Duke MBA 日本人ブログ

Duke University - Fuqua School of Business(非公式)

Japan Trekについて

2017-06-04 02:39:31 | 課外活動

はじめまして、1年生のYTです。怒涛のようにFuquaでの1年が過ぎて行きましたが、中身の濃い1年の中でも最も楽しく印象に残っているのがJapan Trekです。今回は2017年のJapan Trekについてお話ししたいと思います。

 

1 Japan Trekとは

Fuquaでは、学校が提供する正式な研修旅行(?)であるGATEがSpring BreakおよびSpring 2後に開催されます(参加は任意)。一方、その他にも学生が自主的に企画するTrekというものが存在し、人気のものですとIsrael Trek, Morocco Trek等があります。Japan Trekは、去年数年振りに復活し、今年が実質2回目でした。

Fuqua Japan Trek 2017の概要

○日程:3/6 (月)~ 3/14(火) (Spring Break中に開催)

○参加人数:日本人organizers5名、participants76名(2016年は合計30名弱)

○行程:東京⇒箱根⇒名古屋or奈良or京都⇒京都⇒広島⇒大阪

 

2 Japan Trekに参加した目的・理由

International Student Bootcampが始まった頃、FY5人で話し合いをしたのですが、その時に「今年もJapan Trekをやろう」ということになりました。私は社費なので、私費の同級生に比べれば時間もあるということで参加の意思表明はしたものの、正直に言うと内心乗り気ではありませんでした。理由は、①純ドメなので、留学に来たからには少しでもアメリカなり外国にいる時間を長くして、cultural sensitivityを高めたい、②Japan Trekで回るであろう各都市には嫌というほど行っており、改めて行きたくないと感じた、の2点です。もともと熱しにくく冷めにくい性格というのもあるのですが…

そんな私を変えたのは10月後半に開催したJapan Trek Information Sessionでした。Japan Trekに興味を持ってくれている学生に対して、日本人organizersがTrek概要にかかるプレゼンを行ったのですが、学生達が日本に大興奮している様子を見て、また“We are so excited about Japan!” “We are looking forward to visiting Japan with you guys!”と言っているのを聞いて、体のそこから何かが沸き上がってくるのを感じました。日本人として、外国人が日本という国に興奮しているのを見るのは心底嬉しく、business schoolに入ってから初めて(というよりも人生で初めて)日本人であることを誇りに感じました。こうなったら皆に日本を心底楽しんで欲しい、日本の大ファンになって欲しいと思い、そこからはJapan Trekの準備に魂を注入するようになりました。Trekから自分が何を得られるかよりも、みんながTrekから何を得られるかを考えるようになったという点で、Information Sessionは自分にとって大きな転機になったと思います。

 

3 準備期間について

3月の本番まで半年ほどかけて準備をしましたが、organizersでの話し合い、旅程の作り込み、スライド作り、participants・旅行会社とのやりとり…等、今から考えると結構大変だったなと思います。但し、準備それ自体は大変ながらも楽しく、backgroundの異なる日本人と仕事(?)をする機会というのも滅多にないので、各人の考え方の違いやそれをどうまとめ上げていくかというプロセスも、大変勉強になりました。

上記の通り各人の考え方が異なる部分はありましたが、全体を通してのFuqua Japan Trekのコンセプトは”hospitality”, ”customization”であったと思います。76人のparticipantsをマネージするのは大変ではありますが、私達は可能な限り「団体バスに詰め込むだけの旅行」は避け、自分達で予約するところは予約をし、時にはバスガイドのようになり、オプションも出来るだけ増やして、いかにparticipantsが最高の経験を出来るか、という点を最大限重視して準備に臨みました。

 

4 Japan Trek本番について

大変な長さになってしまいますので各日程についての詳細記述は控えますが、以下に行程概要を記載します。

 

○3/6(月):welcome party@東京

○3/7(火):浅草観光 ⇒  option1:寿司作り体験+渋谷・原宿観光 or option2:書道体験+秋葉原観光 ⇒ ディナー

○3/8(水):free time@東京 (option1: 歌舞伎 or option2:ラーメン博物館 or option 3:皇居ラン) ⇒ ディナー

○3/9(木):芦ノ湖 ⇒ 大涌谷 ⇒ 箱根彫刻の森美術館 ⇒ 箱根旅館宴会

○3/10(金):option1名古屋:TOYOTA工場見学 ⇒ リニア・鉄道館見学 ⇒ ディナー ⇒ 京都

         option2奈良:奈良公園 ⇒ 興福寺 ⇒ 東大寺 ⇒ 京都 ⇒ ディナー

         option3京都:嵐山cycling ⇒ お茶体験 ⇒ ディナー

○3/11(土):金閣寺 ⇒ 伏見稲荷大社 ⇒ 着物体験+清水寺 ⇒ 祇園 ⇒ ディナー

○3/12(日):原爆ドーム・平和記念公園 ⇒ 宮島 ⇒ 広島旅館宴会

○3/13(月):大阪難波 ⇒ 大相撲観戦 ⇒ ディナー ⇒ farewell party

○3/14(火):解散

かなりの弾丸スケジュールでしたし、途中様々なトラブルもありましたが、何とかスケジュール通り各地を回ることが出来ました。とにかくみんな日本酒が大好きで、居酒屋の日本酒が底をついたこともありました…(笑)時差ボケが解消仕切らず、打ち合わせなり作業なりもあり毎日3時間くらいしか寝れませんでしたが、心から楽しい旅行でした!参加者の皆が言う通り、once-in-a-life-time tripになったと思います!

 

5 所感

楽しかったばかりではなく、Japan Trekでは非常に大きな学びがありました。

1)自信を持つことの大切さ

アメリカで学校生活を送っていると、外国ということで無意識に引っ込み思案になってしまったり、何より英語面でのハンデにより積極的に発言をすることが出来ない部分がありました。しかし、Japan Trekでは、participantsは全く日本語が分からないため、否が応でも頼られる存在、leadershipを発揮しなければいけない立場になります。そんな環境に1週間もいると、80人の前で英語を即興で話すこと、外国人を引率して歩くことが普通になってきます。自分では感じていなかったのですが、Japan Trekに参加していたC LEADのメンバー達から、「日本でのYTは、スゴく自信に満ちていていいねって、皆言っているよ!」と言われました。外国で生活していることを言い訳にして消極的になっていた自分が恥ずかしいと思いましたし、一番の原因は外部ではなく自分自身にあるのだと痛感しました。

2)熱意を持つことの大切さ

Business schoolに通う自分はもともとhard skillを重視しがちな部分があり、それはそれで大切なのですが、今回のJapan Trekではsoft skillの中でも特に熱意を持つことの大切さを学びました。恐らく同じ行程を組んでいたとしても、私達organizersがただ単に作業のような形でJapan Trekをこなしてしまっては、participantsはここまで喜んでくれなかっただろうと思います。私達organizers全員が、participantsが楽しんでくれることを第一に考えて、陰で事務作業に徹したり、時にはアホみたいな芸をしたり(笑)、飲みまくったりしていましたが、それにparticipants達が上手く呼応してくれて、全体として最高に盛り上がり、皆にとってonce-in-a-life-time tripになったのだと思います。熱意は国境を超える、ではないですが、そうした熱意や影での働きを見てくれていて、皆とても感謝をしてくれました。Japan Trek後に、participantsがプレゼントしてくれた皆のサイン入りbasketballは、一生の宝物です!

3)日本という国の素晴らしさ

アメリカで日常生活を送っていると、「あ~、日本のコンビニは便利だな」「納豆美味しいな」「日本の配送はしっかりしてるな」等の(ある意味小さなスケールでの)日本の良さを感じることはありますが、それとともに日本で生活していた時には意識していなかった日本の上下関係・人間関係の窮屈さ、変に他人の目を気にする窮屈感等のネガティブな面を感じてもいました。しかし、日本という国を大勢の外国人と旅行するという貴重な経験を通じて、日本という国を新たな視点から捉えることが出来ましたし、日本の素晴らしさを学ぶことが出来ました。私が一番印象に残っているのは、広島の宮島で、中国人の女性参加者と話した時のことです。「この広島が、Japan Trekの中で一番感動した。平和記念公園は素晴らしかったし、この宮島は信じられない位に美しい。私は日本という国にjealousyを感じている。私の国と違って負の歴史を隠そうとせず(注:筆者はその点についてはわかりませんが)、自分達が悪い所は悪いと認めた上で、原爆投下という悲しい出来事を堂々と世界に発信し、その歴史が2度と繰り返されないように尽力している。日本人、日本という国のこうした姿勢を私達は学ぶべきだと思うし、日本は本当に素晴らしい国だと思う」と彼女は泣きそうになりながら話していました。私は心底感動し、日本人に生まれて良かったと思いましたし、帰国後どんな些細なレベルであっても良いので日本に役に立つような仕事がしたいなと思いました。

 

改めて、Japan TrekはFuqua1年目の中で最高の経験でした!!!


Biotech & Healthcare Case Competition 2017@Kelloggに参加してきました

2017-02-04 18:28:34 | 課外活動

Class of 2017のYです。以前のポスト(http://blog.goo.ne.jp/fuqua2007/e/66d336046fdad21cd21fdc070ff50435)でご紹介したビジネスコンペについてですが、運良く書類選考を通過することができ、去る1月20日、21日にノースウェスタン大学のケロッグビジネススクールで開催された表題のコンペに参加してきましたので、その模様と感想を今日は簡単にお伝えしたいと思います。

(コンペの概要)

            今年で14回目の開催となる同コンペティションはヘルスケア関係のビジネスコンテストとしては比較的歴史が長く大規模なもののようです(Poets&Quants等でも紹介されています)。主催者によれば今年は約60のチームから応募があり、そこから11のチームを選考したとのこと。他の参加校はKelloggから2校、Wharton, Chicago, MIT, Berkeley, Tuckなどのいわゆるアメリカの有名校とイギリスからCambridge、フランスからHECのチームが参加していました。私の勝手な推察ですが、恐らく書類選考の鍵になったのはチームにヘルスケア関係のバックグラウンドがあるかどうか(参加者全員のレジュメが配布されたのですが、ほぼ全員何らかのヘルスケアのバックグラウンドがあるようでした)ということかなと思います。そういう意味で私のチームは私が政府系、もう一人がコンサルティングのヘルスケアプラクティス出身(昨夏は医療機器メーカーでインターン)、残りの二人が製薬会社出身というチームでした。またアプリケーションの際、上記のバックグラウンドに加えて人種・性別の多様性を強調したのも良かったかもしれません。

            コンペのフォーマットはコンペ当日1週間前にケースが配られ、そのケースの中に書かれている質問について回答をパワポで準備し、その内容を審査員にプレゼンするというもの。今年のお題はいわゆる「グローバルヘルス」関連のもので、具体的には、ナイジェリアでは医療機関の数が不足していることなどを背景に、特に田舎では自宅出産が多く、出産時・出産後の衛生状況が良くないことから出生後間もない子供のへその緒の切り口からウィルスが入ることが原因となって、子供が生後4週間以内に亡くなる確率(Neonatal mortality rate、日本は0.1%、ナイジェリアは4%弱)が押し上げられています。このウィルスの感染を防ぎ、へその緒を清潔に保つためのトリートメント(塗り薬)を与えられた予算の中でどうやって普及させるかということが今回の課題でした。

(コンペの結果と提案内容の概要)

            結果は非常に残念ながら入賞ならず。。。とても悔しかったです。我々が提案した内容を大まかに説明すると、ナイジェリアの都心部は田舎に比べると所得が総じて高く、比較的医療機関にアクセスしやすいことから、

こうした都心部で原価より高い値段で上記の塗り薬を販売し、そこで得られた収益を活用して所得の低い田舎部では無料で塗り薬を提供するというもの。コンペ後の審査員5人からのフィードバックでは、全員からアイデアは画期的だというコメントがありましたが、実行性の面からややクエスチョンマークがついたようです。フィードバックと併せて、優勝したチームと2位のチームのスライドも配布されましたが(コンペ当日は審査員だけがプレゼンを見ることが出来るようになっていました)、我々のものより地に足がついた実現性の高い提案になっていたと思います。例えば2位のチームとは田舎で無料で塗り薬を提供するというストラテジー自体は我々のものと同じだったのですが、無料にする際にどういうチャネルを使ってクーポンを配って、といったimplementationの部分で我々の提案よりも具体性が高かったと感じました。

(コンペ後のフィードバックと所感)

            コンペ後チームメイトの1人と打ち上げに行きました(他の二人は疲労困憊でバタンキュー)。ここでFuqua伝統のフィードバックタイム。一週間ほぼ缶詰になって一緒に作業する中で、彼女が気付いた私の強みと弱みについて指摘してもらいました。強みは分析(特に数字関連)だそうで、確かにプレゼンで使用した数字はその計算方法の説明や仮定の妥当性を含めて私が考えたものが多かったと思うので、なるほどなと思いました。他方で弱みは議論をドライブする力(決める力?)が弱い、という指摘をもらいました。これは本当にその通りで、ディスカッションをする中で議論が行き詰まった際・簡単に結論が出ずに困っている際に黙り込んでしまうシーンが多くありました。自分のこれまでの職務上の経験を踏まえてもこれは本当に当てはまっていて、やや敷衍して、例えば選択肢が二つあった際に、自分では決められずに上司の判断を仰ぐことが多かった気がします。実際のビジネスの場でも、どれだけ綺麗に論理的に説明しきれるコンテンツを用意しても、結局最後の最後はわからない部分が残るわけで、そこは自分で決めて(仮に決め切れる自信がないのであれば限られた時間の中で決められるだけの努力をして)それを押し通すくらいの力強さ・リーダーシップが自分にはまだまだ足りていないんだろうなと思うに至りました。

            結果自体には満足はいきませんでしたが、ヘルスケアにパッションを持つ他校のビジネススクール生とのネットワークが出来たこと、非常にダイバーシティの高いチームで悔しいと思えるほど一生懸命準備が出来たこと、その中で自分の強み・弱みを再認識できたことは今後の自分の財産になると思います。最後になりますが、コンペの開催にあたりご尽力頂いたKelloggの関係者の方々や後援の企業の皆様に改めて御礼申し上げます!

