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喜多圭介のブログ

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八雲立つ……66

2008-11-17 10:55:13 | 八雲立つ……

孝夫に京都案内をして貰ったときから、孝夫に抱かれる自分を予感していた。あのときは傍で中三の聡実がうろちょろしていたし、孝夫には奥さんがいた。孝夫さんの胸の中にはまだ奥さんがいるかもしれないが、いたってちっともかまわない。亡くなった奥さんを愛おしむような孝夫さんだから、私も好きになっていく。二人にとって何の不都合もない。佳恵は車を運転しながら、このことを反芻していた。

T温泉に入ったのは、二時半過ぎだった。店の横が駐車場の小綺麗な喫茶店が見付かった。向かい合って腰を下ろした。
「少し天気が落ちてきた」
「日御碕はあんなに青空だったのに、夜に雨が降ってきそうな様子」
「時雨が来るかも……ぼくは小雨程度の雨は嫌いでなくて、梅雨時に嵯峨野を巡ることがあります」
「そんなときは人が少ないでしょ」
「農家の忙しい時期は減ってます。一人で野々宮神社、二尊院から祗王寺辺りを傘さして巡るのですが、モスグリーンの杉苔が美しい」

佳恵は女性と相合い傘で歩いている孝夫を想像して悩ましかった。
「今度は聡実をおいて梅雨時に出掛けますので、祗王寺を案内してください」

孝夫は運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ。
「いつでも結構ですよ。ここは川筋が通っていて城崎温泉の中心街に似た風情の町だな」
「城崎温泉は大学のゼミで行ったことがあります」
「志賀直哉の研究にでも」
「お風呂の研究も兼ねてです」と付け足して佳恵は微笑んだ。

佳恵は、あの頃は若かった、と思った。溢れるばかりの人生が前途にあると思っていた。だがアッというまの短い人生。恋らしい恋も経験しないまま、もう五十近くになってしまった。どう掴んでいいかわからないが、信隆亡きあとの三人の子育てに専念して、子どもたちの成長にやっとひと安心できるときには、もう五十。このまま女を終えて、朽ちていくことに理不尽を感じとっていた。

     *

旅館の男性に案内させて駐車場に車を停めた。佳恵はトランクから旅行バッグを取り出した。
「ここに荷物を隠してあったの」と言って、恥ずかしそうな眼で笑みを浮かべた。

いくつもの様式の露天風呂が〈売り〉の旅館の玄関に立った。孝夫が名前を告げると、すぐに和服の仲居に案内されて部屋に入った。二間の、二人で泊まっても贅沢な広さの部屋が用意されていた。

常日頃から故郷喪失感のある孝夫は、庭園を見下ろせるソファに腰を下ろすと、今年は年早々にこんなところに漂着したか、という思いに囚われた。

――それも亡き信隆の妻を一緒に……人生のことはいつまで経っても先がわからない。

そんな思いを強めていた。

佳恵は別間で和服を洋装に着替えていた。そしてベージュのセーターに同色のベストを重ね着、クリーム色のパンツ姿で、衣桁(いこう)に着物と長襦袢などを掛けていた。
「着付けは一人でやるの」とくつろいだ気持ちで訊ねると、
「はい。一人でします。母が着道楽の人ですから、高校のときから着物を着てましたので」
「そうだったの。次ぎに京都に来るときは着物だね」
「そうします」
「日本女性は着物が美しいと思うけど、京都でも背が高く痩せている女性の着物姿は、ひどく貧相に見えることがあるけど」
「着付けが下手なんだと思います。着物は肌着、長襦袢からその人の体型にあった小細工をしながら着る物ですから」
「そうか、下の物から細工するのか」
「そうなんです」
「信隆君の生前はよく着物着たの」
「いえ、大阪にいた頃は着なかったです」
「じゃあ佳恵さんの美しい姿を信隆君は知らないのだ」
「またおかからいになって」

そう言いながら近付いてくると、
「お茶淹れましょうか」と言った。
「ありがとう」

テーブルの上にお茶と茶菓子を運んでくると、佳恵はくつろいだ気配で、向かいのソファに腰を下ろした。
「近くに住みながら私、ここ初めてなんですよ」
「そうだったの。ぼくも初めてだが、温泉だけのところって感じだな」
「静かでいいですわ。小雨が降ってますよ」
「そう、しとしとと降ってきた」

二人はぼんやりと庭園に降る雨を見つめていた。


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八雲立つ……65

2008-11-16 16:50:52 | 八雲立つ……

     *

出雲大社近くに戻ると、正午を少し回っていた。
「出雲蕎麦のお店に入りますか」
「高校生のときのお店わかりますか」
「いやわからなかった。どこでもいいです」
「あそこにしますか」

佳恵が指さした店に入った。おばさんが注文を取りに来た。
「割子蕎麦でいいね」
「はい」
「何枚にしますか」おばさんが訊ねた。
「ぼくはお腹が空いたから四枚」
「私は三枚にします」

出雲蕎麦で昼食を済まし、佳恵のトイレを待って外に出た。
「昨日も城山近くで割子蕎麦食べたけど、M市のほうが旨かったね」
「食べに行かれたのですか」
「宍道湖を眺めてから」
「そうでしたか」
「このままT温泉に行ったら早すぎるな。しかし大社以外とくに観るところはないし」
「それじゃ孝夫さんが歩かれた道を走ってM市に出たら朝の道を走ってT温泉でどう」
「宍道湖ひとまわりだな。疲れない?」
「慣れてますから。懐かしいでしょ」
「うん。ここから宍道湖の見えるとこまでが遠かったな」

