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沖縄ブーム 2

2005年04月13日 | スローライフ、沖縄ブーム
読売新聞の記事、『安易な移住続々、行き詰まり…人口急増の石垣島困惑』 を読む。

>青い空と海、温暖な気候にあこがれて、首都圏などから島にやってくる人々がほとんどだが、
 突然、大挙して移住者が押しかけてきたことで、困惑も広がっている。
 単なる“楽園願望”だけで島に飛び込んでくる若者たちもいるからだ。
 石垣市では、移住の影響について、本格的な情報収集に乗り出した。


この世の中に、はたして「楽園」なんてものが存在するんだろうか。
すべては自分の心のありようだと思う。
自分のこころの持ち方ひとつで、石垣島はよいところにもいやなところにもなりうると思う。


>だが、国内でも有効求人倍率が最低水準にとどまっている沖縄県の中でも、
 観光や農業が基幹産業である石垣市の雇用情勢は、非常に厳しく、
 下見もせずに安易に移住しても、就職難に見舞われるケースは少なくない。
 「島に渡ってくる若者の中には、仕事先もなく、苦労している人たちも多い」のだという。


>思ったような仕事に就けず、「理想と違った」と不満を口にするものの、
 本土に戻る気力もなくし、島で放浪生活を送る若い男性もいるという。


そんな人たち、そこらへんにうようよしてるよ。
石を投げたら、当たりそうなぐらいにね。
でもそういう人たちって、結局何処にいっても何をしても、同じなんじゃないだろうか。
自分の中にビジョンも何もないのに、この島に渡ってきても、何も応えてはくれない。
自らが求めなければ、この島はただ沈黙しているだけなのさ。

このごろ、沖縄移住についてのアドバイスを求められる機会が多くなってきている。
「仕事はありますか」って聞かれるけど、
「ないよ」って答えたら、彼らはそれで納得するんだろうか。
判断能力というのか、自分の意思で自分の生きかたを決められない人たちが多すぎる。
本屋に行ったら、いちばん場所のいいところに「沖縄特集」みたいなコーナーがある。
そこに平積みしてある、「沖縄でスローに暮らそう!」
とかなんとか書いてある本を大事そうに抱えて石垣まで来る人たちがいるけれど、
はっきりいって、理解できない。
あんな本、立ち読みするだけで十分。

マニュアルに頼るのは確かに楽なことかもしれないけれど、
ほんとうにやりたいことがある人は、俺なんかに聞かないでやりたいこと好きにやってると思うよ。
他人が創った道を歩いて、いったい何が楽しいんだろう。
少なくともアドバイスを求めるのなら、俺のようなヤクザもんにではなく
至極まっとうなカタギの人にしたほうが無難や思いますワ(藁


『石垣 移住』
のキーワードでググってみたら、拙作、「石垣島移住直前の心境」が一番にヒットした。

自分の人生の舵は他人に委ねるのではなく、自分で握りましょうね。




※関連記事:『沖縄ブーム』
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「スローライフ」の行方

2004年07月30日 | スローライフ、沖縄ブーム
もし、隣の国の飢餓で命の焔が消えようとしている何の罪もない幼いこどもたちに、

「ねぇねえ、日本では「スローライフ」って言葉が最近流行っているんだけど、君はその流行り言葉についてどう思う?」

なんて尋ねてみても、きっとこどもたちは「スローライフ」の言葉の意味も、その問いかけの意味もわからないと思う。
そんな横文字の言葉よりも、こどもたちにはもっと必要なものがある。

きっとそのインタビュアーは、安全なところから燃えさかる長田の街を眺めて「温泉のようだ」と言ったり、瓦礫の中をハイヒールで我が物顔で歩きまわった連中だろう。

ふざけた話ではあるが、この日本という国の世論はそのような「知識人」によってコントロールされているという現実がある。

「スローライフ」という考え方は、衣食住が満たされ(そう意味においては日本人は極度の飽和状態にある)
ある程度の精神的余裕があって生まれて来た風潮であると思う。
日本人は(もちろん僕も含めて)かつて自分達が敗戦し、
着の身着のままで路上に放り出されたひもじかった日々のことを忘れてしまっている。
あるいはその敗戦時の苦しみが、高度成長期の起爆剤となったのかもしれないが。
三種の神器も、マイカーも、マイホームも、おおよそ物質的に考えられるものは全て手に入れた。
「金さえあれば、なんでもできる」という思い上がりが日本人の脳髄を侵食してゆく。
その傲慢に、バブルが追い討ちをかける。
やがてバブルが弾け、震災か起こり、閑静な新興住宅地の庭付き一戸建の揺りかごでぬくぬくと育った高学歴の若者たちは、オウムに走る。
震災の報道に飽きてきた愚鈍な民衆の歓心は、一気にオウムに注がれる。
週刊誌は飛ぶように売れ、夜のニュース番組の視聴率はうなぎ上りだ。
マスコミ連中のえびす顔が目に浮かぶ。
そしてケツのケバまで抜かれた神戸には、虚しく乾風が吹きすさぶ。

