「原理講論」の誤解と正解

「原理読み」の「原理知らず」

金東俊教授の指摘(3)「怨讐」と「恩讐」

2024年02月14日 | 資料

■ 金東俊神田外語大学名誉教授(文学博士。NHKハングル講座元講師)との質疑応答。
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質問者:日本語聖書で「汝の敵を愛せ」と言う所が「敵」と言う字で訳されておりますが、韓国語聖書では「怨讐」となっております。

金教授:「怨讐」は「仇」です。「敵」と言うのは戦争によって国と国との憎しみ、そういうような広くて大きい意味。とにかく個人ではない。「怨讐」は個人的な憎しみ、そういうときに使います。

質問者:いわゆる「親の仇」のような?

金教授:そうです。

質問者:「おんしゅう」と言うと日本では「恩讐」という字が有名です。これは全く違う意味ですよね。

金教授:違います。これは「恩及び讐」と言う意味。

質問者:日本に於いて「怨讐」という言葉を余り使わないため、間違って「恩讐」と言う字を使ってしまうことがあります。

金教授:これは意味が全然違う。

質問者:「汝の恩讐を愛せ」と言ったら通じませんよね。

金教授:通じない。先ず韓国語にはこういう単語(恩讐)はない。あるとすれば漢文的に「恩及び讐」という意味。

質問者:「恩とうらみ」と言う意味ですね。

金教授:そうそう。

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