまったくなかった。四十九日を終えて間もないから疲労が抜けていないのかもしれないと思ったが、血の気がなく病身な感じがした。こういうタイプの女と暮らしてきたのかと、孝夫は義典の意外な面を知った気持ちになった。
「どうぞ中に入ってください」

峰子は静かな声で、二人を位牌と義典の額の写真の祀ってある六畳間に案内した。部屋の片隅にはすでに真新しい、黒塗りの仏壇が用意されていた。


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八雲立つ……48

2008-11-11 08:49:52 | 八雲立つ……

     九章 宍道湖

車は広い国道を宍道湖の方角に進んだ。孝夫が予想していた方向とは違っていた。
「義典君たちはこっちの方で暮らしていたのですか?」
「あの山の向こうです。トンネルがあります」
「市街地ですね。向こうにも町が?」
「新興住宅地です。いっとき人口も増え賑やかな町になりそうでしたが、少子化とこのところの不況で先細りしているようです」

孝夫は窓越しに茫漠と広がる宍道湖の湖面を眺めた。
「信隆君、義典君が亡くなったとなると佳恵さんの肩に小野の家がかかってきます。あくまで戸籍上、法律上ですが。で聞いておいてもらったほうがいいような。重苦しい話ですがいいですか」
「なんでも仰ってください。驚きませんから」
「信和叔父は、芳信叔父が房江婆ちゃんを殺したと」
「お母さんを殺されたのですか!」
「本当か嘘かぼくにはわかりません。ただぼくにも腑に落ちることがあるのです。芳信叔父は五十代頃から、婆ちゃんの幽霊を視るのです。ぼくは何度か婆ちゃんの幽霊を視ている叔父を目撃しています。もちろんぼくには何も見えません。叔父だけに視るのです。このときの叔父の様子は、魂を抜き取られたというか」
「怖いですね」
「女性のあなたにこんな話をして。でもあなたには祟らないですから、安心してください。佳恵さんがこの土地に子供さんたちと来られたとき、叔父叔母と一緒に暮らさないほうがいい、と差し出がましいことを忠告したのも、小野という家は怨念が渦巻いているような、どこか冷酷な気配に支配されているような感じが付き纏(まと)っています。ぼくがどちらの叔父の家にも泊まりたくない理由の一つです。こういう気配が佳恵さんや子供さんたちの成長に影響しては大変だなという気がしたものですから」
「主人にも時折私にはわからない暗い翳りというのでしょうか、表情に出ているときがありました。難しい仕事を抱えているのかな、と私はそっと眺めるだけでしたけど」
「信隆君や義典君は両親の不仲を目撃して育ちましたから、根に暗いものがあったでしょう。ただ二人に視えていたものは、両親の不仲だけだったと想像します。叔父も芳信叔父が婆ちゃんを燻り殺した話は、二人には話さなかったでしょう。こういう育ちをしますとその反動で、自分が結婚生活で築いた家庭へは、小野一族の干渉、影響を排除する気持ちが強くなる。防波堤になる覚悟をしていたでしょう」
「義典さんはそのように考えておられました。うちの人は少し違っていたようですけど。でも小野の両親の話は自分からはしなかったです」
「あなたという素晴らしい女性に巡り逢え、平穏な家庭生活を営んでくれましたが、二人とも死ぬのが早すぎました……」
「井口さんに誉めていただくような私ではないですけど。義典さんの突然死には驚きました。訳がわからなくなり、つい電話で取り乱してしまって……」
「今回のことでぼくにも視えてきたものがあります。小野は本家、分家ともに非情な母子関係にあった。その子としてぼくの母や二人の叔父は育った。このようにして育った人間は肉親としての愛情の受け渡しが、我が子にもできなくなる。我が子や他人に真から潤いのある愛を与えられない。理性ではわかっていても感情が従ってくれない。自分にないものは人に与えられない。だから躯の奥から自然と沸き上がってくる温もりとは別な、観念的なもの、道徳とか倫理とかを愛情と思い違いをして子育てしなければならない」
「気の毒ですね。父と子、母と子の関係に難しいものがあります。私も小野に嫁いで、いろいろと感ずることがありました。私の子供たちも父親の欠けた育ちをしましたので、とくに長男の高明は心配です。人間関係がうまく作れないようで」
「昨日逢ったときの高明君は、清々しい眼差しをしていましたよ。年頃ですから悩むことも多いでしょうが。変に友人と妥協しても自分を作れないですから。信隆君が亡くなってから、小野の両親と距離を保って子育てされたのは賢明だったと思います。佳恵さんは信隆君と結婚したのであって、小野家と結婚したわけではないですから」
「ご忠告をいただき、なぜこんなことを言われるのか、あとで怪訝に思ったりもしましたのですけど、いまになるといろいろとわかることがあります。これからもよろしくお願いします」
「小野とは無縁な人間と思って生きてきたつもりなんですが、ぼくも小野一族の醜悪な場面を目撃しながら育ちましたので、精神はあまり健全ではない。母親との葛藤が母親が亡くなるまで続きました」
「私たちにはいいお母さんでしたよ」
「小野一族は外にはいい、あるところまでは。冷たい感じの婆ちゃんにしても、五十何組かの仲人をしています。叔父と叔母をくっつけたのも婆ちゃん。義典君も小野一族の邪悪な幻影にある時期から苦しんできたのでしょ。交流がなかったのでぼくにはわからなかったですが、信隆君の通夜で見せたあの傷ついた小動物のような姿から理解できます。義典君の場合は母親によって吹き込まれた、植え付けられた。それに信隆君の苦悩する姿も中、高校生の頃には見ていたでしょ。本当はぼくとも分かち合えるものがあったのですけど、あの晩は逆になってしまって」