(コンペ後のチームでの写真、筆者は左から2番目)

 


Energy Club によるヒューストンの旅

2016-10-26 21:58:52 | 課外活動

はじめまして、一年生のCSです。7月末からデューク大学に通い、早3ヶ月が過ぎようとしています。

私は私費留学生としてFuquaに来ていますが、入学早々すでに就職活動が始まっています。通常日本人留学生の場合は、就労ビザを援助してくれるアメリカ企業を探す、または日本企業/日本に支店を置く外資系企業をターゲットに活動を行いますが、私は日米の二重国籍で米国での就労に問題がないため、卒業後もアメリカに残るも日本に帰るも選択肢としてあるので非常にラッキーです。

今回はアメリカでの就職活動の一環であるWeek-in-Cities についてお話ししたいと思います。

■Week-in-Cities とは

Week-in-Cities(WIC)は学校の休みを利用して1週間程度他都市に行って就活を行う旅行のことを言います。8月にデューク大学に入学して、全員必修である夏のGlobal Instituteから始まり、Fall 1でコア授業を受け、同時進行でリクルーティング活動をするという休みなき戦いが10月中旬のテストを境に一瞬だけ落ち着きます。約10日間の秋休みが始まるのですが、学生はこの休みを利用してデューク大学ビジネススクールの各クラブが主催するWICに参加します。これは学生がアメリカ各地に企業訪問をしに飛び立つもので、企業とのネットワーキングを主とした旅行です。例えば、テック志望の学生はサンフランシスコとシアトルに行き、グーグル、アップル、アマゾン等などを訪問します。コンサル志望の場合は、ダラス、アトランタ、シカゴ、ワシントンDC等、デュークが強いとされる地域を訪問しているようです。その他にも投資銀行やマーケティング、ソーシャルインパクト関連、ヘルスケア等々、自分の興味にあったところに登録をして行っているようです。また、WICの時期もずれていたりするので、最大で2種類のWICに参加できます。例えば、前半テックに行きそのあとシカゴでコンサル用のWICに参加する、など。

■Energy Club によるヒューストンの旅

さて今回は、私が参加したEnergy Clubによるヒューストンの旅をご紹介したいと思います。エネルギーに携わる方ならご存知かと思いますが、エネルギーの業界にとってヒューストンはメッカであり、テックにとってのシリコンバレーのようなところです。All roads lead to Houston.(全ての道はヒューストンに通ず)という言葉があるぐらい、海外のエネルギー企業も本社以上に巨大なオフィスをヒューストンに構えています。ちなみにヒューストンは全米で4番目に大きな都市なのですが、家賃がダーラムやチャペルヒルよりも安いという非常に魅力溢れる都市です。元々テクノロジー出身の私ですが、デューク大学が非常にエネルギーに強いということや、エネルギー業界のスケールの大きさに惹かれEnergy ClubのCabinet Memberになり今回のヒューストンWICを計画してリードする機会を手に入れました 。うまくいったかどうかは参加したメンバーに聞かないとわかりませんが、Organizerとしての視点からいくつかお話ししたいと思います。

■WICの規模

まず、どのくらいの規模感かというところですが、ヒューストンWICに参加したのは私を含め12人です。テックやコンサル等で大所になると50人とかになるようです。このように10人程度の小規模であれば企業訪問の際にかなり自分を売り込めるチャンスになり、実際に今回のヒューストンWICも非常に有効な就活の場となりました。数が多いとほぼただの旅行化するようですが、それはそれで非常に楽しいようです。つまり、小規模のWICは役には経ちますが毎回の企業訪問で気が抜けないので楽しむというより毎日非常に疲れます。

ヒューストンWICに参加したメンバーのほとんどがOil&Gasのバックグランドを持った人たちで、中にはチリでエネルギー業界のInvestment Bankerをやっていた人間から、メキシコのアクセンチュアで働いていて国からの支援でデュークに来た官僚、炭鉱エンジニア、化学エンジニア、等々業種は様々です。エネルギーのバックグランドがないのは私くらいでした。そんな私にこんな重要な就活旅行の指揮をとらせてくれるのですから、アメリカの寛大さに感銘を受けます。

■訪問した企業

そして、今回訪問した企業の種類ですが、事前に参加候補者にアンケートをとって訪問したい企業をリストアップしました。スーパーメジャーと呼ばれるExxonMobil、Chevron、Shellはもちろん、テック寄りのGE(Oil & Gasの本部がヒューストンにあります)、クリーンテック関連のNextEra、あとはコンサルや投資銀行もヒューストンオフィスはほぼエネルギーなので、マッキンゼー、ベイン、モルガン・スタンレーといった感じで、3日間、1日3社ペースで訪問をしました。我々とは別にエネルギー関連の投資銀行にしか興味がないという生徒もいて、そういった人達はニューヨークのWICには参加せず独自にスケジュールを組んで個別にヒューストンにある投資銀行へコンタクトしてました。その人たちは既にこの段階で面接を受けていたようです。また、今回企業にコンタクトしていて一番印象深かったのが一社も断られることが無かった、いう点です。過去の先輩方の実績もあるのでしょうが、デュークMBAの力を痛感した瞬間でもありました。 

■WICのスケジュール

今回のWICのスケジュールとしては、Fall 1の期末試験が終わり、その次の朝にヒューストンに向けて出発。2時間程度でヒューストンに到着し、メンバーの友人にヒュースト観光ツアーをしてもらい、午後にホテルにチェックイン。ヒューストンに家を持つデューク大学の仲間宅でBBQパーティ。そして、その次の日の朝から訪問開始。午前はマッキンゼー、午後はモルガン・スタンレー、エクソンモービルといった感じで回ります。ほとんどの会社が30分〜1時間をかけて会社の説明や夏のインターンシップの説明を細かく話してくれます。その後1時間くらいのQ&Aの時間を設けてくれます。Energy Clubの連中だけあって、会社のことよりも、現在の石油の価格や、IoTと天然ガスの関連性についてなどの質問が多く、質問自体も止むことはまずありませんでした。

その後は会社内のツアーがあったりなかったりですが、エクソンモービルに関しては、会社説明の後、天然ガスの探鉱に使われる3Dテクノロジーの体験や、息をのむほど巨大で美しいキャンパスのツアーをして頂きました。

■まとめ

このようなWICは、純粋に参加することだけでも非常に意味があり楽しいものですが 、Energy Club のCabinet MemberとしてWICを計画する立場は、就活には非常に有利だと感じました。というのも、直接企業のリクルーターやマネージャー陣と事前からやり取りができるので、非常に濃いネットワーキングができるからです。ただ、学校の期間中に勉強、リクルーティング、ソーシャルライフに加えWICのために時間を費やす必要があり、特に期末試験のタイミングに重なることから、なかなか精神的かつ体力的には鍛えられました。それでも計画する側としても参加する側としてもやった価値は十分にあったかと思います。ただの旅行としても、リクルーティングイベントとしても非常に楽しく、かなり充実できた期間となりました。


Campout初体験!

2016-10-01 22:13:56 | 課外活動

はじめまして、1年生のYです。6月末にDurhamに引越し、あっという間に3か月が過ぎました。9月からはいよいよFall1が始まり、統計、ミクロ経済、会計、リーダーシップ、という4つの必修授業の予習と課題に毎日追われている状態です。8月のGlobal Instituteという3週間のプログラムでは「組織のあり方」「世界の貧富の差の原因」といった壮大なテーマを扱っていただけに、今月からは打って変わっていよいよMBA必修のプログラムを勉強している、という実感が強く湧いております。世界中から集まった同級生達に刺激を受けながら、毎日を全力で乗り切っております。

さて今回のテーマはDuke大学院生の秋の伝統イベント、Campoutです。Duke大学はバスケットボールの強豪校として有名なのですが、その年間チケットを約$300で購入できる権利をかけて学校の駐車場で36時間キャンプをする、というのがCampoutです。さらに、その36時間の中で、20回以上の“チェックイン”の時間がランダムに設けられており、参加者は合図の笛が鳴る度にキャンプサイトに隣接する窓口に全員集合し、リストバンドのバーコードを読み取ってもらわなければなりません。チェックインを逃すごとに最終的な当選確率が下がってゆき、8割以上チェックインできた人のみに当選参加資格が与えられます。文字だけですと非常に意味が分かりにくいイベントですので、ここからは写真と私の実体験でお伝えしたいと思います。

9月16日(金)夜21:00、いよいよCampoutが始まりました。私はセクション(クラス)のメンバー25人程度で参加していたので、授業が17:00過ぎに終わり、参加者用のリストバンドをゲットし、クラスメイトと協力しながらテントを3つほど組み立て、一旦帰宅してシャワーを浴び、再び会場に戻って開始を迎えました。写真のように、初日夜は皆有り余るエネルギーで飲んで話して踊って・・キャンピングカーや軽トラックを借りているグループの周辺は大変盛り上がっていました。もちろん1時間に1回ほど笛が鳴る度にコップを置いてチェックインのために窓口まで走るのは忘れません。結局初日はAM3:00まで笛の呼び出しは続きました。

9月17日(土)、朝6:30に初回の笛が鳴り、寝ていてドロップアウトした人も沢山いたようです。こちらはテントサイトの様子です。所狭しとテントが立ち並んでいます。

日中はテントで寝る人、座って話す人、課題に取り組む人、飲む人(!)等、皆思い思いの過ごし方をしながら笛を待ちます。近くで子供向けのイベントも開催されており、参加者の家族も合流して楽しんでいました。

日中もチェックインは続きます。前方に窓口が見えます。

日本人チームは1,2年生共同で焼きそばを作り、近くの参加者に振舞いました。私のセクションでは、アメリカ人がSmokerという巨大な調理マシンで豚肉の塊を16時間燻してくれたため、皆で特製ハンバーガーを堪能しました。もちろんこの日もAM3:00までは皆眠れませんでした。日中寝ていた私もAM1:00頃にはまた眠気の限界がきており、椅子に座ってうとうとしながら笛を待っていました。驚かされたのはラテン系の人達のエネルギーで、初日も2日目も夜遅くまで大音量の音楽に乗って踊り歌い続けていました。

そして、9月18日(日)朝。後片付けの後はいよいよ結果発表です。最後まで参加できても、抽選に当たらないと年間チケット購入の権利は手に入りません。全てのチェックインに駆けつけ、当選確率が最高の6倍まで高まっていた私は・・・落選してしまいました。。。結局日本人は4人中2人、セクションでも参加者全体の半数程度がチケットを獲得していました。

「なぜ当たるかも分からないバスケのチケットのためにそこまでするのか」、入学前にはそのような思いも少しはありました。でも、実際にCampoutに参加して、眠さや疲れを共有しながらクラスメイトと色々なことを話したり、狭いテントで一緒に寝起きしたり、協力してテントを建てたり料理を作ったりする中で、学生同士の絆が自然に強まっていくのを実感しました。実際にクラスで気軽に話ができる友人も増え、一層学校生活が楽しく充実したものになったのを感じています。学業にも課外活動にも一生懸命なFuquaの文化に惹かれて入学し、早速その一面を味わうことができた2泊3日でした。(翌週は皆Campoutのダメージが残っていたようでひーひー言っておりました^^;)


GATE Cuba/Panama 体験記 (4/4) – 旅程その3&まとめ- 中南米のシンガポールを目指す国、パナマ

2016-08-10 00:19:03 | 課外活動

今回はパナマの旅程に簡単に触れ(キューバ編では力が入りすぎました)、パナマ編でのまとめをしたのち、全体の旅行を通じて何を学んだかについて総括をしたいと思っています。

<パナマ旅程>

●5月14日(土)

 この日はキューバから移動し、パナマシティのホテルに着いた後は自由行動となりました。街を散策していましたが、近代的な街並みと多くの建設中の高層ビルに圧倒されると同時に(タイ人の友人はしきりにバンコクのようだと言っていました)、パナマシティ近郊にはあばら屋も多く残り、それだけでも資本主義の隆盛と貧富の差の拡大を物語っているように感じました。また、たまたま教授と街中で出くわし、一時間ほど一緒に散歩をし、日本の政治や家族のことについて話をしたのがとても印象に残っています。

●5月15日(日)

 この日は旧市街(Old Panama)を散策しました。こちらもハバナ同様、スペイン領の名残として風情のある街並みが多く立ち並んでいました。同時に、観光客が多いエリアであることから、原住民の方々が露店を多く並べ、伝統工芸品を買うこともできます(ちなみにパナマは米ドルを通貨として採用しているため、取引は容易です)。私は魚や鳥などの柄が縫いこまれたコースター・ランチョンマットを購入し、家族への土産としました。

 その後、待望の運河へと向かいました。通過する貨物船は巨大であり、それが閘門に進入したのち、みるみるうちに水位が下がっていき、次の水路に送り出される様を見るのは本当にダイナミックでわくわくするものでした。のべ数万人の人員を注ぎ込み、死傷者も出るような事故を繰り返しながらも、その完成に精力を注いだ先人たちの偉業を垣間見る思いでした。

●5月16日(月)

