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玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

尼の発音は に  サンスクリットを漢字表記しても

2022-03-18 07:09:00 | 古代
第四代の神々

埿土煮尊
埿土、此云于毗尼
沙土煮尊
沙土 此云須毗尼
亦曰埿土根尊
沙土根尊

読み方は どちらの神も 尼 なので
公式には 男神
本当は 女神

尼は に と発音する
サンスクリットに基づくので
 ーーーにーーー
以外の発音は 伝承の過程で変化した

尼について ウィキペディアでは
ーーーーーー
ーーー本来は比丘尼 (サンスクリット:bhikṣuṇī)のことであり、
男子の出家修行者(比丘=びく)に対して、
女性の出家修行者をいう。ーーー
ーーーーーー
ーーー「あま」という日本語の読みは
母や女性一般を意味するパーリ語の
アンマー(ammā)から来たと言われる[1][2]。ーーー
ーーーーーーー

女神が 中心部を構成していた
当時 最高の教養を持つ日本書紀編纂者には 
女性の出家修行者の集まりのように考えられた

サンスクリットのbhikṣuṇī ビクスニ
比丘ビク 于毗尼ウヒニ  須毗尼スヒニ

bhikṣuṇī を分解して 構成
于毗尼 須毗尼 と呼ばれる
男神 女神 となった

サンスクリットまでさかのぼれば 
尼は に と発音する
チ ヂ は後世の
漢字表記に基づき変化した発音とわかる

中心部は 女神
外側から見ると 男神

尼 と水を表す さんずい で
泥 となるが 何をされていたのだろう
埿 煮 ーーー
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神代三代 川 海 野 の中に果樹や水田 稲はまだ

2022-03-16 22:57:57 | 古代
神代七代の神々 初めの三代は

国会図書館様HPより
ーーーフリガナは省略ーーーーー
ーーーーーー

第一代
國常立尊
亦曰國狹立尊

第二代
國狹槌尊
亦曰國底立尊

第三代
豊斟渟尊
別名を
亦曰豊組野尊
亦曰豊香節野尊
亦曰浮經野豊買尊
亦曰豊國野尊
亦曰豊囓野尊
亦曰葉木國野尊
亦曰見野尊
ーーーーーーー
ーーーーー

第一代は 狭いの字 川辺を連想
第二代は 狭いの字と 底の字 海 入江を連想
第三代は 豊か 水をためる 水田を連想
豊國野尊 のお名前から
豊かな野 木の実 を連想 
別名が多いことは
各地で活躍された

混沌とした宇宙に
神が生まれ 三代で
小規模ながら水をためて
稲作は まだだが
稲と違うものを作っている
穀物が生まれのは 五代先
天孫降臨の八代前にして 
すでに 水田らしきもの

何を作っていたのだろう
それとも 魚の養殖か 何だろう

野に植えた果樹も 豊作
野草も 食べきれない
穀物以外の栽培植物で
水をためて
養殖らしきもの 結果
豊かな國


再び 国会図書館様HPより
ーーーフリガナは省略ーーーーー
ーーーーーー

別の一書曰くでは

第一代
可美葦牙彦舅尊

可美此云于麻時
(読み方   可う 美まし と言う)
彦舅此云比古尼
(彦ひこ 舅ち と言う)

第二代
國常立尊

第三代
國狹槌尊
ーーーーーー
ーーーーー

可美葦牙彦舅尊
舅 を 尼 と言うのは 
なぜか
本文は
三代まで独身の男神
だが 呼び名は

彦舅を  比古尼と読む 

と記述されているので 女神だ

公式には
男神
本当は
女神
こういう伝承が伝わっている地方
今も あるのかどうか
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あてはまらないことも

2022-03-09 01:14:24 | 古代
高天原の田 どれも美田 と思う
ところが どうしようもない田もある
所有者はなんと 三貴神のうちの一貴神
と言う 考えられない 物語の 設定
それだけでも だれかに悪さされている と想像してしまう
姉の天照大神の田も 荒らされるので 弟のせいにされた

天照大神は統治者 
そういう所有者の田を荒すとは
どういう身分の荒らし屋なのか
弟のスサノウノミコトを罰することはしないで
引きこもってしまった
罰を与え 
追放したのは 神々
話し合いの結果での 厳罰
本人不在かな
これじゃあ 二度と戻れない
少し考えると 怖い話