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八雲立つ……47

2008-11-10 17:21:01 | 八雲立つ……

「やはりね。ぼくは叔母だけでなく、自分の母親にもこのことを感じてきました」
「お父さんは私たち親子に本当によくしてくれます。でも信隆さん、義典さんはお父さんに父親を感じなかったでしょう」
「芳信叔父の家庭にしても二人の子供はそうだったのでしょ。ぼくは向こうのことはあまりわからないけど、芳信叔父の性格とか気性はよくわかっていますので」
「小野の皆さんには、寒々としたものがありますね」
「ぼくも冷たい男だと思います」
「井口さんはそんなふうには見えませんけど。奥様、子供さんをずっと愛しておられたのでしょ?」
「律子が愛してくれていたのでしょ。ぼくのような男のどこがいいのかと二十数年過ごして何度も思いましたが、満足してくれたように思います。ぼくのこころも救われました。この土地にいたころのぼくはすさんでいました。律子と暮らしていなかったら、とっくに自滅してました。いつも飢餓感に近い虚しさがあり、自己破壊する衝動が強くて」
「苦労されたことはお父さんからお聞きしていました」
「こころを少しずつ癒してくれたのが律子でした。もう少しあれに贅沢な思い出をつくってやりたかったと、今頃になって悔いが残ります」
「律子さん、お幸せでしたね」
「平凡な女でしたが」

昨日と同じように寺の白壁に沿って車を停めた。本堂の上がり口で靴を脱ぐと、障子戸を開けた。広い畳敷きの本堂には誰もいなかった。どこに義典の遺骨が安置されているのかと、孝夫は広い堂内の左右に眼をやった。左手傍らに大きな朱色の飾り台があった。佳恵は急ぎ足でそこに行くと、孝夫に視線を向け、孝夫さん、こちらです、と小声で言った。

台の真ん中に義典の遺骨の納めた箱が載せられていた。元旦の五段重ねの重箱ほどの四角い箱が、金で刺繍した袋に包まれていた。孝夫は蝋燭を灯し線香を立てた。それから合掌した。孝夫の背後で佳恵が拝んでいた。

