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月のマピローマ

2004年09月30日 | 八重山の風景
月灯りが水面に映えて、
まるでマピローマ(真昼間)のような今宵の海。
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台風の恩恵

2004年09月29日 | 台風来了!
今日はシュノーケリングに行ってきた。
台風21号の余波で波が2mくらいあったので、何回もシュノーケルクリア(※1)をした。
海水の透明度がいつもと全然違った。
いつも泳いでいる場所なのですぐにわかった。
水温も、いつもに比べて低いみたいだ。
台風がリーフ内の海水を循環させ、外海の海水と交換したのだ。
いつも悪者にされてばかりの台風だが、それは人間の傲慢というものだろう。
他の生物の目から見れば、人間ほど傲慢なものはないに違いない。
赤土の流出(※2)も珊瑚の白化現象(※3)も、人間の傲慢がもたらした結果に他ならないのだ。
飛行機が飛ばなくても、停電しても、生きてはいけるが、
自然の恩恵なしには、一秒たりとも生きることはままならないのだ。

我々人間は、いつも台風を悪者に仕立て上げる。
人間が傷つけた自然の痛みを、台風が和らげてくれているというのに。






※1→シュノーケル内に入った海水を、勢いよく息を吐くことによってシュノーケル外に排出すること。

※2→土地開発や道路工事によって剥き出しになった亜熱帯地方特有の赤土が、降雨時に海に流出する現象。
   海中生物や珊瑚礁への影響が懸念されている。

※3→地球温暖化の影響で海水の温度が上昇し、珊瑚が白く変色する現象。
   白化した珊瑚はやがて死に至る。


関連記事→「自然の妙なる技」

About→珊瑚白化現象
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揺るがないもの

2004年09月29日 | 随想
「石垣島は、世界で一番素晴らしいところだと思う」
彼女には悪いが、俺はそう思わない。

「石垣島で暮らしてゆくのは、内地で暮らすよりもずっとずっと大変だ」
彼には悪いが、俺はそう思わない。

何処かへ行ったから、幸せになれるとか、しんどくなるだとか。

すべては自分の心の在り様でしょう?

この世には約束された楽園の地などないよ。

あらかじめ定められた地獄も存在しないんだ。

内地の人間がどうだとか、島の人間はこうだとか。

あの人は金を持っているからなんだとか、かんだとか。

そんなことに煩わされるのは、もういやだ。

幸せはなるものではなく、感じるものだと思う。

たとえ何処に暮らしていようとも、
たとえどんな状況に置かれていても、
揺るがない心がほしい。

びくともしない、逞しさがほしい。
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とぅばらーま大会

2004年09月29日 | 日々の出来事
9月26日(旧暦の8月13日)に新栄公園で行われる予定だった「とぅばらーま大会」は、
台風21号接近のために順延して28日に石垣市民会館大ホールで行われた。
先にも述べたがやはり「なかどぅ道ぬとぅばらーま」のほうがよかったな、と思った。

「とぅばらーま大会」には審査委員がいて出演者に対して賞を与えるのだが、
その審査の基準について疑問点が残った。

明らかに他の出演者よりも歌唱力が秀でていて観客の拍手もひときわ高かった人に対して、
何も賞が与えられなかったのはどうしてだったのだろう。
不思議でたまらない。

派閥があるのではないか?
コネで、初めからお膳立てしてあるんじゃないだろうか?

おそらく、こんな疑問を胸に抱いた観客は僕だけではなかったはずだ。

「審査が長引いている」という理由で、ステージ暗転のまま歴代の名手の音源が会場に流された。
30~40年前に録音したアナログの古い音源だ。
歌い手によって雰囲気がぜんぜん違う。三味線の弾き方。指の押さえ方。爪のあやつり方。テンポ。
音が微妙に外れているのにも絶妙な味わいを感じる。
それぞれがそれぞれに独特で、音を聴いているだけで歌い手の表情がありありと想像できるリアリティが感じられた。
いままで目の前で熱唱していたはずの出演者たちよりも。

悲しいかな過去の歴代の名手の音源を聴いたことによって、
八重山の伝統が確実に「画一化」の方向に向かっていることを、
あらためて認識する結果となったのである。
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なかどぅ道ぬとぅばらーま

2004年09月25日 | 日々の出来事
今日はとぅばらーま大会の前夜祭に行ってきた。
「とぅばらーま」とは石垣島を代表する民謡である。
詩にもメロディにも物悲しさがあふれていて、聴いていると胸を締め付けられるような切なさを覚える。
個人的には明日の本祭よりも、ウフアコウの大木の下で行われる
「なかどぅ道ぬとぅばらーま」の方が風情があって好きだ。
本祭と違って審査員がいないので、みんな伸び伸びと唄っているのがわかる。
同じ唄なのに、歌い手によって個性があるのがおもしろい。
少しくらい音程がずれても、それはご愛嬌なのである。

