喜劇 眼の前旅館

短歌のブログ

訃報

2009-01-26 | 短歌について
笹井宏之さんが急逝されたという報に接し、驚き、とまどっていています。

数年前歌葉の候補作で笹井さんの作品に初めて触れたとき、一読してこの人が受賞するだろうと確信しました。それくらい飛びぬけていたし、今までに見たことがなく、圧倒的でした。
「風通し」の連作歌会で作品を評する機会を得るまで、私は笹井作品を読むこと、評することを意識的に避けていたところがあります。
自分には絶対手の届かないものを易々と掴んでいる(かのように見える)天才に嫉妬し、その存在に触れることを怖れたということもあります。またそんな天才が今この時代の短歌というジャンルに登場したという、ほとんど不条理ともいえる事態から目を逸らしたかったということもあったと思います。
天才という形容が笹井さんほどふさわしい人はいないでしょう。それはべつだん賞賛のための言葉ではなく、ごく平熱の意識でも誰もが自然に笹井さんを天才だと思っている。それも「短歌の」という限定をつけずに。そんな才能が今この時代に短歌という場に現れたことの意味を、やはり誰もが受け止めかね、とまどっているところがあったという気がします。ただ魅了されているだけでは済まない、何か語らなければならない、でも言葉の見つからない何かがここにあるのではと。


http://jiro31.cocolog-nifty.com/waka/2009/01/post-68f6.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20090125-OYT1T00725.htm


すべてはもともと、私たちの側の問題だったのかもしれない。
けれど私たちの側だけ、の問題ではなかったという状態がほんの数日前まではあったのです。そのことについて私の考えたことが、その大きな謎のもっとも近くにいる人の目にふれるかもしれないという、失うまでは幸運と気づきもしない奇跡のような状態が。



笹井宏之さんのご冥福をお祈りします。

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