佳恵の車は湖岸の行きと反対側の道路を走った。
「その頃とは風景が変わってますよ」
「そうだろうね」

孝夫は暫くフロントガラスを通して、前面の景色を眺めていた。そのうち前方五十メートル先に大樹が道路に覆い被っているのが見えた。
「佳恵さん、ゆっくり走ってくれない。あの前方の樹に見覚えがある」
「歩いたときに見たのですか」
「間違いなくあの樹だ。繁みが二回りほど大きいが、幹の恰好がそっくりだ」
「松のようですよ」
「松かもしれない。辺りはすっかり変わっているのになぁ。学生服の上にコート着てたけど、顔がみぞれでびしょ濡れ。孤独な思いは子どもの頃から何度も経験したが、この道を歩いているときも孤独だった。舗装された道でなかった。だけど歩いていたのだから生きようとする意志はあったのだな。人生って一人じゃ淋しいものだな」
「孝夫さんはいろいろとご苦労されてますね」
「小学三年生の頃はまだ芳信叔父のところに預けられていたのですが、五右衛門風呂の水入れをやらされましてね、とくに冬の時期に二十メートル先の共同井戸から水を汲み上げて、そのバケツを両手に持って運んでいたときはつらかった。あのときぼくのこころは死んだんでないかと思っています」
「死んで仕舞われたのですか」
「そんな気がします。死んだこころに鬼が棲み着いた」
「鬼がですか」
「そう。二人の叔父やぼくの母に共通な鬼が。信隆や義典にも棲み着いていた」
「主人にも」
「おそらくは」

孝夫はゆっくりと通り過ぎていく松の大樹を、これで見納めという気持ちで見上げた。

そのとき、佳恵は大学のゼミで課題として馬場あき子の『鬼の研究』が採り上げられたことを思い出していた――能の中の鬼は哀しい生き物で、鬼にも二種類があって、姿も心も鬼というものと、姿は鬼ではあるが、こころは人間というものがある。後者はあまりにも人間でありすぎたため、あまりにも人を恋い、 人を怨み、哀しんだ挙げ句に、鬼となった――たしかこのような趣旨の箇所があったが、孝夫さんの鬼とは、後者を指しているのだろうか。

M市内に入った。腕時計を見ると一時半だった。
「何処かに立ち寄りますか」
「すっと通り過ぎてください」
「そうします。二時過ぎ頃に旅館に着きますが」
「じゃT温泉近くの喫茶店に入ってから旅館に行きましょう」
「はい」
「運転のしどうしで疲れてませんか」
「疲れてません」
「それならいいが」
「ほんとに私がご一緒してご迷惑でないですか」
「ご迷惑なことなんかありませんよ。佳恵さんに後悔がなければ」

佳恵の不安そうな顔を読み取って言った。
「後悔してません」


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八雲立つ……64

2008-11-16 12:46:24 | 八雲立つ……

「それじゃ方向が逆じゃないですか。岡山だったら米子道走ったほうが早い」
「いえ、子どもたちには昨夜そう言ってあるだけなんです。私がご一緒にT温泉に泊まったらご迷惑ですか」
「いや迷惑じゃないが……」

孝夫は困惑の表情で口ごもった。
「T温泉まで送っていき、そのままお別れしたらもう二度と逢えない気がして」
「……」
「孝夫さんはこれでM市を縁のない土地にされるのでしょ?昨日そう言ってたでしょ」
「言ったことは言ったが……」
「私にも無関心になるってことでしょ」
「いやそんな風には」
「嘘!きっと私のことなどお忘れになりますわ」
「そんなことは……」
「私も小野の一人ですか」

佳恵の拗ねた口調だった。
「あなたは違う……本当にいいのですか、泊まっても」
「どのみち何処かに泊まらないと……そう言って出てきたのですから」

どうにでもして欲しい、お任せしますという投げ遣り口調だった。

駐車場の車の前まで来ていた。
「佳恵さん、旅館に夕食二人分頼みますから、車の中で待っていてください」

孝夫は車から少し離れたところに立ち止まって、携帯電話をハーフコートの内ポケットから取り出した。

佳恵は後部座席で履き物を取り替えながら、窓から孝夫を眺めていた。

運転席に座ると、とうとう言ってしまった、という思いで、胸の動悸が速くなっていた。風はなかったが、ひんやりした冬の大気の中で、佳恵は顔の火照りを覚えた。

孝夫が戻ってきた。

助手席に座ると、
「頼んでおきました。さあ日御碕に出掛けますか」と言った。

道はすぐにわかった。十字路を稲佐の浜へと書かれた標示に進めばよかった。
「稲佐の浜は途中か。国譲り神話の舞台だった」
「弁天島が見えます」

佳恵は孝夫が先ほどの話に戻さないので、ほっとしていた。
「そうですか……八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を、『古事記』の時代にこういう韻律があるのが不思議だ」
「五七、五七、七のリズム感ですね」
「そうそう、そのリズム感」

車は海岸線を走った。海上に次々と小島が見えた。

孝夫はやっとM市にいるときに締め付けられていたような意識から解放されて、くつろいだ気持ちになった。まさか信隆の妻とこんなところを走っているなど、病院に信隆を見舞ったときには思いも寄らぬことだった。

