金曜のセミナーの事を書きますね。早くしないと忘れてしまう。途中、ちょっと眠気に襲われて曖昧なところもありますが、所詮、歴史には推量のものも多い、という事でご勘弁を。
1530年(享録3 庚寅の年)1月21日、長尾為景の次男として景虎(後の謙信)誕生。
景虎となっているけれど、幼名は虎千代。
謙信が毘沙門天を信仰し、『我は毘沙門天の転生なり』と言った(かどうかは?)のは有名だけど、これって、名前が関係してるんだって。
子年・・・ねずみ年の守り神?が大黒天であるように、寅年は毘沙門天なんだって。だから、虎千代が毘沙門天に帰依するのも当然の成り行き・・・とか。
午の私はなんだったんだろう・・・聞きそびれた。
因みに、毘沙門というのはヒンズー語の音を音訳しただけで、多聞天とも言われる北の守護。
東は持国天 南は増長天 西は広目天。
これをね、講師の方が「地蔵さん買うた・・じぞうさんこうた」と覚えなさいと。
まあね、これで持国・増長・広目・多聞という名前は覚えられても、東西南北の順番が東南西北やん? 方向オンチの私はきっと無理、覚えられへんわ。
虎千代というか、景虎というか、輝虎というか・・・しつこい・・・謙信に固定するまで、何度も改名している彼?だけど、ずっと『虎』はついて回っていたの。
で、謙信のキーワードはずばり『苦悩の人』
越後の国は、今の京都府と兵庫県を合わせた広さ。だから、国をまとめるのも大変なことだったらしい。今みたいに交通や情報網も発達してないしね、号令かけたところで隅々まで届かないし・・・「おら、聞いてねぇ」なんてのもたくさんいたやろ、そりゃ。
で、しかも、謙信の父親・為景は守護=県知事ではなく、その下の守護代=副知事
みたいな、微妙な役職。 その上、知事とは仲悪くて、しょっちゅう喧嘩沙汰。
時は《下克上》の時代。いっちょ、上を倒してトップに立ってやろうか、なんて気持ちをもった地方豪族なんかがわんさかいる時代。
なんか知事に疎まれてる副知事なんで、小競り合いはよくあったらしくて、日和見主義の豪族は、知事の旗色がいいときは知事につき、副知事が優勢なときは副知事につき・・・なんてしてるんだけど、結局、副知事は負けちゃうわけです。
謙信7才にして、父の死。 ところがその葬儀の際にもなにやらいろいろなものを狙って豪族が襲い掛かってくるの。それをわずか7才の謙信・・・亡骸を必死で守ったんだって、ほんまかいな?とは思うけど、私の中ではがくちんキーホルダーのキャラが「僕、頑張るんだい!」なんて、刀を振り回しているのが思い浮かぶ。ここで、葬儀にさえ刀振り回してくる現実?に、幼い謙信・・・いろいろ思っちゃうんですよ。 無情やら無常?やら。
まぁ頑張っても、次男坊の哀れ。家督は長男の晴景に譲られて、謙信はそれまで暮らしていた春日山城から、ちょっとはなれた栃尾城なんて辺鄙なところに追いやられてしまうの。これがなんと14才。14才とはいえ、栃尾城の城主。ここでは19才までいて、なんせ年若の城主だから、家臣?は言う事聞かないし、回りからは「やっちまおうぜ」なんてドンドン攻め立てられて、ここでも悩むジュニア謙信。
ところが・・・毘沙門天のついてるこのジュニアは強いんです。どれくらい強いかといえば・・・海音寺潮五郎の著作「天と地と」に・・・先だってあんずさんも書いてたけど・・・あるので読んでください。
「風林火山」はあくまでも勘介の物語だからね、これ読んでも謙信の事はあまり分からない。
あら~。謙信が亡くなるのは49才、やっと19才まで書いただけなのに、長いやん。これ次回に続く!
