
今日はお月見、十三夜である。
お月見の風習は、旧暦8月15日の十五夜が有名であるが、旧暦9月13日の十三夜も古来から行われてきたお月見である。
一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われている。
十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれているが、十三夜は、お供えとして栗や豆を供えるので「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれている。我が家でもススキと団子と栗をあげた。
十五夜の時期は、天候がすぐれず、あまりお月見には向いていないが、十三夜のの頃は、空気も澄んで月の姿もくっきり。
とかく、凶悪事件や環境の悪化など私たちを取り巻く状況も悲しい限り。21世紀はバラ色の時代であったはずが、この閉塞感。
いつまで優雅に月を愛でる風習が残っているのかな、などと考えながら、冷たい風を感じ、ガラス戸を閉じた。
お月見の風習は、旧暦8月15日の十五夜が有名であるが、旧暦9月13日の十三夜も古来から行われてきたお月見である。
一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われている。
十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれているが、十三夜は、お供えとして栗や豆を供えるので「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれている。我が家でもススキと団子と栗をあげた。
十五夜の時期は、天候がすぐれず、あまりお月見には向いていないが、十三夜のの頃は、空気も澄んで月の姿もくっきり。
とかく、凶悪事件や環境の悪化など私たちを取り巻く状況も悲しい限り。21世紀はバラ色の時代であったはずが、この閉塞感。
いつまで優雅に月を愛でる風習が残っているのかな、などと考えながら、冷たい風を感じ、ガラス戸を閉じた。
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