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Esprit de TSUKUBA

つくばエクスプレスが開通して沿線はバブル期のような開発ラッシュ。首都圏入りしたつくばのすてきなつくばスタイルの紹介です。

当世 七五三事情

2007年11月05日 | つくばの歳時記
七五三のシーズンである。11月15日近くになると、筑波山神社には着飾った子供たちの姿が見られるようになる。七五三は数え7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う年中行事である。以前は「ひもとき」「おびとき」などと言っていたが、今は七五三で統一されている。もともと関東地方の風習のせいか、最近では、茨城県や千葉県で行われている結婚披露宴のような豪華な七五三を取り上げるテレビ局が増えている。ご多分にもれず、このつくば周辺においても豪華になる一方である。会場もホテルや式場で行い、招待者も親戚、友人、ご近所、勤務先関係など50人を超える。女の子は、5歳で行うが、お色直しまである。宴席も子供が歌っているうちはカワイイが、酔っぱらった大人の演歌とかが始まるとウームと考えてしまう。宴席も進むにつれ、子供が菓子等を配りながらテーブルを回る。招待者は、「衿祝」と称して、幾ばくかのお金を子供に渡すのである。昔は合同紐解式として、現在の成人式のように公民館などで祝ったものである。この辺ではお返し物の中に紅白の大きなお餅が入っているので、夜は雑煮にする家が多い。また、昔ながらの千歳飴も配られる。七五三を境に、家によっては、身上(しんしょう)を子供の親に渡し、住まいも母屋と離れを入れ替えたり、集落の付き合いも子供の親に替わったりと七五三は、家族にとっても大きな節目の行事なのである。もともと男児は、女児より体が弱かったせいか、7歳で祝うのは、大きな節目であったろう。まあ盛大に祝いたい親心もわからなくはない。

今日は・・・十三夜

2007年10月23日 | つくばの歳時記
今日はお月見、十三夜である。
お月見の風習は、旧暦8月15日の十五夜が有名であるが、旧暦9月13日の十三夜も古来から行われてきたお月見である。
一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われている。
十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれているが、十三夜は、お供えとして栗や豆を供えるので「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれている。我が家でもススキと団子と栗をあげた。
十五夜の時期は、天候がすぐれず、あまりお月見には向いていないが、十三夜のの頃は、空気も澄んで月の姿もくっきり。
とかく、凶悪事件や環境の悪化など私たちを取り巻く状況も悲しい限り。21世紀はバラ色の時代であったはずが、この閉塞感。
いつまで優雅に月を愛でる風習が残っているのかな、などと考えながら、冷たい風を感じ、ガラス戸を閉じた。



愛猫 にゃん吉とトロサーモン

2005年05月31日 | つくばの歳時記
突然猫を飼うことになった。
しかも2匹。
両方ともいわゆる茶トラの雄である。
名前はとりあえず、にゃん吉とトロサーモン。
ちなみにトロサーモンは、まだブレイクしていない漫才コンビ。
とりあえず用意したものは、
トイレ、トイレ用砂、食事皿、飲料用皿、段ボールの寝床と毛布、
餌の缶詰、爪研ぎ用板等々5000円ぐらいかかってしまった。
昔は、お金はかかった記憶はないが・・・。
生まれたのは4月8日、お釈迦様と同じだ、
何かのご縁があるか。期待しよう。
生後2ヶ月近いと、予想より大きい。
写真は、にゃん吉だが、やはり、猫でも性格が
違うようで、にゃん吉のほうが人見知りするようだ。
今は疲れて2匹とも寝てしまったが
朝は何時に起きるのか、
今から心配している。

ツバメとの戦い A fight with a swallow

2005年05月25日 | つくばの歳時記
ここ毎朝、私はツバメと戦い続けている!
ツバメは私の館になんとしても進入しようと
虎視眈々と玄関の開くのをねらっているのだ。
玄関のカーテンが引かれる音を察知するのか
新聞を取りに玄関を開けると、
玄関正面にある電線に止まっている
つがいのツバメはものすごいスピードで、
私のほうに向かってくる。
これでは、まるでヒッチコックの「鳥」ではないか。
先日は、その戦いに敗れ、進入を阻止できなかった。
一瞬のスキをつかれたのだった。
その結果は、布団に残るツバメの戦勝の印、すなわち
フンである。
今日こそは、仕返しをと考えてはいるが、
余りのスピードについていけないのではある・・・・

この戦いもしばらくは続くのではないかと、
電線に止まリ、ふてぶてしい態度でこちらを見据えている
ツバメに一瞥を加えながら、今日も新聞受けから
朝日新聞と雪印から変わった森永牛乳を取り出しながら
そさくさと玄関を閉める私であった。

今日は White Day

2005年03月14日 | つくばの歳時記
今日はホワイトデイ!