 この日は午前中にCiti Bankのパナマシティ支店を訪問し、Citi Bankのパナマにおける成長戦略等についてお話を伺いました。パナマシティは中南米におけるシンガポールの立ち位置を目指しており、物流だけでなく金融においても同地域における中心的な役割を演じているとのことでした。それは街並みの発展性からもうなずけるところでした。

 また、午後には在パナマ米国大使館に訪問しました。パナマは米国と友好的な関係を築いていますが、それでも大使は「米国における対ラテンアメリカ外交の柱は、共産主義への対抗である」と表明し、慎重な姿勢でした(実際に、過去には米国の侵攻によって当時のパナマ政権を打ち倒したパナマ侵攻が起きたのは1989年であり、そう遠い昔でもありません)。これは先のキューバにも適用されるはずであり、そういった意味でキューバにおいても過去のパナマ侵攻のような出来事が起きる可能性はないわけではないんだよな、と改めて複雑な気持ちになりました。

 また、ホテルに戻った後は街中を散策する時間があり、中米初の地下鉄に乗車して街を巡りました。2014年の開業とのことでとても車両は綺麗で、また人々があまり急いでいないこと(混んでいると次の車両を待つ)がとても印象的でした。

●5月17日(火)

 この日は朝から大西洋側に面するコロンという都市に向かい、保税地域にて物流倉庫を運営する企業を訪問しました。例えば、アジア(主に中国)にて物品を生産し、ラテンアメリカ市場に販売するようなビジネスを考えると、このパナマにおける物流倉庫は特にサプライチェーンの観点から大きな価値を発揮します。まず、在庫をラテンアメリカ市場の各都市ではなくパナマにて集約保管することで、在庫投資を減らすことができます。また、当該倉庫では、送付先に応じて各製品のラベルの付け替えも行うため、顧客側にとってはコスト・リードタイムともに削減が可能です。そのような利点を活かしながら、単なるMiddlemanではなく、付加価値をつけて存在意義を発揮しようとしている物流倉庫のあり方に間近に触れられたことは貴重でした。

●5月18日(水)

 この日はパナマに中南米ビジネスの拠点を置くキャタピラーを訪問しました。ビジネスは事業環境に大きく左右されるもので、キャタピラーのような重機の場合、鉱業や建築業界の動向に大きく影響されます。訪問当時は資源価格の下落から重機業界は向かい風を受けており、世界的なレイオフを実施したとのことでした。パナマに拠点を置いている理由はシティバンクや物流の例と同様、他のビジネスが多くパナマに拠点を集中させているため、そこに身を置くことで顧客へのリーチアウトを容易にするためとのお話でした。実際に、当該拠点には大規模な演習場とでも呼ぶべき敷地が用意されており、重機のテスト運転を通じてそのパフォーマンスを顧客に理解してもらい、意思決定に役立てるという役割を担っていました。

 その後、再度パナマ運河を訪れ、今度はマーケティング担当者にビジネスの観点からパナマ運河がどのような取組をしているかお話を伺いました。年間二十数億ドル程度の収入を得るパナマ運河は、非常に競争の激しい業界に身を置く一つの「ビジネス」です。具体的には、スエズ運河といった他の運河や海上ルート、大陸上を輸送する陸送、航空便での空輸と凌ぎを削っています。パナマ運河もマーケティングの観点から顧客のセグメンテーションを行っており、出発地・目的地、輸送品目等の軸を採用しているとのことでした。当該セグメントごとに季節性や価格弾力性、支払い許容額(Willingness to pay)等が異なるため、セグメントごとの精緻な分析を基に収益の最大化を目指しているとのことでした。月並みですが、直観的には「巨大な人工建造物」という切り口で捉えがちな運河についても、「ビジネス」の観点から捉えたことで、その役割や抱えるチャレンジについて理解が深まったように感じました。

 この日が全員でアクティビティをする最後の日でしたので、他の日と同じように皆でバーに繰り出し(ある日はパナマのトランプタワーに登ったり、カジノに行ったりしました)、旅の思い出を振り返ったり、二年生での再会を約束したりして解散しました。

 

<パナマまとめ>

 パナマについてですが、私の中では特にアメリカとの関係におけるキューバとの対比でとても面白い国だと感じました。先述のように、アメリカからの介入によって政権が打ち倒されながらも、(貧富の差があるとはいえ)経済発展の最中にあるパナマと、アメリカの介入を退け、独自の政権を築きながらも、経済的な豊かさを割り切ろうとしているキューバは、好対照な歴史を歩みつつあります。これは、Global Instituteの期間中に受講したGIE(Global Institutions and Environments)で紹介された概念である「経路依存性」(Path Dependence; 現在の社会の有り様は、その歴史に依存し、例えばある一つの分岐点から別れた、二つの社会であっても、その歴史を飛び越えて相互に変化することは容易ではない(例:北朝鮮・韓国))をまさに体現するような例として、とても興味深く感じました。

 

<全体のまとめ>

 さて、長くなりましたが、私が第一稿にて掲げていた「GATEの価値」についての考えを再掲して、締めくくりとさせていただきたく思います。

 もしこれを読まれている皆様がFuquaに進学することがございましたら、ぜひご参加いただき、グローバルリーダーとしての視野を広げる一助としていただけたら非常に嬉しく存じます。


1. 国を知る

 Fuquaの卒業生には、将来的にグローバルに活躍することが期待されています。もしかすると「どの国で働くか」ということは選べない場合も出てくるかもしれません。もし文化や宗教が大きく異なる国で働くことを考えると、言わずもがな、現地の顧客・上司・部下がどういった価値観のもとに生活を営み、働いているのかということを抜きにして成果を上げることは難しいでしょう。そういった際に、経済・歴史・外交・政治・文化などを通じて、多面的にその国のことを理解する姿勢が求められます。もちろんGATEで訪れた国が将来のビジネスの舞台になれば、知識・経験を最大限に活かすことができます。ただ、今回私がキューバ・パナマの訪問を通じて得たものは、その国でしか通用しない性質のものではなく、もっと汎用性の高いものだと思っています。それは、「全く知らなかった国をゼロから知っていくプロセスとそこで必要になる姿勢」です。具体的には、歴史の重要性、虚心坦懐に相手の話を聞く姿勢、相手の視点に立つ想像力です。

 

2. 友人を知る

 Fuquaはteam-based assignmentが多いため、多くの同級生とグループワークを通じて相手のことを知る機会があります。とは言いつつも、普段は皆様々な活動で忙しく、じっくりと話をする機会はなかなか取れなかったり、意識しなければ新しい友人とそういった機会を持つことは難しかったりというのも実情です。

 しかしながら、旅行中は今まで知らなかった友人たちと1日の多くの時間を過ごします。文字通り同じ釜の飯を食いながら、友人たちと議論をしたり、過去の経験について話を聞いたり、一緒に飲みに行ったりして、相手のことを理解し、新たな関係を築くことができます。また、リーダーシップの観点でも、リーダー(GATEには学生側のリーダーが2人います)がどうグループをまとめていくか、またそのリーダーをどうサポートするか、どうイベントを提案していくか、といったことからリーダーシップを発揮する/触れる機会に恵まれます。私自身、この旅行を通じて、これから関係を深めていきたい、又リーダーシップのお手本としたい友人を見つけることができたことは、大きな収穫でした。

 

3. 自分を知る

 人は自分と大きく異なる集団に属したり、価値観の違う文化に触れたりすることで、改めて自身の考え方や性格を知っていくことができると思います。その意味で、Fuquaに来るまで日本以外に住んだことのなかった私は、アメリカかつFuquaという環境から、改めて自分のことを見つめ直す機会をもらっています。

 さらに、今回のGATEにおいて、特にキューバという日本ともアメリカとも社会構造を大きく異にする国を訪問し、彼らの社会の一端に触れ、他の友人ともそれを題材に話をすることで、改めて自身が持つ興味・関心、価値観について知りました。それと同時に、自分の思考の癖、自分がこれまで持っていなかった視点についても自覚することができました。例えば、それは日本という国が持つ構造であったり、私自身の経済学部・会計士といったバックグラウンドから来るものであったりします。これらの気づきが、残りのMBA生活、又将来の人生において、どういった知識・経験を得たいか改めて考える材料となっています。


GATE Cuba/Panama 体験記 (3/4) – 旅程その2- 時が止まった国・キューバ

2016-07-12 15:42:51 | 課外活動

さて、今回はGATE Cuba/Panama体験記の3回目をお送りします。やっとキューバにたどり着きました!笑

 まずは簡単にキューバの歴史、社会について書きたいと思います。20世紀初頭にアメリカの支援を受けながらスペインからの独立を獲得しましたが、その後しばらくはアメリカの影響下に置かれていました。1950年代には、アメリカの支援を受けたバチスタが政権を奪取し、アメリカ資本の流入や政権の圧政によって富が一部の強者に集まり、貧富の差が拡大しました。その中で、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラといったバチスタ体制に反旗を翻した者達によって、最終的にキューバ革命が達成されます。それによって成立したカストロ体制は共産主義を推し進め、今日においてもキューバ共産党による一党体制が維持されています。 

 ここからは、実際の旅程を一緒にたどっていきたいと思います。一つ一つがとても濃い経験でしたので、長文になってしまいますことを予めお断りしておきます。最後の方に印象に残った出来事ベスト3がありますので、以下は読み飛ばしていただいても結構です。

●5月7日(土)

 ワシントンD.C.からパナマシティを経由して、ついにハバナ入りしました。夜の到着であったため街並みはあまり見えませんでしたが、空港の入国審査待ちで数回停電し、空港からホテルに向かう通りも電灯が少なく薄暗いことが印象的でした。空港からは現地ガイドのAlejandroが同行してくれました。彼はアメリカに留学したこともあり、流暢な英語を話します。

●5月8日(日)

 この日はCultural tourの一日でした。朝からMuseum of Fine Arts, Museum of Revolutionを訪ね、午後は街を散策しました。

 まずMuseum of Fine Artsで印象的だったのは、多くの作品が当時の社会情勢を色濃く反映していたことです。例えば、19世紀末に描かれた作品は、画家自身が当時の首長国であったスペインと盛んに行き来していたため、ピカソに代表されるキュビズムに強い影響を受けていました。また、20世紀半ばの作品には、アンディ・ウォーホル、ジャクソン・ポロックのようなアメリカン・ポップアートのテイストが見られ、アメリカ文化への憧れが見てとれます。

 Museum of Revolutionでは、実際にキューバ革命の英雄たちが身につけていた衣服・銃器や、当時の新聞等の展示がありました。友人たちとめぐる中で目に止まったのは、当時のフィデル・カストロがどうして革命を志したか語っていたものです。趣旨としては「バチスタ政権は、民衆が望んでいることを無視している。そんな政府は存在すべきではないから打ち倒すのだ」といったものでしたが、現在の政府は本当に民衆が望んでいるものをもたらしているのか?といったところには大いに疑問があります。当時の劣悪な社会環境を知っている市民にとっては、現在の生活はそれよりも遥かによいものであることは想像に難くありません(飢えで苦しむことはなく、教育・医療サービスは無料)。他方で、インターネットの解禁に伴い、資本主義の下で豊かさを享受する国との比較がさらに容易になりつつあります。そんな中で、市民が革命の意義を認め続け、現状の社会を正当化・維持できるのか?といったことは、その後の訪問での個人的なテーマの一つとなりました。

 

●5月9日(月)

 この日は主にBusiness Visitの日となりました。午前中は在キューバ米国大使館と地元の散髪店、午後はラム博物館と自動車修理工場を訪問したのち、ヴィンテージ・カーで市内に残る砦に行きました。

 午前中の米国大使館訪問では、運良く大使からアメリカの対キューバ外交姿勢についてお話を伺いました。冷戦を象徴する1962年のキューバ危機以降国交を断絶していた両国でしたが、2015年の国交再開から今年に入ってのオバマ大統領の訪問など、対キューバ外交は大きく躍動しています。もちろん大使が発言できることとできないことがあり、その真意は行間を読み取るしかないのですが、歴史的にアメリカはラテン・アメリカの国々に深く入り込み、政権交代等において重要な役割を果たしてきたという事実があります(後に訪問するパナマもその国の一つです)。それについてはもちろん様々な意見がありますが、オーストラリア人の同級生 が「自分たちが何でもコントロールできると思っているのは傲慢だよね」とその姿勢をばっさり斬って捨てていたのが印象的でした。そういった、普段はあえて取り上げないような題材をもとに、友人たちとディスカッションをし、その意見を聞くことはとても楽しい経験でした。

 次の散髪店店主との会話は、キューバの社会を理解するのにとても役立ちました。資本主義社会で暮らした私にとって「共産主義」は今ひとつピンと来ないところがありましたが、端的に言うと資本主義の発明を否定するものです。マルクス経済学でいうところの「資本家」こそが貧富の差を生じさせ、労働者からの搾取を生む原因とみなします。そのため、「資本」「株式」「株式会社」といったものが認められません。「株式会社がない」ということについて、当初は唖然としたものですが、その店主自身もヨーロッパにて学んだ経験からその問題意識を共有していました(ちなみに上記にいくつか例は出ましたが、留学したのち再度キューバに戻ることはそこまで一般的ではないと思われます)。現在キューバでは、その経済情勢の悪化から、政府が定める200程度の職種において新たに事業を始めることが奨励されていますが、依然として株式会社は認められないため、その元手は複数人で出し合う(株式を発行する)のではなく、一個人としてその責を負わなければなりません。ご察しの通り、これは非常に非効率であり、これまで世界を発展させてきた金融という発明をことごとく否定するものです。絶対的な豊かさが幸福に直結するわけではなく、他人との比較での豊かさ、平等性が幸福感に寄与する場合があることも理解はしていますが、それにしても、と複雑な思いに駆られました。そういった、自身と異なるパラダイムの中で生きる人たちを理解しようとした際に、まずは虚心坦懐に話を聞く姿勢の重要性を感じました(もちろん最終的には自分の価値観での価値判断にはなるのですが)。自分たちの論理を適用して頭ごなしに否定するだけでは、彼らがどういった考えで過ごしているかは一向に理解できないままです。