二人でさらに左手奥の畳敷きの部屋に進んだ。左右の壁に沿った棚に各檀家の位牌がずらりと安置してあった。孝夫と佳恵は小野家の位牌を拝んだ。

孝夫もそうだが、佳恵が牧師の娘にしてはさほど宗教に帰依しているようには見えなかった。拝むだけ拝むと本堂を出て、寺門前に停めておいた車に乗り込んだ。昨日叔父の家に行く前に先に佳恵の家に寄り信隆の位牌を拝んだが、仏壇はなく五年前と同じ場所に清潔な感じで安置してあった。
「仏壇には納めたくなくて」佳恵は恐縮したように言った。
「これでいいじゃないですか」

孝夫は拝んだ後、佳恵に向き直って言った。

車は人通りの少ない大通りを義典の家族の住むマンションに向かった。
「叔父の書いた書物に、自分は二人の父と母をもった幸福な男です、という文章があるのです。知っておられると思いますが、叔父は五歳で実の父母から引き離されて、本家の養子になりました。二代目鳩堂信久、智恵夫婦が養父養母ですが、その頃養母智恵は、僧侶をしていた智恵の叔父が運営していた養護施設を手伝っていました。二十人ほど孤児がいたようです。叔父は孤児と同じ部屋で寝起きし、同じ食事をしていました。智恵の博愛精神というか平等精神で。養母が亡くなる十八歳までそうやって過ごしています。

叔父は禅僧まがいの教育を受けた、と書いているのです。さらにご丁寧なことに、今日あるは二人の母の厳しいしつけと慈愛の賜物であると書いているのですが、ぼくはこれは叔父の真実ではないと考えています。逆だと思います。叔父は五歳の頃から、こころの奥底で泣き暮らしていたと想像します。こういう育ちをした叔父は、耐えることを覚えた。端から見ると、自分勝手な非情な人格になったと思いますね。佳恵さんはどうお思われますか」
「親の愛情で育っていない気がします。私には真似ができません」
「真似ができないというのは?」
「産んだ子供を五歳で養子に出すことが」
「昭和初期のことだし、本家に子供が産まれなかったという事情もあったでしょうが。ぼくは一時叔父たちの産みの母、婆ちゃんと一緒に暮らしましたが、冷血動物のような感じでした。昨夜叔父に、母親が二人いて本当に幸福だったかと訊ねてみたのです。

すると叔母が身を乗り出して、孝夫さんもそう思われます、私も疑問に思っていることですと。叔父は幸せだったよ、と表情も変えないで平然と言いましたがね。ぼくがさらに突っ込んで訊いたものだから、叔父は、孝夫は何を探りたいのかね、と不機嫌な顔に。

そこで止めましたが、叔母が身を乗り出してきた理由だけはわかりました。叔父の身の上に同情するのではなく、だから叔父は非情な人間になったのだということを、暗に言いたかったのでしょう。あの叔母は叔父の哀れを理解できない、同情すらできない人です。ぼくは叔父の哀れと非人情、どちらの面も視えています。かつてのぼく自身でしたから」
「智恵さんも冷たい人ですね。孤児と同等に扱ったのでしょう?」
「藩命を受けたお抱え医師の娘だそうです。賢い人だったけど、女としての温もりはなかった気がします」
「お父さんは全然母親というものの愛情に触れていないですね」
「ぼくは信和叔父も芳信叔父、ぼくの母もそうですけど、愛情に充たされることなく育ったと考えています。実母は厳しい人だったし、母親としての愛情なんて絞っても出るような人柄でなかった。叔父の話では、ぼくの母親と芳信叔父は実母と暮らしていましたが、婆ちゃんは夫である陶工弘泰の土練りなどを一日中手伝っていたそうです。弘泰は小野の分家ですけど二代目鳩堂よりも芸術価値の高い物を焼いていました。婆ちゃんはぼくの母を連れて再婚でしょう、もらってもらったという肩身の狭さがあったと思います。子育てよりも弘泰の仕事を懸命に手伝った。婆ちゃんの喘息は塵肺(じんぱい)だと思います。苦しがっていました」
「哀しいことですね」


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