――人生、先に何があるか……。

日御碕は案外に賑わしい感じの所だった。観光客の車が駐車場に並んでいた。灯台へ続く道筋に民宿や土産物屋も並び、観光客が店内に散っていた。
「日御碕はウミネコの生息地だったな」
「はい、経島(ふみしま)で繁殖してます」

眼の先にスマートな白亜の灯台が見えた。
「女神のような灯台だな」
「海が荒れてなくてよかった」
「荒々しいところかと想像してましたが、お天気が良いせいか穏やかですね」
「青空に白い灯台、気持ちが晴れ晴れします」
「神社がありますね」
「日御碕神社。『風土記』に載ってます。行ってみましょうか」
「ええ」

暫く歩くと朱塗りの楼門の前に出た。
「屋根の高い立派な楼門だな」
「そうですね」

境内に入った。孝夫は案内を読んでいた。
「日沈宮(ひしずみのみや)、下の宮が天照大御神で、神の宮、上の宮が素盞嗚尊ね。素盞嗚尊が天照大御神より上に安置されているのか」
「『古事記』の時代からこの辺に海の人たちが住んでいたのでしょうね」
「きっと海の男、女の祭典が行われていたでしょう」

孝夫は、性典と言いたいところを祭典と置き換えた。

古代人のエネルギッシュな乱交を想像していた。


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八雲立つ……63

2008-11-16 10:23:46 | 八雲立つ……

「子どもの頃、袖師ヶ浦の地蔵さんのところから嫁ヶ島まで泳いだことがあります」
「だいぶんありますでしょ。いつ頃のことですか」
「小学五、六年。夏休みに芳信叔父のところに預けられましたので」
「そうですか」
「あの頃は潜れば蜆がよく採れました」
「私が子どものときもまだ泳げました」
「地蔵さんのところから嫁ヶ島までは、弁天さんだったか弁慶だったか忘れましたが、どっちかが歩いて渡ったという道が付いていて、子どもでも立って歩けるほど浅かったんです」
「それは知りませんでした」

佳恵はハンドル操作しながら応答していた。
「もう少し走ったら山陰自動車道に入りますから」
「こっちも便利になりましたね」
「はい。高速道の終点、斐川インターチェンジから出雲大社まで近いです」
「じゃ十時頃に着きますね」
「はい」
「むかし出雲大社に鳥居近くに出雲蕎麦を食べさせる店があったのですが」
「いつ頃のことです?」
「ぼくが高三になる前の春に大山で自殺未遂しまして、山を下りてからどうしようかと思案してたら出雲大社に来てました」
「自殺未遂のあとですか」
「そう。失恋かどうかわからないけど、その頃付き合っていた女子大生が行方不明になりまして、生きているのが嫌になり、ふらっと大山に上りましたが、見付かってしまって、その挙げ句に縁結びの神さんのところに。まるで笑い話」
「ませとられたんですね。年上の女性とお付き合いして」
「背伸びして付き合ってました。相手が『源氏物語』話すると、中之島図書館で『源氏物語』読んだりして。図書館で知り合った。向こうは大学の受験勉強に来てた」

佳恵は孝夫が嬉しそうに喋るので、胸が焦げてきた。
「参詣してからどうされたんです?」
「一畑電鉄の走っているほうの道を歩いてM市に戻りました」
「えー、歩いてですか」佳恵は頓狂な声を上げた。
「みぞれ混じりの雪が降ってました」
「そんな経験されたんですか。やっぱり孝夫さんはお義母さんのいう熱情家ですね」
「さあどうかな。自分では冷たいこころの人間と思ってますが」
「そんなことありませんわ」
「佳恵さんは洗礼は受けられてるのですか」
「はい。子どものときに。でも私、神とか仏とか信じてないのです」
「信じてないの?」
「だって何一ついいことしてくれないでしょ。反対になんの罪もない人ばかりが悲劇に遭うでしょ」
「まあそれはそうだが」

孝夫は、信じてないのか、と胸裡で呟いた。

話しているうちに斐川インターチェンジに着いた。暫く走ると出雲大社前に着いた。広い駐車場に車を停めた。佳恵は後部座席で履き物を履き替えた。それから二人は参道の松並木の道をまっすぐ進んだ。境内は時間の早いせいか、わりと閑散としていた。参詣客は広い境内に三々五々に散らばり、写真撮影や立ち話をしていた。
「ここに来て眼に着くのはあの注連縄だな」
「日本一だそうですから」

本殿に近付いていった。
「信じてなくても賽銭してお詣りしときますか」
「はい」佳恵は笑顔で応えた。
「ここは二礼三拍一礼?」
「二礼四拍一礼です」
「あまりこういうことはよくわからない」
「私もですが、小学生の頃から遠足などで来ますでしょ」
「佳恵さんはそうだね」

型どおりの参拝を済ますと、本殿をいっとき眺めてからもと来た道を引っ返した。
「艶やかですね」
「えっ何が」
「佳恵さんの着物姿が」
「恥ずかしいですわ」
「実に色っぽい」
「そんな冗談を仰って」

少し沈黙の間があってから、
「きょう私、岡山に行ってることになってるのです」

と呟くように言った。
「岡山ですか」
「大学の同窓会が岡山であることに」


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八雲立つ……62

2008-11-15 19:16:26 | 八雲立つ……

車は湖畔に沿った広い道路を走った。宿泊先のホテルまで十分ほどの距離だった。酩酊気味の孝夫の眼は、黒い湖面の対岸に連なる光の粒を捉えていた。民家の光のようだった。明日はあの光のほうの道路を出雲に向かって走るのだな、と思っていた。

