遊asobu☆による保育士向上委員会

子育て中の方や、これからの保育士の方々のためになる、発達や保育ブログ、他バドミントン練習日記など。

子どもにとって重大な問題の9月1日って日を考える

2017年08月31日 | 保育士の向上

子どもにとって長期休み明けの登校

 

大人の想像以上に負担となっているって、、

 

大問題だよね

 

大人が作った社会で家庭で学校で、

 

そこで子どもが苦しんでいる、、

 

子どもが苦しむような欠陥があるってことで

 

大人がそれを改善しなくちゃ!!

 

保育者としては目の前の子どもには自ら命を絶つような気持ちにさせないって

 

強い意識を持って関わらないといけないって思うけど、

 

個人の支援ではどうしようもない、構造上の問題もあるって思うし、、

 

対処療法的には、

 

相談機関をつくるとか

 

学校に行かないとか、

 

交番に駆け込むとかあるけども、、

 

根本的な解決ではないよね

 

それもこどもにとって負担になる場合があるしで、、

 

学校や保育所でも

 

過剰適応して苦しんでいる子どもが居て、、

 

それを家庭で辛い気持ちを受け止めてくれる大人がいるといいんだけど、

 

それも叶わないならもう知識も経験も経済力もない子どもには

 

どうしていいのかわからずどうしようもない、、

 

こんな状況では、

 

早急に学校やクラス運営は子ども目線での改善が必要だって思うし、

 

その他にも、

 

身近な大人の子どもと向き合う時間と心の余裕の確保とか

 

大人が個性を認めず、集団や組織の一員となるのが目標というような

 

教育の目的を改め、

 

個人を認め、

 

違いがあって当たり前というような互いを尊重できるってことを

 

教育の目的とするみたいなこととかね

 

子どもが生きやすい社会に大人が危機意識を持って

 

変える必要があるなって、、

 

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2017年08月28日 | 障害児支援

かなり気になるニュースだったので考えてみようと、、

まず、熱中症になるまで部活で走らせるってことについては、

 

どんな学校でも教育者ではないってことはあるけれども、、

 

その背景には、、

 

会社適応を大目標としていて、

 

おそらく採用後に苦情になるようなことには絶対にならないようにって思いが

 

強すぎたんじゃないかなってのは想像できる

 

さすが就労を目指していた学校に通っていただけはあるなみたいな評価も欲しいし、、

 

社会全体がまだ障害受容が全然できていないにもかかわらず、

 

こちらから歩み寄り、頑張れば今の社会に溶け込めると信じているところがちょっと怖いなってね

 

学校の目標は

ア 豊かな心と丈夫な体を養う。
イ 自ら学び、自ら考え、主体的に行動する力を育てる。
ウ 豊かな情操を育み、社会性や規範意識を育てる。
エ 勤労意欲を高め、企業就労に必要な基本的な知識・技能・態度を養う。
オ 社会の一員としての自覚を育て、地域社会に貢献しようとする意欲や態度を養う。
 
定型発達者でも難しいような無理難題ばかりで、
 
 
これらは出来ない子どもは認めないというような、
 
 
支援を必要とされる障害のある子どもの人格を否定することにもつながる
 
 
それよりも、
 
 
社会で自分らしく生きるためにってことについても教えた方がいいと思うしね
 
 
まだまだ会社の側がハードもソフトも準備が出来ていない段階で雇用だけ確保するとなると、
 
 
あちこち問題が出てくるのは当然でね
 
 
そんな問題が出ないように学校側としては短期間で適応できるようにつめこもうとしたんだろうけども、、
 
 
個人個人、持っている力の量も質も把握するのも必要だし、
 
 
どの部分が今後も支援が必要になるだろうということも合わせてね
 
 
全員を一律に会社に適応させることは不可能なんだってまず先生が自覚しなくちゃいけないって思うし、
 
 
現場の話を聞くと就労のための特別支援が出来る人材の不足って声もあるけども、、
 
 
 
また就労系が最近出来てきたばかりなので、
 
 
試行錯誤でまだまだやりながら修正しつつってところもあるだろうけども、、
 
 
そんな障害のある子どもばかりに負担を背負わすんじゃなくて、
 
 
大人の社会の側が障害についてもっともっと理解を深め、
 
 
配慮すべきことやものを考えられるようになるってことが、
 
 
まず必要かなあ
 
 
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歴史的な発言をしたダウンタウン松ちゃん

2017年08月21日 | 保育の時事問題

先日、番組内で松ちゃんがこれまでタブーとされた、

 

報道に関してのテレビ局による芸能事務所に対する忖度について

 

指摘があった!

