さて、今回はGATE Cuba/Panama体験記の3回目をお送りします。やっとキューバにたどり着きました!笑
まずは簡単にキューバの歴史、社会について書きたいと思います。20世紀初頭にアメリカの支援を受けながらスペインからの独立を獲得しましたが、その後しばらくはアメリカの影響下に置かれていました。1950年代には、アメリカの支援を受けたバチスタが政権を奪取し、アメリカ資本の流入や政権の圧政によって富が一部の強者に集まり、貧富の差が拡大しました。その中で、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラといったバチスタ体制に反旗を翻した者達によって、最終的にキューバ革命が達成されます。それによって成立したカストロ体制は共産主義を推し進め、今日においてもキューバ共産党による一党体制が維持されています。
ここからは、実際の旅程を一緒にたどっていきたいと思います。一つ一つがとても濃い経験でしたので、長文になってしまいますことを予めお断りしておきます。最後の方に印象に残った出来事ベスト3がありますので、以下は読み飛ばしていただいても結構です。
●5月7日(土)
ワシントンD.C.からパナマシティを経由して、ついにハバナ入りしました。夜の到着であったため街並みはあまり見えませんでしたが、空港の入国審査待ちで数回停電し、空港からホテルに向かう通りも電灯が少なく薄暗いことが印象的でした。空港からは現地ガイドのAlejandroが同行してくれました。彼はアメリカに留学したこともあり、流暢な英語を話します。
●5月8日(日)
この日はCultural tourの一日でした。朝からMuseum of Fine Arts, Museum of Revolutionを訪ね、午後は街を散策しました。
まずMuseum of Fine Artsで印象的だったのは、多くの作品が当時の社会情勢を色濃く反映していたことです。例えば、19世紀末に描かれた作品は、画家自身が当時の首長国であったスペインと盛んに行き来していたため、ピカソに代表されるキュビズムに強い影響を受けていました。また、20世紀半ばの作品には、アンディ・ウォーホル、ジャクソン・ポロックのようなアメリカン・ポップアートのテイストが見られ、アメリカ文化への憧れが見てとれます。
Museum of Revolutionでは、実際にキューバ革命の英雄たちが身につけていた衣服・銃器や、当時の新聞等の展示がありました。友人たちとめぐる中で目に止まったのは、当時のフィデル・カストロがどうして革命を志したか語っていたものです。趣旨としては「バチスタ政権は、民衆が望んでいることを無視している。そんな政府は存在すべきではないから打ち倒すのだ」といったものでしたが、現在の政府は本当に民衆が望んでいるものをもたらしているのか?といったところには大いに疑問があります。当時の劣悪な社会環境を知っている市民にとっては、現在の生活はそれよりも遥かによいものであることは想像に難くありません(飢えで苦しむことはなく、教育・医療サービスは無料)。他方で、インターネットの解禁に伴い、資本主義の下で豊かさを享受する国との比較がさらに容易になりつつあります。そんな中で、市民が革命の意義を認め続け、現状の社会を正当化・維持できるのか?といったことは、その後の訪問での個人的なテーマの一つとなりました。

●5月9日(月)
この日は主にBusiness Visitの日となりました。午前中は在キューバ米国大使館と地元の散髪店、午後はラム博物館と自動車修理工場を訪問したのち、ヴィンテージ・カーで市内に残る砦に行きました。
午前中の米国大使館訪問では、運良く大使からアメリカの対キューバ外交姿勢についてお話を伺いました。冷戦を象徴する1962年のキューバ危機以降国交を断絶していた両国でしたが、2015年の国交再開から今年に入ってのオバマ大統領の訪問など、対キューバ外交は大きく躍動しています。もちろん大使が発言できることとできないことがあり、その真意は行間を読み取るしかないのですが、歴史的にアメリカはラテン・アメリカの国々に深く入り込み、政権交代等において重要な役割を果たしてきたという事実があります(後に訪問するパナマもその国の一つです)。それについてはもちろん様々な意見がありますが、オーストラリア人の同級生 が「自分たちが何でもコントロールできると思っているのは傲慢だよね」とその姿勢をばっさり斬って捨てていたのが印象的でした。そういった、普段はあえて取り上げないような題材をもとに、友人たちとディスカッションをし、その意見を聞くことはとても楽しい経験でした。