司会のおっちゃんが、「とぅばらーまは自分の気持ちを歌詞にして、自由にうたっていいんです」
とさかんにいっていたが、この言葉には共感を覚える。

本来、郷土芸能とか民族の伝統といわれるものは、自由奔放なものであったはずだ。
常にその根底に「生き物」としての躍動感があったからこそ、
次の世代へと自然に受け継がれていったのだと思う。
時代と共に形を変えていくのは必然だろう。
諸行無常がこの世の全ての定めなのだから。
たとえどんなに時代が移ろいゆこうとも、
大事な根っこさえ失わなければきっと大丈夫だと思うのだ。





参考までに「とぅばらーま」の歌詞を記しておこう。

仲道路(なかどぅみち)から 七けら通うけ(ツィンダサヤー ツィンダサー)
  仲筋(なかすじ)乙女子(かぬしゃ)どぅ 相談ぬならぬ(マクトゥニ ツィンダサヤー) ンゾーシヌ カヌシャマヨー

汝(うら)とぅ吾(ばぬ)とぅぬ 通うだる狭道(いばみち)ぬ(ツィンダサヤー ツィンダサー)
  今になりてぃ見りゃ 草(ふさ)まば 生(む)いかばし(マクトゥニ ツィンダサヤー) ンゾーシヌ トゥバラーマヨー

山ゆ見りば 八重山(やいま)思(うむ)いだし(ツィンダサヤー ツィンダサー) 
  海見りば 生(ま)り島思いだし(マクトゥニ ツィンダサヤー) ンゾーシヌ 我が島(すいま)ヨー





※写真は「なかどぅ道ぬとぅばらーま」出演者最高齢81歳のおじぃの熱唱。
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島唐辛子の赤

2004年09月24日 | 八重山のいきものたち
僕の家の離れの厠のすぐ隣には、島唐辛子が生っている。
パスタなどを作るときに辛味がほしいときには、
とってきて生のままぶつ切りにする。
乾燥ものの唐辛子に比べて辛味はとても強いので、
使いすぎには用心しなければいけない。
辛味もそうなのだが、なにより野生味が強いのだ。

葉の緑に島唐辛子の赤が映えて綺麗だったので、写真を撮ってみた。
さて。島唐辛子入りのペペロンチーノを食べて、ひと泳ぎしてくるとするか。
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夢見る気持ち

2004年09月19日 | 随想
モンゴルで出逢った旅の連れが僕の家に遊びに来てくれたときに、
一緒に家から歩いて三分の浜に行った。
リーフにぶつかる波の音と浜に打ち寄せるさざなみの音が響いてくる中で、連れは言った。

「いい所だね。ぼうず(僕のモンゴルでの名前)ずっとここにいたらいいよ」

「今晩のこと、きっとずっと忘れないと思うよ」

ほんとうにいいところに暮らしていると、日々想いながら石垣島で生きいている。
けれども僕は、何時の日かこの島を離れて旅に出るだろう。
少なくとも今の僕は、旅を欲している。
その想いが自分の中で日々大きくなってゆくのを感じている。
リーフの先の水平線のもっと向こうにあるところに旅に出る事を心に思い描いている。

石垣島よりさらに南に浮かぶ島、波照間島にはかつてこんな伝説があった。

-波照間島(パティローマ)よりさらに南に下った所に夢の楽園、南波照間島(パイパティローマ)が浮かんでいる-
と。

世界でも一番の悪税との誉れ高い人頭税に苛まれた人々が夢見たパイパティローマ。
その島を夢見て、琉球王朝の憲兵の目を盗んで実際にサバニ(小船)を漕いで沖の遥か向こうにに消えた島人もいたのだという。

状況は違えど、未だに見ぬ世界を嘱望するという点においては共通するものがきっとあるはずだ。

何時の日か、僕はきっと再び旅に出るだろう。
しかし、たとえ何処に旅立とうとも、決してこの島で暮らした日々を忘れる事はない。
その想いを胸に刻んで、僕はこれからも生きてゆくのだ。
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9・11に想う

2004年09月11日 | 随想
3年前の9月11日、貴方は何処にいて誰と何をしていましたか?
3年前の9月11日、僕は日本の最北端の稚内にいて台風の中でキツネと格闘していました。

8月の末から1ヶ月半程北海道をスーパーカブ50でツーリングしていました。
稚内に立ち寄った際に大型台風に遭遇しまして、これから走ろうとしていた東側の海岸線が軒並み通行止めとなっていた為、一週間程稚内の高台にあるキャンプ場に逗留していたのです。
その際にキャンプ場で、キツネにテントを切り裂かれて食料を奪われたりしていたのです。
夜に台風情報を聞こうとラジオのスイッチを入れました。
暫くの間、聞くともなく聞こえてくるオールナイトニッポンが流れてくる中でまどろんでいたのですが、話し手の語気が明らかに変わったのに感ずいて、ボリュームを大きくして耳をそばだてました。
それが僕にとっての9.11アタックの第一報だったのです。

