あるフォトジャーナリストのブログ

ハイチや他国での経験、日々の雑感を書きたくなりました。不定期、いつまで続くかも分かりません。

ハイチ(1) 2010年1月16日

2010年01月17日 | 日記
ハイチ 1月16日

地震直後から連日のようにハイチの友人たちに電話をかけるが一向につながらない。テレビとPCでニュースやメール情報を追いながら、片手に持った受話器に繰り返し番号を打ち込む。被害の大きさが報道されるにつれて、あせりと苛立ちだけが募っていく。そんな悶々とした時間を過ごしていた。
 昨日(15日)の午後、電話が鳴った。番号を見ると、米国の友人からの電話だった。
「聞いて!モナは無事よ!」
その知らせに、思わず歓声を上げた。その声は近所にまで響いたかもしれない。嬉しかった。彼女の娘も、無事だった。モナは私の本「ダンシング・ヴードゥー」に登場する女性である。モナに始めて会ったのは、ヴードゥーの取材中の十数年前。以来、ハイチでは、最も親しい友人の1人である。
 地震前は、崩壊した大統領府の近所に住んでいた。知人の話によれば、家は崩壊。今は娘と一緒に、ポルトープランから少し離れた高台にある町ペチョンヴィルの公園で野宿しているらしかった。早速、連絡を試みるが、やはり繋がらない。だが、モナが無事の知らせを聞いただけで、十分だった。
 翌日、電話が繋がった。現地は深夜である。眠たげな声だが、間違いなくモナだ。モナと娘は昨日の公園から、近くのイタリア大使館の前で野宿していた。大勢の人びとが垂れ流す糞尿の匂いに、耐え切れず、そこへ移動してきたと言う。今日、食べたのは誰からともなく配給されたピザとソーダのみ。水はほとんど手に入らない。近くに水場はあるようだが、争いが絶えず、近寄るのは危険だ。 モナの故郷はポルトープランスから北へ150キロの町ゴナイヴである。兄弟と親戚が住むゴナイブに帰りたいが、お金はなく、またバスも運行していない。それに、運良く、バスを見つけても、法外な値段を吹っかけられることは間違いない。私自身、何度も経験しているが、ドライバーたちは、どんな状況であっても、容赦はしない。しばらくは、ポルトープランスに留まるしかないようだ。
「心配しないで。私の隣にはマンボ(ヴードゥーの女性司祭)、後ろにはオンガン(男性司祭)が寝ている。彼らと一緒に野宿しているから、大丈夫よ」
その言葉で、私とモナは大声で笑った。彼女の冗談である。ヴードゥーの魔術に護られていると言いたかったのだ。昨日、友人の話では、モナは混乱しているとのことだった。
だが、受話器から聞こえてくる彼女の声は、私が普段から知っている、快活でたくましいハイチ人女性のモナだった。
思わず、涙が出そうになった。

写真は、ヴードゥー儀式で正装したモナ 20007年4月