昨今の義理チョコの減少により、
ホワイトデイのお返しも減って
ほんと助かっている。

以前は、西武の2階で、あの色この色、中身を間違えないようにと
シールを貼ってもらったりして、エライ難儀をしたものだ。
最近は懐かしく思う。

今日、やはり西武の2階にハンカチを買いに行ったが、
最終日ということもあるのか、
数名のおじさんがいるだけだった。

バレンタインにしてもホワイトデイにしても
デパートにとっては、大きな稼ぎ時には、
違いなく、売り込みにもおのずと力が入るものだが、
価値観の多様化か、以前の勢いは
感じられない。

それにしても、あらためて西武がキレイになったと感じて
店を後にした。

キュートも商品が展示され、金曜日のオープンを待つばかりだ!



福は内!鬼は外!PARTⅡそして団子呼び

2005年02月04日 | つくばの歳時記
節分については、地域によりばらつきがあることに気がついた!
つくばでは、年越としてソバを食べるのが当たり前だと思っていたが、都会では節分が年越という概念がなく、ソバを食べないようだ!
そして、恵方巻については、以前から行っていた家があることも知った。
これは、昨年にブログがブレイクしていたことを知らなかったことに等しいショックである!
というわけで、いろいろ教訓の多い節分であった。
それから、この地域では、地区で豆まきの行事をする。それも豆をまくのは、その年の年男ではなく、42歳の厄年を迎える人が、厄払いのために豆や菓子、お金などをまくのである。
有名なところでは、2月11日に筑波山神社で豆まき祭が行われる。
そして、この近辺では、厄年を迎える男たちが、たとえば、佐野厄除大師や川崎大師などに泊まり込みで厄払いに行くのであった。
また、親戚や親しい友達が、厄年を迎える人に対して、厄払いの宴席を設けるのが習わしとなる。
近くの料亭で酒を酌み交わし、懇親を深めるわけだが、クライマックスには、皿に小さく丸められた、ダンゴ42個を食べることになる。
まあ、一人で食べるは困難なので、ダンゴがなくなるまで、皆で食べることになるのではあるが・・・。
従って、これをダンゴ呼びといって、厄払いの行事と一つというわけだ。
なぜ、ダンゴかは未だにわからない。

福は内!鬼は外!つくばでも恵方巻

2005年02月03日 | つくばの歳時記
2月3日、今日は節分である。夜ともなれば、あちこちの家から男の子の「福は内!鬼は外!」の声が聞こえて・・・こない!いくら耳をすましても聞こえてこない!
男女同権とかなんとかで、元気な男の子が減ったのかな!嘆かわしい。
ということで、我が家は、早めに風呂に入り、風呂の湯を抜く。
そうしておいて、年越しのそばをいただくわけである。
ところが,今年から食卓に「恵方巻」とやらの太巻き寿司が並んでいる。
聞くところによると関西の風習だそうで,節分の夜,家族全員でその年の吉方(今年は西南西だそうだ・・・)を向いて,無言で太巻き1本を食べきらなければならない,そうだ。
でもテーブルの太巻きはカスミで買ったそうだが,1本ボリュームたっぷりだし,ネギトロ巻きや海鮮巻き,穴子巻きなどバラエティに富んでおり,どれも食べたい!
さっそく皆で食べ始めたものの,そばを既に食べたこともあって,すぐにギブアップ!
結局小分けして食べた次第である。
おそらく,来年は細巻きタイプの出現も予想はされる。
それから、いよいよ豆まきの儀。「福は内!鬼は外!福でもってふっとめろ!」といったかけ声をかける。
これも場所によって違うようだが、つくばには「鬼ヶ窪」と言うところがあって、ここでは決して「鬼は外!」とは言わないそうだ。自己否定になってしまうからかな?
暦の上では、今日で冬が終わり、明日から春のようだが、豆まきで外へ出ても、吹く風はつくばおろしの肌を刺す冷たさかな!
アッ早く暖かな春が待ち遠しい!