志賀高原 たかまがはら温泉 白樺林の温泉露天風呂の宿

記事並びに写真は著作権法に基づき保護されております。転用や引用は固くお断り致します。

忘年会

2007年12月06日 18時18分56秒 | Weblog
一週間の唄で紹介致しました。
忘年会です。
私も末席にお邪魔致しております。
山ノ内町で一番大きい忘年会です。
各界の名士と山ノ内じゅうの芸者さんが集まります。
このクラスになりますと、結婚式のように
席表が印刷して配られます。

因みに 観光協会や旅館組合は忘年会や新年会
また総会の後の懇親会有りません。
考えて見れば フシギです。いま思ったのですが

忘年会 後3つ 持つか?
体ではなく 私の財布!!

呑み代もですが 帰りの運転代行やタクシー 福沢さん1まい掛かります。
因みに場所は 白銀城の対決の 宴会シーンの撮影場所です。
当時と変り有りません。

ブルドーザー整備

2007年12月06日 10時40分05秒 | Weblog
ブルドーザーにも車検のような検査が年に1回有り
本日 整備 検査に来ました。毎年遅くなって来ています。
実は 長野県の土木業界 大不況で土建屋さん倒産のニュース
毎日 新聞に出でいます。 当然 ブルドーザー屋さん(重機メーカー)も
暇になり 合理化で人でを減らし小人数で整備を行うので
毎年来るのが遅くなります。
本当は雪が降る前に 行うのが理想ですが!!

しかし このまま中小の土建屋さん倒産が相次げばどうなるのでしょうか?
長野県内の中小ゼネコン無くなる
大手ゼネコンに仕事が行く
大手ゼネコンは 経費が掛かるので 安く 下請けや孫請けに仕事をだす。
下請け孫請け大赤字になるので 手抜き工事をする
ろくな物が出来ないで、下請け孫請けも倒産する
負のスパイラル 無限ループが続きます。
こまったもんだ!!

お山の上にいても 意外と下界の事 判ります。

12月6日

2007年12月06日 09時17分50秒 | Weblog
天気 快晴 気温-10度
ドピカーンの快晴です。
でも 高天ヶ原クワッドリフト取り合えず土日のみの営業です。
訳は知っていますが掛けません。リフト会社も非常に厳しい経営環境

昨日のナイターコメント有難うございました。
早速Blogネタにしたいと思います。
本日はPIW局のお母様が滑られた レオナードコースについて
書いて見たいと思います。 名前からして たぶん おふらんす人の
名前だと思うのですが先程 分厚い志賀高原スキー史 斜めに読んだだけでは
名前の由来の記載が有りませんでした。
昭和30年代位まで 現在のサージータンク(川原小屋ジャイアントの分岐の手前)
左より上林までのスキーコース レオナードコースが有り
過去に歴史に残そうと有志が集まり、お年寄りに聞いた事有ります。
有る人は 山の尾根づたいだと言い、別の人は 坊平にジャンプ台が有って
と色々な 思いで話しをお聞きしました。志賀高原スキー史には昭和10年の坊平(志賀高原に登る途中の大きく張り出した橋の周辺)
にスキー場が有りジャンプ台も有り 又茶屋が写った写真が有ります。
当時の事ですからリフトも無く また道路も除雪がして無く 歩いて登り滑ります。
またサージタンクの横には10年位前まで大同特殊鋼の保養所が有り昭和15年の開設ですから
当時としてはスキーコース上部に位置していたと言う事になります。
当時有志の結論としますと、山スキーの延長 ツアーコースの為
サージタンクから上林のスキー場まで滑るコースがレオナードコースと言う
結論に達しました。本当は冬スキーを履いてコースに目印をつける予定でしたが
木々も生長し現在は滑走は難しい状況になっています。
昭和30年代に渋温泉よりサンバレー手前の旭山にロープウェイを掛け
レオナードコースをスキー場にしようと考えた方がおります。
初代の法坂リフト(サンバレー)の春原さんです。
本人の自叙伝にも書かれていたのですが 長野電鉄の反対に合い断念したそうです。
当時長野電鉄も冬季間志賀にバスを走らせ 競合する為
因みに、なぜ春原さんがリフト会社を始めたかと言うと 実は 丸池リフト(現在のAコース横のパラペアの第一リフトの箇所に 日本一番早く掛けられたリフトが有り、戦後進駐軍の命令で掛け のち長野電鉄に払い下げ)
当時リフトの行列 丸池観光ホテルの先 最後尾現在のエッソのスタンド位まで並んで
いて、当時 リフト券 現在のように日券や回数券は無く 全部1回券で
当時の事ですから1回 現在の1000円位した為 リフト乗り場で
お札を踏んづけてボテ(竹で編んだかご)に入れるのを見て 儲かると始められた
そうです。(この事は自叙伝には書かれていません 御子息からお伺いした話です。)

そんな分けで、過去には丸池から上林までのスキーコース有りました。
PIW局のお母様は たぶん 当時のブルジョア 上流階級に いらしゃったと
想像できます。
明日は、くに~さんの東館空中ケーブル志賀山リフト物語を書きます。
ネタが有って良かったです。
最近 文が長いって はい 私 自叙伝書くほど 偉くない者で・・・
せいぜいBlogが精一杯・・・
きっと終焉が近づいているのかも知れません。虫の知らせで・・・

憎まれっ子世にはばかるって・・・はい