喜多圭介のブログ

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八雲立つ……52

2008-11-12 14:17:28 | 八雲立つ……

叔父が本家と分家の遺児を公平に扱っても、本家は本家、分家は分家であろうし、この点では冷徹な叔父の考えは本家筋の考えの持ち主だから、義典の遺児二人を信隆の遺児二人とは同等に扱わないだろう。義典の遺児二人を可愛がる感情を、叔父が持てないことを想像できた。

孝夫は昨年の夏、仕事上の知人とM市を訪れたときに入った、堀割沿いの蕎麦屋に向かって歩いていた。正月だから閉まっているかもと思案していたが、店の前にコート姿や着物姿の若い女たちが群れていた。

孝夫は暖簾を分けた。店内に暖かな空気が籠もっていた。ここだけが観光客、帰省客で盛況で話し声で賑わっていた。土塀に囲まれた広い内庭に山茶花、椿に混じって棚に盆栽が並んでいた。店員は孝夫を一人と見て取って二人用のテーブルに案内した。孝夫をメニューを開いた。

――律子、どれにする。ここのはどれを食べても蕎麦が旨い

孝夫は胸の裡の律子と相談してから、割子蕎麦を注文した。

正月一人で蕎麦を食べている自分を、孝夫は侘びしいとは思わなかった。いつ死んでもいいと覚悟を決めている孝夫は、近頃、寂しさとか侘びしさとかの感情が希薄になっていた。一日長く生きると一つの虚しさを拾ってしまう、こんな気持ちのほうが強かった。胸の中にいる律子に語りかけることで、なんとか一日一日を生き延びている気持ちだった。

一つの割子蕎麦を律子と食べている気持ちでいた。こんな旨い蕎麦を律子にも食べさせられたのでM市に来てよかったか、と思った。京膳を二人で食べていたときは、お互いに別なものを注文し分け合って食べたが、律子は自分の膳のものを箸で摘んでは孝夫の器に置いた。孝夫が旨そうに食べているのを、いつもの悪戯な瞳でじっと眺めていた。

蕎麦屋を出ると、もう少しこの附近を散策してみようと、様子のわからなくなった町並みを先に進んだ。途中で何度か道に迷ったが、城の堀割に沿って歩いた。下着を二枚重ね着していたので、暖冬で躯が汗ばんだ。歩いてみて改めてM市に昔の懐かしさが喪われていることを感じた。表通りの家並みが新建材で立て替えられ、記憶にある目印の建物は一軒もなかった。道を歩いているおとなの姿もなければ、広場で遊んでいる子供の姿もなかった。

孝夫は腕時計を見た。ホテルに戻っても佳恵親子を招待している夕食時間には四時間ほど時間が余っていた。ほとんど車の走らない大通りに出て所在無く佇んでいたら、昨春の芳信叔父からの聞き取りにくい電話の内容が脳裏に浮かんだ。

     *

「菩提寺の墓を移転したがね。あそこはあんたも知っているように日陰で水捌(みずは)けが悪いが」
「どこに移したのですか」
「ずっと上の高台に墓土地があったけん、買ったがね」
「もう墓はそっちのほうに?」
「移した。兄貴からは一円も出してもらっておらんけん。わしが全部したでぇ」
「知らせなかったんですか」
「知らせんでも兄貴にはわかっとる筈じゃけん。我が親の墓詣りもせんがね」
「そうですか」
「兄貴は罰当たりなことばかりしとるけん、ろくな事が起こらんわね。長男は早死にする。兄貴の躯はがたがたになっちょる。この点、わしは婆さんが見守ってくれとるのか、先だってもなぁ、こっちの放送局がテレビの取材に来たぜ」
「なんの取材にですか?」
「わしが布袋さんを作っているやろ、それを撮影させてくれと。話を聞かせてくれと言うので、スタジオにも行ったぜ」
「対談ですか」
「そうじゃがね。わしゃ喋るのが苦手じゃが毎日テレビ観とるけん、少しはなまりがとれたけん」
「あっそうですね。布袋さんを焼き始めて何年になりますか?」
「八年ほどになるじゃろか。あんたにもやらなあかんとええ物は横にのけておるけど、あんたは忙しいのかこっちに来んけんのぅ。公民館や小学校にも寄贈したけん」

孝夫はM市に何度か訪れていたが、本家に顔出ししても芳信叔父の家には、二十年前に長女を連れて訪れて以後、顔出ししていなかった。戻って来るたびに叔父にわからないようにして菩提寺を訪ね、墓詣りはしていた。
「それじゃ叔父さん、テレビ出演までしたらM市の名士ですね」
「地方のテレビ局じゃけん、名士というほどでもないわね」
「それでも叔父さんのしていることが世間に認められてよかったですね。鳩堂窯の話もされたんですか?」
「アナウンサーに訊かれたけん、少しは話したけん」
「よかったですね、M市の人達に鳩堂窯のことが知られて」

孝夫は路上を歩きながらタクシーを停めることを考えた。時間があるからタクシーで菩提寺の墓詣りを思案した。どこに移転したのか確認しておこうと思った。


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