九章 宍道湖 佳恵は昨夜、妙に寝苦しかった。化粧を落とし寝巻きに着替えて布団に潜り込んだ。佳恵の実母は和服で暮らした人だった。寝るときは寝巻きだった。そのせいで佳恵も子どもの頃から寝巻きだった。パジャマを着るのは旅行のときぐらいであった。 呑んだお酒のせいか、義父義母のとんでもない話題の余韻か、躯が火照り、ブラジャーを外した胸に掌を当たると、乳首が立ち上がっているのがわかり、いっそう寝苦しい思いだった。 お義父さん、お義母さんはなぜあんな話をされたのか。やはり孝夫さんがあの場にいたせいだろうか。孝夫さんのお父さんも孝夫さんも女に手が早い。孝夫さんのお父さんのことは初めて聞いたが、孝夫さんのことは以前からお義父さんに聞いていた。 それにお義父さんの書棚に孝夫さんから送られてきた同人誌が三冊あった。京都の観光旅行から戻ってきてから、お義父さんには黙って借りてきたことがあった。孝夫さんの作品が載っていた。どの作品も男と女の話だったがそのうちの二作品はかなり濃厚なシーンのある作品だった。もちろん奥様を描いた内容ではなかった。 きょう孝夫さんに逢った印象は京都のときと変わりはなかった。女たらしの素振りはまったくなかった。お義父さん、お義母さんの遣り取りに調子を合わせて、もう一度花を咲かせてみては、と言われたにすぎない。 でも孝夫さんから冗談にでもそう言われると、躯のどこかがほころぶような疼(うず)きを感じてしまった。 そのためなのか、明け方に恥ずかしい夢に眼を醒まされた。亡くなった主人の夢さえ見たことのないのに、孝夫さんに抱かれていた夢を見た。それも私のようから積極的に孝夫さんの躯に被さっていく夢だった。あまりにも淫らだったので、慌てて飛び起きたらそれが夢とわかった。そのときの私ったら布団の中で寝巻きの裾が開いてしまうほどの大胆な姿態で、濡れているような気がした。 カーテンの隙間に映る灰色の明るさを見ながら、しばらくぼんやりとしていたら虚しさが胸に漂っているのに、無性に躯が燃えてきた。布団の中で自然と片手が下腹部に伸びていった。いっとき指先を蠢かせていたらすぐに上り詰めてしまった。事後に虚しさの拡がる行為だった。 * 佳恵はホテルに車で迎えに来た。 ハイネックの白いセーターに上下揃いの紺色のジャケットとパンツという、スポーティな恰好だった。そして腰回りに黒いウエストポーチを巻き付けていた。 先に昨日お参りした菩提寺の本堂に詣ることにした。道路を行き交う車はほとんど走っていなかった。 「昨夜はあれから遅くまで」 「佳恵さんが帰られてから一時間ほど居ましたかね。叔父、叔母同席のときはどちらからも肝腎は話は聞けないですね。結局、叔母が行った海外旅行の話とか芳信叔父の話とかを」 「お義父さんもお義母さんも私の顔が赤くなる話なんかされて……」 「ああ浮気を勧める話ね」 孝夫は墓参りの前だと軽く受け流した。 「これまで一度だってそんな話はされなかったのに……」 「叔母はあれほど叔父を罵るくせに、叔父の元からは一度も飛び出したことはない。叔父を本当に嫌悪しているのかどうかわからない。本当に嫌悪していたら一緒に居られない筈ですが。佳恵さんはどう?」 「私なら離婚してますが、女の場合は子供がいるかいないかで変わると思います。経済的なことがあるでしょうから」 「子供が足枷(あしかせ)にね。ぼくの町でも近頃は幼稚園児ぐらいの子供を連れて親元に戻り、親の世話になりながらバツ一だと笑っている若い女性がいます。親の経済を当てに出来る環境なら恵まれていますが、そうでない女性の場合は忍従している例も多いでしょ」 「そうでしょうね」 「忍従できるというのは女性のほうが男性より本質的に強いのでしょ。飛躍しますが戦争で女性はレイプされることが多いじゃないですか、それも何人もの男によって。どんな悲惨な目にあっても生き抜いていく。発狂したり自殺する人もいるでしょうが、少数だと思います。同等の恥辱を男が味わったら発狂するか死ぬのじゃないかな。男は恥辱には弱い。何が何でも生き抜くということでは女性より弱い。話が飛びましたけど叔母も忍従できるくらいなら、なぜ黙って忍従しないのかなぁ。信隆君や義典君に父親を罵る、子供の教育の面からもよくない。父親への憎悪感、嫌悪感を植えつけたのは叔母です。とくべつ叔父を弁護しているつもりはないですけど」 「私にもあのお母さんは女としてわからない点がありますがぁ。お母さんの立場でお父さんにきつく言うことはありますが、こんなこと言いにくいですけど、あのお母さんは舌が回りすぎるせいか、言っておられる言葉が私の胸に届いてこないのです。高明などもお母さんよりはお父さんに懐(なつ)いています。気前よく高明にお小遣いを渡されることも理由ですが」 佳恵はハンドルを握ったまま、ちらっと孝夫を見て笑った。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ![]() ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! ![]() |