 

始め松ちゃんのツイを読んで、

 

うん?また枠に収まらなくて面白いのにカットされたのかなって思ってたんだけど、

 

全然違った

 

要はネットニュースを見ている人にとっては

 

周知のニュースであった、

 

上原多香子さんのことについて収録では取り上げたのを

 

放送では直前でカットされたんだよね

 

テレビ局側の説明によると、

 

本人のコメントが出ていないからとか、

 

事実が明らかでないからとか説明があったらしいけど、

 

そんな状態でもこれまでは番組で取り上げてきたんだよね

 

これは納得できない!と、、

 

これまでも何度もこういうことはあったと思われるけど、

 

MCであっても有名タレントであっても、

 

利害関係のあるテレビ局がノーと言えば従っていたんだと思う

 

それがテレビ局や芸能界から干されないように

 

自分の家族や生活を守るためでもあったんだろうけども、、

 

でもでも松ちゃんはそんなことはおかまいなしにおかしい!と、、

 

まあ、テレビ局にとっては松ちゃんを出演NGにする不利益の方が

 

莫大すぎるってことなんだろうけどもね

 

ただ、松ちゃんも言っていたように、

 

特定の事務所のタレントの件について報道しないことの方が、

 

 

今後はテレビ局にとっては打撃になるだろうって思ってね

 

 

 

例えば、ネットでは周知の事実としているのに、

 

なぜ報道しないんだ?って不信感の方が、

 

今後は大きくなって視聴率に影響する可能性がある

 

これはネットの功罪の功の方なんだろうなって、、

 

その方がテレビ局にとっては致命的になりかねない

 

テレビ局は大芸能事務所によって支えられてきた

 

その所属タレントを出演させることによって、

 

スポンサーが付き、

 

そのお金で番組が制作され、ギャラが支払われ、

 

一部が社員の給料となる

 

そんな利害関係が現在まで続いていて

 

本音としては将来もずっとそんな関係を続けていきたい、

 

いわば超お得意様なわけで、、

 

その所属タレントのマイナスイメージとなるような報道は、

 

言われなくてもわかっているよね的な扱いにならざるを得ない、、

 

そうしないと事務所の機嫌を損ね、所属タレントを引き上げられかねない、、

 

これまでも某アイドル事務所所属大物タレント結婚時にも

 

ほとんど報道されないとかありえないこともあったし、

 

報道機関は元々特定の組織にそんな弱みを握られるような関係性になっちゃいけないんだって、、

 

それは芸能事務所もそうだし、

 

政治的にもそうなんだと思う

 

テレビ局自体、放送法や電波法で守られており、

 

参入が極めて難しい特権のある放送免許を国からもらうって立場になっているっていうのも、、ね

 

そんな利益相反関係にならないように、

 

テレビ局や新聞などの報道機関は努めないといけないって思うし、

 

次世代を担う人たちにはそんな健全な報道機関のもと、

 

社会が運営されるといいなってね

 

こういうことが

 

自分だけとか自分の会社、業界だけがよかったらいいんだという、

 

利己的な考え方から、

 

公共性とは何かとか、

 

みなが共存することや共同体意識なんかについて考えるきっかけになるといいなって、、


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誤報問題で松ちゃん降板宣言

障害のある人が事故で亡くなったときの損害賠償は少なくていい?

 

 

 

 


理想の保育者ってどんな人?

2017年08月20日 | 保育士の向上

理想の保育者ってどんな人だろう?と私なりに…



まず、子ども目線になれる人!かな?



