不幸なんかじゃない

2005年07月29日 | 随想
ハブに咬まれた。

呑み仲間のウミンチュウにもらったカツオをさばいて、
ビールを買いに行こうと自宅の庭に出た矢先の出来事だった。
足先に鋭い痛みを感じ、傷口を見ると四箇所から血が流れていた。
二度咬まれたのだろうか。
応急処置で血を吸い出そうとしたのだが届かず、
傷口の血を指で押し出してシャワーで洗い流した。

そのあとビールを買いに行き、
さばいたばかりのカツオをたいらげ、
いつものように彼女に電話をした。

「あのさあ、さっきハブに咬まれちゃったみたいなんだけど」
彼女の口調が引きつる。
「とにかく早く病院に行って!」
と言われたが、
「俺は病院は嫌いだから」と、一方的に電話を切った。
彼女は看護婦をしているというのに。
そのあと何度も電話がかかってきたが留守電にして出なかった。
そのあと暫くしてからもう一度電話をすると、
「お願いだから、病院に行って!」と泣きそうな声で言われたので、
仕方がないので病院に行くことにした。

彼女の懇願がなければ、俺は確実に酔いつぶれて眠りこけていただろう。

べつだん、それは俺にとってめずらしいことではなかった。
死ぬときは死ぬときだ、と思っているから。
今までどうにか生きてこれただけ、ラッキーさ。
自殺願望があるわけではないが、そんなに長生きしたいとは思っていない。
「私の事を想っていてくれるのなら、もっと自分の身体を大切にして」
と言われたけれど。
どうやらそれは、できそうにもない。
困らせようとは思っていないけど、こういう性分なんだ。
仕方がないよ。
理解してくれとは、言えないけれど。

田舎に暮らしているので、
救急車を呼んでも病院から家まで往復で一時間もかかる。
救急車は呼ばずにカブで行くことにした。
病院ではさかんにそのことを咎められたけど、性懲りもなくカブで帰宅した。
病院には一泊しかしなかった。
ハブに咬まれると、一週間入院することも珍しくないのだという。

「ハブに咬まれて一泊で帰れる人に会ったのは、あなたが初めてだわ」
と年配の看護婦は驚いた顔で言っていた。
咬まれて死ぬ人もいるそうだから、まんざらな話でもないなと思った。

たぶん特異体質だと思うのだが、
俺はどうも普通の人に比べて免疫能力が格段に強いらしい。
以前から思い当たることが度々あったのだが、
今回ハブに咬まれたことによって、改めてその事を認識した。


「じゃあ、僕は不幸中の幸いでしたね」
と言うと、
医者は真顔で、
「不幸ですよ」
と言い放った。

「俺は不幸なんかじゃない」
とっさに、そう思った。



ハブに咬まれた七月二十二日。
奇しくもその日は、ブログを一ヶ月休止して復活しようと思っていたその日だった。
こんな偶然が、いままでに何度かあった。
いままでの事を思い起こしてみると、
いずれの瞬間もその時の決断がその後の道程を大きく左右している。

以前俺のブログに対して、
「そこまで言わなくてもいいのに」
という意見があり、その言葉が度々脳裏をよぎることがあった。
だが正直な話、俺はいままで抑制していた。
書きたいことなんて、これっぽっちも書いちゃいない。
そんな気持ちがまるでハブのように、俺の中で黒いトグロを巻いていた。

ブログを一ヶ月休止していたのは、
欲求をギリギリまで高めて爆発させるための、
俺なりのやりかただった。

そして、再び書き始めようと思った矢先にハブの洗礼を受けたんだ。
幸先のよいスタートじゃないか。
俺は不幸なんかじゃない。




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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ばかたれ。 (Ken)
2005-07-30 00:54:41
彼女を泣かしてはいかんだろう。





とりあえず、ご無事で何より。
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kenさん江 (芸人)
2005-07-30 01:07:22
「ばかたれ!」



嗚呼。

その言葉を何度彼女に言わせたことでしょう。

弁解の余地はありませぬ。
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あほ。 (ぱこ)
2005-07-30 06:57:14
わしも言うたる。

大事なくてホンマに良かった。

人間、死ぬときは死ぬ…

わしもそう思っとる。

せやけど、「ハブに咬まれて放といたがために死ぬ」っちゅうのはつまらんぞ。それは「不慮の死」とは違う。

芸人はんを大切に思てくれる人がおる間は、無茶したらあかんよ。
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ぱこさん江 (芸人)
2005-07-30 07:27:54
すんません。

おっしゃる通りです。今、波照間島に向かうヨットに乗っています。波照間の海で、頭冷やしてきますわ。
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・・・ (lily)
2005-07-30 09:15:54
ただ長く生きる事になんの意味があるか…!?

とわたしも思う。 

自由に生きて、好きな事して、もう思い残す事もないかなぁ…  なんて。

でも、何故そうゆう風に考えるのか考えてみた。

全部自分の事だけだった。

背負うものが何もないから

自分の事だけ考え、生きてきたんだって思った。



人の為に生きるってあると思う。

親とか兄弟とか恋人とか。

人の人生も背負ってみたら、違う人生観も見えてくるかな~   なんて。



"初”なのに、偉そうなこといってごめん…。。

でも、無事で良かった。 本当に。











返信する
lilyさん江 (芸人)
2005-08-02 23:58:48
はじめまして。



旅先で出会った人に、

どういう旅や生きかたをしてきたかという話をした時に、



「よく、今まで生きてこれたね」

と言われて、

「たしかに、そうだなあ」

と思いました。



もういいかげんそんなことはよして、

穏やかに暮らそうと思っているのですが。



死の可能性を身近に感じた時の緊迫感が、たまらなく好きなんです。

こんな僕が、誰かの為に生きる事がはたしてできるのでしょうか?
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・・・ (lily)
2005-08-03 01:40:27
そうゆう人は、一度死んでしまへ…!