 午後訪問したラム博物館では、キューバを代表する農産物であるサトウキビから蒸留されるラム酒の製造工程をたどり、最後に「モヒート」と呼ぶラム酒をソーダ水で割って、ミントを加えたカクテルを楽しみました。実は私はそこまでお酒が強くなく、それで酔ってしまったため、その後訪問した自動車修理工場では少し朦朧としながら話を聞くことになりました。笑

 アメリカからの禁輸を受けているキューバでは、基本的にアメリカ車の新車輸入がなく、また彼らとしても同じ車を修理しながら長く乗ることに非常に誇りを感じているようでした。単なる経済的な理由以上の動機で、自動車修理工場は運営されているようでした。その後、ヴィンテージ・カーに乗せてもらい、ハバナ市内の砦を皆で散策しました。

●5月10日(火)

 この日はハバナ郊外の共同農園を訪問しました。共同農園で生産されていた農作物・畜産物自体には目新しさはありませんでしたが、やはり共産主義下でのビジネスの難しさの一面が垣間見えました。生産性においてボトルネックになっているのは土地面積で、この点は資本を入れれば(融資を受けたり、株式を売却したり)土地を購入できて生産力が上がりますが、まずそれが共産主義下ではできません。「共同」農園という名の通り、そこに参加している人たちの土地を持ち寄って一つの農園として運営されているようです。ただ、それでも生活するに足る収入は得られているようでした。

 その後、昼食を取りながら現地のミュージシャンの方の音楽を聴き、画家の方のアトリエを訪問しました。彼らは基本的には観光客や海外からの引き合いを主な収入源にしているようでしたが、やはり娯楽を提供している仕事の常として、顧客側の興味・関心がすぐ離れてしまいやすい点に少し悲哀を感じました。

●5月11日(水)

 この日は朝からヘミングウェイ博物館を訪れた後、ハバナ市内にて有識者の意見を聞く機会に恵まれました。

 まずヘミングウェイ博物館ですが、実際にヘミングウェイがハバナで暮らしていた邸宅を見て回ることができます。中に置かれている本や家具なども、当時のまま保管されています。彼はハバナでの暮らしから構想を得て、「老人と海」を書いたと言われています。私が少し意外に思った点としては、ハバナや彼の邸宅の雰囲気と、「老人と海」で描かれているテーマとのギャップです。「老人と海」自体を読んだのは高校生か大学生の頃でしたので少しうろ覚えですが、根底に流れているテーマは「自然に対する人間の無力感」のように感じました。他方で、私が訪れた時期のハバナは天気も良く(おそらく年中あまり変わらないかとは思いますが笑)、彼の邸宅も日差しをたくさん浴びてとても明るい雰囲気で、ここから「人間の無力感」のような少し仄暗いテーマが出てくるものか?と感じました。これは想像ですが、彼の視点からはキューバの陰のような部分も、よく見えていたのかもしれません。

 午後には、ハバナ大学の経済学教授とリタイアされた外交官の方が直近の経済・社会の動きについてレクチャーをしてくださいました。彼らはやはり政府との関係が色濃く、またそもそもキューバではどこで誰が聞いているか分からない(=反政府的な話をした場合に何が起こるか分からない)ことから、政府の立場に立った議論が多かったように思います。印象に残っている点としては「キューバ政府は実はあまり変わる気がない」という点です。直近ではアメリカと外交を再開し、経済的にも交流を求めており、表向き資本主義に対して歩み寄ろうとしているように見えます。ですが、彼らの言葉の端々からは「国民はこれまで貯蓄の習慣がなかったし、税金という概念に対する理解も薄い。だからもし資本主義的なシステムに移行しても、人々は受け入れられない」といった、変化に対してネガティブな姿勢が見て取れました。ただ、キューバが経済的に苦境に立たされている点は事実で、そこに対する消極的な打開策の一つとして、渋々アメリカとの国交を開いているというのが実態のように感じられました。

●5月12日(木)

 この日は朝からまたハバナ大学にて観光業を研究している教授のレクチャーを聞いたのち、ハバナを離れバラデロという街に移動しました。

 観光業に関するレクチャーですが、教授は政府の観光政策立案にも関わっているとのことで、例によって政府見解の代弁者として発言しているようでした。観光業は、第二次産業の発達に乏しいキューバでは、農業の次に大きい、外貨獲得のための重要な産業です。しかしながら、ここでもやはりハードルとなるのは共産主義です。カリブ海に浮かぶキューバは、観光地としてドミニカやプエルトリコなどと競争関係にありますが、それらとの差別化において、取り得る施策が限られます。例えば、「高額報酬を用意して一流シェフを招致する」といった金銭的なインセンティブを与えることは難しく、ではどうやってサービスの質を向上させるかというと、「従業員教育」に頼るというのが教授の言です。私たちが実際に泊まったホテルのサービス水準に関しては、渡航以前の「共産主義=サービスの質を上げるインセンティブがない」といった先入観は良い意味で裏切られるほど、特に大きな不足は感じませんでした。他方で、プライベートで別のハバナのホテルに泊まった人の意見を聞くとがっかりだったということもあり、全体的なサービスレベルはやはり他国に比べると低いのかもしれません。また、外国資本の誘致においては、キューバ政府がジョイントベンチャー(と書きつつ、共産主義下でのリーガル・エンティティが本当にJVから想起されるような「会社」なのかは疑問ですが)の過半数の所有が必要となります。実際に同様の外資規制を持つ国は資本主義下でも存在しますので、これ自体が大きなハードルにはなり得ないかもしれませんが、そもそもの商習慣の違いやパートナーとしてのキューバ政府の振る舞いが大きな障害になり得るだろう、というのが同行していたDuddy教授の見解でした。

 その後、バラデロの街に移動しました。バラデロはハバナから車で3時間ほどの、キューバを代表するリゾート地です。まずバラデロでは、手作業で本を製作する工房を訪問しました。その後、現地に受け継がれている伝統的なダンスを、地元の方に見せてもらいました。アメリカと同様、キューバも過去にはスペインの手によって、アフリカから奴隷が輸入された歴史があります。その踊りは彼らアフリカ系キューバ人のコミュニティにおいて継承されているもので、曲調や内容もほぼアフリカ系の色合いがそのまま残されているように感じました。炎天下で踊っていた少年少女の凛々しさと つぶらな瞳がとても印象に残っています。

 夜はビーチに面したバラデロのホテルに宿泊し、友人たちと夜まで飲んでいました。海風がとても気持ちが良く、友人たちと解散した後も、海辺で波の音を聞きながら一人充実感に浸っていました。

●5月13日(金)

 この日はバラデロに所在する博物館に訪問したのち、昼食で訪れたレストランの経営者にお話を伺い、午後はダンス教室にてダンスのレクチャーを受けました。

 博物館では、スペイン入植以前から今日に至るまでのあらゆる文化財が保管されていました。特に、キューバ起源の土着文化には、インカの影響が色濃く残っているとのことでした。展示物の中でも、私が特に興味深く見ていたのは紙幣です。実はキューバには二種類の通貨が流通しています。私たちのような観光客が利用する兌換ペソ(CUC)と、一般のキューバ国民が扱うキューバ・ペソ(CUP)です。基本的に観光客にはCUPへのアクセスはなく、逆もまた然りです。これによって、観光客にはCUC表記の高い価格(1CUC=1USDであり、物価水準としてはアメリカと変わらない感覚でした)で買い物をしてもらうことで外貨を落としてもらい、国民には政府補助金が入っている国民用のCUP専用の店で買い物をすることで、たとえ月収が20USD相当しかなくても(実際に医師の月給は20-40USDだそうです)食うには困らない生活ができるようになっています。共産主義だと配給をイメージされる方もいるかもしれませんが、配給は段階的に廃止され、現在は政府が安価な価格での食料調達を保障することで配給に替える形となっています。通貨の話に戻りますと、この博物館で間近にCUPを見たのですが、CUCと大きく異なる点として三点ほどあります。一つ目は紙質。圧倒的にCUPの方が安い紙質のものが使われています。次に色。CUCは同一紙幣でも複数の色が使われているのですが、CUCは単色です。これらによって、CUCとCUPを並べて見ると、CUCの紙幣としての高級感が一目瞭然で、対外的には「人気観光地としてのキューバ」を演出しつつも、対国民目線ではシビアに通貨の印刷費用を削減しているように見て取れました。最後の違いがデザインです。国民用のCUPには、ゲバラを筆頭に、特にキューバ革命や対スペインの独立戦争の英雄の肖像画が採用されています。他方で、CUCはすべて実際にキューバ国内にある歴史上の人物の「銅像」の画で、注意深く見なければどれが誰の銅像なのかよくわかりません。そもそも近年まではアメリカ人の渡航は大幅に制限されていたとはいえ、アメリカ人を含む観光客の手に渡る紙幣に、キューバ革命を容易に想起させるようなゲバラらの肖像画を載せることは血生臭いと配慮したのでしょうか。それとも、国民用の方にあえてキューバ革命の英雄を多く配置することで、国民に対して「一時もキューバ革命の恩恵を忘れないように」と静かに圧力をかけるカストロの思惑があるようにも思えてなりませんでした。

 昼食のレストランでの経営者との談話もとても興味深く、大変充実していました。一つ目は、レストランの経営形態に関してです。まず、「経営者」と言えども、先の通り共産主義下では株式会社がなく、個人が誰かを雇用するということもできません。では、どのようにレストランが「経営」されているかというと、まずレストランの所有者は完全にオーナー一人に帰属します。実際に、レストランはオーナー個人の出資で店を構えたとのことでした。次に、レストランでの売上や費用、結果としての利益は、レストランという法人ではなく、そこで働いている人一人一人に分配されます。そこでの「従業員」は、給与の代わりにそれらの利益を分け前として受け取っているという構図です。ですので、税金に関してもすべて個人に対する所得税という形で課税されます(日本のように源泉徴収なのか申告納税なのかまでは聞きそびれましたが、課税逃れを排するという意味では源泉徴収をしているのではと推察します。とはいえ、どういう制度なのか謎ではありますが。。)。その売上・費用の配分に関しては、オーナーの裁量が入る余地があるということになります。もう一つ興味深かった点として、レストランの初期投資です。くどいようですが、共産主義下ですので、「金融」という資本主義の発明を否定します。ですので、投資の前に金融機関から融資を受けてレストランを建て、その後の利益を以て融資を返済する、という(資本主義下では)ごく当たり前の経済活動ができません。ということで、オーナーは25年(!)の貯金をはたいてレストランを自腹で建造し、現在運営するということをしています。当然ですが、このように内部資本のみしか投資に利用できない、ということは社会全体の投資額を著しく抑制します。これがキューバ人にとっての現実であり、そもそも資本主義の概念が染み付いていませんので、オーナーに「これって非効率だと思いませんでしたか?」と水を向けてみても、「これが普通だ」との答えです。「いや、それはキューバにとっては普通かもしれないけれども。。」と我らMBA生全員の頭の中に同じ思いが駆け巡ったことは想像に難くないでしょう。資本主義という豊かさと効率性、同時に格差をもたらす制度と、持続可能性に多大な難があり、生活水準は一様に低いながらも皆が比較的平等に暮らす共産主義のコントラストに、複雑な思いが去来しました。

●5月14日(土)

 ついにキューバを離れる日となりました。この日は朝からハバナ空港に向かい、パナマへと発ちました。

 キューバを発つに辺り、ガイドであるAlejandroとはここでお別れとなりました。彼についてとても印象に残っているエピソードが二つあります。一つは、彼が自身のバックグラウンドについて、全員に向けて語ってくれたことがありました。彼は一度アメリカに留学し、恐らくアメリカに残ればキューバでのツアーガイドよりも充実した暮らしを享受できたでしょう。しかし、彼はやはり祖国を捨てることができず、最終的に戻ることに決めました。彼にとって非常に重要な決断だったはずで、それを他のキューバ人に聞かれまいとして通りで立ったまま話してくれたことはとても印象的でした。もう一つは、前日夜のディナーにAlejandroを誘った時のことです。夕食は宿泊していたホテル内で取っていたため、我々は彼も誘って最後の夜を惜しもうと考えていましたが、彼は「自分はそこにいてはいけない」ということでディナーには来てくれませんでした。後で教授から伝え聞いたところによると、「ホテルは政府によって経営されており、従業員はもちろん政府につながっている。そのホテルにおいて、Alejandroが職務であるツアーガイドの範疇を超えて、我々のようなほぼアメリカ人からなる一団と仲良くしているところを見られるということは、良からぬ疑いを持たれかねない。だから彼は来れなかったんだ」とのことでした。ここまでの一週間、キューバのことについて理解が深まったつもりでいました(事実そうではあるのです)が、やはり実際に彼の国で暮らすということについての、大きな隔たりを改めて感じる

出来事でした。このディナーの後、キューバ最後の夜ということでタクシーを捕まえてクラブに行ったのですが、そこには無事にAlejandroは来てくれ、最後の思い出とすることができました。

<ここからまとめ>

 さてここまで、(ほぼ自分の記録のために)書き起こしてきましたが、キューバで特に印象に残っていることベスト3をピックアップしてみたいと思います。

第3位:キューバ独自のアートに触れ、油絵を購入

 ハバナではMuseum of fine artsにてスペイン、アメリカの影響を色濃く受けた絵画に触れたり、現地の画家のアトリエを訪問したり、バラデロではアフリカを起源とする少年少女たちのダンスを鑑賞しました。そのダンス鑑賞後にぶらっと入った絵画店にて運命の出会いがありました!

