『じっとして見つめていられないものが二つある、太陽と死と』
この言葉を知ったのは小学生の頃でした。
☆mimi☆さん、 こんな書き方をしていいものかどうかとても迷ったのですけれど、よく知らせてくださいました。T.Kが昨日の貴女に続けたように、皆、ほんとにずっと・・・貴女の事を気にしていました。
ただ、貴女がとても繊細で気を遣う人だと分かってから、ここで敢えて「元気にしてますか?」 「どうしてる?」と呼びかけるのはやめておこうと、暗黙の了解のようになっていました。 毎日、わあわあ騒ぎながら、私達の気持ちの中にはいつも☆mimi☆さん、貴女がいました。
私が父を失ったのと年齢的に同じくらいなのでしょうか?
私は、12年たった今でも父の事を思うと涙が出ます。 父が教えてくれた事を忘れずにいます。 父の・・まだ意識のあった頃の最後の言葉も、父の最期の・・・少しだけ顔を横に傾けて棺に横たわっていた姿も。
何かの拍子にふっと父の・・・残り香のような・・・曖昧で懐かしい温かさに包まれる事もあります。
お顔も存じ上げない貴女に言うべき言葉ではないのかもしれませんが、「頑張ったね、よく看てあげましたね」と。
貴女の思いを胸にお母様は旅立たれたと思いますし、貴女の全てにお母様は息づいていらっしゃる事だと確信しています。
私達の年齢ともなれば、遅かれ早かれ誰もが避けては通れない道だと思います。
これまた変な励ましになってしまいますが、☆mimi☆さん、貴女だけじゃない。
どれだけ尽くしたつもりでも、後から後からああすればよかった、こうもしてあげたかったと・・・思うことにもなるでしょうけれど、私達は分かっています。
本当に貴女は偉かったよ、頑張ったよ。じっとして見つめていられないものを、よく目を逸らさずに見てすごしましたね。
お母様のご冥福をお祈りするとともに、貴女のお疲れが出ませんようにと、ここでお伝えいたします。
貴女の席はちゃんとありますよ。いつでも遊びにきてください。
この言葉を知ったのは小学生の頃でした。
☆mimi☆さん、 こんな書き方をしていいものかどうかとても迷ったのですけれど、よく知らせてくださいました。T.Kが昨日の貴女に続けたように、皆、ほんとにずっと・・・貴女の事を気にしていました。
ただ、貴女がとても繊細で気を遣う人だと分かってから、ここで敢えて「元気にしてますか?」 「どうしてる?」と呼びかけるのはやめておこうと、暗黙の了解のようになっていました。 毎日、わあわあ騒ぎながら、私達の気持ちの中にはいつも☆mimi☆さん、貴女がいました。
私が父を失ったのと年齢的に同じくらいなのでしょうか?
私は、12年たった今でも父の事を思うと涙が出ます。 父が教えてくれた事を忘れずにいます。 父の・・まだ意識のあった頃の最後の言葉も、父の最期の・・・少しだけ顔を横に傾けて棺に横たわっていた姿も。
何かの拍子にふっと父の・・・残り香のような・・・曖昧で懐かしい温かさに包まれる事もあります。
お顔も存じ上げない貴女に言うべき言葉ではないのかもしれませんが、「頑張ったね、よく看てあげましたね」と。
貴女の思いを胸にお母様は旅立たれたと思いますし、貴女の全てにお母様は息づいていらっしゃる事だと確信しています。
私達の年齢ともなれば、遅かれ早かれ誰もが避けては通れない道だと思います。
これまた変な励ましになってしまいますが、☆mimi☆さん、貴女だけじゃない。
どれだけ尽くしたつもりでも、後から後からああすればよかった、こうもしてあげたかったと・・・思うことにもなるでしょうけれど、私達は分かっています。
本当に貴女は偉かったよ、頑張ったよ。じっとして見つめていられないものを、よく目を逸らさずに見てすごしましたね。
お母様のご冥福をお祈りするとともに、貴女のお疲れが出ませんようにと、ここでお伝えいたします。
貴女の席はちゃんとありますよ。いつでも遊びにきてください。
この年齢(?)になれば誰でも親しい人との別れを幾つか経験してしまいます。淋しいし悲しいけれど、時間がその人なりの思いの落ち着かせ方を与えてくれているように思います。
しんどい時はしんどいように、辛い時は辛いように、無理をしないで過ごして欲しいと思います。
朝がやってきます、、阿佐ヶ谷ッ的舞す、、なんて変換だ。。
私は貴女がお母様のことを告白された時も、何も言葉をかけれませんでした。
でも、ずっと心の中で、mimiさんの手を握っていましたよ。
私の母もあと3ヶ月と言われた時、泣いてばかり過ごしていました。
でも、亡くなった母の姿を見たときも、お葬式もなぜか涙が出ませんでした。
乳飲み子をかかえて、母には何にも出来なかったことを、今でも悔やまれてなりません。
本当によく最後まで看病されましたね。
お母様もきっと、お幸せだったと思います。
心から、ご冥福をお祈りいたします。