佳恵たちがタクシーに乗るとき、最後に後部座席に乗り込んだ佳恵の吐息のような声が、耳に残っていた。
「明日九時にホテルのロビーで待ってます」

ホテルの部屋に入ると、孝夫は先ずシャワーの熱い湯を両肩に浴びせた。きょう一日の疲れが拭われる心地よさだった。自分ではさほど自覚はないが、この土地にはいると躯よりも神経を消耗しているようだ。叔父叔母ともくつろいで話しているつもりだが、こころの何処かに警戒心があるのだろう。その上義典のところを初訪問した。短い時間だったがこれも疲労として積み重なった。

佳恵や佳恵の子どもたちとの談笑は楽しかったが、信隆の遺した妻であり遺児たちという思いは消えておらず、こころを全面的に開放して付き合った気分にはなれなかった。

明日は佳恵の車で出雲大社、日御碕に向かうという意外な展開になってしまったが、佳恵とのあいだだけは、小野一族という怨念めいた意識を忘れさせてくれる付き合いを願っていた。

しかし孝夫はホテルの玄関口での幻聴を思い出し、困惑していた。

――あれは本当に律子だったのだろうか。

佳恵が親しさを示してくれたのは感じ取っていたが、それはどこまでも亡き夫の従兄としてのことであって、それ以上の感情は読み取れなかった。

――律子、今夜はぐっすり眠るよ。なんだかひどく疲れた。
\chapter{寒椿)
孝夫はフロントで会計を済ませ、旅行バッグ一つを提げてロビーの片隅に立っていた。そこへ佳恵が現れた。着物姿だったので、孝夫は驚いた。
「和服で来られたのですか」
「実家の母が昨年買ってくれた物で、着初めは元旦の初詣でした。きょうが二回目。出雲大社参詣するでしょ」
「それで。着物で車の運転、難しくないですか」
「慣れたら洋服と同じです。旅と草履は車の中でスニーカと短めの靴下に履き替えますけど」

出口に向かって歩きながら喋った。
「着物を着ると老けて見える人と若く見える人がいますが、佳恵さんは若く見えるな」
「ほんとですか」

佳恵は悪戯っぽい眼で孝夫を見た。
「三十代前半ってとこかな」
「もう五十に手が届きそうなんですよ」

アハハと笑ったが、それでも化粧の香りを匂わせ、嬉しそうな顔だった。

孝夫が助手席に腰を下ろすと、履き替えますので少し待ってくださいね、と佳恵は言って、後部座席に座った。
「後ろ見ないでくださいよ。孝夫さんに見せられない恰好してますので」
「はいはい、だけどそう言われると見たくなりますね」

孝夫はフロントガラスの先を眺めたまま、冗談を言った。
「まあ」

佳恵の笑い声が上がった。

それから暫く走ったとき、
「こちらに戻ってから実家の母が出席する茶会に、私も着物で出掛けるようにしてます」と言った。
「似合っておられますよ」
「教員当時のがさつさを少しでも直したくて」
「あー京都のとき、その話をされてましたね」
「女らしい風情をと思って……でも虚しくなることがあります」
「……」
「……なんだか……女としての歓びがないと駄目ですね」

そう呟くと、その思いを吹っ切るように前方を見つめ、少し速度を上げた。

いっとき宍道湖に沿って走った。穏やかな湖面が展がり、嫁ヶ島が見えた。


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八雲立つ……61

2008-11-15 13:12:59 | 八雲立つ……

「本当にごちそうさまでした。とても楽しかったです。子供たちもこういう機会は、主人が亡くなってからはなかったので、とても喜んでいます」
「やっとM市にひとつだけでもいい思い出を残せたなと思っています。これから先はたびたび訪れることはないだけに」
「そんなふうに言わないでたびたびお越しください。子供たちがこれから東京や関西方面に出て行ってしまうと、私だけ取り残されますので」
「そんなことはないでしょ。お友達ができますし、ひょっとすると昨夜の叔母の話が実現するかも」
「そんな冗談を」
「冗談でなく。信隆君が早く亡くなりすぎたせいか、佳恵さんは女として未成熟なところがありますよ」
「えっ! 本当ですか」

佳恵は眼を瞠って大仰な声を出した。
「いやいや冗談。だけど夫を新婚早々に戦争で亡くされた七十、八十のお婆さんの表情のどこかに、少女の面影が残っている人がいますよ」
「孝夫さんは何歳ですか」
「佳恵さんよりは一回りは上でしょう」
「そんなふうには見えないですよ。ねぇ、聡実」
「ずっと若い」
「ありがとう、どんどん食べて。といってもあとはデザートが運ばれるだけだね。じゃ大学が落ち着いたら、お母さんと関西に遊びに来なさいよ。案内しますよ」

     *

コート姿の孝夫は佳恵たち家族を乗せたタクシーのテールランプが見えなくなるまで、ホテルの前で見送った。ここからでは見えない宍道湖の夜空に、青白い星々が宝石のように光っていた。先ほどまでの明るい笑い声、談笑が嘘のような冷え込んだ静けさが、ホテルの周辺を包んでいた。