べつだんショックという気持ちはありませんでした。
冷静な気持ちでラジオを聞いていたと思います。
誰かがいつかやるだろうという気持ちが、自分の中にあったからかもしれません。
亡くなった方や遺族の方には申し訳ありませんが、心の中には一服の清涼感がありました。
これまで他国でしか戦ってこなかったアメリカに下された、怒りの鉄槌のように思いました。
僕にとっては、どちらが悪でどちらが正義だということは問題ではありません。
とどのつまり、ブッシュもオサマ・ビン・ラーディンもやっていることにそれ程大差はないと思います。
イデオロギーを行使する存在が国家であるか有志の団体であるかの違いによって、
「正義の戦い」と「テロリズム」にいとも簡単に分類されるという点においては、苦笑を禁じえませんが。

今回この記事を上梓しようと思い立ったのは、エセ軍事評論家ずらしたかったからという訳ではないのです。
何よりも、9・11という符号を座標軸にして僕個人の生きている場所が日本の最北端と最南端に広がって存在しているということについて、改めて考えたからなのです。
本当に人の人生というものは一寸先の事も解らなくて不確かなものなんだなと。
一寸先には闇が潜んでいるかもしれないし、もしかすると光明を見出せるかもしれない。
そんな人生の不確かさに、儚さや面白さを感じたからなのです。
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生き様と死に様

2004年09月11日 | 随想
知人が亡くなった。
詳しい死因は知らないのだが、
彼のまるで宙に放物線を描いているような視線や、
大きな体躯がゆらゆらと揺れるような歩き方が印象強く残っていたので、
「あぁ、「アレ」だろうな」
と訃報を聴いて直ぐに思った。
もし彼の死因が僕の憶測する所であったとするならば、
彼は存外に幸せな死に方をしたのかもしれないと思ったりする。
理由はどうあれ、少なくとも命を賭けられるものがあったという意味において、
彼は自身の人生をまっとうしたのではないかとさえ思える。

ほんとうに人間なんて儚いものだよな。
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くも貝の素顔

2004年09月09日 | 八重山のいきものたち
目もありますし、
口もあるんですよっ!

どうです。
けっこう、男前でしょう?
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石垣島に暮らして一年

2004年09月04日 | 随想
今日9月3日は、俺が石垣島に暮らし始めてから一周年にあたる記念の日なのだ。
ひとことに一年と言っても、色々あったよな。
着いた当初一週間ぐらいは石垣島最北端の携帯の電波も届かん牧場の奥地に、
テントを張って暮らしていたよな。 「庭付きの一軒屋を見つけるまではここを動かん」とか自分の中で決めて。
過去30年最強の宮古を襲った台風は凄かったな。
テントのすぐ近くまで波が迫ってきて恐かったな。
ざんざんぶりの中で撤収をしたっけ。
石垣に来てから5日目で一番住みたかった東側のに家が見つかった時は嬉しかったな。
あ、4日になっちまうわ。
UPしよ。



続く




写真@隣のおばぁのつくったお盆の御馳走
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あの世とこの世を繋ぐもの

2004年09月03日 | 八重山の風景
それまで持っていたお盆のイメ-ジというのは、
どこかさめざめしい雰囲気の漂うものだったのだけれど、
八重山のお盆は違うんだよな。

原色の沸き立つ艶の世界というのか、
とにかく生と死が混然一体とした世界なんだよ 。

生と死を隔離するのではなく、
それらは本来表裏一体の存在である事を理屈抜きに感じさせてくれるんだ。
今でも八重山の高齢者は「老衰」が原因で亡くなる人が多い。
畳の上で息をひきとる人が多い。
自然に生きて、自然に死んでゆくんだよ。
身体中に管をぶちこまれてモルヒネで麻痺させられるのとは、
えらい違いだよな。
死とは病ではない。
死とは自然なことなんだ。

そんな事を想った、今年のお盆であった。
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パソコン不調の為、

2004年09月01日 | 日々の出来事
しばらくの間記事の更新は携帯電話から行います。

コメントのお返事遅くなるかもしれませんが、ご了承下さいませ。

この頃イベント続きである意味忙しいです。
とくにお盆の行事関係に出没しています。
沖縄は、太陰暦(旧暦)で時を刻んでいるのです。
昨日は白保のアンガマと獅子舞を堪能してきました。
獅子に足を噛まれました。
ぬふふっ。。 何かいいことあるかも。
でも、単にあの世に足引っ張られているだけなのかも。
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