どこかにバファリンか今治水一年分が当たる懸賞はないでしょうか。
私は詩のことがよくわからないのだが、短歌というのは短い詩のようなものだとは何となく思っている。ちょっとそれを詩だと言い張るには必ず何かが不足する短さ(理由は短さだけじゃないけどおもに短さ)、だと思うのだけど、でも短歌が「歌」だとはやっぱり思えないという消去法もあってのどちらかというと詩、という判断である。
現代詩に私が苦手意識をもつ理由の一つは現代詩がどれも長すぎるように感じるからで、できれば見開き二ページ以内、本当は一ページで収まるくらいの長さだったらもっと読みたくなるのにと思う。ページをどんどんめくって詩の続きを読む、というのは凡人にはハードだと思う。ついつい早く終わらないかなと考えてしまう。短歌は逆に短すぎるのだが、この短さがルールなんだからと早々に諦めてしまえるために、世の中の映画の上映時間やマンガの連載期間などをついつい長くしてしまう力の影響から短歌だけは断ち切られていられるのだろう。やはり短いものは何か物足りない、十分ではない、欠けている、と作り手側も受け手側もみんな感じているのであって、それは小説ならみな長編ばかり読みたがって短編は不人気、ということであり、私たちは短いものがあまり好きではないのだ。
だがこの「私たち」には私は入っていない。私はなるべくなら何でも短いほうがいいと思う。もちろんみっしり充実してゆがんだ短さであることが望ましいが。
画家の
玉野大介さんのサイトにはたくさんの作品がアップされていてそれらすべてに詩のような短いテキストが添えられている。このテキストが私が詩に望む理想的な長さ、というか短さであるばかりか、どの絵についたテキストも一つ残らずすごくいいので、私が何か言語的な刺激が今すぐ脳にほしい、と思ったときに読みにいくサイトの筆頭的なひとつです。
あと、絵とセットになっていることもいいんだと思います。詩は短くて絵とセットになっていることが望ましい、と私は感じているかもしれない。短歌もそのようなものであるべきだと、本当は感じているのかもしれません。