「それで先ほど佳恵さんに熱心に浮気を勧めておられたのですか」 孝夫は笑い顔になった。 「勧めているわけじゃないですよ。でもそんな相手が現れても私らはどうこう言いませんよ。女も女なりに人生輝かないとね」 「叔母さんは考え方が新しいですね」 「若い人には若い人の考えでやらせてあげんといけませんわ」 「ぼくは浮気は勧めませんけど。浮気といってもきれい事に処理できる男は少ないですから。変な男にかかると佳恵さんが傷つくだけです」 「いい人が一人くらいはいてもね。かりそめの恋とか忍ぶ恋とか一夜のちぎりとかあるでしょ、あんなのが。孝夫さんはこんなことは詳しいでしょ」 「詳しくはないですよ。それにあんなのが、と言っても売っているわけではないし。佳恵さんがもっと歳とれば、茶飲み友達とか旅行友達ができるのじゃないですか」 「白髪の恋、それじゃあまりにも佳恵さんが可哀想だわね、いまじゃないと。確かあの人もあと四、五年で女でなくなる筈よ」 「佳恵さんにその気がなければどうしょうもないことですよ」 「ほんどだわね」 叔母は大口を開けて笑った。 こういう話題を弾んだ口調で言う叔母をどう受け取っていいものやら、孝夫は理解できないものがあった。 めったにM市を訪れることのない孝夫が佳恵と睦み合っても、それはそのときだけのことで叔父叔母にとっては後腐れのない安全パイかもしれない。しかし死ぬことを胸に秘めている孝夫に、そんな弾んだ気持ちが湧いてこなかった。 正月だから義典を亡くした哀しみを陽気な話題で、一時でも忘れていたかったのかもしれない。しかしそんなに容易に気持ちの切り替えができるのだろうか。義典を喪った哀しみは、叔母のどこでどう処理されているのか計りかねた。叔母の見せる哀しみはどこまでが本当のものなのか。肉親の真実の悲嘆に触れたことのない孝夫には、我が子の死を叔母のように受け入れていくものかと考えざるを得なかった。 義典の死顔を見なかったという叔父のほうが、胸の奥底で癒しようのない悲嘆を噛みしめているかもしれない、と孝夫は想像した。 「芳信叔父さんが四十九日には来られたようですね」 「何を思ってか四十九日に来とったわね。じゃがあとが悪かね。四、五日経って佳恵の家にバイクで行っとるがね」 叔父は瞑っていた目蓋を細めに開け、嗄れ声で憮然と言った。 「バイクでですか……」 「七十過ぎた男がバイクでだわね。いくらM市が狭い街といっても、あれの家から佳恵の家までは、バイクで走っても二十分はかかるわね」 「相変わらず気性の烈しい行動ですね」 「孝夫さん、わたしも佳恵さんから聞いて空恐ろしくなりましたわね」 叔母はさも恐ろしそうな表情で言った。 「それで佳恵さんと何か喋ったとか?」 「佳恵さんは仕事だわね。その代わり少し離れた家の女の人相手に一時間ばかり喋って帰りなさったわね」 「隣の女の人を相手にですか。何を話していたのだろう?」 「わしの話や自分は今も焼物をやっているとかだわね」 「芳信叔父さんに言っておいたらどうです、佳恵さん親子に近付くなと。気味が悪いじゃないですか」 「そげなことをわしが言えるかね。包丁持って飛び込んで来るわね。あんまりしつこいことをするようじゃったら、わしの元部下に言っとくけどな」 「警察ですか」 「ねえ孝夫さん、そげな恥ずかしいことできますか。自分の働いていたところに弟のことで」 叔母は丸い目をくるくる回し、口を歪めた。 「義典君が亡くなってこんなことを言うのも適当でないかも知れませんが、叔父さん、叔母さんにはまだまだ元気で長生きしてもらわないと」 「死んだもんのことをいつまでも思っていてもね」 「そうです。叔父さん、叔母さんが元気でいることが信隆君、義典君への供養です」 「そう思って、信隆が亡くなってからあちこちと行きましたよ。中国はこの人と行きましたけど、オーストラリアにも行ったし、あとこの夏にアメリカに。死んだ人間のことでいつまでもくよくよしていたって生き返って来んでしょ。アメリカでは講座を受けていたの、一週間」 「どんな講座ですか」 「日本庭園の」 「アメリカで日本庭園の講座ですか」 「ツアの講師が日本で有名な造園会社の方で。向こうで流行っているらしいの。いろんな人と話ができて楽しかった」 「不思議なものですね」 「国内旅行はもっと行って来ましたよ。私ら年寄りには簡易保険だのなんだの、安い旅行プランが用意されているでしょ、あれ使って」 吟醸酒の冷酒に少し酩酊していた孝夫は、おせち料理の蒲鉾を口に入れた。孝夫は胸裡で呆れていた。こういうことが叔母の信隆への鎮魂の行為であるのか。 信隆が亡くなってからの十年間に、三度の海外旅行とは羨ましい話ではあるが、叔母のあの通夜の大仰な嘆き、「私が信隆を殺したようなものです」、「信隆、信隆、お母さんを許してよ、許してよ」は、一体どこへ行ったのだろうか。 孝夫は叔母の平然とした涼しげな眼を、盗み見して思うのだった。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ![]() ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! ![]() |
真顔で佳恵に浮気話を持ち出す叔母の真意が理解できなかった。死んだ信隆のことなど、もうどうでもよくなっているのだろうか。それに浮気ぐらいはいいです、とはどういうことだろうか。再婚を勧めるほうが筋が通るというものではないか、と酔った頭で孝夫は考えた。 佳恵は佳恵で話の展開が意外な方向に進んで内心狼狽えていた。胸底に隠していた願望を義父義母に見抜かれていたのかと、羞恥が顔に拡がっているのを感じたが、義父義母は呑んだお酒のせいと思っているだろうと想像した。 それにしてもお義父さんもお義母さんもどうしたことだろう。二人の口からこれまでこんな話をされたことはなかった。お正月のめでたい席での放言なのだろうか。 佳恵は二人の様子を窺い、ついでに孝夫の表情を読もうと素早く一瞥した。 孝夫は茶碗蒸しの具を朱の塗り箸に挟み、口に運んでいたが、その顔は何かを考えている風に見えた。 私のことを考えているのか。それとも亡くなった奥さんのこと?なんとなく私のことのように思えた。そう直観した途端に腰の辺りに生温かな物が渦巻き、乳首がつんと立った気がして、ますます落ち着かない気持ちだった。 「女も男も同じ生理じゃわね」 畳に横になっていた叔父は赤ら顔の眼を瞑ったまま言った。 「あんた生理ですか。そうですね、生理は女も男も同じじゃろね」 叔母は、なるほどという顔で、相槌を打った。 佳恵は義父義母の会話に呆れ顔になっている。 孝夫は自分に一度の浮気もなかったと考えていた。高校生の頃から恋愛は数度経験してきたが、恋愛が結婚に結びつかなかっただけのことである。 