忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「ジューシーでとろっと甘い」奈良の柿、首相が一句「柿食えば…」

2022年10月16日 | 忘憂之物





2019年には安倍さんが柿喰って「柿食えば 令和輝く 奈良の町」と詠んだ。なにしろ憲政史上最長政権だ。毎年毎年、この時期になると柿喰って一句詠まねばならない。だから毎年、安倍さんは「柿食えば さらに良くなる 奈良の町」とか「柿食えば 心も豊かに 奈良の町」など無難なのを詠んでいた。安倍さんは正岡子規じゃない。仕方がない。

「なにもしない」が売りの岸田総理も柿喰って詠んだとか。それなら「柿喰えば、皇帝万歳、習近平」とか「柿喰えば、アジアは丸ごと、大中華」とか詠めばいいのに、なんか面白くもないのを詠んだとのことだ。ここで「柿喰えば 酷薄無残 奈良市長」とか「柿喰えば 佞悪醜穢 奈良県警」とか詠めば話題になって支持率も回復したかもしれない。

ところで、奈良市は安倍さんが凶弾に倒れた現場を「車道」にするらしい。でも周辺には花壇を置きますから、ということらしく、市長の仲川氏は「事件を記憶する存在があるといえばあるし、ないといえばない。両面から受け止められる形を模索した」と岸田みたいなことを言っている。さすがは悪夢の民主党政権の生き残り、2009年から連続して当選している「長期政権」だ。この曖昧模糊とした決断力のなさが延命のコツだ。

当初、慰霊碑の設置には賛成が10,反対が13とのことだったが、国葬儀後には賛成30、反対64になったことを受けて判断したらしい。反対の中身は「税金でつくるのはおかしい」「事件を思い出したくない」などだったということだが、いずれにしても「反対の声」に聞く耳を持つのが肝要ということか。さすがはホームページに「特技・ひと晩寝ればイヤなことを忘れる」と書いているだけのことはある。鹿に顔を蹴られたらいい。

反対理由の「税金でつくるのはおかしい」はいい。国葬儀に12億円ほど使ったとのことだが、国民一人当たり「10円とちょっと」に文句を言うのはずっといる。仕方がない。世の中、一定数のアレはなくならない。気になるのは「事件を思い出したくない」だ。そもそも慰霊碑というのは「忘れないために」作るものだ。

つまり、反対する人は、早く忘れちまえ、と言いたいんだろうが、そうは問屋が卸さない。事件の解明、動機の解明もさることながら、歴史に残る大宰相が選挙演説中に殺されたわけだ。カルト宗教に恨みを持つ盆暗の勘違いでした、で済むわけがない。それに反対派の言う「歩行者の安全」や「渋滞の緩和」もどうか。事件現場のロータリーに献花しに行った人は、我が倅を含めて10万人を超えている。来年の7月8日、近鉄大和西大寺駅前はどうなっているのか、と考える想像力もないか。

GHQは戦後、靖国神社を「ドッグレース場」にしようとして止めている。「そんなことすれば日本人がキレる」と思ったとか、理由はいろいろと言われているが、要するに日本人相手にそんなことしても「無意味」だと知れているからだ。

仮に靖国神社を破壊して更地にし、そのあとにパチンコ屋でも駐車場でも中国大使館でもいいが、なにを作っても日本人はそこに行って手を合わせるだろう。頭を下げて花を手向けるだろう。日本人の宗教的観念とは欧米人のそれと比せば「異質」なものだ。八百万の神々がおられる、という宗教観は岩でも木でも犬でもキツネでも「依り代」にしてしまう。

これがわからないと、橋下徹氏のように「A級戦犯を分祀すればいい」とか言い出す。日本人的な宗教観からは、生きている人間が神様や魂を運んだり動かしたり、切り出したりできるとは思わない。

だから日本人なら「車道」に手を合わせることに抵抗もない。献花台がなければガードレールに花束の山ができるだけだ。そのほうが歩行者は「笑顔で」歩けないし、渋滞は緩和されないと思う。そして献花の数だけ「奈良市はなんでこんなことするんだろう」と思うことになっている。奈良市長はまた次も狙うんだったら、よくよく検討してほしいものだ。自民党政権も長い。そろそろ「物言わぬ有権者」のほうが多いと知ったほうがいい。



ところで、正岡子規が「柿食えば」と詠む2か月前、夏目漱石は「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」と詠んで、正岡子規と同じ「海南新聞」に掲載された。明治28年だ。

夏目漱石と仲良しだった正岡子規は、同じ年の11月8日の「海南新聞」に「柿食えば」を寄せている。全国果樹研究連合会カキ部会は正岡子規が「柿食えば」と詠んだとされる10月26日を「柿の日」にしているが、正岡子規は柿が本当に好きだったらしく、他にも「柿落ちて 犬吠ゆる奈良の 横町かな」「渋柿や あら壁つづく 奈良の町」「晩鐘や 寺の熟柿の 落つる音」など「柿シリーズ」を続けて、最後は明治34年「柿くふも 今年ばかりと 思ひけり」と詠んだ翌年の9月19日、その生涯を閉じている。


「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」


奈良の柿に関するPRにこれ以上のものはないから法隆寺には正岡子規の句碑がある。もちろん、柿の俳句では正岡子規に及ばないかもしれないが、毎年毎年、その奈良の柿を喰って一句詠んでいた日本を代表するリーダーの慰霊碑くらい、わけのわからぬ反対理由で騒ぐ連中に耳を貸さずに決断決行する度量はないか。

しかも安倍さんは結核やリウマチ、脊椎カリエスで死んだのではない。ある意味、日本人として、正岡子規以上に「忘れてはならない」のではないか。秋が来れば勝手に思い出す風情のある名句ではなく、日本の民主主義を根底から覆そうとする悪意の塊、日本人の矜持を背骨ごと破壊する現在進行形の謀略を「忘れない」ためにも。





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