中には上から教育しよう、しつけようとする意識ばかりの人もいる そんな人にかぎって、まじめだったりして子どもにとっては逆にたちが悪い 



生まれてまだ数年程度で、早速教育やしつけばかりだと、周囲の人を肯定的に受け止められなくなる→世の中を前向きに捉えられなくなる→自己肯定感が持てなくなる→人生って辛く苦しいだけなんだとならないだろうか? 



なので、まず生まれて来たら受容され、共感されることが必要だろう 無条件に受け入れられ、自分の想いに共感してくれる人がいると、人にも世の中にも自分に対しても肯定的に受け止められるようになる そうすると自分を思い切り出せる、自己効力感を持てる、世の中を前向きに生きていけるようになるんだと思うんだけどどうだろう?





家庭環境に恵まれない子どもの場合はさらに親代わりである保育士に受容され共感される必要があるかと思われる 




受容と共感が大事 !



その段階を一定満たされると、教育や倫理観なんかを伝えられるようになる 



しっかり自分を受け入れられたという実感があると、人の話もよく聞く準備が出来上がるので、自分の悪かったところの話も客観的に全部ではないにしても、素直に聞きやすくなる 





たまに受容と共感のみの優しい?!保育者もいるけど、それは私にはもったいないって思う 受容と共感のみでは与える影響力の質に間違いはないだろうけど、弱いのではないかなー 




せっかく継続的に関わり、お互いの関係性も深まっている状態で、受容と共感のみでは、何か大きく間違った言動をしたときに強い影響力を与えられるチャンスを逃してしまうことになる そこで悪いことは悪い、こうしないといけなかったと強く伝えることでいい意味での強い影響力を与えることができる 




それは後々に自分のために、自分を大事に思っていてくれたからこそと気付く日がくると期待しつつ、すっかり忘れてしまってそんな日がやってこなかったとしても、人格の形成に大切な時期に強い影響力を与えているはずだと思う 





人間には感情があるので、時には喜怒哀楽を出して子どもに関わり、感情をぶつけてみて情操の豊かな子どもになるよう意識することも必要なことだと思う




常に強く、イライラしながら感情的になって伝えている保育者もいるが、それもあまりよくないって思う メリハリをつけて、けがや命に係わるようなこと以外は落ち着いて伝えた方がいいだろう





大変申し訳ないが、たくさんの保育者を見てきて、5年10年現場経験のあるベテランになるほど、イライラしながら子どもに接している人がいるんだよね(スタッフにも…) 





それは長い経験から来る、子どもにはこれが必要なんだ!この支援方法が間違っていないんだ!という過信のようなものに感じることがある





経験や自信はいい保育をすることにとって当然大事なことだけど、ベテランになればなるほど、目の前の子どもから学ぶ姿勢を忘れないようにしないとね (若い保育士からもね) そうしないと、実際に保育をする子どもとは年齢がどんどん離れていくし、子どもが育つ環境も変わっていくんだから、保育者としての成長は止まってしまう もちろん自戒をこめてなんだけども
 



発達障害のある子どもには、伝えるときにあまり感情的になると逆に話を聞けなくなって、責められた、怒られたという感覚のみで、何が悪くてどうしなければいけなかったのかという大切なことが伝わらなくなってしまうこともあるので、ある程度関係性が出来ていても、落ち着いて冷静に伝えることの方がいいということもあるので注意が必要




そう考えると、伝えるときの語彙力も必要か… 




子どもによって伝え方を変えられた方がいい 前向きにさせるような話し方であったり、面白おかしく伝えるとか、わかりやすく伝えるとか同じことでも伝え方を変えるだけで子どもの反応って全然違ってくるところがあるし





あと一人ひとりをえこひいきできるってことじゃないだろうか?