 私はもともと美術館めぐり自体が好きで、キューバでも何かあれば、とは思っていましたが、油絵に一目惚れするとは思っていませんでした。笑 40ドルにて以下の写真の絵を購入し、今は部屋に飾ってあります。これを見るたびに、キューバでの思い出が甦ります。実際に描いたアーティストの方ともその場で写真を撮りました。

第2位:共産主義下の社会、ビジネスの実態を知る

 次に、「共産主義」って一体なんなんだろう、そこで暮らすとはどういうことなのか、ということについて、自分なりの理解が構築できたことは収穫でした。

 やはり衝撃的だったのは、資本主義をことごとく否定しているその制度を知ったことで、普段我々が資本主義から受けている恩恵が大きいことを改めて理解しました。我々が訪問した散髪店店主やレストランオーナーは、雇用関係や融資といったことができないことで、資本主義経済では考えにくい非効率なやり方を取ることを余儀なくされていました。ただ、専門的な知識の差はあれ、キューバ国民は概ねアメリカという大資本主義国の豊かさを知っているのでは(同時に貧富の差についてもそうかもしれませんが)、と感じたのも事実です。それでもキューバに戻ったり、住み続けたりしている人たちの考えを直に聞けたことは、改めて「国」というものを考えるよい機会となりました。

第1位:オンボロタクシーで海岸沿いを疾走!

 キューバ滞在中には、日中はびっしりとビジネスビジットやスケジュールが詰まっていましたが、夕方以降は比較的時間に余裕があり、皆で街に繰り出してレストランやバーで楽しみました。ホテルは市の中心部から少し離れたところに位置していたため、タクシーを捕まえて街まで移動するのですが、そのタクシーが非常に古いのです。いわゆるヴィンテージ・カーと呼ばれるような、古くてもピカピカに磨かれて手入れされているものもありますが、全てがそういったわけではなく、単純に古い(おそらく軽く40年くらいは乗り回されているもの。日本だと廃車置き場に置いてあるような)ものも多くあります。

 我々が乗ったタクシーもそういった類のものでした。運転席も助手席も後部座席も、シートベルトはありません。もちろんエアバッグなんて粋なものがついているはずがありません。車高は心なしか低く 、足元にはすぐ路面が迫っているように感じます。にもかかわらず、車体はなんだか薄く、一際うるさいエンジンの音と振動が直に身体に伝わってきます。そんな状態の車体を、運転手のお兄ちゃんは60キロだか70キロだかの速度で夕暮れ時の海岸沿いのマレコン通りに疾走させます。友人たちと「これ事故になったらまず死ぬよね!?」とジェットコースターに乗っているような、心臓に悪いような気分で話していました。

 GATEの本筋とは関係のない一コマですが、昼間のスケジュールに対する充実感や友人たちと過ごす時間の楽しさ、異国の雰囲気も相まって、とても印象に残っているひと時でした。

というわけで、非常に長くなりましたが、以上でキューバ編を終わります。次回はパナマ編をお届けします!


GATE Cuba/Panama 体験記 (2/4) – 授業と旅程その1-ワシントンD.C.

2016-06-15 05:58:00 | 課外活動

 

今回は、GATE Cuba/Panama体験記の2回目をお送りします。
 早速ですが、GATEでは1タームかけてその国のことを学んだ上で、休暇中に現地を訪問します。では、どうやって「学ぶ」かと言えば、教授ごとにスタイルが異なりますが、Cuba/Panamaでは、教授が紹介する記事等のリーディング、ゲストスピーカーの講演、及び学生一人一人のプレゼンテーションとペーパー提出を通じて知識を深めました。Cuba/Panama及びBrazilはAmbassador Patrick Duddy氏が教授を務めています。彼はその名のとおり外交官・大使であり、パナマ・ブラジル・ベネズエラ等に調査官・大使として赴任した経験のある、人脈・経験ともに豊富な実務家です。また、65歳という年齢にもかかわらずとても情熱的で、人間としての魅力にあふれています。(最近では危機にあるベネズエラの状況について、メディアから取材を受けてもいます:http://www.foxbusiness.com/features/2016/05/25/amb-duddy-situation-in-venezuela-is-unraveling-before-our-eyes.html)
 そんな彼のおかげで、授業はとても濃い内容になりました。まず、全6回しかない授業にもかかわらず、ゲストスピーカーが6人訪れました(一回に2人訪れた回も)。またそのバックグラウンドも様々で、テレビ番組の取材のため最近キューバの首都ハバナを訪れたキューバ系アメリカ人や、キューバにてトラクターの製造業を立ち上げた起業家、また世界銀行系列の投資会社にてラテン・アメリカに対する投資戦略を検討しているマネージャー等、多岐にわたりました。彼らはもちろん彼ら自身の目線でキューバ・パナマを捉え、その現状や見通しについて話をしてくれましたので、それだけでも経済・外交・政治・歴史が複雑に絡み合う構造の一端に触れることができました。私個人としては、テレビレポーターの方が言っていた「キューバにいる間は常に監視されていた。監視されているのは(レポーターである)私だけではなく、市民もそうだった」という点が、正直に言うと想像が及ばず、特に記憶に残っていました(実際に現地に入ってから、この点は腹落ちします。これも後述します)。
 また、学生自身も実際にテーマを決めて調べることで、それぞれに理解を深めました。全員がそれをプレゼンテーションの形でクラスにて共有しましたので、幅広い分野についての知識を得ることができました。以下に一例を紹介します。
<キューバ>
●キューバ革命
●移民の状況と米国の対キューバ移民政策
●インターネットの普及状況
●自動車
●食文化
<パナマ>
●パナマ運河拡張計画
●パナマにおけるcorruption(汚職、賄賂)の状況
●FDI(Foreign Direct Investment: 外国直接投資)
 私自身もパナマ運河拡張計画について情報収集・プレゼンテーションを行いました。ご存知の通りパナマ運河は太平洋と大西洋をつなぐ物流上の要衝ですが、建造から100年以上が経過しています。その結果、拡大の一途をたどる輸送船の規模や運河通過の需要に対して、運河のサイズ・キャパシティが追いついておらず、その拡張が急務となっています。産業の多くを運河に頼る同国にとって、その拡張は国家の一大プロジェクトであり、今後の発展においても鍵となるでしょう。
 さて、これらを経て実際に現地に向かいます!最初に、旅程は以下のようになりました。
 5月6日:ワシントンD.C.
 5月7日〜13日:キューバ(ハバナ、バラデロ)
 5月14日〜18日:パナマ(パナマシティ) 
 これから、それぞれの日程で何をしたか、どういったことを学んだかについて詳述していきます(やっとですが、今しばらくお付き合いください笑)。
 D.C.では、在米パナマ大使館勤務の経済調査官、米国国務省でのキューバ担当者、米国商工会議所の中南米担当者からお話を聞きました。講義においては「アメリカから見たキューバ・パナマ」の観点に偏りがちでしたが、今回パナマ大使館勤務の調査官から話を伺ったことで、「パナマ人から見たパナマの将来見通し」の観点が増えました。やはり後者の方が楽観的に思えたことが印象的でした(立場上ということもありますが、やはり気質も関係しているのでしょうか…?)。また、国務省担当者からは、米国・キューバの国交及び禁輸の解除について、改めてそれらの手続き的違い(外交は大統領の裁量だが、禁輸は法によるものなのでその撤廃には議会の承認が必要)、大統領が交代した後での見通しを伺えたことはとても貴重でした。
 また、D.C.においては自由時間もありましたので、各々お互いに交流を深めました。私はインド人同級生と市内散策に出かけ、歩きながらお互いの価値観や将来についてゆっくり話す時間を持てたことがとても有意義でした。彼はグループの公式なリーダーではないながらも、折々に自然にリーダーシップを発揮していました。そのコミュニケーション力・グループをまとめる力については、尊敬すると同時に真似したいと思えるものであり、そういった友人と出会えたことは、このGATEでの財産の一つとなりました。
次回はキューバ編をお送りします!


GATE Cuba/Panama 体験記 (1/4) – GATEの価値とは?

2016-05-25 19:14:59 | 課外活動

こんにちは、Class of 2017のKNです。

今回は、先日参加してきましたGATE Cuba/Panamaについての体験記をお送りします。4回にわたる大作になる予定になっていますが、それだけ濃い経験となりました。第1回は実際の講義内容や旅行に入る前に、先に「GATEで何を得たか?」ということについて書きます。

まずは簡単に「GATEとは何ぞや?」ということですが、Global Academic Travel Experienceの略で、1タームかけて対象国について学び、その後のbreakにて2週間ほどかけて同国を旅行するプログラムです。行き先は年により多少異なりますが、本年度はブラジル(Spring1)、南アフリカ(Spring1, 2)、中国(Spring2)、キューバ・パナマ(Spring2)が開講されました。今回、私は20数名ほどの同級生、教授とともにキューバ・パナマを訪問いたしました。

このプログラムに対してよくある意見として、「旅行なら自分で行く。どうして高いお金を払って学校のプログラムで行かないといけないのか?」(実際に参加費は少し割高です)というものがあります。実際に、私も入学前には「単なる旅行であり、主体的にリーダーシップを伸ばすようなプログラムではない」との考えから、そこまでの興味を持っていませんでした。しかしながら、今回の参加を通じての学びがとても多く、GATEの価値をもっと伝えたいとの思いから本稿を書くことにしました。

GATE、またFuquaのMBAにおける究極的な目標は、「グローバルに通用するリーダーを育てる」ことです。今回の参加を通じて私自身が感じたGATEの価値は、以下の三点に集約されます。

  1. 国を知る
  2. 友人を知る
  3. 自分を知る

1. 国を知る

 Fuquaの卒業生には、将来的にグローバルに活躍することが期待されています。もしかすると「どの国で働くか」ということは選べない場合も出てくるかもしれません。もし文化や宗教が大きく異なる国で働くことを考えると、言わずもがな、現地の顧客・上司・部下がどういった価値観のもとに生活を営み、働いているのかということを抜きにして成果を上げることは難しいでしょう。そういった際に、経済・歴史・外交・政治・文化などを通じて、多面的にその国のことを理解する姿勢が求められます。もちろんGATEで訪れた国が将来のビジネスの舞台になれば、知識・経験を最大限に活かすことができます。ただ、今回私がキューバ・パナマの訪問を通じて得たものは、その国でしか通用しない性質のものではなく、もっと汎用性の高いものだと思っています。それは、「全く知らなかった国をゼロから知っていくプロセスとそこで必要になる姿勢」です。具体的には、歴史の重要性、虚心坦懐に相手の話を聞く姿勢、相手の視点に立つ想像力です。これについては、次稿以降で講義と旅程をたどっていく際に折々に触れることとします。

2. 友人を知る

 Fuquaはteam-based assignmentが多いため、多くの同級生とグループワークを通じて相手のことを知る機会があります。とは言いつつも、普段は皆様々な活動で忙しく、じっくりと話をする機会はなかなか取れなかったり、意識しなければ新しい友人とそういった機会を持つことは難しかったりというのも実情です。

 しかしながら、旅行中は今まで知らなかった友人たちと1日の多くの時間を過ごします。文字通り同じ釜の飯を食いながら、友人たちと議論をしたり、過去の経験について話を聞いたり、一緒に飲みに行ったりして、相手のことを理解し、新たな関係を築くことができます。また、リーダーシップの観点でも、リーダー(GATEには学生側のリーダーが2人います)がどうグループをまとめていくか、またそのリーダーをどうサポートするか、どうイベントを提案していくか、といったことからリーダーシップを発揮する/触れる機会に恵まれます。私自身、この旅行を通じて、これから関係を深めていきたい、又リーダーシップのお手本としたい友人を見つけることができたことは、大きな収穫でした。

3. 自分を知る

 人は自分と大きく異なる集団に属したり、価値観の違う文化に触れたりすることで、改めて自身の考え方や性格を知っていくことができると思います。その意味で、Fuquaに来るまで日本以外に住んだことのなかった私は、アメリカかつFuquaという環境から、改めて自分のことを見つめ直す機会をもらっています。

 さらに、今回のGATEにおいて、特にキューバという日本ともアメリカとも社会構造を大きく異にする国を訪問し、彼らの社会の一端に触れ、他の友人ともそれを題材に話をすることで、改めて自身が持つ興味・関心、価値観について知りました。それと同時に、自分の思考の癖、自分がこれまで持っていなかった視点についても自覚することができました。例えば、それは日本という国が持つ構造であったり、私自身の経済学部・会計士といったバックグラウンドから来るものであったりします(これらについても折に触れ後述します)。これらの気づきが、残りのMBA生活、又将来の人生において、どういった知識・経験を得たいか改めて考える材料となっています。

 さて、第1回から長くなりましたが、次回は「講義では何を学ぶのか?」と行程の概略、序盤のワシントンD.C.滞在についてお話ししたいと思います。

<予定>

第2回 講義内容、行程とワシントンD.C.滞在

第3回 キューバ

第4回 パナマ


FCCP体験記 - Social Entrepreneurship関連のコンサルプロジェクトを通したアフリカ訪問

2016-04-14 09:49:51 | 課外活動

はじめての投稿になります、1年生のJです。FCCP(Fuqua Client Consulting Practicum)は春学期に行われるコンサルティングを経験するためのプログラムです。授業を通して、仮説思考やプロジェクトマネジメント、クライアントとのコミュニケーションなどコンサルの基礎をプロ講師から学びつつ、実際に5~6人のチームを組み、半年間かけてクライアントの問題解決に取り組みます。クライアントは国、セクター、規模など様々です。私はSocial Entrepreneur 系のプロジェクトを選び、アメリカ人2人、ブラジル人2人、日本人1人の計5人チームで、ウガンダでヘルスケア関連のサービスを提供している小規模な非営利組織のコンサルティングに取り組んでいます。春休みには2週間かけて現地訪問してきました。

ウガンダはもちろん、アフリカに訪問するのも今回が初めてでした。危険だという先入観からかなり身構えて行ったのですが、ウガンダはとても安全な国でした。人々は穏やかで、どこか控えめです。こちらから現地語で話しかけたり、友人に紹介してもらったりして一旦打ち解けると、人懐っこくさえなります。身の危険を感じることは一回もありませんでした。またウガンダは比較的雨も多く、ビクトリア湖やナイル川もあることから緑に溢れた豊かな土地です。さらに南西部には、世界でたった2カ所しかないという野生のマウンテンゴリラが見られるBwindi国立公園があります(間近で見てきました!)。食事も穀物中心かつスパイスも強くないので日本人の口に合いました。アフリカでしか手に入らないコカ・コーラ社の製品、Stoneyというジンジャーエールはとても美味しかったです!