子どもの頃一時期を過ごした母親の郷里にもう懐かしさはなかった。それに居どころもなかった。感傷という感情は孝夫の胸から消失していた。

もう母親や二人の叔父夫婦のことに思いを馳せることはない、と孝夫はクリアな星空の拡がりをじっと見つめていた。

自分の一生涯をどう終えるか、このことに専心専念しなければならなかった。だからといって焦燥感があるわけでもなかった。

胸の中の律子と生きられるところまで生きた。そんな思いが胸に定着していた。

――律子、この街ではいろいろなことがあったけど、もう何もかもなくなった。ぼくは信隆、義典よりも長生きした。もういつどこでどうなっても悔いはない。だけどいま少し生きて、春と秋に、律子と散策した京の町や嵯峨野、嵐山、大津の石山寺、宇治などを歩いてみるつもりだ。律子、今頃になってね、なぜ律子が京都への一泊旅行を望んだかわかるような気がする。律子は日々の暮らしのなかで、ぼくとの共通の楽しみや思いを作ろうとしていたのだ。連れてあちこちを散策しているうちに、京膳一つにしても楽しみ方を発見したからね。もう少し続けてみるよ。律子と生きてきた意味を探りながら。律子もぼくの胸の中で隠れん坊しながら付き合ってくれたまえ。

だがM市の追憶はこれで終わった……。

《あなた、まだ役目は終わっていないかもしれないわよ》

――えっ、何て言った?

《佳恵さん、あなたに好意をお持ちよ》

――そんなことはないよ。律子も知っているようにあの人は、死んだ信隆の奥さんだよ。

《死んでしまったら奥さんでもないかもしれない》

――大胆なことを言うね。

《私のことは気にしなくていいのよ。私も死んでしまったからあなたの奥さんとしては努められないことがあるわよ》

――そんなことはわかっているよ。

孝夫は高い空でか細く光っている星を眺め、いま別れたばかりの佳恵の面影を眼に浮かべた。嵐山の常寂光寺に満開だった山桜の色と重なる女だと思った。好きか嫌いかを問われれば好きと答えたくなるが、孝夫が積極的に動くには遠慮のブレーキがかかり、そこで思いが自然と中断されてしまいそうな女でもあった。これまでも佳恵をどうこうしようと思ったことはなかった。

孝夫は長い嘆息をつき、右手に停車しているタクシーに手を挙げた。


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『花の下にて春死なん――大山心中』

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八雲立つ……60

2008-11-15 09:28:37 | 八雲立つ……

「工学部だから少ししか在籍していないです」
「恋人を獲得するのが大変だな」
「もともと男友達をつくるのも苦労するほうですから、恋人などなかなかのことです。それこそ孝夫さんに指導してもらわないと」
「佳恵さんまで叔父叔母の悪影響を受けて……。高明君、ぼくは三十になるまではだれかれとは付き合えないタイプだった。いまでもそうだが、恋人を自分からつくれるタイプでもなかった」
「孝夫さん、いま恋人をおつくりになったらお亡くなりになった奥さんとのあいだが難しくなりますよ」
「ワインの飲み過ぎ。高明君を見ているとぼくの若い頃を思い出す。そのうちにいい恋人と巡り逢うよ」
「それなら安心ですけど」
「きみたちのお爺ちゃんは、昔からぼくを女たらしだと誤解しているけどね、だけどぼくは違う。恋愛は合縁奇縁といって、この言葉わかる?つまり縁がなければ駄目だし、縁は意識して作れるものでない。気付いたときにお互いに離れられない、あるいは離れてはいけない強い何かを感じ合う交信。この交信を敏感にキャッチし合えるかだ。

計算したことはないけど、道を歩いたりしていて一日にどれだけの女性に逢うだろうか。ここから計算して一年では何人、五年で何人と計算して行けば、十年か十五年に一人くらいの割で合縁奇縁の女性に巡り逢う。一度高明君、大学のコンピューターで確率計算してみると面白いだろうね」

孝夫はワインの酔いに調子に乗りすぎたかな、とちらっと自省した。
「厳しい確率計算」

高明は黒目がちな眼を興味深そうに輝かせて言った。
「それも縁があるだけの合縁なら少しは確率が高くなるけど、ぼくの場合は奇縁としかいいようのないものだから、もっと低くなる」
「奇縁って?」

聡実が横から口を挟んだ。
「奇縁というのはちょっと難しいけど、思いがけない縁とでも言ったらいいかな」
「じゃお母さんは合縁でも奇縁でもないね。見合い結婚だから」
「結婚したのだから合縁だろうね。ぼくにはこの辺のことはわからないけど、人工的合縁?」
「面白い!人工的合縁なんて」

聡実はアハハと笑った。
「人工的合縁であなたたちのような子供がいるのよ」

佳恵はワインの酔いに、目蓋をうっすらと赤らめていた。

孝夫は子供たち二人が別な話題でおかしそうに話し合っているのを見届けてから、小声で、
「義典君は叔父の家に会社の帰路に寄っていたそうですね。昨夜叔母のいないときに、ちらっと叔父が言っていましたが、会社で疲れる、帰宅しても峰子さんとのあいだで疲れる、それでここに来ては母親と話し込んだり寝転んだりしてから帰ると。ぼくは信隆君の通夜の印象が強かったものだから、義典君も父親との和解にこころ配りをしているのだと嬉しく思っていたのですが、叔父の言葉のニュアンスでは、そうでもない気がしました」

