なんとなくそんな気持ちの日々に

本ブログは、もう更新の予定はありません。しかし閉鎖はせずに、記事を残しておきます。

理想の大学人

2007-11-13 21:17:48 | 身辺雑記
 日曜日に出張したため、今日は代休をとった。そこで、久しぶりに引きこもり生活を送ってみた。好きな時間に昼寝をしたため、すこぶる体調がよいのだが、反面あまり楽しい生活ではない。仕事がなければ、図書館にでもいって勉強しているところなのだが・・・
 それにしても、なぜ人間は仕事をせねばならないのだと思うことがある。無論、勤労の義務の存在や、もっと端的に生活のためには働かねばならないという事実も知っている。仕事を通じて、生きる価値を見出すこともあるということも知っている。しかし、どうも人間は働きすぎのような気がする。
 最近の日本の労働環境はよいとは言えない。ワーキングプアの存在は氷山の一角である。研究業界に限ると、なかなか職は見つからないし(=屍が累々としている)、運よく職が見つかると研究職であるにもかかわらず膨大な雑務のため研究ができない(=生ける屍)状況である。研究には、適度な知的刺激と適度な休息が必要なのだが、最近の社会的環境はそれに反するものである。日本の優秀な研究者ほど、グローバルCOEやらなにやらで、自分の研究をさせてもらえない(もっとも優秀でない私には関係ない)。こうした状況は、少子化の影響と、社会の大学に対する過剰な期待に由来しているのであろう。
 しかし、世の中には、しかるべき地位に就き、必要最小限の授業の負担だけで、自由な時間を最大限確保している大学研究者がいる。私の前任校に所属する哲学を専門とするO准教授である。O准教授は、必要最小限の学部生を対象とする教養科目を担当し、ゼミは持っていない。学内委員会にも、どうやって抜け出したのか、まったく所属していない。以前は学部紀要の編集委員だったが(唯一の学内業務!)、現在は何もしていない模様である。学内の誰ともつるまず(学内に友人がいないという噂もある)、朝8時には研究室に姿をあらわし夜11時に去る生活は、哲学者らしく孤独に事実に向かうとは何かを身をもって示しているかのようである。私は、「日本のカント」と名づけようとしたぐらいだ。そして、有り余る時間を、研究室内での炊事と研究室外でのタバコと自販機コーヒー、そして研究に費やし、昨年ついに単著を出したのである。
 私は、O准教授こそ、理想の大学人の生活だと思っている。私は、O准教授になりたい。まぁ、大学の経営が厳しくなるとリストラ候補でしょうが…