律子が入院する前に文学仲間と隠岐への旅行の経路、叔父宅に一泊したとき、叔父は、 「信隆が死んで七年も経つと、女は躯が淋しくなるが」 と、したり顔して孝夫に言ったが、叔母も叔父に感化されたのであろうか、と思案した。 「孝夫、それで明日は義典のところと寺に行ったあと、どげんしんさる」 「宍道湖を眺めたり城に上ったりしてぶらぶらしようかと。そのあともう一度寄らせて貰ってからホテルに」 「そんなら明日の夕食用意しますから、ホテルのは断っといてください」 と、叔母が言った。 「そんで翌日徳島に戻るのか」 叔父の声だった。 「はい」 「そないばたばたせんとせっかく来たのじゃけん、あと二日三日ゆっくりして佳恵の車で八重垣神社や足立美術館に行ってきなさいや。佳恵は車の運転が上手いけん。着物でも運転するわね」 「着物着てですか」 「佳恵のおっ母さんがお茶やっとられての、茶会がたびたびあるわね。そんとき佳恵が車に乗せるわね」 「佳恵さんもお茶を」 「はい、こっちに戻ってきてから」 「いつまで休みじゃ?」 「七日が仕事始めですが」 「そんなら都合ええじゃないか」 「ありがとうございます。それが四日から中三の高校受験特訓を組んでますものですから」 孝夫は嘘を吐いた。 「そうかね。それじゃ仕方なか」 「佳恵さんもお相手できなくて残念じゃね」 叔母は佳恵の顔を見て言った。 「はい」 佳恵はそろそろ退散しないと、化けの皮が剥がされそうで不安になってきた。 十時を過ぎると、明日ホテルに迎えに行きます。いったんタクシーで叔父宅に寄り、それから車でホテルのほうへ行くと、と孝夫に告げた。 それから迎えに来たタクシーで帰宅した。 孝夫はあと一時間ほど叔父叔母に付き合ってから、タクシーでホテルに戻るつもりでいた。 「佳恵さんは三人の子供をしっかりと育てられましたね。大変だったとは想像しますけど」 「そりゃねぇ」と、叔母は言い、 「賢いわね、佳恵は」と、叔父は言った。 「子供のいる女性は強いですね。男のぼくにはなかなか真似ができない」 「そりゃそうだけど、不憫は不憫だわね。信隆があげん早く死んだんだから」 叔母はさも同情している顔で言った。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ![]() ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! ![]() |
「父ほどの器でありませんし、浮気はしません。不器用なんでしょ」 「孝夫さんは浮気は一度もないですか」 男はみんな浮気するとでも考えていたのか、叔母は眼を瞠って驚いた。 「妻と結婚する前に一、二度の恋愛はありますよ」 「それじゃ孝夫さんは誠の人なんですね」 叔母は珍しいものを眺めるように眼を丸めた。 「叔母さん大袈裟ですよ、誠の人というのは」 孝夫は新撰組の旗竿を思い出した。 「孝夫はあの奥さんがいちばんよかったのじゃ。結婚してから孝夫の顔の相がようなったけん」叔父が言った。 「ええ人と結婚されたんだわ」叔母も付け加えた。 「ありがとうございます。律子も喜んでいると思います」 「孝夫はわしと同じで我が強いがね」 「我ですか」 「そうだわね。姉さんも我の強い人じゃたわね。じゃから姉さんは孝夫のことを心配しとったわね」 「芳信叔父さんも我が強いですね」 「あれは我を通り越して狂っとるわね」 「近頃芳信叔父さんの様子はどうなんですか。ここまで来たら寄りたい気持ちもあるのですが、泣きついてぐだぐだ言われそうで。それを思うと気が重たくなって」 「寄らんほうがええ」 叔父は渋面で制した。 「昔の話ばかり聞かされるのでうんざりすることがあります」 「わしなんか過去は過去で切り捨てる。芳信はそれができん。発展性がないわね」 孝夫は佳恵が注いでくれることをいいことにどんどん呑んだ。律子が亡くなって以来、ずっと引き摺っていた疲れのようなものが、古巣に戻って不思議と解放される、そんなくつろげる気分になっていた。 「孝夫さんは呑むピッチが早いわね。温いうちにその茶碗蒸しを食べたら。佳恵さんが作ってくれたけん」 叔母は大きな目玉で言った。 「好物です」 孝夫は佳恵の顔を見て微笑んだ。それから佳恵の盃が空いているのを確かめ、酒を注いだ。 孝夫は酩酊し始めた。話がどこでどう飛躍し、繋がっているのか脈絡がわからなかった。 叔母は佳恵に向かって、 「佳恵さんも浮気ぐらいはいいですよ。いい人いないの?」 と真顔で浮気を勧めていた。 「もう歳。誰にも相手にされませんよ」 佳恵は白い歯を覗かせて高い声で笑った。 孝夫にはそれがどこか独り身の乾いた笑い声に聞こえた。 部屋の熱気か酒のせいか、佳恵の桜の花びらのような顔は、うっすら赤みを帯びていた。 「そげなことちっともなかじゃないですか。ねえ孝夫さん」 「若いですよ。子供さんも成長されたし、もう一度花を咲かせてみては」 孝夫は佳恵の眼を見つめ、冗談口で言った。 「井口さんまでそんなことを……」 佳恵は目蓋の辺りをうっすらと赤らめ、俯いて恥ずかしそうに笑った。 佳恵は酒で躯が温まっただけでなく、孝夫の横に坐っていると、孝夫の躯の周りから自ずと醸し出している温かい人柄に包まれている気がして、義父義母がこの場に居なかったら、孝夫の胸に寄りかかって甘えてみたい気持ちになっていた。 「冗談じゃないわね。ねぇ孝夫さん」 それはパートナーを喪った者同士が今夜にでも結び合えばいいと唆(そその)すような、叔母の真剣な表情だった。 「本気、本気。孝夫さん、そうでしょ」 孝夫に再確認する叔母の熱意の口調であった。 「いやぼくは優柔不断ですから」 「あんたのことじゃありゃせんわね。佳恵さんのことよ」 と言うと、さもおかしそうにオホホと笑い声を上げた。 「そうそう佳恵さんのことだ」 孝夫は叔母の真顔に合わせて強調した。しかし自分が佳恵に喋ったことは軽い冗談だということを、酔ってはいても自覚していた。恋に無縁に生きる女がいてもいいではないか。佳恵はそういう女ではないか。恋よりも子供の健やかな成長に重きをおく女ではないかと考えた。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ![]() ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! ![]() |