孝夫は胸の裡にあるものを伝えた。
「どういうことです?」
「午前中に義典君のマンションに弔問に行き、峰子さんにお逢いしてなんとなく感じたことで根拠はありません。間違っているかもわかりませんが、どうも義典君は峰子さんにせっつかられて、家を建てる資金の捻出を計っていたのではないかと。先ず叔母を籠絡させて共同作戦で、叔父に出させる。

あなたと峰子さんを仲違いさせるような話で恐縮ですが、峰子さんには本家であるあなたたち家族に一物あるのかもと思います。若い頃はなかってもある時期から考え始めることがある、それが出てきたのではないかと。叔父のこころ配りが佳恵さん家族に傾きすぎているのを羨むというか。それでちくりちくりと義典君に圧力をかけていたのじゃないかな。それがしだいに義典君には重荷になってきた、叔父の家に逃避すると同時に、叔母に家を建てたい話をぼちぼちしていたのではないかと」
「そうでしょうか。私には峰子さんがそのような人だとは想像できませんわ」
「あなたにはぼくのような邪推は難しい。そこがあなたの人柄だと思っていますけど、叔父の言葉に何かあるなと感じるのです、叔父はこういった面に敏感な人ですから。母親に甘えて育った義典君は、狡猾な面とストレスに弱い面を性格的に持っていた気がします。

男のぼくから見れば四十八歳の今日まで、手狭な3LDKのマンション住まいが不思議。昨今は三十代でも住宅ローンを組んで新築に住むじゃないですか。マンションにしても、もっと広い3LDKとか。あのマンションは手狭な公団並でしたね。それをそうしなかったのは、父親の資金援助を当てにしていたのではないか。ぼくから見れば羨ましい話ですが、当てになる父親がいて。だけど男としては不甲斐ない」
「義典さんの住んでいるマンションと峰子さんからそこまで考えるなんて……」
「小野一族の人間関係に揉まれたぼくは、こういう邪推だけは鋭く働くのです。屈折しているところがあるのでしょ。でもぼくは妻によって少しはまともになりましたが」
「小野には私の想像もしなかったことがいろいろとあったのですね」
「こういう言い方は義典君の遺族には悪いですが、彼のおかげで正月早々あなたや子供さんと楽しいひとときを過ごせてよかった」


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八雲立つ……59

2008-11-14 17:20:21 | 八雲立つ……

孝夫は高明のグラスにも注いでやった。
「おいしい。お母さん、いくらでも飲めそうだね」

聡実は母親から注がれたワインを、一口舐めると感嘆の声を上げた。
「ワインはあとから酔いがまわるからご用心。京都か神戸の大学だったら、たまにぼくが案内してあげられるな。そのときは佳恵さんも出掛けてきなさいよ」
「合格するかが問題ですの。バレーばかりして勉強に力を入れてなかったので」
「どっかに引っ掛かればそれでいい。あとは大学でどう過ごすかだ」
「この人はどこででも生きて行けるのが強みなだけです」
「いい顔しているから女優に向いていそうだな」
「ホント。わぁ、嬉しい!」
「お正月早々、いいこと言って貰って」

暫く会話を中断して食事に向かった。
「お母さん、このスモークサーモン、柔らかくておいしいよ」

聡実が、口をもぐもぐと動かしながら叫んだ。
「ホント、おいしい」

一口食べた佳恵は、表情を輝かせた。

信隆が亡くなってから後、佳恵家族にこういう機会はなかったのかもしれないと、孝夫は推測した。孝夫は胸の裡でよかった、と思った。

胸で隠れん坊していた律子までが木陰から顔を覗かせ、嬉しそうな顔をしていた。

――律子、この家族は明るくていいね。

孝夫は胸の裡で呟くと、目蓋の裏に熱い涙を覚えた。
「聡実さんは舌が肥えている。学校は家から近いの?」
「近い。自転車で二十分かな」
「いい運動になるな」
「お母さん、この海老もおいしいよ」

聡実は二皿目の海老を口に入れ、にこにこと健康な笑顔を浮かべていた。
「こんなところに連れて来ていただき、申し訳ないです」
「義典君の遺族には悪いですけど、こんな機会でもなければ招待できない。ここはコックさんがいいのかな。京都や神戸の一流ホテルに比べてもひけをとらない」

それから孝夫は二人の子どもにあまり聞こえないように声を低めた。
「叔父と叔母は相変わらずですね。義典の弔問だったのですが、叔父は義典の名前さえ言うなという素振りですし。言わなくてもわかっているという式が昔からの叔父ですが、叔母は言ってもらいたい、話を聞いてもらいたい。だけど叔父が止めるものだから、別な話題になってしまう。かといって実はぼくは、叔母の話を親身に聞くのはご免被りたいほうなので、叔父が止めてくれるのがありがたいことはありがたい。昨夜の叔父を見ていて思うのですが、叔父にとっては義典君より信隆君の死のほうが、打撃は大きかった筈です。義典君の急死を悲しんでいるのは事実ですが、どこまで悲しんでいるのかと考えると疑問に思うことがあります」
「私もそれを感じます。信隆さん義典さんがお父さんからどれほどつらく当たられてきたかは、結婚後、二人の話で私もわかっているつもりです」

