遊asobu☆による保育士向上委員会

子育て中の方や、これからの保育士の方々のためになる、発達や保育ブログ、他バドミントン練習日記など。

厚労省が頑張らないと子どもを守れない、文科省が考える幼児教育義務化の問題点

2022年08月29日 | 保育士の向上

幼児教育の義務化が計画されています。

 

子ども家庭庁の設立とも関係があるみたいです。

 

文科省のお考えを動画の番組でみたのですが、

 

ちょっと怖いなと感じました。

 

まず、

 

保育所と幼稚園の違いがあることに問題があるとおっしゃっていました。

 

どっちが?!苦笑

 

幼稚園は教育をしていて、保育所はしていない!それを統一しないといけないみたいな。

 

うん?! 

 

そこで幼稚園は幼稚園教育要領が小学校学習指導要領と同じようにあるんです!

 

と得意げにおっしゃっていましたが、

 

幼稚園教育要領よりも保育所保育指針の方がより具体的で詳細な内容になっています。

 

保育所には保育所の指針があって別にやってて、、と名称を濁していましたが、

 

保育所保育指針という正式名称を知らないようでした。

 

その時点で下にみていますよね!

 

これで幼稚園はいいけど保育所は問題だ!と言いたいのがわかりました。

 

文科省主導で保育所保育指針をつぶして、幼稚園教育要領に寄せようとしていると考えられます。

 

保育所保育指針も研究者の根拠に基づいて作られた、専門性の高いものです。

 

それを大人から見た教育の視点のみにしようとしています。

 

そこには子どもの成長発達にとってどうなのかという視点はないようでした。

 

外国では2歳から義務教育になっているとかおっしゃっていましたが、

 

その成果は大人にならないとわからないので、有効かのエビデンスはありませんとも共演された方が話していました。

 

義務化は別にいいのですが、内容が大事だと思います。

 

私は今回の幼児教育義務化の話は現場の先生の苦情にあるのではないかと思っています。

 

小学校一年生の先生がきちんと椅子に45分持続して座ってくれないと困る!とか、読み書き計算を教えるのが大変すぎる!とかね。

 

それは先生のスキルの問題なのか、先生の人手の問題なのか、子どもの発達水準の問題なのかまずはその分析をしてほしいと思います。

 

昔は体罰が家でも学校でも当たり前でした。

 

子どもはそれが怖くて、大人に従わざるを得ない状態でした。それが、体罰という武器を失ったため、学校の先生は子どもの指導が難しくなっていると思われます。

 

昔は保護者も世の中も、学校の先生のいうことは絶対!と思っていました。その空気も先生はやりやすかったでしょうね。

 

個人的には体罰という武器を失ったままでそれから体制も変わらず、昔から特別スキルも上がっていないため、子どもを指導することが難しくなっていると思われます。

 

体罰がなくなったのは子どもにとって有益だったと思っています。子どもに対して高圧的な大人が減ったおかげで、この国でも10代で大人に負けなかったり、世界で活躍するような子どもが出てきたと思っています。

 

私は年長の子どもも小学校1年生も多くの子ども達を見てきましたが、

 

私の経験からの印象ですが、

 

小学校1年生でみんながきちんと席に座って静かに先生の話を45分間聞き続けるというのは、難しいと思っています。

 

でも、一年かけて徐々に習慣化することは可能だと思います。

 

それに私の個人的な経験ですが、

 

小1の時点で大人に従順でも、小3になると問題行動が出始めるという、逆転現象がありました。不平不満が溜まっていたのではないでしょうか。

 

それとは反対に、小1の時点で自由に育っていて大人に従順ではなくても、小3になるとこれまでの成長過程に満足しているのか、とても落ち着いていったということもありました。

 

そう考えると、子どもには発達の順序というものがあり、その時に必要な支援があるという原則が大事だと思います。それを短期間で無理に詰め込んだり、急いだりすることで後々になって必ず歪みが出てくると思います。

 

あと、

 

読み書き計算ですが、

 

もし年長である程度それらのお勉強をするということになりますと、

 

これまでしていた支援が相対的に減るということになります。

 

そうなることで必要な支援が不十分なまま、小学校1年生になることの不利益の方が大きくなると思います。

 

年長さんは自我が固まりつつあり、その上で仲間意識が生まれてきます。自分の好きなことが見つかり、好きな遊びをする中で、横のつながりが出来ます。集団への意識も生まれ、集団で一つの目的に向かって力を合わせて助け合い、協同することが可能になっていきます。個人差はありますが。