そんな素晴らしい環境のウガンダですが、一人当たりGDPは500ドル程度と、世界中で最も貧しい国の一つです。貧困率は25%、地方に限れば61%です。その結果、まともな医療が受けられない人も多く、乳児死亡率は7%と高く、平均寿命は53歳と短いです。HIV感染率も7%と、世界で10番目に高いです。実際にKampalaやMasakaなど、ウガンダの様々な都市にある医療クリニックを訪問しましたが、錆びかけたメスや、期限切れの薬が並ぶ棚、電球のない手術室などの他、手洗いや滅菌などの初歩的な衛生管理への意識がないクリニックさえありました。こうした現状を目の当たりにし、自分の置かれた環境が如何に恵まれているかを再認識すると共に、世界に対し何か自分に出来ることは無いかと考えさせされました。

守秘義務の関係からプロジェクトの詳細は書けませんが、ウガンダ訪問を通した学びや気づき、感じたことなど、五月雨式にいくつか書きたいと思います。

1.  ビジネス環境・・・首都Kampalaの人口は約160万人です。急速に都市化が進んだ結果、道路インフラが追いついておらず市内は常に大渋滞です。停電もしばしば起こるなど、社会インフラはまだまだ弱いと言わざるを得ません。また、つい先日の大統領選では与党の選挙不正を訴えた野党候補が身柄拘束されるなど政治の不透明さも指摘されています。一方で、現地で出会ったウガンダの人々は、総じて素朴で真面目でした。派手さはありませんし、ゆっくりとしたペースではありますが、コツコツと仕事をする姿勢には安心感を得ました。経済発展を続けるアフリカとビジネスをする機会はより身近になってくると思います。その意味においても、アフリカの抱える課題と可能性を肌で感じることが出来たのはとてもいい経験でした。

2.  イノベーション・・・アフリカではとても速いスピードで、画期的なイノベーションが次々に生まれています。例えばアフリカはモバイルペイメントが世界の中で最も普及している地域であり、人々は個人資産を銀行からモバイル企業へ移管しつつあるほどです。こうした爆発的な普及の背景には、銀行といった既存インフラが無かった、または機能していなかったことがあると思います(預金者は利子を得るどころか多額の口座維持手数料を払わなくてはいけません)。アフリカで起こっているイノベーションの例を挙げれば枚挙に暇がありませんが、既存システムによる制約が少なく、社会的課題が多いことが、アフリカでイノベーションが生まれやすい構造的な理由なのだと思いました。イノベーションについてアフリカから学べることは多そうです。

3.  経営者の視点・・・クライアントはたった10人からなる小規模な組織です。その中でトップの人は若干30歳と若く、自分たちとあまり歳が変わらないにも関わらず、経営者として、資金調達から、市場調査、競合分析、ポジショニング、マーケティング、ブランディング、コストカット、効率性向上、サービス改善、新サービス開発、信用力獲得、人材採用、人材育成、リストラ、業務アウトソース、規制対応、成長戦略、長期戦略まで、様々な問題に対し最前線で奮闘していました。このように様々な経営課題が論点として挙がりましたが、これまでにMBAで習ったフレームワークが次々に頭に浮かび、議論を深掘りすることが出来ました。また夜にはチームミーティングを重ねました。表面上のチームワークに留まらず、時にお互いを刺激し合い個の力を最大化させ、また多様性を最大限に活かすなど、これまで学び身に付けてきたTeam Fuquaならではのチームワークを活かすことで翌日への良い準備ができたと思います。こうしたことからクライアントは私たちのことを本当に信頼してくれて、全てさらけ出して相談してくれました。現地訪問はたった2週間でしたが、企業経営の酸いも甘いも身近に感じさせてもらうことが出来、コンサルティングを経験するという意味においても、ためになるプログラムでした。

4.  ビジネスの力・・・先ほど衛生管理がなされていないクリニックの例を紹介しましたが、手洗いのような簡単なことを徹底するだけで感染症のリスクは減り、多くの命を救うことができます。今回のウガンダ滞在を通して、ビジネスの世界も同じであると感じました。例えば、簡単な会計仕分けや記帳が徹底していないことから現金が紛失しても気付けないクリニックが多くありましたが、その解決のためには高度な知識が必要なわけではありません。ほんの少しの改善で経営は良くなりえます。手洗いで救える命があるように、ほんの少しのビジネスの力で多くの非営利企業や新興国企業の手助けができるのだと思いました。このようにMBAの力を必要としている組織は世界中に沢山あるのだと思います。Social Entrepreneurshipに興味を持つMBA学生は年々増えていると言われていますが、かくいう私もその一人です。今回の経験を通じて、ビジネスの力をどのように活用できるのかについて、少しだけですがヒントが見えたような気がします。

最後になりますが、ウガンダでの2週間は最高に楽しかったです!!濃い時間を共に過ごしたチームメートはかけがえのない友人です。チームメートは皆、Social Entrepreneurshipや国際開発など、似たような志を持っています。このFriendshipが将来どのように発展していくか、今から楽しみでなりません。

 


GATE South Africaの体験談

2016-04-05 09:27:07 | 課外活動

はじめての投稿になります,1年生のYMです。

GATE(Global Academic Travel Experience)は、1ターム分の授業と約2週間の現地訪問がセットになっている選択科目で、ビジネス、文化、歴史、経済など幅広い側面からその国について学ぶことが目的です。事前の授業では、担当教授による講義を受けながら、チームで特定のテーマについてリサーチを行います。今年はブラジル、南アフリカ、中国、キューバ&パナマと4つのGATEがあり、私は南アフリカのGATEに参加してきましたが、とても学びの多い2週間となりました。南アフリカの専門家である担当教授も同行する中、様々な企業や非営利団体を訪問することができ、普通の旅行では得ることのできない体験ができました。全ては書ききれませんが、振り返りも兼ねて内容をまとめました。

(1)    ケープタウン (1日目~4日目)

ケープタウンは、テーブルマウンテンと呼ばれる独特の形状をした山と、海の間に位置する街で、空港からバスで向かうに連れて見えてくるその美しい景色は圧巻でした。観光客も非常に多く、喜望峰やケーブルマウンテンを初めとする壮大な自然、近郊に位置する数多くのワイナリー、とても美味しい(そして安い)食事など、その理由も納得です。クラスメイトと観光をする時間も十分にありました。また、アパルトヘイト下で政治犯が収容されていた監獄も訪問して元受刑者の話も聞きましたが、事前の授業で学んだアパルトヘイト時代の統治についてより実感を持って理解することができました。

ビジネスビジットとしては、Pick n Payという南アフリカ最大のスーパーマーケットチェーンを運営する会社への訪問が印象に残っています。現在役員を務めている女性の方が、アパルトヘイト時代の事業運営、ウォルマートの参入への対処の話などについて熱のこもったプレゼンをしてくれました。地域社会への貢献も重要な使命であるということで、南アフリカ国内からの製品の購買量を増やすためにSmall Businessに投資をしたり、農家に対して良い製品を作るためのコンサルティングなども無償で行ったりしており、そのような活動がリーディングカンパニーとしての地位を築いているという話は印象的でした。

(2)    ダーバン (5日目~7日目)

ダーバンはケープタウンとは雰囲気もがらりと変わり、一般的にイメージするアフリカの都市で、ここに来てようやくアフリカにやってきたという気持ちになってきました。世界トップレベルの取り扱い量を誇るダーバン港が有名で、その港を運営する会社にも訪問し、レクチャーを受けるだけでなく、広大な港内も案内してもらいました。また、ダーバンはリゾート地としても有名で、森の中にあるホテルに泊まることができました。朝起きてベランダを見ると猿がいたり、なかなかワイルドな環境でしたが、クラスメイトとお酒を飲みながらプールで遊んだり、とてもリフレッシュできました。

(3)    ピラネスバーグ (8日目~9日目)

ピラネスバーグはヨハネスブルグの北西に位置する地域で、サファリが有名です。我々もサファリに隣接したロッジに宿泊し、早朝など国立公園内をガイドと共に車で走り、野生のライオンやチーターなどを驚くほど間近に見ることができました。これはビジネスビジットの一環でもあり、サファリを運営するマネージャーの話を聞くこともできました。観光客の満足度を高めるための取り組み、動物の管理、サイの密猟者の対策など、興味深い話を聞くことができました。また、毎日クラスメイトと朝から晩まで過ごしているので、この頃になると皆とても仲良くなってきますし、英語でのコミュニケーションにおける学びも数えきれないほど得ることができました。

(4)    ヨハネスブルグ (10日目~14日目)

最後にいよいよ、南アフリカ最大の都市であるヨハネスブルグにやってきました。世界で最も治安の悪い都市の一つであるという話も聞きますが、ホテルのあるエリアはそんなことはなく、高層ビルやブランドショップが立ち並び、経済発展のスピードを感じました。一方、郊外に行けば、雰囲気はがらりと変わります。200万人が住むヨハネスブルク最大のタウンシップ(旧黒人居住区)であるソウェトでは、雨をしのぐのも難しそうなトタン屋根の家が立ち並んでいました。ソウェトの中でも豪邸があったり、地区ごとに貧富の差があるのには驚きました。

ビジネスビジットの一つとして訪れたAfrican Leadership Academyは、今回のGATE全体を通して最も印象に残っています。ここは16~19歳が対象の2年制の全寮制の学校で、将来アフリカのリーダーとなるような人物を育てることを目的としています。アフリカ各地から応募があり、入学率は3%の狭き門ですが、卒業生の多くが欧米の有名大学に奨学金を得て進学します。経営陣のプレゼンテーションの後、スモールグループに分かれて、在校生達が校内を案内してくれたのですが、私はその生徒達に衝撃を受けました。皆驚くほど話が上手く、表面的な校舎案内ではなく、リーダーシップを伸ばすために学校がどのような価値観の元に運営されているのか、体験談を交えながら堂々と笑顔で紹介してくれました。

ボツワナ出身の16歳の女の子は、英語は母語ではないそうなのですが、入学後半年にも関わらずとても上手な英語を話していたので、アメリカ人同級生達が”You are awesome!”としきりに言っていたところ、すごいのは私ではなく、スクールの素晴らしいカリキュラムといつもサポーティブなクラスメイト達のおかげだと謙虚に話していました。また、ケニアから来た17歳の男子生徒にこの学校を選んだ理由を聞いたところ、ダイバーシティ、Speak upを奨励する環境、リーダーシップ育成に重きを置いたカリキュラムの3点で、将来社会に出た時に必ず役に立つからだと言っていました。このままMBAの面接をしても合格しそうです。二人とも卒業後は欧米の大学で学び、その後はアフリカに貢献したいと言っていました。このような生徒達、また発展著しい街並みを見ていると、まだ数多くの問題はありますが、アフリカの将来は明るいなと力強く感じました。


GATE (Global Academic Travel Experience) - Brazilについて Part 2

2015-11-16 21:58:26 | 課外活動

こんにちは、前回に続きClass of 2016の三男坊です。こちらDurhamは10月中は気温20度前後の心地よい日々が続いておりましたが、11月に入ると秋も一層に深まって参りました。

さて、今回の投稿ではサンパウロの次に訪問したマナウスとリオデジャネイロについてレポートさせて頂ければと思います。

<マナウス>

SUFRAMA(Free Economic Zone of Manaus)

マナウスは世界を代表する貿易のフリーゾーンでアマゾナス州の州都で、人口は200万人を超えるブラジル第三の都市です。サンパウロから北に飛行機で約5時間の位置にあり、米国MBAプログラムの一環でこの都市を訪問する学校は中々ないと思います。

マナウスは19世紀に天然ゴムが発見されたことに始まり、一攫千金を求めたヨーロッパ人が押し寄せ、ゴールドラッシュならぬゴムラッシュとなってブラジル天然ゴム輸出産業の中心となりました。またそこで積み上がった巨万の富でアマゾネス劇場をはじめとするヨーロッパ水準の娯楽建築や港湾、市場などのインフラ施設がアマゾン川のほとりに築かれました。現在は中国(経済特区)や他国の多くのフリーゾーンがマナウスの成功例を参考にしています。