悪いけど私、そう思うょ。 

だって人に問う前に自分に問うべき事だからね。

というか…、そうゆうこと自問自答する為の

放浪、旅人生活してるのではないの…??



苦労はしたくないけど、快感は得たい…

ムシが良すぎる気がするのだけどな~ 









返信する
lilyさん江 (芸人)
2005-08-03 03:17:18
>こんな僕が、誰かの為に生きる事がはたしてできるのでしょうか?



このことは、いつも自分自身に問いかけていることなんです。

未だにその答えは、見つけられずにいますが。





>苦労はしたくないけど、快感は得たい



今回ハブに咬まれた件で、いろいろと同情されたりしましたが、

個人的には、苦労したとか不幸だったなどとは思っていません。

むしろ、貴重な体験をすることができてよかったとさえ思っています。

どんなことでもそうだと思うのですが、

前向きに考えるか後ろ向きに考えるかによって、

それらが自らに及ぼす影響もずいぶんと違ってくると思います。



返信する
生命への執着 (akeybo)
2005-08-03 10:58:56
揚げ足とるわけじゃないんだけど

>苦労したとか不幸だったなどとは思っていません。

>むしろ、貴重な体験をすることができてよ

>かったとさえ思っています。



ハブにかまれて不自由な思いは少なからずしたのだし、それが「苦」であることには変わらないが、貴重な体験をしたとも言えるので学びにしたい。



と言う風には言えるとは思うんですよ、僕は噛まれた時そう思いました。嫁さんにも子供にも凄く心配かけたし…ね。

痛みの絶頂の時は、確かに「な~んでもないなんでもない、わっはっはっは」などと言いましたし、看護婦さんにはわざと「痛いです~」と鎮痛剤をおねだりしたりしましたし。早々最近はショックを警戒して血清は打たないのですよ。壊死の可能性もでてくるので、とにかく足あげとかなきゃイケナイんだけど、ポータブルトイレで大を済ますのがどうにも恥ずかしくて、けんけんしてトイレ行ってましたら、嫁さんに泣いて怒られました。その時はこちらは憮然とした態度を彼女にとらざる終えない状況だったけど_心配ないよと伝えようと元気を装うわけです。が、正直いって、足のしびれの感覚が尋常でなかったので、僕も壊死を非常に警戒してハラハラしていたのです。

それもこれももっと注意していたら彼女に心配をかけることはなかった_その点は、本当にありがたく、そして申し訳なく思ったのでした。

壊死は噛まれてしばらくしてからも始まることがあるそうですよ_これも余計なお世話かもしれませんね、すいません。



芸人さんにとってそれが「苦」でないのなら、同情を寄せたぼくはまったくの勘違い野郎だったのだなーと認めざる終えません、すまんこってした。ぼくの体質も弱いんでしょうな、そんな能力の低いものが偉そうに何か言った様に聞こえましたら申し訳ないですな。



困ったのは、これからあなたにどう声をかけていいかわからなくなったってことですが、それも僕が痛さに敏感な生命への執着の強い人間であることに少しも悩んでいない俗物ってことだけかもしれません。

あなたを責めてはいません、悪しからず。



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akeyboさん江 (芸人)
2005-08-03 15:39:16
苦しみや不幸についての僕の価値観は、

阪神淡路大震災後の神戸に関わってから大きく変わりました。



自分のキャパシティでは到底理解できない苦しみや不幸が、そこにはありました。

それはしょせん、僕が肝っ玉のちいさい人間でしかなかったということもあるとは思いますが。

生きることに対して執着をもたない人たちにたくさん出会いました。

むしろ今のこの苦しみを少しでも早く絶って、死んでしまいたい願う人たち。



でも僕はそんな阿鼻叫喚の生き地獄の只中にいても、

ひとすじの希望を手繰り寄せたかった。

音楽でなにか自分にできることがあるんじゃないかと思っていた。

音楽でなにかしたかった。

音楽でなにかしなければいけないと思いはじめた。



不幸や苦しみを自らの中で咀嚼して音楽として還元する。

そのサイクルは、音楽だけではなく日常の生活の中にも浸透しています。



そのサイクルが、僕にとっての苦しみや不幸に対しての価値観です。

(この価値観については「放熱する魂」

 http://c-u.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=53

 にも著していますので、ご一読頂ければ幸いです。)







身体で感じる痛覚やその他の刺激に関しては、

確実に感覚が麻痺してきています。

ハブに咬まれた痛みや痺れは今までに経験したことのないものだったので、

痛覚よりもむしろ新鮮な刺激として味わいました。



もう、既視感のある感覚では飽き足らない。快感を得ることができない。

こんな僕は、たぶんイカレているんでしょう。



将来的に数年かけて世界を巡る旅に出ようと計画しているのですが、

「今出たら、死ぬだろうな」

と感じているで、保留にしてあります。

どうやら、まだ生命への執着はあるようです。
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