「そげな母親と比較したらいけんわね。戦後は民主主義じゃ人権じゃ権利じゃばかり主張しよる輩が多いけん、女も男女同権振りかざしとるじゃろ。そんじゃから人の道とか女の使命がどこにあるかわからんようになっとるじゃろ。その点、佳恵は牧師の娘じゃけん、しっかり母親の役目果たしとる」 「そうですね」 「じゃがのあれも男日照りが長いじゃろ。近頃潤いがなくなってきとりゃせんか。それで気持ちが尖ってきて、わしを批判したりしよるけん」 「そうですか。そんな風には見えませんが」 「男日照りが続くと女は刺々しゅうなるわね」 「叔父さん、またそんな人聞きの悪いこと言って」 「孝夫みたいな女に優しゅうする男でもおればええがおらんわね」 「そんな人聞きの悪いこと言って、ぼくは女にもてないですよ」 孝夫は笑いながら応えた。 「女知らんと小説やこと書けるか」 「想像して書いてるだけですよ」 「色気がのうなったら女はすぐに婆さんになるがの。佳恵も男の一人くらい見付けりゃええもんの、どうも堅すぎるけん、いけんがね」 * 佳恵がやって来て、御飯の用意が出来ましたから奥の方へと言った。台所の奥の部屋にも真ん中に電気炬燵があって、その上のテーブルに五段重ねの重箱や小皿、箸が置いてあった。 「茶碗蒸しは佳恵さんが拵(こしら)えたのよ。あとは残り物。その代わりお酒はいいのがあるけん」と叔母は言った。 「大晦日から奈良、京都のホテルに泊まってからこちらに来ました。この時期はホテルも割高特別メニュなんです。だからご馳走には食傷気味で」 電気炬燵に足を突っ込んだ叔父は、 「何で奈良と京都におったかね。女とかね?」と言った。 「妻とよく出掛けていたもので」 「孝夫は若い頃から変わっとるわね。姉(あね)さんがよう言うとった。孝夫はお寺と女が好きやと」 「違いますよ、女が余計です」と、孝夫は笑った。 「そうだわね、孝夫さんは女性に優しいわね」 「叔母さんまで冗談を」 「だって孝夫さんは熱情家でしょ」 「ぼくが熱情家ですか」 孝夫は苦笑した。それから孝夫の傍らに坐っていた佳恵が注いでくれた酒を口に含んだ。 「これはおいしい。吟醸酒ですね。それじゃあとは冷やでもらいます」 「冷やのほうがおいしいのですか」 佳恵は銘柄ラベルを眺めた。 「日本酒は冷やで呑むほうなので。叔父さんは晩酌のほうはどうですか」 孝夫は自分の盃を叔父に廻し、佳恵から銚子を受け取るとそれに注いだ。叔父はぐっと一飲みすると、その盃を孝夫の手に返しながら、 「わしは毎晩呑んどるけん、わしのことはええから孝夫がどんどんやりなさい。佳恵、注いでやりんさい」 「娘の結婚式のときより、顔に色艶があって元気そうですが」 「元気そうに見えるかね。毎晩一、二合呑んどる」 叔父は上機嫌な顔で眼を細めた。 「あのときは心配しましたが、久し振りにお顔を見て安心しました」 「安心したかね。佳恵、あんたも少しは呑みんさい」 「でも車で来ましたので」 「おいときなさい。タクシーで帰りなさいや」 叔父は佳恵に視線を向けて、重々しい口調で言った。 「そうそう、そうしなさいよ」と叔母も言った。 「お正月だし、それじゃぼくが注ぎましょ」 と、孝夫は盃の一つを佳恵に手渡した。 「だんだん孝夫は親父さんに似てきた」 「似てきましたか」 「親父さんはよう出来た人じゃったが、女に手が早かった。姉さんがぼやいとった。新婚早々、芸者二人に言い寄られていたとか言っとった。酒も旨そうに呑む人じゃった。何度かこっちにも来られ、わしも芳信も小遣い貰うたりしてえらい世話になった。わしが兵隊に行く前じゃが、気前よく腕に巻いていた腕時計を外して贈りもんやと」 「腕時計ですか」 「ええ時計じゃった。剛毅な気性で、親族の世話をようする人じゃった」 「ぼくとはだいぶん違いますね」 「あんたは浮気せんかね?」 酒のはいった赤ら顔の叔父は、脚だけ電気コタツに突っ込み、畳に肩肘をついて頭を載せていた。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ![]() ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! ![]() |
叔父は電気ごたつから黒足袋の足を抜くと立ち上がった。 「便所だわ」 孝夫を見下ろしてにやっと笑うと部屋を出た。すると叔父の様子を窺(うかが)うように見送っていた叔母は、突然声をひそめて、 「孝夫さん、いつもあんなふうですよ、あの人は。人を抑えつけるばかり。あの人はね、義典の死顔すら見ていないのですよ」 「見ていないのですか」 「そうなの。こんな父親どこにいますか。病院で亡くなったときも、納棺してあったときも、あの人は見てないわね。そして翌日には近くに居る内々だけで葬式だわね。だからあんたにも連絡しなかったがね。あん人が早うしてしまわんかと強引に」 「そうでしたか。叔父は義典君の死顔を見ていないのですか……」 「異常だわね。私もね、孝夫さんには悪いけど、あの人に繋がる人はみんな嫌いだったわね、あんたのお母さんも、芳信さんも。みんな非人情な人ばかりで。子供たちも嫌っていたわね。あんたのことは子供の頃に少し世話させてもらったけど、こんな気持ちだったから、親身な世話をする気がなかったわね。だけど孝夫さんがいつだったか私との電話で、二人の娘さんは何か相談事があるときは孝夫さんに相談をかけてくる、とおっしゃっていたのを聞いて、私は孝夫さんを誤解しておったのじゃなかろうかと思って……。