統治すれども 強制力を持たない
代わりに神々が 
合議制で強制力を代行している
行使するときは 全員一致が原則
たとえ 間違っていても 実行
味方の神は いなかったのか
貴神から 一気に 転落
すごい話
間違いがわかるのは 歳月 時間の経過

緑化の神様 後になってわかる
苗を植えて 1本の使える木になるには
何十年 太いのは 何百年
こうなると 当事者はいない
が スサノウノミコトの業績は 語り継がれた
山を見れば 木々は
スサノオノミコトのヒゲなどの
生まれかわり

スサノオノミコトは
個人の判断で 統治をうまく行った
強制力も持ったことが
オロチ退治が成功したことでわかる
一刀両断だ

スサノウノミコトから5代目の 大国主命
引退して 高天原の統治下に
話し合いで
その時 高天原の神々は 
5代前のことをはたして

各地を平定する時 高天原では
誰をつかわすか 話し合いで決定
次々に平定していった
その地方の統治者は引退 
地方は高天原の統治下へ

逆らうのは 中間管理的な地位にいて
職務を手放さないので 
香取鹿島連合に駆逐された
政策は 大多数の 安全 発展 安心 につながるもの
それをささえたものは

い稲 き杵
 
ついでに
し士? 
ち知念 
に煮? ひ日? 
み美稲  り理念
にね ひね はありそうだが し?となると

統治者の交代で 
それだけで 終わるかどうかは
神が 各戸にあるかないか
稲 杵 
があるかないか
あれば 自ずと 各戸に神がいるので 
自然に 高天原の統治下に

二つが ない となると
各戸に
神が いないことになるので
統治下に入るのは 抵抗があるはず 
理念の共有ができない
大規模工事なんてできない
興味ない

こんなことを言っても
杵を持っていない
枝を切って作ってね
餅つき たのみます

国生みで 生まれた 
島々の物語
その後 生まれた神々の名と
さらに その後生まれた神々が住む
島々の物語
わからないことばかリ
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最古の稲作地帯が

2022-03-07 01:29:39 | 古代
高千穂へ天降りした 
天照大神の孫 天孫
天津彦彦火瓊瓊杵尊  アマツヒコヒコホノニニギノミコト

天 生まれつき天の
津 しみ出る    
彦 すぐれた青年で 
彦 とても比べようもなくすぐれた青年で
火 ほのおのように  情熱の
瓊 玉のように美しい  
瓊 とても比べようもなく美しい   
杵 きね 
(臼と杵で餅を搗くので 杵は男 臼は女)
地名がないが
神は 比べようのない りっぱな 男神の中の男神

直訳
天の徳がしみ出て とてもすぐれた青年で ほのおのように情熱がある 玉のようで とても比べようもなく美しい 杵

杵は稲作地帯の必需品 簡単だが最先端のもの
杵を広めることは 稲作を広めること
神が 各戸に 入って行った
最古の稲作地帯は どこか
考古学の分野 なのか
日本書紀の記述では わからない
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読み方で 中央の たかあまはら 地方その他

2022-03-05 02:22:02 | 古代
高天原の読み方を 古事記では
高の次の 天を あま と読め と指示している
たいがい 天を てん と発音しているが
てん ではない 
高 と 原 は指示がないので
こう げん ではなく たいがい読まれている
たか はら となる
それで 日本書紀の中でも
たかあまはら と読む  

当農園の所在地 
下馬渡は しもまわたし と読んで
しもうまわたし とは言わない 
古事記のようにするには
しもうまわたし と読むことになって
しもまわたし ではない そうなると
発音が めんどうくきい

想像できることは
たかまはら 
と呼ばれる地名があったはず
それとは 区別する必要があった
たかあまはら と呼ばれない高天原は 
日本書紀の高天原ではない
中央政府は 
日本書紀の高天原 たかあまはら にあり
地方政府は 日本書紀にない 
たかまのはら とか 
たかまがはら とか ーーーーー
方言に組み込んだ呼び名の地にあった 

鹿島神宮に近い 高天原
どう 呼ばれたか 
中央政府が あったかどうか
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