また日本人移民の主要な入植地となった歴史もあり、現在では二輪車メーカーを中心に約30社を超える大手日系企業が進出しています。またグローバル企業も含めると世界各国から500社以上の会社がこの地区に進出してそうです。

訪問の際、SUFRAMA商務官からのプレゼンテーションで特に印象的だったのがこの地域の発展に日本企業の進出の貢献が欠かせなかったというコメントでした。HondaやYamahaを中心とした日系企業の進出や工場設立に伴う、地域の雇用創出もさることながら、同産業の技術移転の影響は大きく、マナウスの多くの工場の生産効率は世界の中でも高水準を維持しているとの事でした。また商務官によれば、例えばマナウスに進出しているある二輪車メーカーの製造コストは、日本の半分以下の水準を実現していて、生産効率もグローバル平均比、約1.5倍の水準を達成しているとの事でした。

但し、メーカーによってはノックダウン方式を採用しており、半分以上の部品を母国及び他国から輸入しているそうです。現地では、単に安い労働力を活用した組立機能のみしか果たしていない事例も多々あるそうです。

※フリーゾーンとは経済特区の一種で、関税の優遇措置などを通じて企業誘致を行っている地域。

 

 
<写真1:マナウスに進出中の大手グローバル企業の一例>

Harley Davidsonマナウス工場

1901年に米国ウィスコンシン州に設立された、言わずと知れたオートバイメーカー。排気量850cc以上の大型ツーリングバイクやカスタムオートバイの製造では世界最大手の地位を占めています。

マナウス工場は中南米諸国の需要をカバーするための重要な製造拠点の位置付けにあり、ブラジルの他には、アルゼンチン、チリがブラジルに継ぐ大きなマーケットとなっているそうです。

今回は同社のオートバイ工場を訪問して、実際の製造過程を見学しました。マナウスの工場には約80名の従業員が勤務しており、1つのシフトで約70台/日のオートバイが製造可能との事でした。但し、上述の通り部品の大半は本社のある米国から輸入しており、飽く迄、工場の機能は安い労働力を活用した組立が中心となっていました。

一方で人材育成とノウハウの伝搬には大変力を入れており、毎年マネージャークラスの人材を本社勤務スタッフが入れ替わりでマナウス工場に投入されていて、最新の技術やノウハウをオンタイムで現場に伝えているのが印象的でした。また、逆に工場から本社へのフィードバックもとてもしっかりしていていました。具体的にはトヨタ生産方式で有名な行燈や平準化のフィードバックシートを活用して、本社が現場の声を積極的に拾い上げていることが伺えました。

 
<写真2:工場見学の様子>

その他には、空き時間を見つけて同級生でアマゾン河クルーズに出掛けたり、マナウスの旧市街散策も行いました。また夜には、マナウスにある日本食料理店にて日本人同級生3人で”Japan Night”を企画して、日本食の説明・古典的なサラリーマンの宴席のマナー、宴会での一発芸等のデモンストレーションを行い、日本文化を同級生一同に紹介しました。 


<写真3:アマゾン川クルーズの様子>

3.リオデジャネイロ

オリンピック組織委員会及びOdebrecht

2016年のリオデジャネイロオリンピックのオリンピック組織委員会本部で普段中々、立ち入ることが出来ない場所です。訪問では広報部よりオリンピックのグローバルマーケティング戦略や施設の建設工事の進捗状況についてヒアリングを行いました。巷ではブラジルワールドカップの建設スケジュール遅延と同様に、オリンピック関連のスタジアム建設の遅れが騒がれていますが、組織委員会では綿密にスケジュール管理を行い、現状6-7割まで建設が終わったとのコメントがありました。またグローバルマーケティングについてもコンサルティングファームやPR会社等、幾つかの専門会を招聘して、本オリンピックならではのメッセージを世界に発進しているそうでした。

尚、オフィス訪問当日もオリンピックに反対する多くの抗議者がオフィスの前に陣取り、抗議活動を行っていたのが印象的でした。

また、その後、 ブラジル最大の建設業・エンジニアリング業のコングロマリットであるOdebrecht帯同のもと、オリンピック選手村及びスタジアムの建設予定地を訪問しました。Odebrechtは現在、リオデジャネイロオリンピックのスタジアムや設備の工事を一括に請負い、工事を行っていました。
 


<写真4:建設中のオリンピックスタジアム>

GLOBO

ブラジル最大の放送ネットワークを有する放送局で、ソープオペラ(連続メロドラマ)の制作などでも世界的に有名です。ブラジル以外の海外展開も積極的に行っており、スペイン語圏のラテンアメリカ及びポルトガルに作成した番組を配信中しています。地上放送局別のシェアについては、当社ネットワークが視聴者数トップシェアを誇っており、全体の 6割近くのシェアを占めています。

同社の主な収入源は広告が宗太を占め、その他にコンテンツ事業も展開しています。インターネット普及率がまだまだ全国に普及しておらず、依然テレビ依存の状況且つ、2億人にものぼる人口を背景に業績も安定的に推移しているとの事でした。

会社訪問の質疑応答では、「インターネットの普及が広告収入の低下に繋がるのではいう問題提起やテレビからネット向けのコンテンツシフトが必要では?」、という鋭い質問が飛んだものの、「(寡占市場の)トップに君臨する当社にとって全く懸念材料ではなく、良いコンテンツを作成することが視聴者への価値提供である」、と力強く説明していたのがとても印象的であり、IT面において同国はまだまだ発展途上にあると感じました。

 

 
<写真5:コパカバーナ海岸> 

以上、駆け足となりましたが、今年のBrazil GATEのハイライトはこの様な内容となりました。実際にプログラムに参加してみて、手前味噌ではありますが、流石は Fuquaの看板プログラムと呼ばれるに値する充実度の高い内容で、大変満足した教科の一つとなりました。

 


GATE (Global Academic Travel Experience) - Brazilについて Part 1

2015-11-01 08:44:30 | 課外活動
こんにちは、Class of 2016の三男坊です。
 
最近アプリカントの方からFuquaの看板プログラムの一つである、GATE(Global Academic Travel
Experience)の具体的な中身について照会を受けることが多くなりました。今回、少し前の話になりますが、現在2年生のForest,Tatsu,私の3名がBrazil GATEに参加しましたので、その様子(主に企業訪問の内容)を2回に分けてレポートします。
 
GATEとはアジア、中南米、アフリカの新興国のビジネス、文化、政治、経済について、講義やゲストスピーカーを通じて学んだのちに、春休み又は夏休みを利用して2週間、実際にその国を訪れ、政府機関や現地の企業等を訪問するプログラムです。勿論、単位も付与されるアカデミックなプログラムで、多くのビジネススクールが主催する、所謂、”~Trek”とは大きく異なります。小生は南米最大の経済大国でBRICsの一角を担うブラジルのサンパウロ・マナウス・リオデジャネイロの3都市に訪問しました。尚、今回のGATEの候補地として中国、ブラジル、南アフリカがありましたが、その中からブラジルを選択した大きな理由は下記の通りです。
 
1.  東京で勤務していた頃に石油・ガスのファイナンス業務で何度かブラジルの案件を取組んだ経験があったものの、実際に同国を訪問した事が無く、現実を見てみたかった
2.  地理的にも日本から最も遠い国にも拘らず、同国の経済、文化の発展において日本の影響が強く、またMBAの同級生にも同国出身者が多く、ブラジルについて大変興味があった
3.  同プログラムに参加する同級生達が最も多国籍(延べ10カ国以上の国出身の学生)で2週間の濃厚なプログラムを通じて、生涯に亘るネットワークを築きたかった
 
尚、同プログラムの担当教授(当地への引率も担当)であるAmbassador Patrick Duddy
http://www.fuqua.duke.edu/faculty_research/faculty_directory/duddy/)は、
現在Duke大学で教鞭を執る一方で、過去にはブッシュ政権及びオバマ政権下で駐ボリビア米国大使や駐ベネズエラ米国大使などを務めたアメリカを代表する中南米の専門家の一人で、チリやブラジルなどでも外交官として米国大使館でリーダーポジションを務めました。渡伯前には、過去に米国とベネズエラの外交関係が悪化した際にブッシュ大統領と行った激しい議論の中身をざっくばらんに共有してくれるなど、講義の内容も大変興味深いものでした。またDuddy氏は訪問先の歴史や現在のブラジル経済の状況など、基礎知識をとても分かりやすく教えてくれました。特に在任中の米国とブラジルとの貿易・経済交渉や外交についてのエピソード紹介はどれも生々しくまた刺激的で、毎回の授業がとても楽しみでした。
 
サンパウロで行った企業訪問は下記の通りです。
 
1.サンパウロ
 
米国領事館(U.S. Consulate General São Paulo)
 
米国外では世界最大規模の領事館。ブラジルは政治の都市が首都ブラジリア、経済の中心はサンパウロと明確な役割分担がされており、同オフィスでは約400名のスタッフが当領事館に勤務し、米国とブラジルの経済活動の発展の橋渡しの機能を担っています。上記の通り、Duddy氏が過去に当領事館のトップを務めていたこともあり、普段は滅多に入れない領事館の訪問が実現しました。
訪問では現役の大使及び商務官が多忙の中、時間を割いてブラジルの政治、マクロ経済や米国企業のブラジル進出の動向等を話してくれました。特に先般、米国政府の大規模な情報収集活動を暴露した米国家安全保障局(National Security Agency、NSA)の元職員、エドワード・スノーデンの事件が起きて以降、ブラジルと米国の関係は冷えきっており、その関係修復が終わらなければ、経済面においても同国間の発展はないという、大使の発言は印象深かったです。
 
エンブラエル(EMBRAER、Empresa Brasileira de Aeronáutica S.A.)
 
同社は、国営石油公団ペトロブラスと並ぶブラジル最大の輸出企業の一つであり、世界第4位の旅客機メーカーです。航空機トータルのシェアでは、ヨーロッパのエアバス社、米国のボーイング社、カナダのボンバルディア社についで、世界で第4位の地位にありますが、ボンバルディアを追い抜くのも間近と言われていて、また中型機マーケットでは圧倒的な地位を確保しています。日本でも2007年に日本航空が国内線用の小型機を10機導入しました。その他、軍事部門にも積極的に注力していて、世界20カ国以上の軍隊で同社の戦闘機が採用されています。
今回の訪問では、企業の広報部担当より会社全体の説明を受けた後、エアライン向けの中型航空機やプライベートジェットの製造ラインを1時間程かけて見学しました。ちょうどオペレーションの授業を受講した直後だったので、部品の調達、適正在庫水準、製造ラインの最適化等、活発な質疑応答がなされました。また当社で実際に行われているKaizenプロジェクトについて話を伺い、組織としてどの様にオペレーションの最適化を管理しているのか、実例を踏まえて学ぶことが出来ました。同社のオペレーションにおいて日本(トヨタ)の影響がここまで強かったことには驚きました。
 
<写真1:EMBRAER訪問の様子>
 
イタウ・ウニバンコ・ホールディング(Itaú Unibanco Holding S.A)
 
同行はブラジルのサンパウロに本社を置く総合金融機関です。2008年にイタウとウニバンコの合併によりイタウ・ウニバンコ・ホールディングが誕生しました。金融機関としては南半球で最大で、世界でも上位10位以内の時価総額を誇っています。
特にブラジルにおいてはリテール事業で大きなシェアを維持しており、最近ではアルゼンチン、チリ、ウルグアイにも支店網を拡大しています。その他、ニューヨーク、ロンドン、リスボン、上海市にも事業所を設けていて、同行の投資銀行部門はブラジル人MBA留学生の卒業後の進路先としても人気だそうです。
訪問では主席エコノミストより2時間程、同行の今後の戦略やブラジルマクロ経済の短期・中期見通しについての説明を受けました。
今後の戦略については、多く米銀同様に自己勘定によるトレーディング業務を縮小し、投資銀行業務(特にクロスボーダーのM&Aのアドバイザーリー業務)、リテール業務、中小企業の貸出を延ばし、ユニバーサルバンクとしての確固たる地位を築いていくのが当面の方針とのことでした。
またマクロ経済については、足許は石油価格の下落を背景に2015年は一旦、ブラジルのGDPの成長はマイナス(1%台)に突入するも、国内消費が引続き活発であることから2016年以降はGDPの成長もプラス(2%-3%)に転ずるとの強気のコメントがあった。また原油価格についても先々、60ドル台までは回復するだろうとの見通しでした。一方でリスク要因としては、昨今開発を進め始めているブラジルの深海石油掘削プロジェクトの多くが原油価格55-60ドル台まで回復しないと経済的にメリットが無く、今後いくつかのプロジェクトが頓挫する可能性が有るとのことでした。
 
<写真2:イタウ銀行訪問の様子>
 
ブラジル・フーズ(BRF)
 
同社は、食品・飲料の製造・販売を行う食品コングロマリットで、冷凍食品からベビー食品まで業界を幅広く網羅しています。ブラジルには50にも及ぶ工場と12万人の従業員を抱える大企業です。
訪問では当社の歴史や今後の当社グローバル化に向けての人材育成の方針、当社のマーケット競争力についての説明を受けた後、当社の冷凍食品の物流センターの見学を行いました。
人材育成については、今後のグローバル化(特に注力地域は南米と中国)を視野に入れ、5年間の間に4つの異なった地域で仕事をする、グローバルローテーションを積極的に取り入れており、当社の今後の目指す姿とビジネスのボーダレス化を肌で感じることが出来ました。また同業他社に比べてまだまだグローバルの知名度が低いことから、相応のコストを掛けて、グローバルでの採用活動を強化しているとのことです。
また物流センターの見学については、以前日本で見学したことのある物流センターに比べるとまだまだオペレーション自体にやや無駄があり(例えば、何度も同じ場所にフォークリフトが食材を収集しに来る、明らかに人が余っていて喋っている人がいる、スペースが広すぎる、室温マイナス10度を維持するための工夫がなされていない、など)、まだまだ荒削りの印象を受けました。
 