孝夫さんが非人情な人だったら娘さんは相談したりしないでしょ」 叔母の声は早口に熱っぽく震えていた。叔父がトイレから戻って来るまでに、一気に喋ってしまおうという魂胆であった。 「近頃は義典君、会社の帰りに寄っているそうです、と佳恵さんから聞いていたので、仲良くやっているのだと思っていたのですが」 「そんなことはありません。あの人のおる部屋には義典は入らんです」 「叔父と談笑したりはしなかったんですか」 「義典はあの人を怖れているのに。しぃ、戻って来るわ」 和服の叔父はなにくわぬ表情で戻って来た。勘の鋭い叔父のことだから、叔母が孝夫に何かを訴えたことぐらいはわかっている筈だ。けれども知らぬ振りをして、 「孝夫は義典の二人の子供に逢うのは初めてじゃろ?」と訊ねた。 「子供さんもそうですが、奥さんも結婚式でちらっと見たきりで、顔に憶えがなくなっています」 「それじゃ私は佳恵さんを手伝って夕食の用意を。孝夫さん、残り物ばかりだけどそれでええでしょう?」 叔母は孝夫の顔を覗き込んだ。 「なんでもいいです。お酒が少しあれば」 「すぐじゃけん、ちょっと待っとって」 叔母が出て行くと叔父は、 「義典の話をしちゃいけんわね。泣くけん」と渋い顔で言った。 「うっかりと」 「なんであないに人前で泣くのか、わしにはわからんわね。中国や朝鮮には弔いのとき泣き女を雇う風習があったが、あれと同じじゃわね。泣き女は泣くときは大袈裟に泣くが、あとはけろっとしとる。あれもそうで泣いたかと思うとけろっとして旅行に行く話をするがね。この夏もアメリカに一週間行っとるわね」 「叔父さんとですか」 「わしは行かん。ツアだわね。向こうで文化講座を聞いてきた」 「そうですか。義典君がよく来ていたようですね」 「目的がわからんがね。静子の傍に寝転んでなんか喋って、それから帰るがね。死んだ日も来ておった」 「仕事で疲れていたのですかね。ここで休憩してそれから帰る」 「わからんがね。わしの部屋には来んから。なんぞ峰子にけしかけられて来とるんじゃろ」 「奥さんとは仲がよかったのでしょ」 「どうだか。佳恵はたまに来るが峰子は来んけん」 「そうだったんですか」 「孝夫は奥さんが死んで虚しいじゃろうが、辛抱して生きなあかんぞ。あんたは学生の頃に自殺未遂しとるけん、そんな考えに陥りやすいけん。わしは五歳でここに養子に入り、苦労の連続じゃわね。ここのおっかさんが養護施設をしておったけん、わしも施設で毎日六時起床、院内の掃除、親父さんの読経に合わせての礼拝、托鉢、新聞配達、畑仕事、袋貼り、なんでもやらされたわね。いまと違って冬は雪がよう降った。中学のときじゃ、自転車に炭二俵積んで、五十銭の見舞金を持って、貧乏な老人の家庭訪問に行かされたがね。そんとき吹雪の中で意識を喪って倒れておったそうな。夜は九時になると父母の前で院生全員でその日の反省会じゃ。楽しいことはなにもなかったけん。それから後は軍隊じゃわね。中国大陸でのことは言いとうないわね、地獄じゃ、地獄の鬼にならんといまこうして生きておれん世界じゃった。あんたも芳信に虐められたり、養護施設に入れられたりと大変じゃったが、わしに比べたら幸せぞ。これからもがんばって生きんさい」 「ありがとうございます」 孝夫は叔父の言葉を聞いている裡に、胸が熱くなり眼鏡の奥に涙が溢れてきた。 「泣かんでええ、泣かんで。人前で泣くもんじゃないけん」 叔父の言葉で孝夫は湿っぽくなりかけた感情を振り払って話題を佳恵のことに向けた。 「佳恵さん、信隆君が亡くなってからよくがんばってこられましたね」 「二人子がおったのじゃけん、がんばらないけんわね」 「それはそうですけど、近頃は我が子を虐待したり殺したりする母親もおりますから」 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 最初から読まれるかたは以下より。 一章 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ![]() ★以下赤字をクリック! 商業出版『断崖に立つ女』好評発売中! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! ![]() |
孝夫はこれでは義典が亡くなったことへの悔やみの言葉を叔母にかけられないな、と思ったが、叔母の大仰な泣き顔と悲嘆に暮れた泣き言を聞かずにすんだのでほっとした気分でもあった。耳を傾けてやるのが悔やみなのであろうが、信隆の通夜のときでもそうだったが、叔母の涙ながらの嘆きの言葉を聞いていても、孝夫の魂を打ち震わせるものは感じられず、いつも不思議に思うのだった。我が子を喪ってまで悲嘆の芝居をする必要はないのだから叔母は正真正銘悲しんでいるのであろうが、その悲しみが孝夫の胸に伝わってこなかった。 「孝夫、ほんとの涙は外には出ん。胸の裡だわね」 小声でぶつぶつと呟く叔父の言葉に、孝夫はある種の真実を感じるのだが、二十歳そこそこで戦地に赴(おもむ)いた叔父は、幾度となく戦友の死に号泣したのだろう。しかしだからといって信隆や義典という我が子の死を、なんぼ泣いてきたかわからんがね、で悟りすませておられるものなのか、ここのところが孝夫には理解できなかった。 義典の突然死で叔父は叔父なりに独り枕を濡らしていたかもしれないが、人前では、いや叔母の前でも一滴の涙を見せない古武士然とした叔父は、人前で大袈裟に涙を見せることが自然の発露と思って臆(おく)しない叔母を嫌悪していた。 「あれの寿命じゃわね」 「寿命といっても急性心不全じゃ……ねぇ孝夫さん、そげん簡単にはあきらめられんがね」 「義典君の奥さんや子供さんたちは、どないされていますか」 「少しは落ち着いてきたじゃろ。佳恵のときは子供が小さかったけど、義典のほうは子供が大きいけん、だいぶん違うわね」 「叔母さんも淋しくなりましたね」 「なんて言ったらええのか。十年前に信隆が死んだときも、なんで私より先に信隆が死んだのかと、いくら考えてもわからんかったけど。