 

年長の間に必要な支援が、お勉強に費やされるということは、それだけでも子どもに必要な支援が欠けそうですし、個人差も大きい時期ですのでもしお勉強が難しい子が居たら、とても不利益を受けます。苦手意識を強化することにもなる可能性があり、そういう子どもは小学校に上がったら逆に苦労すると思います。

 

文字を読むだけをみても、年長のどこかで急に読めるようになる子が結構います。なので、個々の発達の時期やタイミングがとても大切だと思います。

 

なのに一律に同じ時期に教育するということは、合わない子どもが一定の割合で居るということになります。

 

私は年長さんでお勉強を意識した支援をする場合、机上での課題に興味や意欲を育てたい!と思って支援をしていました。

 

そのために具体的には

 

・個別に難易度の合った少し頑張って出来た!という自信や実感の持てる課題を用意すること

 

・好きなキャラクターや乗り物など本人の興味のあるものを使った課題を用意すること

 

この二つを大切にして出来た!という自信や意欲を得て、またやってみたい!、少し難しくても挑戦したい!と思えることが大切だと思っていました。

 

大人にやらされるというような無理やりじゃなく、子ども自ら自立的に出来る課題を個別に用意する!ということです。

 

子どものニーズが同じなら同じものでも大丈夫です。

 

それが学校での勉強の向き合い方のベースになると思っていました。

 

そういう、子どもからの視点抜きにした、幼児教育は無いと思っています。

 

もし大人の視点ばかりの幼児教育だとしたら、

 

苦しむ子どもが大勢出ると思いますので、恐ろしいなと思っています。

 

厚労省には文科省の意図に負けずに子どもを守ってほしいと思います。

 

 

国試保育士遊asobu☆

 

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多くの人が障害のある人は居なくなった方がいい!という価値観を持っていることについて

2022年08月29日 | 保育士の向上

障害のある人は居ない方がいい!というつぶやきに対して、

 

たくさんの人が共感をし、いいね!を押したりします。

 

多くの人が何か大切なことを教えてもらわず、大人になったように感じるのですが。。

 

もし、障害のある人が居なくなり、健常と言われる人のみになったとします。

 

でも、人は病気にもなりますし、事故にあったり怪我もします。

 

あと、老化によってほとんどの人が障害のある人になります。

 

生まれてきて後に、もし障害のある人になった場合、障害のある人が居ない方がいい!と考える人は、どうしたらいいとお考えなのでしょうか?

 

社会的コストだとどこかに閉じ込めておく?!

 

そんな非人道的なことは出来ないでしょう。

 

それに最終的には自分もそうなる可能性が高いですが、それはいいのかな。

 

後々誰もが障害のある人になると考えられるということは、障害のある人が住みよい社会は、全ての人にとって有益だということです。

 

私が考える、世の中に障害のある人が居ることのメリットは、

 

・後天的に障害のある状態になった人が、今までと変わらず自然に生きていける

・健常と言われる人でも、何かしら弱点を持っているもので、その弱点に対する支援がある(実行されるかは別ですが)

・相手に何かを伝えるのが難しい場合、周囲の健常者が気持ちを読むという機会になる 相手の気持ちを想像することを実践する機会になる →相手の気持ちを大切にする、思いやりを持てるようになる

・健常者ばかりの社会よりも穏やかな社会になっていると思われる(想像ですが笑)健常者ばかりだと、明確にハッキリと優劣が決まってしまい、もっとギスギスした人間関係になると思われる

 

まだ他にもあるかもしれません。あればコメントで頂けたらとても嬉しいです♪

 

私は支援者として、多くの喜びを障害のある子ども達から頂きました。

 

それは何かが出来るようになって嬉しいということもありますが、

 

自分らしく居られたらそれでいい!んだとか、

 

相手の気持ちを尊重する大切さとか、

 

人間らしい感情の素直な表出の大切さとか

 

何気ないことに幸せを見つけられるようになるとか、

 

精一杯すればそれでいい!結果や周囲との差は気にしないでいい!

 

とか他にもあるかもしれません。

 

障害のある人のそばにいると、普段得ることの出来ない、たくさんの事を与えてくれます。

 

障害のある人やそのご家族や親戚の方は、日々の生活が想像できないくらいの大変さがあるといわれています。

 

そのような障害のある人とそのご家族が、より住みよい社会を実現することが、

 

みんなにとって住みよい社会になるということだと思います。

 

 

国試保育士遊asobu☆

 

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