それまで、自分達が信じて疑わなかった「幸せの価値観」が砂上の楼閣のようにぼろぼろと崩れ去ってゆく。

もう、何を信じたらいいのかわからない。
何を拠り所にしていいのかわからない。

政治も、宗教も、親も、教師も、信じられない。信じたくもない。

「明日があるさ」と肩を組み、徒党を組んでみても、今日がない。
今現在生きている「今日」を不完全燃焼でやり過ごせば、やがて訪れる「明日」を燃焼できうる筈もない。

「スローライフ」及び「沖縄ブーム」という言葉がヒートアップしてゆく深層には、
自分たちのアイデンティティを物質的なものに切り売りして、
魂の抜けがらに成り下がってしまった日本人たちの明日の見えない掴み所のない不安があると思う。
物質的には満たされても、精神的には飢餓状態に陥っている。
テレビに映る有名人の言葉にすがって「ココア」や「にがり」に走ってみても、満たされない。

飽くなき欲望は尽きることなく肥大し、空虚な精神の焦燥は加速度を増してゆく。

はたして「スローライフ」なる価値観は、日本人の誤った方向性を変える力となりうるだろうか。
それとも、ただの刹那の流行り言葉として終わるだけなのか。

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Re:「スローライフという言葉」

2004年07月17日 | スローライフ、沖縄ブーム
gooスローライフスタッフ日誌の “ 「スローライフという言葉」 ”という記事へのトラックバックです。


ひろたさん、TBありがとうございました。
はっきりいって、僕自身は「スローライフ」なるものが何であるのかはわかりません。
また、「スローライフ」そのものを全て否定する気持ちもありません。
ただ、過剰に「スローライフ」が膨張し、
急速に収斂することについて危惧の念を抱く者です。

現在石垣島を含む八重山地方には、
「リゾートホテル」が雨後のたけのこのように建設されています。
内地からの移住者を受け入れるために、
住宅の建築や別荘地の開発が進んでいます。
それに対応できるインフラの整備も、急ピッチで進んでいます。
発電所はこのままの勢いでゆくと電気が足りなくなるので、
発電機を増築しています。
ジャンボジェット機の発着ができるように
2000メートル級の滑走路を持つ新空港の建設が始まろうとしています。
現石垣空港は滑走路が1500メートルしかありませんので、
ジャンボジェット機の発着はできません。
大阪および東京への直行便は宮古、那覇で一旦着陸して燃料を満タンにして再び飛び上がります。
滑走路の短い現石垣空港では小型のジェット機でも燃料を満タンにすると、
重たすぎて飛び上がることができないのです。
逆に石垣空港に着陸するときには、エンジンを逆噴射し急ブレーキをかけます。
着陸の瞬間には、機内にどよめきの声が起こります。

外周140キロほどのこのちいさな島は、今大きく揺らいでいます。
その大きな揺らぎの中には、島に生きる人々の希望と野望と葛藤と不安が渦巻いています。

これは、「田舎=スローライフ」という単純な発想にはとうてい収まるものではないことは、明らかです。

どうかこの島のおおきな揺らぎを、身近なものとして感じて頂きたいのです。

東京都や近郊の各県では、ディーゼルエンジンを搭載した車の乗り入れが規制されましたよね。
ディーゼル車の乗り入れが規制されてから、東京の空は随分ときれいになったと聞きました。
では、あんなにたくさん東京にあったディーゼル車はどこにいってしまったのでしょうか。
実は、その多くが沖縄に流れてきているのです。
ガソリン車に比べて単価も安く、燃料も安いディーゼル車は、
とても人気があります。

でも東京の空がきれいになることによって沖縄の空が汚れることになってしまっては、
何の解決にもならないと思うのです。

確かに現象面だけを捉えれば、ガンジーの抗議は消極的な抗議に見えるかもしれません。
しかし、ガンジーの吹けば飛ぶよな細い身体から唱えられた言葉が、
国境を越え、民族を超えて、彼の死から長い時を経た21世紀の現代に至るまで
世界中の人々の心に刻まれている
という現実は、彼の言葉がどんな雄弁に声高に語る演説よりも、
積極的であることを物語っていると僕は思うのです。
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俺は「スローライフ」という言葉が嫌いだ

2004年07月13日 | スローライフ、沖縄ブーム
俺は「スローライフ」という言葉が嫌いだ。そんな言葉は、所詮都会の人間の田舎に対する程度の軽いノスタルジーに過ぎないと思う。
いま巷ではどうやら「沖縄ブーム」らしいが、「沖縄ブーム」も「スローライフ」も、そのうちに「ココアブーム」とか「美白ブーム」と同じように霧散するんじゃないだろうか。いっそのこと早く霧散してくれたほうが、サンゴやマンタの為かもしれないな。
亡くなってしまった自然は、二度と取り戻すことはできないのだから。