1530年(享録3 庚寅の年)1月21日、長尾為景の次男として景虎(後の謙信)誕生。
景虎となっているけれど、幼名は虎千代。
謙信が毘沙門天を信仰し、『我は毘沙門天の転生なり』と言った(かどうかは?)のは有名だけど、これって、名前が関係してるんだって。
子年・・・ねずみ年の守り神?が大黒天であるように、寅年は毘沙門天なんだって。だから、虎千代が毘沙門天に帰依するのも当然の成り行き・・・とか。
午の私はなんだったんだろう・・・聞きそびれた。
因みに、毘沙門というのはヒンズー語の音を音訳しただけで、多聞天とも言われる北の守護。
東は持国天 南は増長天 西は広目天。
これをね、講師の方が「地蔵さん買うた・・じぞうさんこうた」と覚えなさいと。
まあね、これで持国・増長・広目・多聞という名前は覚えられても、東西南北の順番が東南西北やん? 方向オンチの私はきっと無理、覚えられへんわ。
虎千代というか、景虎というか、輝虎というか・・・しつこい・・・謙信に固定するまで、何度も改名している彼?だけど、ずっと『虎』はついて回っていたの。
で、謙信のキーワードはずばり『苦悩の人』
越後の国は、今の京都府と兵庫県を合わせた広さ。だから、国をまとめるのも大変なことだったらしい。今みたいに交通や情報網も発達してないしね、号令かけたところで隅々まで届かないし・・・「おら、聞いてねぇ」なんてのもたくさんいたやろ、そりゃ。
で、しかも、謙信の父親・為景は守護=県知事ではなく、その下の守護代=副知事
みたいな、微妙な役職。 その上、知事とは仲悪くて、しょっちゅう喧嘩沙汰。
時は《下克上》の時代。いっちょ、上を倒してトップに立ってやろうか、なんて気持ちをもった地方豪族なんかがわんさかいる時代。
なんか知事に疎まれてる副知事なんで、小競り合いはよくあったらしくて、日和見主義の豪族は、知事の旗色がいいときは知事につき、副知事が優勢なときは副知事につき・・・なんてしてるんだけど、結局、副知事は負けちゃうわけです。
謙信7才にして、父の死。 ところがその葬儀の際にもなにやらいろいろなものを狙って豪族が襲い掛かってくるの。それをわずか7才の謙信・・・亡骸を必死で守ったんだって、ほんまかいな?とは思うけど、私の中ではがくちんキーホルダーのキャラが「僕、頑張るんだい!」なんて、刀を振り回しているのが思い浮かぶ。ここで、葬儀にさえ刀振り回してくる現実?に、幼い謙信・・・いろいろ思っちゃうんですよ。 無情やら無常?やら。
まぁ頑張っても、次男坊の哀れ。家督は長男の晴景に譲られて、謙信はそれまで暮らしていた春日山城から、ちょっとはなれた栃尾城なんて辺鄙なところに追いやられてしまうの。これがなんと14才。14才とはいえ、栃尾城の城主。ここでは19才までいて、なんせ年若の城主だから、家臣?は言う事聞かないし、回りからは「やっちまおうぜ」なんてドンドン攻め立てられて、ここでも悩むジュニア謙信。
ところが・・・毘沙門天のついてるこのジュニアは強いんです。どれくらい強いかといえば・・・海音寺潮五郎の著作「天と地と」に・・・先だってあんずさんも書いてたけど・・・あるので読んでください。
「風林火山」はあくまでも勘介の物語だからね、これ読んでも謙信の事はあまり分からない。
あら~。謙信が亡くなるのは49才、やっと19才まで書いただけなのに、長いやん。これ次回に続く!
午後から晴れるというけれど・・・。
先日のTV番組で、「謙信と信玄は戦が強かった!」って・・・。
信長は勝率約7割で、謙信と信玄は、ほぼ10割。
めちゃくちゃ強かったらしいですねぇ~。
で、脅威を感じた信長が、ふたりを毒殺したんじゃないかという推論でしたけど・・・。
へさん、彦根城かぁ。
ひこにゃんに会ってみたいなぁ…。
金沢震度5!!
怖すぎる…。
今も揺れてます、ってキャーーーー!!