次の散髪店店主との会話は、キューバの社会を理解するのにとても役立ちました。資本主義社会で暮らした私にとって「共産主義」は今ひとつピンと来ないところがありましたが、端的に言うと資本主義の発明を否定するものです。マルクス経済学でいうところの「資本家」こそが貧富の差を生じさせ、労働者からの搾取を生む原因とみなします。そのため、「資本」「株式」「株式会社」といったものが認められません。「株式会社がない」ということについて、当初は唖然としたものですが、その店主自身もヨーロッパにて学んだ経験からその問題意識を共有していました(ちなみに上記にいくつか例は出ましたが、留学したのち再度キューバに戻ることはそこまで一般的ではないと思われます)。現在キューバでは、その経済情勢の悪化から、政府が定める200程度の職種において新たに事業を始めることが奨励されていますが、依然として株式会社は認められないため、その元手は複数人で出し合う(株式を発行する)のではなく、一個人としてその責を負わなければなりません。ご察しの通り、これは非常に非効率であり、これまで世界を発展させてきた金融という発明をことごとく否定するものです。絶対的な豊かさが幸福に直結するわけではなく、他人との比較での豊かさ、平等性が幸福感に寄与する場合があることも理解はしていますが、それにしても、と複雑な思いに駆られました。そういった、自身と異なるパラダイムの中で生きる人たちを理解しようとした際に、まずは虚心坦懐に話を聞く姿勢の重要性を感じました(もちろん最終的には自分の価値観での価値判断にはなるのですが)。自分たちの論理を適用して頭ごなしに否定するだけでは、彼らがどういった考えで過ごしているかは一向に理解できないままです。
午後訪問したラム博物館では、キューバを代表する農産物であるサトウキビから蒸留されるラム酒の製造工程をたどり、最後に「モヒート」と呼ぶラム酒をソーダ水で割って、ミントを加えたカクテルを楽しみました。実は私はそこまでお酒が強くなく、それで酔ってしまったため、その後訪問した自動車修理工場では少し朦朧としながら話を聞くことになりました。笑
アメリカからの禁輸を受けているキューバでは、基本的にアメリカ車の新車輸入がなく、また彼らとしても同じ車を修理しながら長く乗ることに非常に誇りを感じているようでした。単なる経済的な理由以上の動機で、自動車修理工場は運営されているようでした。その後、ヴィンテージ・カーに乗せてもらい、ハバナ市内の砦を皆で散策しました。

●5月10日(火)
この日はハバナ郊外の共同農園を訪問しました。共同農園で生産されていた農作物・畜産物自体には目新しさはありませんでしたが、やはり共産主義下でのビジネスの難しさの一面が垣間見えました。生産性においてボトルネックになっているのは土地面積で、この点は資本を入れれば(融資を受けたり、株式を売却したり)土地を購入できて生産力が上がりますが、まずそれが共産主義下ではできません。「共同」農園という名の通り、そこに参加している人たちの土地を持ち寄って一つの農園として運営されているようです。ただ、それでも生活するに足る収入は得られているようでした。
その後、昼食を取りながら現地のミュージシャンの方の音楽を聴き、画家の方のアトリエを訪問しました。彼らは基本的には観光客や海外からの引き合いを主な収入源にしているようでしたが、やはり娯楽を提供している仕事の常として、顧客側の興味・関心がすぐ離れてしまいやすい点に少し悲哀を感じました。
●5月11日(水)
この日は朝からヘミングウェイ博物館を訪れた後、ハバナ市内にて有識者の意見を聞く機会に恵まれました。
まずヘミングウェイ博物館ですが、実際にヘミングウェイがハバナで暮らしていた邸宅を見て回ることができます。中に置かれている本や家具なども、当時のまま保管されています。彼はハバナでの暮らしから構想を得て、「老人と海」を書いたと言われています。私が少し意外に思った点としては、ハバナや彼の邸宅の雰囲気と、「老人と海」で描かれているテーマとのギャップです。「老人と海」自体を読んだのは高校生か大学生の頃でしたので少しうろ覚えですが、根底に流れているテーマは「自然に対する人間の無力感」のように感じました。他方で、私が訪れた時期のハバナは天気も良く(おそらく年中あまり変わらないかとは思いますが笑)、彼の邸宅も日差しをたくさん浴びてとても明るい雰囲気で、ここから「人間の無力感」のような少し仄暗いテーマが出てくるものか?と感じました。これは想像ですが、彼の視点からはキューバの陰のような部分も、よく見えていたのかもしれません。
