毎日新聞社説:
「新聞週間 情報氾濫の時代だからこそ」を読む。
>だが、そこには落とし穴もある。
ネット情報を発信する側は都合のよい情報だけを選んで流すことができるし、
利用者側にはその真偽を確かめる術(すべ)がない。情報は一方的、断片的になりがちだ。
そうだろうか。
ネットに脆弱点が多いことは、誰もが認めることであると思う。
だが、新聞にはネットの脆弱点を補完でき、なおかつ信頼できうる信憑性が果たしてあるのだろうか。
新聞は都合のよい情報だけを選んで流すことをしないのか。
利用者側にはその真偽を確かめる術はあるのか。
情報は一方的、断片的にならないと断言できるのか。
批判をしているにも関わらず、自らが同じ過ちを犯しているのならば、
同じ穴のムジナに過ぎないだろう。
いいや、同じ過ちを犯していることを顕にせずに自らの正当性を主張する
新聞のほうがずっとずっとおかしい。
>
多メディアの時代、アテネ五輪での日本人選手の活躍や
米大リーグのイチロー選手の年間安 打新記録達成は、
テレビなどを通じリアルタイムで知ることができた。
日々のニュースも、新聞が読者の手に届く前にインターネットで見ることができる。
しかし、新聞は単なるニュースの伝達だけでなく、
総覧性、記録性、評論・解説・分析など活字 メディアとしての特性をもっている。
宜野湾の沖縄国際大学で米軍ヘリが墜落炎上した事件についての大手新聞の報道はどうだったのだろうか。
オリンピックの金メダルフィーバーをうまく利用して、事件を煙に巻く感があったのは気のせいだろうか。
国の右傾化に対応して情報操作をするマスメディア。
それはどこか戦時中のマインドコントロールに似たきな臭さを感じる。
大手新聞の大阪支社に勤める知人が、
「震災(阪神淡路大震災)の記事を東京本社に送っても却下されてばかりだ」
と嘆いていたのを書きながら思い出した。
今年の9月11日にノーム・チョムスキーの
講演のドキュメンタリーフィルムを見た。
インタビュアーの「現在の日本の情勢についてどう思うか」という質問に対して、チョムスキーは興味深い発言をしていた。
「日本の政府は右傾化の傾向にあるが、市民運動のうねりが強くなってきている」
このような傾向は10年ほど前から顕著に顕れるようになったのだという。
チョムスキーは言語学の大家であり、20年以上前から日本に何度も招かれている。
しかし「飽くなき反抗者」(U2のボノ曰く)として招かれるようになったのは、ここ10年程の話なのだという。
>ネット社会の中で、情報発信者である私たちが最も心がけなければならないのは、
氾濫(はんらん)する種々雑多な情報を受け止めてその位置づけを行い、
紙面で立体的に構成し 直す力を養うことだと思う。
過去にテレビや新聞や雑誌の取材を受け、画面や紙面には決して映し出されることのない汚い裏の世界を垣間見てきた。
「嘘ばっかりの虚構の世界」
もうそんな眼でしか、マスメディアのことを見られなくなってしまった。
大手新聞の論説委員も有名ニュースキャスターも、あくまで一個人にすぎないのだ。
そんな当たり前のことを当たり前と感じさせることをしないマスメディアは、本当に恐ろしいものであると思う。
情報は多角的な視野で論じられなくてはならない。
最大公約数の論理が必ずしも絶対とは限らない。
マスメディアの発信する情報を鵜呑みにするのではなく、自分なりの意見を持つことは大事なことだ。
個人が自らの意思を発信することのできるツールを手に入れた事に対して、
自らの存在が脅かされることへの恐れを感じている論説委員の心の揺らぎを、この社説から感じた。
「国民の支持率の高い政治家にはろくな人間がいないと」言っていた老政治家がいたよな。
日本の主権は国民にあるんじゃないのかね?
この狸オヤジめらが。
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