ギャラリー縄「しょう」

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ギャラリー縄コレクション

2007-12-21 | ギャラリー縄コレクション
二代 川瀬竹春先生のこと



1977年、大阪で初めての個展を開催させていただいた時は
染付祥瑞で無形文化財に指定されていた、初代竹春先生が
ご健在で、本名の「川瀬順一作陶展」でした。
しかしその頃で、二代竹春先生の作陶歴はすでに40年近くにおよび
中国陶磁の元、明、清の染付、祥瑞、古染付、釉裏紅、赤絵、金襴手、
黄地紅彩、緑地黄彩、黄地染付、豆彩、など精磁のすべての技法を
手のうちにされておられました。
ことに成化豆彩は、先代を継承されたものではなく、独自に研究され
今日まで、現代陶芸界でそれ以上の作品を拝見したことがありません。
竹春先生の作品を語っているうちに、現代の焼き物作家、愛好家、私共が
焼き物を見るにあたっての重要なことに気が付きました。
それは焼き物のに関してよく言われる「写し」倣古という言葉です。
1979年、壺中居で開催された「二代竹春襲名展」での竹春先生挨拶文に
「私の憧れる中国彩磁の研究を続け理論ではなく其の素晴らしさの中に
埋没しそこから自分を見出し度いと考え、倣古的であるとの批判を受けても
安易な創造は流行であると信じ、理想とするものが偉大であって乗り越える
ことが叶わぬともこれが自分の道だと信じております。」とありますが
ここに、この事の真意の一つが覗えると思います。



竹春先生の元染風のデミタスカップです、伝世品では釉裏紅の盤がのみが有り
中央の窪みから、盃台と考えられたのでしょうか、このように創造されました。
中国彩磁の精髄に近迫された竹春先生ですが、その作品には常に先生の香りが
ただよっていました。

川瀬家は先の戦時中に、京都の五条坂から立ち退きにあい、神奈川県大磯に移住
されたのですが、二代竹春先生も外地からの帰還後、その地の三井本家別宅内の
城山荘の登窯での仕事では、いわゆる土物も作られたようで、ことに唐津は
先代と共にお好きだったようです。
唐津の西岡小十先生のお供で、川瀬家の茶会に招かれたことがありました
焼き物は、古唐津づくしで、おそらく小十先生に鑑定していただこうとの
気持ちも、おありだったのでしょうか。
小十先生は、お道具のうち何点かは「古唐津では見たことがありません」と
表現されましたが、小十先生が見たことがないということは、古唐津ではない
ということでしょうか。
茶道具として、雅味、お茶気のある唐津物は、どうも京唐津が多いようです。
小十先生の論では、多くの古唐津は「素朴で簡素」なもので、それ故に
味わいのある、独自の小十唐津を創り出そうとされたのだと思います。



大磯の川瀬家にお伺いするたびに、羨ましく思っていたことがあります。
応接室に置いておられた、灰皿です。
当時、川瀬家の皆様が愛煙家だったようで、各所に自前、自作の灰皿が
置いてありました。万歴赤絵の大振りもの、小振りの染付、色絵など、
うらやましく思いましたが、譲っていただきたいとは言い出しがたく
何人かの、親しい若い陶芸家によく似たものを依頼したこともありましたが
どうも川瀬家のようにはいきませんでした。
竹春先生のお悔やみに大磯に行き忍さんと、竹春先生、竹志さんとの
いろいろの思い出話中で、灰皿のことも言ったようです。
後日、忍さんが来阪された折、竹春先生が作り、愛用されていた
この灰皿を記念にと持参していただき、頂戴しました。
煙草をやめられなくて、唯一の恵みです。嬉しいことでもあり
悲しいことでもあります。