喜多圭介のブログ

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八雲立つ……50

2008-11-11 17:34:23 | 八雲立つ……

線香を立て、孝夫は義典の写真をまじまじと見入った。子供の頃からさほど容貌は変わっていない。信隆は両親に反撥して育った顔におとなの風格を重ね合わせた顔であった。義典は子供の頃に母親のスカートにくるまって甘えていた表情が、そのまま写真に残っていた。陽気に見える笑顔でありながらどこか狡猾さを感じさせる表情だった。眼差しに神経の尖った翳りがあり、それが芳信叔父の持っている病的な感じに似ていた。孝夫は信隆とは楽しい酒が呑めたかもしれないが、義典とは無理であったかもしれないと思った。

義典、お別れだな。あれ以来仲直りする機会が持てなく悪かった、と孝夫は、信隆、義典と川遊びした当時を思い起こしながら、胸裡で別れを告げた。
「どうもありがとうございました」

向き直った孝夫に、峰子は頭を下げ鄭重に礼を言った。
「驚かれたでしょう。急なことで」
「お父さんの家から戻って来て風呂に入り、その後は娘と二人でテレビを観ていました。バレーの試合をしていましたので。夕食はお父さんのところで食べてきたらしいです。十時には寝床に入っていびきを。いびきがひどいので、私はいつも別の部屋で娘と寝ています」
「義典さんのいびきは有名。信隆さんがよく言っていました。横で眠ると眠られないと」

佳恵は明るく言った。
「私は主人のいびきがなくても眠りにくいたちですので、あの人の横では無理です。十一時過ぎに風呂に入り寝ようかと思いましたけど、主人の部屋があまりに静かなので、襖を開けて覗いてみたのです。仰向けで口を開いて、どうも様子がおかしいので、お父さん、お父さんと声をかけてみましたが返事がなく、気になって近付くと青黒い顔色で呼吸をしていないようなので、お父さん、お父さんと両肩を揺すっていたら、隣の部屋で勉強していた娘も入って来てお母さん、お父さんおかしいよ、救急車呼ばないと、と泣き声で言うので、私も我に返り電話しました」
「高いびきかく人って心臓が停止する瞬間があるとか、いつだったかテレビでやっていました。そんなことが引き金になったのかな。義典君も中間管理職だから、流行のストレスが原因だろうと想像するけど」
「あとでお医者さんも普段自覚症状があった筈だがと言っていました。でもほとんどのかたが見逃すというか、無理して出社するとか」
「ぼくも夜遅くまでパソコンのキーボードに向かっていると、胸がチクリとすることがありますが、医者に診てもらおうとは思わないから。本当に大変でしたね。佳恵さんの話では、近頃は叔父宅によく寄っていると言っていましたので、信隆君の分まで親孝行していると、ぼくも喜んでいたのですが」
「近頃はよく会社の帰りに寄っていました」

大学生の息子と高校生の娘がちょうど居合わせた。お互いに初めての対面であった。孝夫は別な部屋に案内されたので、出されたコーヒーを飲みながら、二人の遺児に義典の幼い頃の思い出を話した。しかし二人の遺児に積極的に伝えたいことは何もなかった。早々に切り上げて、佳恵の車に乗った。なぜ義典は郷里に住みながら家を建てなかったのか。険悪な関係にある父親のところに、なぜ近頃は通っていたのか。痩せぎすな、どこか陰気な峰子の表情とともに、複雑な思いが孝夫の胸で騒いでいた。

おそらく信和叔父は義典、峰子夫婦を好きにはなれなかっただろうと思った。好きでない人間には情を示さない、むしろ冷たく当たる、これは孝夫の母親や信和、芳信叔父に共通していた。自分にもこういう面はあると孝夫は自覚していた。博愛精神とは何だろうか、孝夫は若い頃からこのことに煩悶してきた。それなりの正義感はある、虐げられた人々の側に立っているとも思うのだが、それでは誰彼なくと付き合えるかといえば限界があった。自分にはマザーテレサの真似は無理であった。博愛でありたいとは思うがなりきれなかった。

これからどうされます?と佳恵が車を運転しながら訊ねたので、宍道湖の眺められるところで降ろしてください、二時間ほど町を散策してからホテルに戻り、それからレストランの方に行きますから、と言った。
「うちに来られて休憩されてはどうですか。寒くないですか?」
「今度何時来られるかわからないので、少し歩いてみます」
「またそんなことを言われて……主人、義典さんと亡くなられて、私淋しくなります」

佳恵は宍道湖の湖面を眺めやっている孝夫の横顔をちらっと見た。それから胸の中に育てつつあった計画を口にした。
「明日出雲大社から日御碕に行かれ、それからT温泉に戻られるのでしたね」
「ええ」
「私日御碕に行ったことがないので、井口さんが来られる前にドライブ好きなお友だちに訊ねたら出雲大社より七、八キロ先。車で近くですがバスの便は悪いとか。バスで出掛けてあんなとこに立ってたら、帰りのバスまでに凍えるわよと笑われました」
「寒いかな」

孝夫は思案顔になった。
「私の車で行かれませんか。運転しますので」
「あなたと?」
「お嫌でなければ……家には大きな子ども三人がいて、私が一日中留守しても困りません。近くのスーパーも開いてますので」
「そうですか……それじゃお願いしようか。実はバスの便が心配でした。タクシーでも行けますが、稼ぎ時に一時間も待たせられないでしょ」
「よかった。T温泉までお送りします」


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