午後には、ハバナ大学の経済学教授とリタイアされた外交官の方が直近の経済・社会の動きについてレクチャーをしてくださいました。彼らはやはり政府との関係が色濃く、またそもそもキューバではどこで誰が聞いているか分からない(=反政府的な話をした場合に何が起こるか分からない)ことから、政府の立場に立った議論が多かったように思います。印象に残っている点としては「キューバ政府は実はあまり変わる気がない」という点です。直近ではアメリカと外交を再開し、経済的にも交流を求めており、表向き資本主義に対して歩み寄ろうとしているように見えます。ですが、彼らの言葉の端々からは「国民はこれまで貯蓄の習慣がなかったし、税金という概念に対する理解も薄い。だからもし資本主義的なシステムに移行しても、人々は受け入れられない」といった、変化に対してネガティブな姿勢が見て取れました。ただ、キューバが経済的に苦境に立たされている点は事実で、そこに対する消極的な打開策の一つとして、渋々アメリカとの国交を開いているというのが実態のように感じられました。
●5月12日(木)
この日は朝からまたハバナ大学にて観光業を研究している教授のレクチャーを聞いたのち、ハバナを離れバラデロという街に移動しました。
観光業に関するレクチャーですが、教授は政府の観光政策立案にも関わっているとのことで、例によって政府見解の代弁者として発言しているようでした。観光業は、第二次産業の発達に乏しいキューバでは、農業の次に大きい、外貨獲得のための重要な産業です。しかしながら、ここでもやはりハードルとなるのは共産主義です。カリブ海に浮かぶキューバは、観光地としてドミニカやプエルトリコなどと競争関係にありますが、それらとの差別化において、取り得る施策が限られます。例えば、「高額報酬を用意して一流シェフを招致する」といった金銭的なインセンティブを与えることは難しく、ではどうやってサービスの質を向上させるかというと、「従業員教育」に頼るというのが教授の言です。私たちが実際に泊まったホテルのサービス水準に関しては、渡航以前の「共産主義=サービスの質を上げるインセンティブがない」といった先入観は良い意味で裏切られるほど、特に大きな不足は感じませんでした。他方で、プライベートで別のハバナのホテルに泊まった人の意見を聞くとがっかりだったということもあり、全体的なサービスレベルはやはり他国に比べると低いのかもしれません。また、外国資本の誘致においては、キューバ政府がジョイントベンチャー(と書きつつ、共産主義下でのリーガル・エンティティが本当にJVから想起されるような「会社」なのかは疑問ですが)の過半数の所有が必要となります。実際に同様の外資規制を持つ国は資本主義下でも存在しますので、これ自体が大きなハードルにはなり得ないかもしれませんが、そもそもの商習慣の違いやパートナーとしてのキューバ政府の振る舞いが大きな障害になり得るだろう、というのが同行していたDuddy教授の見解でした。
その後、バラデロの街に移動しました。バラデロはハバナから車で3時間ほどの、キューバを代表するリゾート地です。まずバラデロでは、手作業で本を製作する工房を訪問しました。その後、現地に受け継がれている伝統的なダンスを、地元の方に見せてもらいました。アメリカと同様、キューバも過去にはスペインの手によって、アフリカから奴隷が輸入された歴史があります。その踊りは彼らアフリカ系キューバ人のコミュニティにおいて継承されているもので、曲調や内容もほぼアフリカ系の色合いがそのまま残されているように感じました。炎天下で踊っていた少年少女の凛々しさと つぶらな瞳がとても印象に残っています。
夜はビーチに面したバラデロのホテルに宿泊し、友人たちと夜まで飲んでいました。海風がとても気持ちが良く、友人たちと解散した後も、海辺で波の音を聞きながら一人充実感に浸っていました。

●5月13日(金)
この日はバラデロに所在する博物館に訪問したのち、昼食で訪れたレストランの経営者にお話を伺い、午後はダンス教室にてダンスのレクチャーを受けました。
博物館では、スペイン入植以前から今日に至るまでのあらゆる文化財が保管されていました。特に、キューバ起源の土着文化には、インカの影響が色濃く残っているとのことでした。展示物の中でも、私が特に興味深く見ていたのは紙幣です。実はキューバには二種類の通貨が流通しています。私たちのような観光客が利用する兌換ペソ(CUC)と、一般のキューバ国民が扱うキューバ・ペソ(CUP)です。基本的に観光客にはCUPへのアクセスはなく、逆もまた然りです。これによって、観光客にはCUC表記の高い価格(1CUC=1USDであり、物価水準としてはアメリカと変わらない感覚でした)で買い物をしてもらうことで外貨を落としてもらい、国民には政府補助金が入っている国民用のCUP専用の店で買い物をすることで、たとえ月収が20USD相当しかなくても(実際に医師の月給は20-40USDだそうです)食うには困らない生活ができるようになっています。