みんなが思っているイメージとは裏腹に、この島で生きるのはけっこう忙しい。沖縄は失業率も離婚率も平均収入も、全国でワースト1である。飲酒運転の検挙率においても、沖縄が全国で一番だ。
自分勝手な「癒し」を求める前に、心を虚しくしてその現実について考えてほしい。
そんなめんどくさいことはわからないと言うのなら、せめて浜にゴミは捨てないで持ち帰ってくれ。

俺が現在暮らしている石垣北部の農村はつい50数年前までは、マラリアの蔓延る未開のジャングルだった。それを戦後に入植してきた人たちが、鍬や鋸を手に持ち血のにじむような努力をして開墾した。
そのような先人の努力を無視して、自分達の「癒されたい」という欲求を満たすような行為は無礼千万であると思う。少々キツイ物言いだが、あまりに醜いことを眼にしたり耳にしたりするとどうにもやりきれない気持ちになることがあるんだ。

これは聞いた話なんだが、ある内地から足繁く沖縄に通ってくる男が「沖縄は経済的に発展することも自立することもできないんだから、内地からやってくる人間を愉しませる為に尽くすしか生きてゆく道は無い」とのたまったそうである。
金があればなんでもできると勘違いしてる馬鹿な野郎の戯言であると思う。バブルでおいしい思いをした連中には、このような勘違い野郎が多い。
いい加減眼を覚ましなよ、おっさん。バブルはとっくに弾けたんだぜ。

俺は阪神淡路大震災が縁で、神戸に7年間暮らした。暮らしたとはいっても旅暮らしの毎日で、そのうちの何年間かは旅なのだが。神戸の仮設住宅や下町を駆けずり回ってしみじみ思ったよ。

「あぁ、この国はもう終わりだな」って。

バブルも震災も、しょせんは崩壊してゆくこの国のプロローグに過ぎないかもしれない。
だとすれば「スローライフ」及び「沖縄ブーム」という流行り言葉は終末に向かって加速度を増して疾走してゆく、日本という国に生きる人間たちの悲痛な断末魔なのかもしれないな。人間性を削ぎ落として記号化してゆく人間たちの人間性の快復を叫ぶ断末魔、か。

オチをつけて希望を見出すような文章の構成にしたかったんだが、
どうもそんな気分じゃないので今日はこのぐらいにしておくよ。
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沖縄ブーム

2004年06月03日 | スローライフ、沖縄ブーム
石垣に住み始めてから知ったことだが、
近頃どうも沖縄ブームらしい。

内地から石垣に引っ越す人がどんどん増えている。
まぁ、俺もそのうちのひとりにちがいないのだが。
石垣は公表で約4万5000人の人が暮らしている。
その他の季節労働者やキャンパー、
住民票を内地に置いている人を除いて。

ちなみに俺はこっちにきてすぐに、
カブのナンバーを「石垣市ナンバー」にしました。
免許も書き換えました。
選挙権もあります。
税金払ってへんけど。(爆)

石垣は観光業以外に目立った産業がない。
観光業も、農業も、建築業も
季節労働が殆どなので、コンスタントな収入を得るのは難しい。
就職しても、退職金がもらえない。
まして組合など、あるわけがない。
働き盛りの大人が月収10万円という話も決して珍しくはない。
物価は、運送料が加算されるので内地よりも高い。
家賃は、そこそこのマンションに住もうとすれば、
軽く5万はする。
よく「今の収入じや、生活していけない」というグチを耳にする。
その人にとっては、そのことは深刻な悩みであるのかもしれないが、
聞いていると、滑稽でたまらない。
収入が少ないなら、お金を使わなくても
楽しく暮らせるやりかたを自分で考えたらいいんちがう?

でも、みんなどうせなら便利なほうがいい。

床はフローリングで、トイレは水洗。
携帯はもちろん、パソコンも。
エアコンは絶対に必需品。
コンビニは近くにあるほうがいいな。
だってゴハンなんてつくるのめんどくさいんだもん。
あ、あと飲み屋もね。

は?
おいおい。
それで、月10万で足りるんかい?
足りるわけないわなぁ。

生活できないとかいうけど、
そんなグチこぼせる余力まだあるやん。
けっこうええ暮らししてるやん。
食えないとかいうても、
餓死するわけでもあるまいし。
あほくさ。

そんな経済状況に耐えかねて、内地に帰る人もたくさんいる。
でもそのくらいで根を上げててしまうんやったら、
所詮どこにいってもいっしょだと思う。
いいとこしか見ない観光客がこっちで生活すれば、
破綻してゆくのは眼に見えている。
「東京の暮らしに疲れた」とか言うな。
聞いてるこっちが疲れるわ。
「石垣のきれいな海で心の洗濯をしました」だって?
そんなんしたら、海が汚れるやんか。

実際に生活してみれば、大変なことはたくさんある。
どんな状況の中にいても、笑っていられるぐらいの
太い根っこを持ち合わせていたいものだ。

俺は沖縄ブームの波に乗って石垣まで来てしまったのだろうか。
よせやい。
俺は流行ってやつが、一番嫌いなんだ。

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