「原理講論」の誤解と正解

「原理読み」の「原理知らず」

「総序」の要修正箇所

2021年05月27日 | 検証・解説

[リンクサイト] 原理講論<要訂正・補足箇所> 「総序」

[001]「存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない。したがって、このような矛盾性をもつようになった人間は、正に破滅状態に陥っているということができる。ところで、このような人間の矛盾性は、人間が地上に初めて生を享けたときからあったものとは、到底考えられない。なぜかといえば、いかなる存在でも、矛盾性を内包したままでは、生成することさえも不可能だからである。もし人間が、地上に生を享ける以前から、既にこのような矛盾性を内包せざるを得ないような、運命的な存在であったとすれば、生まれるというそのこと自体不可能であったといえよう。」

★ この部分は全て不要。

 →「善なる神が善悪双方を志向する存在を創造される筈はない。」に変える。


[002]「人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである。」 
          (인간의 이러한 파멸상태를 일컬어 기독교에서는 타락(墮落)이라고 한다.)
    =人間のこのような破滅状態を別名、キリスト教では、堕落という。

★これがキリスト教に於ける「堕落」という名の定義ではない。正しい定義は → [資料] キリスト教用語の定義「堕落」

 →「これは人類始祖の堕落によってもたらされた結果である、とキリスト教では説くのである。」に変える。


[003] 「人間は、このように堕落して自己破滅に瀕しているということを知っているがゆえに、邪心からくる悪の欲望を取り除き、本心から生じてくる善の欲望に従って、一つの目的を指向することによって、それ自体の矛盾性を除去しようと、必死の努力をしているのである。」

★旧日本語版「神の目的」を韓国語版「一つの目的」に替えたために意味不明の文章になっている。
 韓国語の「하나의 목적(一つの目的)」はそのまま「하나님의 목적(神の目的)」に通じるので理解出来るが、日本語では「神の目的」と書き換えなければ理解出来ない。

 →「一つの目的」を元の「神の目的」に一旦替える。

★特に信仰を持っていない人間は「神の目的」と明確に意識して指向しているのではなく、自然に涌出る良心に従って自分なりに「善」と思う生き方を指向しているのである。
 というのは「善」と思って行動していることが必ずしも神の目的に適っているとはいえない、或いは反目していることが往々にしてあるからだ。

→「一つの目的(神の目的)を指向する」を最終的に「善を指向する」に変える。


[004] 「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」。

★文鮮明師は生前「私の最後の仕事は『原理』(原理の最終本)を書くことだ」として、 その執筆を李相憲氏(「勝共論」「統一思想」著者)に任せていた。(未刊に終わる)
         → 原理講論に書かれていないと言われた御言葉
         →「蕩減復帰原理」 李相憲氏の定義
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           【INDEX】

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