 
<写真3:物流センター見学前>
 
 
次回はマナウス、リオデジャネイロでの活動内容をレポートします。
 

カンファレンス運営を通じたABCクラブ活動の振り返り(2/2)

2015-03-19 09:13:56 | 課外活動

こんにちは、pannです。

前回のAsia Business Conferenceの概要に続いて、今回は「カンファレンスを通じて何を学んだか」「ABCのPresidentをやってみて何を思うか」について書きたいと思います。

■カンファレンス運営を通じて、何を学んだか・得たか? - 実践での学びと人とのつながり

最後のアジェンダである講演者とのNetworking Sessionが終わった瞬間、ものすごい安堵感と達成感がありました。準備を始めて約10か月、カンファレス担当のCabinetメンバーと共に「本当に講演者は揃えられるだろうか」「本当に人は集まってくれるだろうか」という不安を感じながら走り続けて、無事に終えられたことに感動を覚えました。この経験を通じて、実践を通じた学びと人とのつながりを得られたことが、とても良かったなと感じています。

①   Fuquaコミュニティの強さの再認識

まずは、アラムナイの力です。講演者を探す際には、Fuquaのアラムナイリストが強力なツールとなりました。Daytime MBAだけでなく、Weekend MBAやCross Continent MBA等を含めると、様々なインダストリーの第一線でFuquaのアラムナイが活躍しており、Fuquaの人のネットワークの強さを再認識しました。また、多くの人が忙しい中でも協力的な姿勢で接してくれ、「Team Fuqua」の精神をアラムナイの方々が持ち続けてくれていることを、とても嬉しく思いました。

➁ 「実践」による学びの深まり

さらに、スキル面でも色々なものが得られました。MBAのクラスで学んだことは、実践で活かして生きたスキルにすることが大切だと感じました。今回、カンファレンスの運営を通じ、Fuquaでの学びの実践活用を意識しました。例えば、

  • テーマ選定
    • 新興市場でのビジネス戦略を扱う “Emerging Market Strategy”やGATEでの経験は、アジアをどのように見せると分かりやすく・魅力的に映るのかといった分析に役立ちました
  • チームマネジメント
    • 組織変革を扱う” Leading and Managing Human Assets and Organizational Change”をはじめ、Leadership関連のクラスでは、いかにIntrinsic Motivation(内因性動機付け)で人を動かすかということを様々な事例を基に学びました
    • チームメンバーとのコミュニケーションで、意識的にこれらのクラスで得たものを使ってみました
  • データ分析
    • データを活用した市場調査を扱う”Market Intelligence”で学んだサーベイ手法を、カンファレンスの参加者サーベイに活かしました
    • 来年度以降の運営に有益な情報が得られるよう、これから分析するところです

といったように、Hands-onの機会でクラスの学びを振り返ることで、今まで以上に考えが整理できたと思います。

➂ 課外活動を通じて出来る仲間との絆

3つめにして、最も良かったと思うことは、一緒に戦い抜いた仲間が得られたことです。1年生時の時間の大半を共に過ごすC-LEADチーム(コアチーム)もそうですが、やはり一緒に汗を流して山を乗り越えると、特別なものを感じます。これから様々なフィールドで、アジアの未来を牽引するであろう、彼らと一緒にやれたことが、一番の財産だなと思います。

ABCのPresidentをやってみて何を思うか? - やって良かった!

① 手を挙げてみることで機会が広がる

留学する際に、Leadership経験を積むというのは1つのテーマに掲げていたので、結果として最高の経験が得られたなと思います。これからMBA留学される方へは、「思ったよりも早くリーダーシップポジションは決まっていくので、興味あれば早い段階からガンガン手を挙げてみてください」とお伝えしたいです。

1年生のCabinetポジションは、1年生になってすぐに募集があります。また、クラブの代表であるPresidentの募集は2年生になる前の、1年生のSpring 1には決まります。

どうしようかな、っと迷っているとスルスルっと物事が決まっていくので、迷ったらとにかく手を挙げてみて、それから考えるぐらいで良いかもしれません。私はMBA受験時代、(他校ですが)キャンパスビジットした際に、2年生の在校生の方に「やっておけば良かったなと思うことはありますか?」と伺ったら、「クラブでのリーダーシップポジションは、何か手を挙げてみたら良かったかな。結構アレヨアレヨと進んで決まっちゃうので、やるなら最初から決めてかかった方が良い」とアドバイスいただきました。実際に経験してみて、まさにそう感じます。

➁ 今後はさらに日本のプレゼンスを上げる活動に期待

今回は、予算の制約や私の力不足もあり、日本に詳しい米国のビジネスリーダーをパネラーとして招くことはできましたが、日本人の講演者を含めることができませんでした。Fuquaは日本にも素晴らしいアラムナイネットワークがあるので、今後のABCでは日本の強みもうまく活かしたカンファレンスができたら良いなと期待しています。

幸い、来年のABC Co-Presidentにこのブログでも活躍している三男坊が就任することが決まっているので、ぜひ今後の活躍を期待したいと思います。

 

長文になりましたが、クラブ活動を検討する際に、少しでもお役に立てば幸いです。


カンファレンス運営を通じたABCクラブ活動の振り返り(1/2)

2015-03-16 23:30:38 | 課外活動

こんにちは、pannです。

いよいよ今日から春学期の後半であるSpring 2が始まり、私たち2年生は来週から卒業までラストスパートとなってきました。少し寂しさも覚えつつ、Fuquaでの残りの期間をどうすれば最大限に活用できるかとアレコレ楽しく考える日々です。

さて、今年からMBA生活をスタートされる方、近い将来のMBAを目指して準備をされている方々の中には、クラブでのリーダーシップ機会に興味を持っている方も多くいると思います。そうした方々には、「ぜひクラブでの活動に積極的にチャレンジしてみてください!」と伝えたいです。

2年生になって、私はFuquaのAsian Business Club(以下、ABC)の共同代表(Co-President)を務める機会を得ました。先日、「2015 Duke Asia Business Conference」というABCでの一大イベントを経験し、クラブ活動の醍醐味を味わってきたので、今回の投稿ではイベントの報告とあわせて、クラブでのリーダーシップ経験を振り返り、なぜ私がクラブの活動をお勧めするのかをお伝えしたいと思います。
 

Asia Business Conferenceとは? - アジア市場にフォーカスしたUniversity-wideなシンポジウム

ABCが中心となり学生主体で運営する「アジアにおけるビジネスの今を、Fuquaの学生のみならず他大学の学生や地域のビジネスパーソンに伝えるシンポジウム」です。今年は、「Unveiling Asia: the secrets of success and the next growth frontier」をテーマに、各界のビジネスリーダーを招いて、2015年2月21(土)にFuquaの大講堂であるGeneenにて開催されました。講演者やパネラーの一覧はこちら

Fuquaではヘルスケア、ファイナンス、エネルギー等のProfessional Clubsが主催するこうしたカンファレンスは多数ありますが、私たちABCのような文化系のDiversity Clubsでは、唯一ABCだけがカンファレンスを主催しています。例年200名程度の参加登録を集める、ABC最大のイベントです。



今年は、タイ駐米大使であるPisan Manawapat氏(写真・1つ目)や、アジア地域で活躍するIBのThe Quant GroupのFounder and ChairmanであるPakpoom Vallisuta氏(写真・2つ目)、元McKinsey Global InstituteのSenior Fellowで、現在はアジア地域で活躍シンクタンクのThe Asia GroupのAsia CEOを務めるAdam Schwarz氏(写真・3つ目)など、各界のリーダーがアジアについて熱く語ってくれました。

Pisan Manawapat氏 Pakpoom Vallisuta氏 Adam Schwarz氏

■カンファレンス運営で何がチャレンジだったか? - 限られたリソースでの勝負

大学外へ公開することもあり、高いクオリティの運営が期待されているため、学業やリクルーティングで多忙な学生が主体での運営には、多くのチャレンジがありました。

1) いかに魅力のあるコンテンツにするか?

学内外から多くの参加者を集めるためには、魅力のあるテーマ選び・スピーカー選びが鍵を握ります。私たちCo-Presidentとカンファレンス担当のCabinetで、開催予定の10か月前からテーマ選定の議論をはじめ、Summer BreakやFall Termも主要メンバーで議論を重ねました。また、テーマに沿ったスピーカーを確保するために、最後の2か月は頻繁にアプローチメールを送り、候補者との調整を要しました。

2) いかに資金を調達するか?

ABCのようなDiversity Clubsは大学から割り当てられる予算がProfessional Clubsよりも小さいため、100万円以上のカンファレンス開催費用を賄うためには、スポンサーを募る必要がありました。スポンサー側へのメリットを整理した提案資料を作り、Fuquaの他クラブ、Duke内のアジア地域に関連した組織、リサーチ・トライアングル・パーク(RTP)地域にある企業や組織にCabinetメンバーと共にピッチをして、運営資金を工面しました。まさに足で資金を稼ぐ経験をしました。

3) いかにチームを動機づけするか?

イベントの準備が忙しくなってくる1月・2月は、1年生の就職活動のピークとも重なり、忙しい中でいかにメンバーに頑張ってもらえるかが、運営の成否を分けます。主要なCabinetメンバーには、ピーク時にはどうしても週に半日~1日は時間を割いてもらうなど、コミットが必要となります。そのため、極力メンバーに委譲して主体的に進めてもらうよう環境を整えたり、日々のコミュニケーションの中で、少しでもメンバーの動機づけができるように、頑張ったメンバーの成果をABC全体でシェアして認知を高める等の工夫をしたりしました。


少々長くなったので、今回はここまでとして、次回「カンファレンスを通じて何を学んだか」「ABCのPresidentをやってみて何を思うか」について投稿したいと思います。



Fuquaのキャンパス内でポスターによるプロモーションの様子


Around the World Dinnerについて

2014-12-01 13:03:12 | 課外活動
こんにちは。Class of 2016のTatです。
今回は、Forest、Pannの投稿に続いて、私が所属するAsia Business Club(以下、ABC)での活動報告をしたいと思います。
 
ABCもDiversity Clubsの一つで、日本をはじめ、中国、韓国、台湾、タイなどアジア各国からのメンバーで構成されており、他のDiversity Club同様、活動は、Social Events(アジア各国の文化を紹介するイベント)とCareer Events(アジアへの就職活動について紹介するセッション、アジア各国からスピーカーを招いたカンファレンス等)が中心となっています。
 
ABCに所属する日本人の数は、母集団のサイズの違いから中国人や韓国人に比べ少ないものの、2年生のPannがCo-president、1年生の三男坊と私がSocial & Cultural Cabinetとして、少数精鋭でABCの活動をリードしています。
 
先週、三男坊とTatで、”Around the World Dinner“というイベントを仕切ってきましたので、今日はその活動報告をさせてください。
 
このイベントは簡単にいうとDiversity Clubs連合のグルメ企画です。あるマンション(今回はFuquaの学生の多くが住んでいるStation Nineでした)を舞台に、各Clubがそれぞれ部屋を用意し、各国の料理やお酒をふるまい、参加者は部屋をハシゴしながら、世界中の食文化と各国のメンバーとの交流を楽しむという、聞くだけでお腹がすいてくるイベントです。
 
このイベント、実はこれまで何度も構想はされてきましたが、残念ながら実行する人がいませんでした。ABCの定例ミーティングでこのアイデアが出たとき、「ただでさえ忙しい秋学期に・・・」と、私も一瞬だけ及び腰になりかけましたが、Leadershipを発揮するいい機会だと思い直し、イベント開催日を皆に宣言し、退路を断ったのでした(笑)。
 
イベントはアイデアだけで何も決まってなかったので、まずは組み先を探すところから始まりました。ABCの2年生に協力してもらいながら、各クラブを取りまとめてくれそうな人を見極め、休み時間やFuqua Fridayの時間を使って、運営メンバーを募りました。熱量をもって、各クラブに話を持ちかけた結果、LASA(Latin American Student Association)、INDUS(South Asian Business Club)、そしてCulinary Club(Cooking Club)とABCの4クラブで実施することになりました。そしてその後、学内での告知、イベント当日の運営、そして各クラブの料理やドリンクなどを一気に決めていきました。
 
当日の参加者は45名。1部屋あたり11人~12人とちょうどいい人数が集まりました。参加者は4グループに分かれ計4部屋回ります。それぞれ新たな出会いを楽しんでもらおうと、参加者をランダムにグループ分けしました。僕も受付を早々に終了させ、1参加者としてイベントに合流しましたが、どのクラブの料理も美味しく、新たな交流を楽しみました。そしてイベントも盛況のうちに終了しました。
 
振り返ると小さなイベントですが、誰かがドライブをかけないと始まらないことに対して、自ら率先してリードできたのはとてもいい経験になりました。日本で当たり前にできたことが、こちらだと言葉や文化の壁があり、どうしても時間がかかったりはしますが、経験は嘘をつかないと感じます。これからもLeadershipやコミュニケーションを磨く機会を積極的に作っていこうと思います。
 
受験生の皆さん、季節の変わり目で体調を崩しやすい頃と思いますが、最後の正念場を乗り切ってください。入学された暁にはぜひ一緒に何か企画しましょう!
 
 
【写真1:おいしい料理にみんな笑顔】
 
 
【写真2:ABCが提供した豚角煮まん】