思いもせんかった義典まで死んで。孝夫さん、死ぬ前日までピンピンしとったんですよ」 「ピンピンはしとらんわね。医者は不整脈の症状がみられた筈じゃがと言っておったじゃろ」 「不整脈といっても本人が病院に行く自覚もなく、会社に行っていたのじゃけん、ピンピンだわね、ねぇ孝夫さん」 「無理していたんですね、仕事に」 「販売部の副部長じゃったけん、忙しかったんでしょ」 叔母は佳恵に顔を向けて言った。 「そのようなことを峰子さんが電話で言っておられました」 佳恵は眉を曇らせて応えた。 「義典は息を抜く芸がないから、いけんがね」 「いまどき息を抜く仕事をしてたら首になりますがね。すぐこんなことを言うの、孝夫さん、この人は」 「いまも昔も同じじゃけん。物事を見極めるこころの広さの問題じゃが」 「あなたは若い頃からこころの広い人じゃけん」 叔母は皮肉たっぷりの口調だった。 「いまの仕事はどことも大変でしょ。仕事の実績が日々コンピューターで集計されて」 孝夫は険悪な方向へ方向へと進みそうな叔父、叔母の話に割って入った。 「孝夫は芳信の家におった頃は腺病質じゃったが、いまは病気はせんかね」 「空気の汚れた大阪に出てからのほうが、病気知らずになりました。風邪もめったにひきません」 「孝夫は子供の頃から苦労したけん、性根が信隆や義典と違うわね」 「またそんなこと言って。信隆や義典が可哀想じゃないですか、ねぇ佳恵さん」 「そうですよ、お父さん」 佳恵は母親が子供を叱るように叔父をたしなめた。 「ぼくよりも真面目な分、信隆君、義典君のほうが苦労してきたんじゃないですか。死ぬ順からいえばぼくが先の筈なのに」 「そんなこと言ったらいけんわね。あなたが死んだら娘さんたちが困るわね。先だって奥さんが亡くなったばかりなのに」 叔母はいつもの癖で、眼をくつくつさせて言った。 律子を喪ったことで孝夫は、自分が歩んできた人生の大半を抉(えぐ)り取られたような苦痛と空虚を味わっていた。叔父、叔母にとっても二人の息子が先に亡くなることは、二人の人生の大きな喪失の筈であるが、そう思っているのであろうかと思いながら、孝夫はすぐに喧嘩口論を始める叔父、叔母を注視した。 「そうそう佳恵さん、すまないけどお米研(と)いでスイッチをいれておいてくれない、四合」 「四合ですね」 佳恵は素早く部屋を出ると、暗い廊下をいちばん奥の台所に向かった。 「ここで晩ご飯食べて行きなさるでしょ?」 「ホテルは何時に戻ってもいいですから、そうさせてもらいます」 「めったに来られんけん、ゆっくりとしなさいや」 「ありがとうございます」 「もう一つ点てましょうか」 「それじゃお願いします」 「次は二代目鳩堂の茶碗で飲ましてやりなさい」叔父は言った。 「そうだね、そうしましょうか」 叔母は孝夫の顔を覗き込んだ。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。バナーをクリック! ![]() ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! ![]() |
「あんたぁ、孝夫さんが来られたけん」と客間に向かって大声を上げた。 孝夫は廊下に上がり襖を開けた。和服の叔父は電気炬燵(こたつ)に脚を入れていた。警察署長当時の叔父に比べると、肩や首筋が痩せ躯の厚みが若い女性のように薄くなっていた。 「来たかね。孝夫、こっちに入りなさいや」 叔父は弱々しい嗄れ声で言い、顎で電気炬燵を指したが、孝夫は先ず床の間横の嵌(は)め込みになっている半間の仏壇の前に正座した。線香を立て、鐘を敲(たた)いて両手を合わせた。それからゆっくりと仏壇の上に掛かった肖像写真を見つめた。明治期に撮影したほうは白い口髭、顎髭をたくわえた古老の初代鳩堂が、大正初期に写したほうは丸坊主頭、円満な容貌の二代目鳩堂が、並んで額に納まっていた。 正座のまま叔父の方に向き直ると、 「葬儀に間に合わず、こんなときに来まして」と言い、頭を下げた。 「そげなことはええけん。炬燵に脚を入れなさいや」 「ホテルやこととりなさって、どげんして家(うち)に泊まりなさらんとね」 叔母が白眼剥いて、口を尖らせた。 「佳恵から聞いとるけん。気兼ねせんでわしとこに泊まればええに、いつも宍道湖を一人で眺めたいとロマンチックなこと言うて、先にホテルをとるからいけんがね」 「めったにこちらに来られんので、来たときは宍道湖の夕陽を眺めておきたく、今回も申し訳ありません」 「まぁ孝夫の好きにさっしゃい。何時に着いたかな?」 孝夫は和服の背筋を伸ばした叔父の厳粛な姿勢の中に、叔父の精神の憔悴を感じとった。叔父は自分の来るのを待ちかねていたのではないかと感じた。 「二時過ぎに。義典君の家には明日の午前中ということにして、ここに来る前に佳恵さんと信隆君の墓を詣らせてもらいました」 「そうかね。佳恵、義典の遺骨が本堂にあったじゃろ」 「本堂に?知りませんでした。孝夫さんにお墓だけ拝んで貰って、本堂に上がらずにここに来ましたので」 「四十九日のあとで本堂に置いたわね、まだ墓がないけん」 「そうでしたか。わかっていたら拝んで来ましたのに」 「佳恵さん、明日義典君の家にうかがった後、もう一度お寺に寄って本堂に上がらせてもらいましょ」と孝夫は言った。 「孝夫は元気かね。奥さんが亡くなって寂しかろ」 「少しずつ慣れてきました」 「一年になるかね?」 「一年五ヶ月」 「そげんなるか。近頃は物覚えが悪うなっていけんがね。子供たちは元気かね?」 「二人とも大阪で働いています」 叔母が二個の木箱を抱えて部屋に入って来た。運んできた木箱の紐を解き、中から初代鳩堂、二代目鳩堂の抹茶茶碗を取り出した。抹茶を点てる準備を始めた。居間の片隅の一角をくり抜きいつでも茶を点てられるように炉に、黒光りした茶釜が載っていた。 叔父の家に来ると先ず初代鳩堂の焼いた茶碗で、抹茶を飲むことから始まる。