佳恵も小声になっていた。
「そうですか。叔父にとっては、信隆君、義典君へしてきたことは、叔父の愛情表現だったのでしょうが、叔父の我が子に示す愛情は、肉親の情からの温もりがないのです。もっともなことを言っていても、血やこころが通っていない、通わすことができない、これはぼくの母親や二人の叔父の共通項です。哀れといえば哀れです。だけど信隆君、義典君に示したという叔母の愛にもぼくは昔から疑問を持っています。叔母は本当に二人の息子を愛していたかというとそうではなく、叔父、そう夫との闘争に二人の息子を味方にして戦った、それだけのような気がします」
「小野のだれもが、両親からうまく愛情の受け渡しができていなかったということでしょうか。このことが主人や義典さんにも影響を与えたと」
「ぼくもですけど……もっとも反撥したのが信隆君であり、母親にうまく取り籠められたのが義典君でしょ。信隆君にとっては父親、母親ともに嫌悪の対象だった。

K市の市民病院に見舞った折り、信隆君に帰郷を勧めたが烈しい気迫で拒絶されました。そのときにこれは父親、母親への拒絶だと思いました。しかし信隆君は小野一族すべてを拒絶はしなかった。だからあなたと一緒にぼくの母とは付き合ってくれた。義典君は小野一族すべてを拒絶したが、自分の母親は拒絶しなかった。母親に懐柔された。こういうことではないでしょうか」
「そこまでお考えになってましたか。私もお母さんが本当に義典さんの死を悲しんでおられるのか、と感じることがありますの。私が思っている悲しみ方とは違うようで」
「高明君の大学は女の子は多いの?」

孝夫は小声で佳恵の耳元で話していたが、佳恵とばかりは話しておれないと思い、真向かいの高明に声をかけた。


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八雲立つ……58

2008-11-14 13:42:13 | 八雲立つ……

孝夫は先頭に立って、三人を案内した。

予約席が枡席に枠で囲まれており、隣の枠内には恋人らしき男女が静かに座っていたが、ほかに客はいなく、オレンジ系の照明が灯った静かな雰囲気であった。大きなテーブル中央に暖色の灯とその周囲に黄色のカトレアの植わった小鉢が置いてあった。向かい側の二脚に高明、聡実が腰掛け、孝夫と佳恵が隣り合って座った。

おそらく二人の子供にしても、こういう席は久し振りなのであろう。まして突然現れた男が、自分たち三人家族の中に割り込んで、母親の横に座っているのを、二人とも浮き浮きした表情であったが、内心不思議がっているのであろう。

高三の聡実は、女の子だけに興味深そうに、母親と孝夫を当分に眺め、大きな瞳をきらきら輝かせていた。高明はにこやかな表情で、これからどんな展開になるのかとそれに関心ある顔だった。

孝夫は自分たちにも育ち盛りの娘二人を前にして、楽しく食卓を囲む時期があったことを、ちらっと脳裏に浮かべた。律子をふくめて女三人、その日の出来事を話ながら、よく笑う夕食であった。いつも律子が笑いを先導していた。きょうだいもなく一人娘で育った律子は、娘二人を妹のように思っていたのかもしれない。

高明は、今宵のために母親に買ってもらった、紺のワイシャツに、ネクタイを締め、若鹿のような雰囲気の青年らしいスーツ姿で、やや下から覗き込む視線で孝夫を見ていた。佳恵が言うように高明の清潔な表情のなかに、ややニヒルな影を人に与えるものがあったが、孝夫には好ましい青年に映った。高明の容貌を目前にすると、午前中に弔問したマンションで逢った義典の長男重成の、一見ピリピリした容貌がまたも気にかかった。

高明と重成がこれから先に、信和、芳信叔父のような、険悪な関係にならなければよいがと案じた。それは今後の信和叔父の、両家への種の蒔き方しだいのようにも思うし、配慮して種を蒔いてもうまく行かないかもしれないと、孝夫は宗教に凝りそうな峰子の蒼白い顔と、気むずかしい翳りのある重成の顔を思い浮かべた。このことはとりもなおさず、傍らに座っている快活な佳恵に、心労を生み出すことになる。小野家の今後は佳恵の肩にかかってくる。

孝夫はオーダーしたブルゴーニュの白を一口飲むと聡実に、
「大学は地元を志望しているの?」と訊ねた。
「それが地元を出て行きたくてうずうずしています。神話と宍道湖しかない古い街は嫌だとか言って」

佳恵は困ったような口調で話した。
「神話と宍道湖か……当たっていないことはないね。それで関西?」

孝夫は香里の顔を見て訊ねた。
「関西でも関東でもどっちでもいい。第一志望は京都」

聡実はややソプラノの澄んだ声で応えた。
「若いうちは大都会に出たほうがいいね。昼間この街をあちこち散策してみたけど、活気が見られなかった。正月のせいもあるのだろうけど」
「地元の私にもよそよそしい街になりましたよ。企業は少し増えたように思いますが、他所から派遣などで来られる方も多く、ローカルカラーっていうものが消えました」
「日本中ステレオタイプになってきますね」
「高明君は卒業したら地元に戻ってくるの?」
「東京で就職したいです」
「じゃあ二人とも地元にいなくなるのか。お母さん、淋しくなるね」

