「ねぇ、私のために、雨はふると思う?」
唐突に言い放ったユカリは僕のほうを見ると、ため息をついた。なきそうに潤んだ目が僕をみつめてゆれている。ユカリは何故雨など気にするんだろう。
「僕は、遠い空からふった雨が、ユカリの頭の上に落ちるのなら、それはユカリのための雨だと思う」
ユカリの頭。黒くて長くてさらさらの髪。それが雨にうたれたら。それはとてもきれいだろう。
「バカじゃないの?だいたい、何度言ったらわかるの?僕、なんていわないでよ。気色悪い。あんた、女でしょ?」
ユカリが僕をののしるとき、僕は僕でなくなる。
ユカリに、「僕なんていうな」って言われるとき、僕は僕でも私でもなくなる。
私という一人称をつかっていた頃、(一人称がややこしくなるから、ここでは自分のことを名前で呼ぼう)カナコは幸せだった。幸せだと思っていた。
それが変わったのはユカリにであったからだった。
ユカリは「ふあんていなこども」だった。
9才のユカリの髪の毛は腰まで伸び、まるでおひめさまのようだ、とカナコは思っていた。
ユカリは美しかった。
美しくて、わがままで、残酷だった。
カナコは醜かった。
その醜さが、事故などによってではなく、生まれつきのものであることも、カナコがユカリにコンプレックスを抱く理由の一つだった。
カナコはやさしい子供だった。自分でもそう思ってる。
見えているのかどうか判らないような細い目で笑いかけ、歪んだ唇でやさしい言葉をかける。
自分の顔をはじめて鏡でみたときから悲しかったから、悲しい人の気持ちになることなんて大得意だった。
ユカリはわがままで、周囲の子供に嫌われた。でも、すぐに信頼を取り戻した。
それぐらい、美しかったということだ。
ユカリはカナコを嫌った。多分、今でも。
カナコが12になったとき、ユカリはいった。
「死になよ。なんで死なないの?だいたいさぁ、そんな汚い顔、どうしようもないじゃない。これで洗ったら?あげる。バースデープレゼントだよ」
そういうと、ユカリはカナコに瓶をひとつ渡した。うらに小学校の名前と、「理科室」と書いたシールがはってある。
「硫酸だよ」
そういうと、ユカリは笑った。この世のものとは思えない、美しい微笑み。
カナコは硫酸のビンを持ったまま走り去った。
その日の夜、ユカリは事故でその美貌を失った。
残ったのは、ゆがみきった性格と、美しく黒い髪だけだった。
それからユカリはカナコとよくいるようになった。
中学に入ってすぐ、カナコが早く学校に来すぎて、机に突っ伏して寝ていると、教室に二番目に入ってきたユカリが、筆箱からはさみを取り出し、カナコのセミロングの髪を切り落とした。
すこし茶のかかったぼさぼさの髪はあまり好きでなかったカナコは、一瞬だけ、ふわりと空に浮き上がるようなふしぎな感覚を感じた。
でも、すぐにその浮遊感は憎しみとなり、細い目はユカリをにらみつけた。
ユカリは笑っていた。なきそうにも見えたし、恍惚としているようにも見えた。ユカリはカナコのかばんの中に、もうぐしゃぐしゃの髪の毛を詰め込み、自分の席にゆっくりと腰掛けると、本を読み始めた。ユカリはドストエフスキーが好きだった。
その日からカナコは、僕になった。
中学で二回目の冬、ユカリは叫んだ。
「カナコ、聞きなさい!整形よ!整形手術よ!」
ユカリはまたもとの美しいユカリになった。僕は僕のままだ。
しかし、ひとつだけ変化があった。
元に戻ったともいえるユカリは穏やかな少女になっていた。
メランコリックになっていかにも少女らしい考え事をするユカリは、天使みたいだった。
けれど、僕が自分の事を僕といったときだけ、昔の残酷なユカリになる。
カナコが僕になった日のことを、思い出すのかもしれない。
天使のようなユカリは、あの日のことをどう思っているのだろう?
二人で学校から帰っていた。誰もいない公園を近道のために歩いていた。
「ねぇ、ユカリ、雨をふらせてあげる。ユカリのための、雨を」
そういうと、僕はユカリに雨をふらせた。
12のときユカリに渡されたのよりずっとずっとたくさんの濃い硫酸が入った瓶。
それを右手で握り締め、左手で蓋を開け、ユカリの黒くてさらさらの髪に、顔に、腕に、胸に、脚に、雨をふらせる。
ユカリがうめく。くろくてさらさらのかみ。すらりとしたからだ。かわいいおかお。きれいなゆかり。きれいなゆかりみにくいぼくぼくぼくぼくぼくぼくみにくいみにくいみにくいみにくいぼくぼくぼくぼくゆかりゆかりゆかりゆかりがないているぼくはわらっているわらっているのはわたしわたしわたしカナコカナコカナコみにくいのはわたしわたしカナコカナコぼくぼくぼくぼくぼくぼくぼくぼくぼくユカリユカリユカリユカリユカリユカリ。叫ぶユカリ大すき大好き大好きだいきらいにくいころしてしまいたいでもだいすきだいすきわたし、嫌い大きらい大きらい大きらい殺してしまいたいでもだいすきだいすきだいすきだいすきあいしてるあいしてるこれはあいだ。らぶだ。あいだあいだ
「私、あんたのこと、あいしてる」
そう、ユカリに言うと、私は夕焼け赤く染まる公園を走り去った。
★☆★
これは、わたしが中二のときにかいたお話です。
いま読むと、は、はずかしいー。こんな話ばっかり書いてました。なんつーか、あれですな。ストレスたまってたのですね。
わたしのひそかに愛するシリーズ、
きくさんの記事
と、そのころからの貴重な読者
Kenさんの記事(と、いうよりも当時のわたしに読ませてやりたい記事です。そしたら今ももうちょっとましな文章がかけただろうに)
いや、これからがんばります。うわお!
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ひかれるかなー。結構こわごわの記事です。