孝夫は青緑色の薄茶は、子供の頃から飲み慣れていて好きであった。叔母を好んではいなかったが、叔母の巧みな茶筅(ちゃせん)さばきで点ててくれる薄茶は、泡立ちが細かく、のどごしの滑らかな旨味(うまみ)があった。 初代鳩堂の茶碗の特色は、卵の黄身を混ぜたような柔らかな黄色の地肌と、赤みを帯びた地肌の二種類の軟陶で、掌で受けたときの器の厚み、重さ、手触り、唇に触れたときの温かみには格別なものがあった。飲み干すと徳島から出向いて来た疲れが、瞬時にとれた気がした。 孝夫は熟したトマト色の顔の叔母に、 「急なことで驚かれたでしょ。ぼくは義典君が亡くなったことがまだ胸にストンと落ちません」と言うと、茶を点てていた叔母の顔が突然歪み、目元を潤ませ、 「ほんと、ほんと信じられませんわね。なんであの子が……」 と呻くように泣き出した。 顔を紅潮させた叔母は孝夫に訴えようとしたが、叔父は孝夫に目配せして、 「そげなことはええけん。昨夜も一晩中泣いとったけん。眠られんけん」 と叔母が何かを訴えようとするのを押し留めた。 「この人はすぐこうじゃけん」 叔母はころっと乾いた声に変わると、不満顔で涙を拭いた。 「泣きたいときには泣かないと」 叔母の傍らに座っていた佳恵は、叔父の横暴を軽く非難した。 「なんぼでも泣いてきたわね、わしは」 叔父は孝夫を見つめて小声で言った。 「なんぼ泣いたかわからんがね、兵隊で戦友が次々と死んで」 「戦友と我が子は違うがね」 「なにが違うかね。人のいのちは同じじゃわ」 「孝夫さん、いっつもこの人はこんなじゃけん」 叔母は眼を剥いて口を尖らせた。 ★オバマ氏当選歓迎!★ 喜多圭介のオフィシャルブログ ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
佳恵は車を運転しながら、気遣う口調だった。 「叔父は働き盛りの頃にT温泉によく行っていたようです。母の話では深い仲の芸者がいたようです」 「そうですか」 「もてたようです」 「お義父様はどことなく魅力がありますものね」 「外では鷹揚(おうよう)に振る舞う。家では自分の世界をもっているというか、その世界には家族のだれも近付けない。本人はそれで満足しているのだから、家庭とはこんなもんだと思っていたのじゃないですか。署で働いて金さえ叔母に渡しておれば、それで家庭への責任は果たしていると思っていたのじゃないかな。中学当時夏休みに二度叔父宅に滞在しましたが、叔父は夜遅く帰宅、朝早く出掛けていましたから、叔母とゆっくり話している姿などほとんど見かけませんでした。叔母とは共通話題がなかったでしょう」 「いまもお二人で楽しく喋っている姿は見かけないですよ。お父さんが一方的に喋るだけで」 「信隆君はどうでした、あなたとは?」 「あまり意識していなかったのですが、私は子供の世話と学校のほうのことでどたばたしていましたし、主人は夜遅く疲れて帰宅しましたので。帰りがけに地下街の立ち飲みの店で呑むのでしょうか、呑んで帰って来ることが多かったです」 「子供の頃の信隆君を思うと想像できなかったことですが、叔父が酒好きだから」 「仕事のストレスもあったようで」 「ストレスを夫婦で解消しあえればいいのですが、そのための夫婦でもあるのに、どうもどこの家庭もそんな風にはいかないですね。ストレスの原因を夫婦では話し合わない」 「お宅もですか?」 「ぼくのところはストレスが抜けていく家庭だった。妻が陽気で、つまらないことでも話しかけてきましたから」 「亡くなられてお寂しいでしょう?」 「少しは落ち着きました」 孝夫は律子の話題は避けたかった。 「佳恵さんは信隆君と学校の話などは?」 「あまりしなかった」 「違った職場だとお互いに興味のもてない面がありますからね。本当はそれを聞き合うのが夫婦なんでしょうけど、お互いに気持ちにゆとりがないというか。近頃の共通の話題は子供の教育の話ぐらい。その子供たちが巣立ってしまうと話すこともなくなる。そのうちに一緒に居ることに、居心地の悪ささえ感じ始めてしまうということになるのかも」 「それで今夜はお義父さんのところにお泊まりにならずにホテルですか」 「はい」 「お義父さんのところにお泊まりになれば喜ばれますのに」 「息苦しくていけない……ところでこれは叔父叔母に内緒にして欲しいが、明日の夕食、あなたとお子さん二人、招待したいのですが」 「私たちをご招待ですか」 佳恵はびっくりしたように、少し頓狂な声を上げた。 孝夫は宍道湖を一望に見渡せるホテルのレストランを、出掛ける前に四国から予約しておいたことを、佳恵に告げた。信隆君やあなたには母のことで借りがある。お子さんたちも成長していることだし、楽しく過ごしたいと思ったのでフランス料理のコースを頼んでおいたと。 「そんなことして貰わなくてもよかったのに……お母さんには私たちのほうが世話になったくらいですのに」 「亡き母も喜んでくれると思いますので」 「そうですか……お言葉に甘えさせて貰います。子どもたちは大喜びしますが」 佳恵は恐縮した口調で言った。 「くれぐれも叔父叔母には内緒に。変な勘ぐりをしますので」 「わかりました。子どもたちにも箝口令(かんこうれい)を敷いておきます」 佳恵は冗談の口調で言った。 「お願いします」 車は中古車センターの旗が風にはためく大通りから右の脇道に入った。孝夫の記憶にある道を走った。坂道を上りコンクリート壁の角を曲がれば、叔父の家が見えてくる。丘陵地に建ち並んだ閑静な住宅地であった。 孝夫が信和叔父、静子叔母に逢うのは、孝夫の次女の結婚式以来三年ぶりであった。あれほど体格のよかった叔父ががたがたに痩せこけた姿で、挙式のホテルに叔母と現れたときには驚いたが、いまはどうなっているのだろうか。佳恵の電話口での話では、主人の亡くなったときは、遺された私らのためにひとがんばりする気力をお持ちでしたが、今回はその気力もないようで心配です、と言っていた。 叔父の家は玄関の上がり框から廊下が通り、右が客間兼仏間、左に仕事用の応接間とトイレ、奥に台所と居間が二部屋という間取りであった。二階は三部屋あり、かつては信隆、義典の使う洋間と客用の和室になっていた。友人と五年前に来たときは八畳間に布団が敷かれた。 「よう来られましたが。まぁ上がってください。あの人はこっちにおりますけん」 背中を丸めた叔母は客間の襖を開け、年取ったオリーブの顔を覗かせて挨拶した。 ★オバマ氏当選歓迎!★ 喜多圭介のオフィシャルブログ ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |
八章 鳩堂窯 佳恵が指定したJR南口の構内を出ると、七、八メートル先に白いコートを着た佳恵が孝夫に眩しそうな眼差しの視線を向け、頭を下げた。孝夫は手を挙げて近づいた。 「ありがとう。妻の葬儀以来ですね」 「ほんとに。奥様のことはお気の毒で、どういって良いのか……」 「天命ですから仕方ありません」 「……荷物はトランクに納(い)れますか」 「お願いします。一度ホテルに寄ってください。この荷物をフロントに預けてから信隆くんのお墓のほうへ」 「はい、わかりました」 孝夫は運転席の佳恵の横に座った。 「仕事先へも車で通勤ですか」 「車で十五分のところです」 孝夫はM市のメインロードの左右を眺めていた。 「来るたびに大きなビルが建っていますね」 「ビルとマンションが。人口が減っていくのにどういうことなんでしょう?」 「日本中どこに行っても大型店が並んで、景観がステレオタイプ化していく」 「景観だけでなく人の考えまで画一化していきます」 「そう、人の考えや価値観が……淋しいことです」 孝夫の二泊するホテルは駅の北口の道路を渡った場所だったので、五分もかからなかった。孝夫はフロントに荷物を預けると、手提げバッグだけ携帯した。車中で待っていた佳恵に、お願いします、と言い、花も線香も用意してなくて、と言い添えると、 「年末に花は供えてありますし、お詣りしていただくだけで嬉しいです」と佳恵は応えた。 「義典の四十九日はどうでした。叔父は電話で百名ほど来るのじゃないかと言っていましたが、四十九日に百名とはどういうことかと思っていたのですが」 「いえいえ、少人数でした。小田のほうが峰子さんの里ですが、そちらの親族のほうが多いくらいで、小野は七名でした。あとは義典さんの仕事関係の方が五名ほど」 「そうでしたか」 「芳信叔父さんが来られてました。私はご挨拶程度の挨拶でしたが、初めて逢ったようで」 「芳信叔父が来てましたか」 「お膳を用意するでしょ、あれにも出席されて。横に私の長男の高明が座っていましたので、高明を相手によく喋っておられましたよ。あとで高明に何を話していたのと訊くと、孝夫さんが仰ってられた通りで、高明も何を話しているかわからなかったけど相づちを打っていたと。私にも何か熱心に話されていたようですが、何を言われたのかがほとんど記憶になくて」 「芳信叔父は場をわきまえない人です。どんな席でも人様のことには配慮しないで、身内のだれかれに小野の過去話しかしない人です。信和叔父はそれを嫌っていました」 「孝夫さんや妹さんが来られていないかを確認する意味もあったのではないでしょうか?」 「あるいは……来なくてよかった。妹は十二月の中旬に旦那と一緒に分家の墓を詣ったと言っていました。おかしなことをする妹ですが、小野の誰とも顔を合わせたくないようです。芳信叔父の家に寄らなかったと言っていました。もうおとなですので、ぼくも妹には何も言いませんが、あれも可哀想なやつです」 「お父さんとは何もお喋りになりませんでした。お父さんのほうも知って知らない振りをされて」 「いつもそうです。喋らないほうがいいです。酒でも入っていて一言間違うと芳信叔父は見境なく狂乱しますから。叔父同士が和気藹々と話をしている場面を、ぼくは子供の頃から一度も見たことがありません。哀しい兄弟です」 「本当にそうですね」 閑静な町筋を通って本家の菩提寺に着いた。真向かいにも寺があり、少し向こうにも寺門があり、この辺りはM市の寺町であった。 佳恵は本堂に向かわずに直接、本堂脇の墓地に急いだ。備え付けのバケツに水を汲み、小野家の先祖代々、そして信隆の遺骨が納められている墓前に立った。佳恵が水をかけ終わると、孝夫は線香を点し、合掌した。孝夫は今回で三度詣った。何度詣っても墓石は墓石にすぎない。信隆が語りかけてくることはなかったし、孝夫が語りかけることもなかった。墓石をじっと見つめるだけだった。 仏心があるのかないのか佳恵も、墓石に何か語りかけている風でなかった。仏心はあっても墓石は墓石に過ぎない、納骨の場所にすぎないと考えている所作が見られた。孝夫は佳恵のこういう態度を好ましく思った。信じてもいないことを、さも信じているかのように行為する人間を、孝夫は若い頃から好きになれなかった。おそらく佳恵は、遠路ここまで来てくれたという行為に感謝しているのだろうと考えた。精神に太い芯のある女のような気がした。 本堂に上がらずに二人はそそくさと車に戻った。 「昨年の夏も詣ってもらったそうで。家に寄って戴ければよかったのに」 「美保関から隠岐に行く予定で友人と走っていましたので。あなたのところに寄って、小野に寄らなければ叔父の不興をかうことになる」 「それだったら黙ってますのに。今回はT温泉にお泊まりなんですか」 「二泊予定してます。初めてのところなんですが」 「お義父さんのところか私のところにお泊まりになればいいのに……」 ★オバマ氏当選歓迎!★ 喜多圭介のオフィシャルブログ ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 喜多圭介の女性に読まれる小説 ★以下もクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 |