喜多圭介のブログ

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八雲立つ……56

2008-11-13 17:39:02 | 八雲立つ……

「似合っているよ」

清潔な顔立ちのシャイな青年であった。眩しそうに人の顔を見るところなどは、子供の頃の信隆に似ていた。二人の遺児のうちでは高明がいちばん父親の面影を残していた。
「人柄が優しそうだな」と、孝夫が高明を眺めて言うと、「小中学生の頃はよく虐められてました」と、佳恵は清志を柔らかい眼差しで見つめて言った。
「虐めじゃないよ。ちょっとふざけていただけだよ」

高明は母親の言葉に不満そうな口振りで言った。

経済面では叔父の援助を受けてきたが、子育ての難しい時期に遺児二人を明朗に育てるのは、並大抵のことではなかっただろう。孝夫は自分の母と比べ、いやM市の叔母二人に比べても佳恵は、こころの健全な女であろうと思った。

義典のマンションからの帰路、車を運転しながら佳恵は、
「信隆さんとは見合いでした」

孝夫が訊ねもしないのにぽつりと言った。
「母から聞いて知ってました」
「そうでしたの」
「今時見合いかとちょっと意外でしたが……義典君もですか」
「義典さんも見合いです。大学当時は主人よりは発展家だったようですが」
「二人とも見合い……」

孝夫は信隆、義典の二人ともが見合い結婚であることに驚いた。こういう面でも、自分とは異なる人生を歩いてきた従弟たちだった。男と女の結びつきはそれこそ多様であろう。だが孝夫は男と女の結びつきに、見合いというものを考えたことは一度もなかった。

見合いと恋愛では異性に寄せる感情の深さ、期待が異なるものではないか。恋愛は対象とする相手が極端に狭められ、その分思慕する深度の深いものであろう。この人でなければという思いと、生活の方便のためにこの人でもという考えは、情熱の烈しさ、男女の結びつきの解釈に相当の開きがある。同じ人間が両方を使い分けることは、若い頃の孝夫には精神分裂に等しいことだろうと思われた。

だがこの考えが変わったのは、律子と結婚してからだった。孝夫は律子とは恋愛であったが、とくべつ烈しい恋愛というものではなかった。律子のほのぼのとした、安心感の漂う雰囲気は、ほかの女にはみられない優しさと柔らかさがあった。作った優しさではなく自然体の発露だった。お互いにその雰囲気の中にいると安堵するというか、居心地がよかった。

     *

大学を出た孝夫は京都の東福寺の近くに律子、長女と暮らすようになった。中堅印刷会社に三年間勤務したが、創作に情熱を傾けるようになり、そこを退社した。さほど大きくはない予備校の講師を、夕方からの勤務を条件に続けていた。午前中、午後は長女の保育園送迎と創作にかかっていた。律子は東京の職場と同じように、大学病院で医療検査技師の仕事に就(つ)いていた。

律子の休みの日は親子三人連れで満開の哲学の道の疎水沿いを散策したり、紅葉の嵯峨野路を楽しんだ。律子は孝夫が案内するところには、どこへでも浮き浮きした無邪気な表情で従いて来た。どこと行っても孝夫が案内するのは、市内の神社・仏閣、嵯峨野、嵐山であった。

京都での暮らしはわりと悠々自適であったが、長女が九歳、次女が三歳に育った頃から、いまの二人の手取りではその日暮らしで、貯金も少なく、二人の娘の将来を考えたとき、このままの暮らしではいけないのではないかと、孝夫は真剣に思案し始めていた。

家計に余裕がないのは孝夫が文学を優先して、予備校講師としては中途半端な稼ぎしかなかったためである。作家となって身を立てる、このことにも迷いがあった。孝夫は無頼派と呼ばれた坂口安吾、織田作之助、石川淳、檀一雄らの文学に共鳴していた。とくに坂口安吾の文学論に刺激を受けた。

坂口安吾が『新らしき文学』で述べていた――文学の領域は言うまでもなく個人である。個人を離れて文学は成り得ない。然し不滅の人間、不変のエゴは形而上学と共に亡び去っている。我々の個人は変化の一過程に於て歴史に続き永遠につながる。然し文学は単に変化への、そして時代への追随ではない。変化に方向を与える能動的な役割をなすものが文学であって、時代創造的な意思なくして文学は成り立たぬ。社会は常に一つの組織の完成を意味し、科学的なものであるが、個人は常に破壊的、反社会的であり、文学的である。文学は科学の系統化に対して、個人の立場から反逆的な役割をなす。――は、いまでも記憶にあった。

だから孝夫も初期の頃からこの趣旨に添った創作を志し、断筆前の『逃げるのだ!』、『観音島』、『淀川河川敷』は、この考えのものであったが、〈変化に方向を与える能動的な役割〉という点からみると、孝夫の文学は社会的、政治的方向には向かわず、屈折した心情分析に向けられた。


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