そして今までのニュース報道などを総合してみると、今回の「震災地訪問外交」の仕掛人は間違いなく中国の温家宝首相であることが分かる。彼は5月初旬の早々から「日本の震災地へ行く」と自ら決めて、外交筋を通じて日本側に強く働きかけてその訪問の決定にこぎ着けた、という経緯がある。韓国の李明博大統領の場合はむしろ、この「温家宝工作」に巻き込まれてやむをえず付き合っていくことになった、という観である。
そこでの問題は、当の温家宝首相は一体何のために、日本の震災地の訪問にそれほど「熱望」して固執しているのか、である。
日本政府のそれとは大いに違って、中国首脳の外交行動の背後には常に戦略的計算があることは世界的常識ともなっているが、実は、上述の「温家宝工作」によって実現される予定の「震災地訪問」にも、このような冷徹な戦略が働いているのではないかと、私は見ているのである。
そのキーワードの一つはやはり「尖閣」である。
去年の秋に、尖閣諸島付近の海域で中国船の日本領海侵犯事件が起きた。そのとき、中国政府が日本にたいしてあまりにも理不尽な恫喝的な態度と一連の制裁措置をとったことの結果、日本国内の対中感情がそれまで以上に悪化して、中国の軍拡と野望にたいする日本国民の警戒心が急速に高まった経緯がある。
中国にとって、それはやはり、「しまった」と悔やむほどの好ましくい事態であろう。海を制覇する中国の長期戦略が緒についたばかりだから、
早い段階での日本国民の対中警戒感の高まりはその戦略推進の大いなる邪魔にもなりかねないからである。そのために、中国政府は何とかして尖閣事件の「悪影響」を払拭して日本国民の中国に対する警戒心を和らげてそれを取り消そうと考えているが、5月の日中韓首脳会談開催の前に東日本の大震災が起きたことは、中国にとってはむしろ好機到来となっている。
今回の日中韓首脳会談は最初から日本での開催となっているから、これを機に温家宝が来日するのもごく自然のことだし、来日を機に「震災地訪問」を言い出すのも別に怪しまれるようなことでもない。そして中国の首相は自ら震災地を訪問して日本の避難住民と親切に接して激励するような場面がテレビを通じて日本中に流されていると、日本国民の対中警戒感の解除」という企みが楽々と成功できることを、当の中国政府はよく知っているものである。
言ってみれば、「震災地を訪れて尖閣を忘れさせよう」というのはまさに温首相による震災地訪問の目的の一つであろうが、実は、それと関連して、温首相にはもう一つの隠された意図があると思う。
今回の東日本大震災後の救助・復興活動において、アメリカ軍の展開しているトモダチ作戦が大きな成果を上げて日本の被災者を大いに助けたことになっている。その結果、日本におけるアメリカ軍の存在感が今まで以上に大きくなって、日米同盟は今まで以上に強化されたことは周知の通りだ。しかしそれは、隣の中国にとって実に「不愉快」な光景なのである。東太平洋の海を制覇する戦略を着々と進めている中国にとって、東アジアにおけるアメリカ軍のプレゼンスと日米同盟の存在は何よりの邪魔者であるから、中国からすれば、いずれか日米同盟が解消されてアメリカ軍が日本を含め東アジア各国から撤退してもらうのは一番良い結果である。
しかし今、まさに震災中でのアメリカ軍のトモダチ作戦の展開によって、事態はむしろ中国の望む方向とは正反対の方向で進んでいることになっているのである。
中国からすればそれは当然面白くはない。何とかして劣勢を挽回したい気持ちは山々であろう。
そこで、温家宝首相による日本の震災地の訪問は、中国にとっての「失地回復」の絶好のチャンスとなるのである。アメリカ軍が確かに震災地で活躍していたが、アメリカの首脳はいまだに一度も、震災地を訪問したことがない。それはまさに、温家宝首相にとっての出番なのである。中国国内で「映画スーパースター」との異名を持ち、涙と笑顔ならいつでもいくらでも出せる名演技の持ち主だから、彼は今回の震災地訪問で一体どう振る舞うのかが想像できよう。
おそらく彼は、日本の被災者の手を取って涙を流すようなパーフォマンスを至るところで演じて見せながら「中国人民と中国政府の好意と友情」を吹聴するのであろう。そうすることによってアメリカ軍にとってかわって中国の存在感を大きくして「米国よりも中国」という印象を植え付けるのはまさにその目的である。
言ってみれば、アメリカ軍のトモダチ作戦に対抗して、得意の「ナミダ作戦」を展開するのはまさに震災地訪問における温家宝首相の一番の任務なのである。
中国の隠された意図は結局このようなものであろうが、後は、温家宝首相の涙に騙されることになるかどうかは、まさに日本国民次第なのである。