客先訪問で許昌という町に行った。
どこかで聞いた場所だと思って調べてみると、三国志で有名な場所だった。
魏の曹操の出身地で、一時関羽雲長が主君の劉備玄徳と離れ離れになって
曹操の基に身を寄せた次期があったが、それがこの許昌だったのだ。
街には色々三国志に関する遺跡やらモニュメントがあるらしいのだが、
そこに寄っている暇は当然なく、半分諦めていた。
昼食を取ったレストランには代理店が予約を入れていたらしい。
しかし席が無くて急遽少し大きめの個室に入れて貰えた。
食事が終わって席を立とうとしたら、壁一面に昔の衣装を来た中国人の絵が。
どこかで見た絵だと思いながら部屋を出ようとすると、そこには「丞相府」の
文字が。魏の丞相と言えば曹操孟徳であり、となると先程の絵は曹操のもの。
少し待っていて貰い、写真をとらせて頂いた。
俺も丞相府で食事が出来るようになったといったら笑われた。
玄関にはお決まりのように関羽の像が。
関羽は死後商売の神様になったから、こんなふうに飾る店も少なく無いが、
昔の魏、曹操の名前のついた部屋のある店に飾られているのをみると、
何かの縁を感じたね。
どこかで聞いた場所だと思って調べてみると、三国志で有名な場所だった。
魏の曹操の出身地で、一時関羽雲長が主君の劉備玄徳と離れ離れになって
曹操の基に身を寄せた次期があったが、それがこの許昌だったのだ。
街には色々三国志に関する遺跡やらモニュメントがあるらしいのだが、
そこに寄っている暇は当然なく、半分諦めていた。
昼食を取ったレストランには代理店が予約を入れていたらしい。
しかし席が無くて急遽少し大きめの個室に入れて貰えた。
食事が終わって席を立とうとしたら、壁一面に昔の衣装を来た中国人の絵が。
どこかで見た絵だと思いながら部屋を出ようとすると、そこには「丞相府」の
文字が。魏の丞相と言えば曹操孟徳であり、となると先程の絵は曹操のもの。
少し待っていて貰い、写真をとらせて頂いた。
俺も丞相府で食事が出来るようになったといったら笑われた。
玄関にはお決まりのように関羽の像が。
関羽は死後商売の神様になったから、こんなふうに飾る店も少なく無いが、
昔の魏、曹操の名前のついた部屋のある店に飾られているのをみると、
何かの縁を感じたね。