共産主義だと配給をイメージされる方もいるかもしれませんが、配給は段階的に廃止され、現在は政府が安価な価格での食料調達を保障することで配給に替える形となっています。通貨の話に戻りますと、この博物館で間近にCUPを見たのですが、CUCと大きく異なる点として三点ほどあります。一つ目は紙質。圧倒的にCUPの方が安い紙質のものが使われています。次に色。CUCは同一紙幣でも複数の色が使われているのですが、CUCは単色です。これらによって、CUCとCUPを並べて見ると、CUCの紙幣としての高級感が一目瞭然で、対外的には「人気観光地としてのキューバ」を演出しつつも、対国民目線ではシビアに通貨の印刷費用を削減しているように見て取れました。最後の違いがデザインです。国民用のCUPには、ゲバラを筆頭に、特にキューバ革命や対スペインの独立戦争の英雄の肖像画が採用されています。他方で、CUCはすべて実際にキューバ国内にある歴史上の人物の「銅像」の画で、注意深く見なければどれが誰の銅像なのかよくわかりません。そもそも近年まではアメリカ人の渡航は大幅に制限されていたとはいえ、アメリカ人を含む観光客の手に渡る紙幣に、キューバ革命を容易に想起させるようなゲバラらの肖像画を載せることは血生臭いと配慮したのでしょうか。それとも、国民用の方にあえてキューバ革命の英雄を多く配置することで、国民に対して「一時もキューバ革命の恩恵を忘れないように」と静かに圧力をかけるカストロの思惑があるようにも思えてなりませんでした。
昼食のレストランでの経営者との談話もとても興味深く、大変充実していました。一つ目は、レストランの経営形態に関してです。まず、「経営者」と言えども、先の通り共産主義下では株式会社がなく、個人が誰かを雇用するということもできません。では、どのようにレストランが「経営」されているかというと、まずレストランの所有者は完全にオーナー一人に帰属します。実際に、レストランはオーナー個人の出資で店を構えたとのことでした。次に、レストランでの売上や費用、結果としての利益は、レストランという法人ではなく、そこで働いている人一人一人に分配されます。そこでの「従業員」は、給与の代わりにそれらの利益を分け前として受け取っているという構図です。ですので、税金に関してもすべて個人に対する所得税という形で課税されます(日本のように源泉徴収なのか申告納税なのかまでは聞きそびれましたが、課税逃れを排するという意味では源泉徴収をしているのではと推察します。とはいえ、どういう制度なのか謎ではありますが。。)。その売上・費用の配分に関しては、オーナーの裁量が入る余地があるということになります。もう一つ興味深かった点として、レストランの初期投資です。くどいようですが、共産主義下ですので、「金融」という資本主義の発明を否定します。ですので、投資の前に金融機関から融資を受けてレストランを建て、その後の利益を以て融資を返済する、という(資本主義下では)ごく当たり前の経済活動ができません。ということで、オーナーは25年(!)の貯金をはたいてレストランを自腹で建造し、現在運営するということをしています。当然ですが、このように内部資本のみしか投資に利用できない、ということは社会全体の投資額を著しく抑制します。これがキューバ人にとっての現実であり、そもそも資本主義の概念が染み付いていませんので、オーナーに「これって非効率だと思いませんでしたか?」と水を向けてみても、「これが普通だ」との答えです。「いや、それはキューバにとっては普通かもしれないけれども。。」と我らMBA生全員の頭の中に同じ思いが駆け巡ったことは想像に難くないでしょう。資本主義という豊かさと効率性、同時に格差をもたらす制度と、持続可能性に多大な難があり、生活水準は一様に低いながらも皆が比較的平等に暮らす共産主義のコントラストに、複雑な思いが去来しました。
●5月14日(土)
ついにキューバを離れる日となりました。この日は朝からハバナ空港に向かい、パナマへと発ちました。
