なんとなくそんな気持ちの日々に

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PKKはこれからも・・

2007-10-22 09:30:41 | 国際関係
トルコ兵とPKK、イラク国境で交戦 死者40人超(朝日新聞) - goo ニュース

 トルコ軍とPKK(クルド労働者党)との衝突が激化しており、トルコはイラク北部のクルド人居住地域への攻撃を計画している。イラク北部にいるPKKの兵力は約3,000~3,500人と言われている。
 PKKとは、もともとマルクス・レーニン主義に基づいたクルド人国家設立を掲げて1970年代に創設された団体である。1980年代から90年代にかけて多くのクルド人およびトルコ人に対する攻撃を行ったものの、1999年創設者のアブドーラー・オシャランが拘束され、しばらくはトルコと停戦状態になっていた。また、名称も2002年にKADEK、そして2003年にはKONGRA-GELへと変更している。そして、2004年に突如停戦を破棄し、テロ活動を再開した。2005年には名称を再びPKKに戻している。
 PKKは、「クルド人」という民族的アイデンティティを標榜している団体であるが、クルド人全体からの支持を得ているとは言い難い(これはクルド人内部の分裂状態にも起因するが)。1980年代には、トルコ南東部のクルド人に対してテロ攻撃を行って、恐怖の力で支持を獲得しようとした団体でもある。他方、トルコ軍の鎮圧行動もかなり苛烈なため、トルコ政府への支持をしないクルド人もいる。また、欧州諸国では、トルコ軍の鎮圧行動を人権の観点から問題視する声もある。
 PKKのテロは、「クルド人」というアイデンティティの覚醒をもたらしたが、それ以上に「トルコ人」という意識を高揚させてしまったと評価されている。今回のトルコ政府の対応もこのような文脈の延長線上にあるといえる。
 平和的解決が望ましいが、それには「クルド人」の問題の解決が必要になる。しかし、トルコ以外にも、シリア、イラク、イラン、アゼルバイジャンなどの周辺諸国およびアメリカやEUの思惑、そしてクルド人内の権力争いが絡んでおり、非常に難しい問題である。