忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

フランケンシュタインの死臭

2010年06月24日 | 過去記事
キリスト教における「神」がこの世に降臨したのは「善人のためではなく悪人のため」だとされている。大いなる慈悲の心で「悪を許す」ことで救い救われる、ということを説いているのだと、私は解釈している。聖なる者は、そんな「悪人のため」に神に許しを乞う。その悪の心が許され、どうか、この哀れな子羊が救われますようにと、精霊と父と子の御名において祈りを捧げるのだろう。ご苦労なことだ。 http://www.yo . . . 本文を読む