全員をえこひいきしたら、平均になる あからさまにえこひいきするのではなく、例えば一人ひとりの好きなことやものを把握していつでも準備できるようになっておくってこともとても大切なことだと思うし、時間があるときは一人ひとり話を聞きこむとか遊びこめるってことも必要なスキルって思う 




えこひいきするってことは、発達段階など含めて、一人ひとりの子どもを深く理解していないとできないことでもあるので、これができると子ども理解もかなり進むと思う





なので、自分のひきだしに遊びのネタがたくさん入ってるってことも必要なことだと思う





そして、内面的なことで言うと、子どもの成長、発達を信じ切れる人でないといい保育者にはなれないって思ったり




子どもが悪い、この子には無理と決めつけてしまうと、子どもの可能性を狭めてしまうことになる 子どもが問題行動をしたり、失敗したりしてもこちらの支援の方法に問題はなかったのか、声掛けの方法はよかったのか、環境などの設定は正しかったのかとかこちらの問題と考えるようにすることで子どもの可能性も広がるだろうし、保育者としてのスキルも上がるって思ったりするけどどうかな?




だから少年犯罪で厳罰にするべき!とか本名を明かすべき!とか考える人はちょっと保育や教育には不向きなんじゃって 





子どもと関わった周囲の教育者や保育者、また直接関わっていなくてもこうしたら少年犯罪を防げたのかも?と自分のこととして考えられて実践できる人が、保育者として上げていける人じゃないかな?



それと内面的なことで言うと、子どもの支援ができるだけで幸せ!と思えることもいいかな? 




将来のある子どもの支援ができるって貴重でありがたくて幸せなことだと思いながら子どもと関わっていると、そういう保育者って必ず気持ちが伝わっていい関係性になるような気がするし、いやいやとか辛い辛いとか仕事だからと事務的に関わっている保育者とはかなり違ってくるのではないかな?




まとめると…




○保育者にとって必要なもの


子ども目線で受容と共感ができる


時には子どもに対して強い想いを伝えられる(ある程度関係性が出来ている場合のみ)


子どもや若い保育者からも常に学ぶ姿勢がある


子どもに合わせた話の伝え方ができる


子ども一人ひとりをえこひいきできる


遊びや話のネタを豊富にもっている


常に子どもの成長発達を信じられる


子どもの支援ができることを幸せに感じる






独断と偏見だけど、私が考える現場で子どもに直接支援するという意味ではこんなところかなー?




あとは他の保育者との協調とか保護者の気持ちに寄り添えるなども保育をする上ではとても大切なスキルになる





また、ピアノなどの楽器が弾ける、絵が上手く描ける、運動や体操が教えられるというのもプラスアルファとして、必須ではないけど、より魅力的な保育者になれるよね☆ 




私はその辺は全然…涙






私に足りないものたくさん見つかってしまった!悲




なので、今後、一つ一つ身に着ける方法を具体的に考えていけたらと思っています




よろしくです。



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盆休みバド遠征練習!

2017年08月15日 | バドミントン練習

盆休み中は練習がないところが多いですよね、、

 

なので練習場所を求めて遠征

 

できは、あんまりかな苦笑

 

慣れない体育館で暗いのもあったけど、

 

立ち上がりが悪い

 

ミートしないことも多かったり、

 

遠近感がつかめないのもあったりで、

 

ミス連発、、

 

慣れるのに2ゲームほどかかった笑

 

サービスレシーブのヘアピンに反応が遅れたり、

 

カウンター気味に落とされたのを前衛で反応できなかったり、

 

スマッシュレシーブされて体勢を戻せず返せないとか、、

 

いろんなミスをしたなあ

 

こちらからの強いスマッシュに上手く合わせて、

 

ハーフやネットのサイドへ居ないところへ落とす方がいたなあ

 

あれが出来たら女子でもバーンと後ろに返せなくても、

 

男子とラリーが出来る

 

あとはなんどか前に残ってもよかったって時があったかな

 

ロングサーブやサービスレシーブも含めてだけど、

 

相手が遅れて反応したり、バックハンドになりそうだったりだけど、

 

そんな時でも下がってしまう

 

これはずっと課題だなあ

 

でも後半はまずまず出来た気がする

 

ハイバックがよく飛んで揺さぶれたり、

 

ロブで振り回して甘い球がくるまで粘るとかも、、

 

あまり知らない方ばかりだったけど楽しい夏休みバドだった☆

 

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