「せーふぁうたき」に行きました。
池上永一の“風車祭(カジマヤー)”を読んでから、聖地といわれるところへ行ってみたいと思っていました。小説は石垣島でのできごとですが、本島の斎場御嶽は拝所の最高峰といわれているところです。この巨石がもたれあう隙間を抜けると左側に久高島が見えます。その久高島が見える場所なのですが、3段ほどの階段状になっています。私はそれは久高島をよく見るためのものだと思ったのでその階段を昇ってしまったのです。そしたら後方から「あー!!!だめーっ!!!」という嬌声があがり、声の方を見ると「そこはお祈りするところだから上がっちゃダメ!お賽銭あげて謝りなさい!」という二人連れの女性でした。よくわからないまま手を合わせて「ごめんなさい」しましたが、その後見直してもその階段は昇って見るためのものとしか思えません。その後に来た観光客も普通にみんな昇っていました。帰ってから調べてみると、拝む場所なのでやはり昇ってはいけない雰囲気です。私のような「気」を感じない人のために立て札を立ててほしいなー。
斎場御嶽 (平成12年世界遺産登録)
風車祭 (池上永一著)
池上永一の“風車祭(カジマヤー)”を読んでから、聖地といわれるところへ行ってみたいと思っていました。小説は石垣島でのできごとですが、本島の斎場御嶽は拝所の最高峰といわれているところです。この巨石がもたれあう隙間を抜けると左側に久高島が見えます。その久高島が見える場所なのですが、3段ほどの階段状になっています。私はそれは久高島をよく見るためのものだと思ったのでその階段を昇ってしまったのです。そしたら後方から「あー!!!だめーっ!!!」という嬌声があがり、声の方を見ると「そこはお祈りするところだから上がっちゃダメ!お賽銭あげて謝りなさい!」という二人連れの女性でした。よくわからないまま手を合わせて「ごめんなさい」しましたが、その後見直してもその階段は昇って見るためのものとしか思えません。その後に来た観光客も普通にみんな昇っていました。帰ってから調べてみると、拝む場所なのでやはり昇ってはいけない雰囲気です。私のような「気」を感じない人のために立て札を立ててほしいなー。
斎場御嶽 (平成12年世界遺産登録)
風車祭 (池上永一著)
私が行った時にはどこかのオバアがうーとーとーしてました
それが~私はかなり鈍いらしく全然感じないんです。その神秘的って感覚を。だから、うーとーとーする場所に昇っちゃったりするんでしょうが。悪気はないんですけど。この巨石がもたれあってるのもスゴイな、自然なのかなぁとかは思うんですけどね。
ブログ訪問ありがとうございました。
沖縄好きなんですね~
愛情が伝わってきます。
たしかに久高島の見えるところ
のぼっちゃう人いますよね。
わからんってのもわかりますよー
私が勉強不足なだけなんですけどね。
いろいろ後で調べると、こんな聖なる地をなんにもわからない観光客(私のことです)なんかに開放しちゃっていいのか、と思います。
でも、多くの人に見てもらって理解してもらうことも必要なのでしょう。それと沖縄の人達のおおらかさもあるでしょうね。
ここは、もう一度行きたいところです。二度目に行ったら違う見方ができるような気がします。
いつも参考にさせていただいて、感謝してます。
ともかく、今月末か来月には行ってみようかと思います。
http://www.vill.chinen.okinawa.jp/kankou/framepage1.htm
ガイドもあるんですね。
でも聖域となると、ちゃんと理解してからいった方がいいのかなぁ。考えてみます・・。
http://www.ksky.ne.jp/~hideki/syarakuseiai/sy000910.htm
行くべきではなかったんじゃないかと。
でも今では、神様(?)が私を教え導いてくれたんじゃないかと思っています。
「もっと周りをよく見なさい、感じなさい」と。
感受性を鍛えるために、また行こうと思っています。
気になるのは、ルールがあるってこと。
そういう意識さえしていれば、どこにいっても失礼なく、わかり合うことができる・・って感じでしょうかね。
相手にも、自分にも守るののがあるはずです。それをちゃんとすることが大切ですよね。
余談になりますが、貧しい国にいって助けたいという気持ちは大切ですが、その国や人民の気持ちを無視した押し付けってのがあって、「わかりあう」ことの大切さを感じたことがあります。地震の救援物資もそうですよね。
お互いに相手を尊重する気持ちと理解しようとする気持ちが必要ですね。