キューバを発つに辺り、ガイドであるAlejandroとはここでお別れとなりました。彼についてとても印象に残っているエピソードが二つあります。一つは、彼が自身のバックグラウンドについて、全員に向けて語ってくれたことがありました。彼は一度アメリカに留学し、恐らくアメリカに残ればキューバでのツアーガイドよりも充実した暮らしを享受できたでしょう。しかし、彼はやはり祖国を捨てることができず、最終的に戻ることに決めました。彼にとって非常に重要な決断だったはずで、それを他のキューバ人に聞かれまいとして通りで立ったまま話してくれたことはとても印象的でした。もう一つは、前日夜のディナーにAlejandroを誘った時のことです。夕食は宿泊していたホテル内で取っていたため、我々は彼も誘って最後の夜を惜しもうと考えていましたが、彼は「自分はそこにいてはいけない」ということでディナーには来てくれませんでした。後で教授から伝え聞いたところによると、「ホテルは政府によって経営されており、従業員はもちろん政府につながっている。そのホテルにおいて、Alejandroが職務であるツアーガイドの範疇を超えて、我々のようなほぼアメリカ人からなる一団と仲良くしているところを見られるということは、良からぬ疑いを持たれかねない。だから彼は来れなかったんだ」とのことでした。ここまでの一週間、キューバのことについて理解が深まったつもりでいました(事実そうではあるのです)が、やはり実際に彼の国で暮らすということについての、大きな隔たりを改めて感じる
出来事でした。このディナーの後、キューバ最後の夜ということでタクシーを捕まえてクラブに行ったのですが、そこには無事にAlejandroは来てくれ、最後の思い出とすることができました。
<ここからまとめ>
さてここまで、(ほぼ自分の記録のために)書き起こしてきましたが、キューバで特に印象に残っていることベスト3をピックアップしてみたいと思います。
第3位:キューバ独自のアートに触れ、油絵を購入
ハバナではMuseum of fine artsにてスペイン、アメリカの影響を色濃く受けた絵画に触れたり、現地の画家のアトリエを訪問したり、バラデロではアフリカを起源とする少年少女たちのダンスを鑑賞しました。そのダンス鑑賞後にぶらっと入った絵画店にて運命の出会いがありました!
私はもともと美術館めぐり自体が好きで、キューバでも何かあれば、とは思っていましたが、油絵に一目惚れするとは思っていませんでした。笑 40ドルにて以下の写真の絵を購入し、今は部屋に飾ってあります。これを見るたびに、キューバでの思い出が甦ります。実際に描いたアーティストの方ともその場で写真を撮りました。


第2位:共産主義下の社会、ビジネスの実態を知る
次に、「共産主義」って一体なんなんだろう、そこで暮らすとはどういうことなのか、ということについて、自分なりの理解が構築できたことは収穫でした。
やはり衝撃的だったのは、資本主義をことごとく否定しているその制度を知ったことで、普段我々が資本主義から受けている恩恵が大きいことを改めて理解しました。我々が訪問した散髪店店主やレストランオーナーは、雇用関係や融資といったことができないことで、資本主義経済では考えにくい非効率なやり方を取ることを余儀なくされていました。ただ、専門的な知識の差はあれ、キューバ国民は概ねアメリカという大資本主義国の豊かさを知っているのでは(同時に貧富の差についてもそうかもしれませんが)、と感じたのも事実です。それでもキューバに戻ったり、住み続けたりしている人たちの考えを直に聞けたことは、改めて「国」というものを考えるよい機会となりました。
第1位:オンボロタクシーで海岸沿いを疾走!
キューバ滞在中には、日中はびっしりとビジネスビジットやスケジュールが詰まっていましたが、夕方以降は比較的時間に余裕があり、皆で街に繰り出してレストランやバーで楽しみました。ホテルは市の中心部から少し離れたところに位置していたため、タクシーを捕まえて街まで移動するのですが、そのタクシーが非常に古いのです。いわゆるヴィンテージ・カーと呼ばれるような、古くてもピカピカに磨かれて手入れされているものもありますが、全てがそういったわけではなく、単純に古い(おそらく軽く40年くらいは乗り回されているもの。日本だと廃車置き場に置いてあるような)ものも多くあります。
我々が乗ったタクシーもそういった類のものでした。運転席も助手席も後部座席も、シートベルトはありません。もちろんエアバッグなんて粋なものがついているはずがありません。車高は心なしか低く 、足元にはすぐ路面が迫っているように感じます。にもかかわらず、車体はなんだか薄く、一際うるさいエンジンの音と振動が直に身体に伝わってきます。そんな状態の車体を、運転手のお兄ちゃんは60キロだか70キロだかの速度で夕暮れ時の海岸沿いのマレコン通りに疾走させます。友人たちと「これ事故になったらまず死ぬよね!?」とジェットコースターに乗っているような、心臓に悪いような気分で話していました。
GATEの本筋とは関係のない一コマですが、昼間のスケジュールに対する充実感や友人たちと過ごす時間の楽しさ、異国の雰囲気も相まって、とても印象に残っているひと時でした。

というわけで、非常に長くなりましたが、以上でキューバ編を終わります。次回はパナマ編をお届けします!