そう言ってから、孝夫はワイングラスを口元で傾けた。
「仕方ありませんわ」
「案外飲みやすいワインだな。あなたも空けてください、何杯でも注ぎますから」

孝夫が佳恵の顔を見てそう言うと、聡実が、
「お母さん、アルコール強い」とにこにこ顔で言った。
「えっ、そうなの」

孝夫が驚いた風におどけると、
「聡実、お母さんの秘密ばらしちゃって」

と聡実を睨み付け、
「飲みやすいですね、このワイン。おいしい」と言った。
「それはよかった」
「とてもまろやかな」
「お母さん、私もちょっと飲んでいい?」

聡実は好奇心旺盛な顔で言った。
「模擬受けてきたから、リラックスするのに一口、二口はいいかな」

孝夫は言った。


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八雲立つ……57

2008-11-14 08:50:24 | 八雲立つ……

高邁(こうまい)な文学理論であっても、無頼派文学は自分の文学のために家族を犠牲にした。しかし孝夫は彼らのような真似はできないと思った。

また孝夫は鳩堂窯初代、二代の為してきたことが家族の犠牲の上に成り立ってきたことも知っていた。

両親による家庭とか家族の温もりに触れないで育った孝夫は、自分の文学活動よりも家族の維持を優先していた。娘二人を大学までは出しておきたいとも考えていた。

自分の創作にも確信が持てなかった。このままの状態でよいのか、文学を断念して暮らしのための金稼ぎに専念すべきではないか、一人思い悩んでいた。

そんなときに大学での学生運動で親しくなっていた梅林陽一が紅葉の京都に遊びに来た。彼は徳島の大学病院の内科医であった。

嵐山の旅館に一泊して旧交を温めあった。その折りに梅林は徳島に来て自分で進学塾経営をやってみてはとアドバイスしてくれた。細面の顔だが、医者らしい雰囲気があった。
「予備校講師ではそんなに収入はないだろうし、将来が不安定だろう」

確かにいまの予備校に勤めていては将来性がなかった。ここ四、五年大学への進学ブームに乗って、京都市内に大手の予備校がいくつも開校されていた。こうしたところに新規募集生を食われ出し、これまでの安穏とした経営からの脱皮を図らなければならなかった。すでに孝夫の予備校に大手予備校から傘下に加わらないかという提案が持ち込まれていた。

そうなると講師の地位も大手の意向でどうなるかもわからなかったし、まして孝夫の気ままな契約仕事は通用しなくなるのは、眼に見えていた。
「これからは高校生相手より、小学高学年から中学生を対象にした学習塾経営がやりやすいのでないか。それも補習塾でなく一流私立中学とか私立高校向けの進学塾経営や。うちの大学でも子供のいる連中が、徳島市内には子どもを医学部に合格させるような学習塾がないとぼやいている。流行ると思う。自分で経営せんと収入は増えないやろ、どうや」

孝夫はビールを飲みながら梅林の話に一理あると思った。
「奥さん、臨床検査技師の主任だろ」
「うん、去年からだけど」
「徳島に来るのだったら、うちの大学で働けるように道つけるよ」
「それはありがたいね」
「奥さんの考えもあることだし、奥さんともよく相談してみて」
「ありがとう。早いうちに結論出すよ」
「できれば来春開塾だと塾生募集の面でも軌道に乗りやすい。十名くらいの生徒ならぼくが口コミしておくよ。あと四十名ほどならダイレクトメールで集まると思うな。ぜひ出て来いよ。お前は都会より田舎暮らしが合うやろ」

梅林が徳島に戻ったあと、孝夫はこの話を律子にした。律子は、私の仕事先があるのなら徳島でも沖縄でも行くわよ、と屈託のない返事をした。そして、行くのなら早いほうがいいわよ、淑子(よしこ)を三学期から向こうの学校に転校させるつもりで。孝夫さんも開塾まで三ヶ月間ほど向こうで開塾の準備したいでしょ、と言った。
「春と秋、年に二回は京都一泊旅行、約束してね」
「ぼくも年に二回は京都に出たい。約束するよ。梅林が鳴門から淡路島には橋が架かっていると言っていたので、車で走れば二時間半くらいで淡路島の北端に着くそうだ。ここの駐車場に入れてあとは船で明石に渡り、そこから電車で京都、四時間半くらいだ」
「四時間半!徳島はやっぱり遠いのね」
「どうしても一泊、ゆっくりしたいときは二泊だな」

     *

昨夜佳恵に優柔不断だからと言ったが、この言葉にはぐずで即座に決断できないという意味以外に、断ち切ることのできない優しさ柔らかさという意味もあるのではないか、と孝夫は自分なりの自己分析をしていた。烈しいだけよりも優柔不断なほうが結論を急がず、よい場合も多い。

佳恵にしても信隆が亡くなって以後、子供三人を健全に育ててきた。浮いた話もなく地味に暮らしてきた。佳恵のような女ほどあるいは不変に烈しい女であることを、長年律子と暮らしてきて、孝夫には解るのだった。

律子と生きてきたからこそ、なんの不安、動揺を感じることもなく、学習塾を営み、平穏な暮らしをしてこられたのではないかと、律子が亡くなってから、二人の日々を思い出すたびに思うのだった。孝夫は地元の同人誌に参加していた。
「二人とも見合い結婚だったとは意外でした。じゃ佳恵さんは恋愛の経験なし?」
「そうなんです。大学を卒業して少し教師生活をして、なんの自覚もないうちに信隆さんと見合いして結婚」佳恵は屈託なく笑った。

きめ細かな色白の頬を紅潮させ、大柄な聡実が切れ長の眼に笑みをたたえ、ロビーに姿を現した。聡実の眼は佳恵の眼であった。
「待った?」
「十分ほど。自転車で?」孝夫は笑顔で言った。
「はい。通っている予備校、ここから近いんです」
「それじゃ全員揃ったので、レストランの方に行こうか」


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