喜多圭介のブログ

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八雲立つ……51

2008-11-12 08:53:11 | 八雲立つ……

     *

宍道湖が眼前に展がる地点で孝夫は車を降りた。
「本当によろしいのですか。家(うち)に来られてゆっくりとされては」

佳恵はハンドルに手を置いたまま、見上げる視線で孝夫の顔を覗き見た。
「ありがとう。寒くなったらホテルに戻りますので」
「そうですか。それでは七時前には子供達とホテルのほうへ」

佳恵の白い車は城山の方向に走り去り見えなくなると、孝夫は湖畔沿いの広い歩道を湖を眺望しながら歩いた。歩道は観光客用に周辺は整備されていたが、人の姿はなかった。二車線の広い車道を時折、車が走り抜けていくだけであった。

肌寒いほどではなかったが寒風が吹き、寒天色の宍道湖に白波が騒いでいた。湖畔の景観に子供の頃に宍道湖で遊泳した、夏の日々を思い起こしていた。しかし当時の風景はどこにも見当たらなかった。新しく植樹された松並木はまだ背丈が低くて風格がなく、宍道湖の景観に馴染んでいなかった。なんの記憶を呼び起こすこともなく、これでは京都散策のほうが気持ちが癒されると思った。

――律子、子供の頃に蜆採りに夢中になった宍道湖だよ。あの頃の砂地はなくなっている。ひどく無愛想になっている。何一つ楽しい思い出のない街だが、この街を訪れるたびに何かを探していたのだけど、なにもかもなくなった。……お腹が減ってきた。律子も空腹じゃないか。おいしい蕎麦屋があるけど行ってみますか?

胸の裡から律子が顔を覗かせ、いつもの悪戯っぽい瞳で頭を二、三度頷かせた。

湖岸沿いを離れると城山のほうに向かって歩いた。三が日の一日だというのに広い道路に途切れがちに車は走り抜けて行くだけで、歩いている人影を見かけなかった。孝夫が子供の頃の正月は戸外に初詣の親子連れの姿が多かったが、この頃はどうなっているのだろうか。車でそそくさと初詣を済ませ、家族揃ってテレビ番組に興じているのかもしれないな、と思った。

繁華街通りに入ってみたが閉めている店が多く、人の気配もなく閑散としていた。M市も他の地方都市同様に大型店舗があちこちに進出してきたせいか、旧商店街筋は歯抜けになったり、駐車場になったりと寂れた佇まいだった。これではM市を観光に来ても観光客は土産物をデパートや大型店舗、あるいはホテルの売店で買うことになり、M市特有の古い街の情緒に触れることもないだろう。

だが現代の若者に昔の街の情緒への関心は薄く、中年以上も若者の好みに迎合しているのだから、変貌して行くのもやむを得ないことかと、孝夫は先ほどの峰子や二人の遺児の面影を思い起こしながら、こんなことを考えたりした。

信隆の二人の遺児と義典の二人の遺児は当然とはいえ、やはり違っていた。信隆の遺児は佳恵に似て陽とすれば、義典の遺児は峰子に似て陰であった。信和叔父にとっては、どちらの遺児も公平に扱わなければならない孫たちであるが、叔父は信和の遺児たちは可愛がっても、義典の遺児には親近感を持たないだろう。それが叔父の性癖であり、孝夫の性癖でもあった。だから孝夫には叔父の好みはよく判断できた。信和叔父と孝夫の母親は気位や性癖が似ており、孝夫は叔父や母親のこうした性状に、嫌悪を覚えることが多かったが、自分の中にも類似したものが多くあることを認めていた。

信和叔父、母親、そして芳信叔父の生い立ちは暗すぎた。暗い生い立ちを引きずった人間は明を求めるものだ。脳天気な明ではないが、陰鬱からは遠ざかる習癖が身に付いてしまう。孝夫が律子を愛したのは、底抜けに近い律子の明るさと孝夫への信頼であった。猜疑の眼差しを孝夫に向けることは一度もなかった。

佳恵と峰子を対照しながらそれぞれの遺児を観察すると、明らかに子供は母親によって作られることの、実証を得た思いであった。

長男の大学二年の高明は、佳恵の話では人間関係で内に籠もるタイプで、先が心配だと言った。昨日短い時間に逢った孝夫の眼から見ても、一見神経質な暗い面がなくもなかったが、目元が涼しく好ましい青年に思えた。叔父はいずれ本家を継ぐ高明を好んでいるようであった。

孝夫は自分が叔父に好まれているのは楽天性ではないかと思っている。胸裡には暗鬱なものを潜めていたが、それでいて心底から暗くはなれなかった。

高明に比べると義典とこの大学一年生になる長男重成のほうが気になった。高明より聡明な顔立ちであったが、神経質であることが明瞭に読みとれ、喘息の持病があった。

弔問に訪れたとき、昨夜は重成が急性胃炎か何かで急に苦しみ出し、救急車を呼ぼうかと迷ったがなんとか納まった、と峰子は佳恵に話していた。義典の突然死で長男として葬儀、初七日、四十九日と仏事の緊張の心労が胃にストレスをもたらしたのだろう。孝夫は高明と重成に信和叔父、芳信叔父の悪しき関係の招来を予感した。


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