精霊ケベスーの聖なるベッド
2011年12月19日、ポルトープランスでの仕事を終えた私は、ヴードゥーの聖地の村スヴェナンス村を訪れた。スヴェナンスはポルトープランスから北へ150キロの町ゴナイブの近郊にある村である。村は約200年にわたり、西アフリカから伝来したダホメ(現在のベナン共和国)という伝統的なヴードゥーを今日まで護り続けてきた。このスタイルはポルトープランスではラダと呼ばれ、ヴードゥーの原型とも言われ、レグバやオグンやエジリなど、誰もが知っている精霊が含まれている。言わば王道的なヴードゥーだ。また、この地域には、スヴェナンスの他にバジオやスークリといった伝統的なヴードゥーを継承する村があり、これらの村はゴナイブ地域のヴードゥー信仰の中心的な役割を果たしている。
初めてスヴェナンス村を訪れたのは1994年頃だった。その後、自著『ダンシングヴードゥ ハイチを彩る精霊たち』の取材のために度々、訪れたが、出版後は足が遠のいてしまった。再び訪れるようになったのは、2005年からである。「ヴードゥーの民」(仮題)の新しいプロジェクトを始めた私は、今度は写真で、もう一度自分の納得する形で撮影したくなった。だが、ここ数年、地震の取材に追われ、訪れる機会がなかった。
スヴェナンス村に到着した翌朝、ペリスティルの背後にあり、普段は閉まったままの祭壇室のドアの前で、村で一番の年寄りであるアルタ叔母が、清掃をしていた。アルタは祭壇室の清掃と管理を任されている。
「お前の友達らしき男が本(ダンシングヴードゥー)を持って村にきた」とアルタ叔母。ビックリして詳細を聞くと、半年前にハイチ人を伴った日本人らしき男性が、村を見学に訪れたと言う。誰だが分からないが、私の本を読んで訪ねてきたことを聞いて嬉しくなった。アルタ叔母が彼らを案内したそうだ。今日は村長のフェナが占いをするためにやってくる。フェナは父親から村長の座を受け継いだが、10年くらい前までポルトープランスに住み、問屋を経営していた。その後、店を引き払い、村から十数キロの国道沿いに家を建て、住んでいる。週2回、村にやってきては、訪問者のために占いをする。今日はその日で、アルタそのために祭壇室を清掃していた。
「まあ、中に入って」
アルタは私を祭壇室に招きいれた。「あれがケベスーのベッドだ。見たのは初めてだろう。今のうちに写真を撮っておきなさい!」
祭壇室に入るのは初めてではないし、そのベッドを以前に撮影したことがある。だが、アルタの好意と、また偶然だがベッドの上にはまるで入信式の準備であるかのように新品の麦わら帽子と袋が置いてあった。これは絶好の機会と、早速、カメラを持って引き返した。
ケベスーとは村が崇拝する精霊のなかでも、最も重要な一つである。とはいっても、儀式でケベスーの歌を歌っても、信者に憑依することはない。つまりケンベスが姿を見せることはない。だから、信者にどのような精霊かと聞いても、彼らは答えられない。私が知る限りでは、ケべスーは村の守護神的な役割を持ち、数多い精霊の中でもボス的な特別な存在だ。例えば、入信式を行なう者は、儀式のしきたりとして、見につける帽子と白い礼服をベッドに置き、清めてもらう。
初日からいきなりケベスーのベッドに対面できるとは…。
Kebysesou badji-m anwa badji-m anba. Kebyesou!(ケベスー!私の寺は上に、私の寺は下に、ケベスー!)
思わぬ幸運に、ケベスーの歌を口ずさんていた。続く…