サイコロジスト101

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ストレスマネジメント研究の歴史-3

2008-01-05 11:02:33 | Weblog
日本生理人類学会ストレス研究部会
 震災の直後、日本生理人類学会の理事会で、私たちの活動の現状を報告しました。当時、大阪市立大学の宮野道雄先生たちは、避難所での生活関連調査や、避難行動に関する調査を産経新聞の記者とともにおこなっておられました。
 学会理事長の佐藤方彦先生の一声で、この学会にストレス研究部会を作り、私たちの介入を学会の一研究部会としてサポートしてくれることとなりました。部会長は私、メンバーは宮野先生をはじめ、学会の若手。ストレスマネジメント介入の必要性も含めて、学会でシンポジウムなどを企画したり各種イベントを企画することとなりました。
 当時、阪神淡路大震災にまつわる特集をくんだ学会はいくつかありましたが、私たちの活動を支えてくれたのはこの生理人類学会が一番でした。日本発達心理学会が3月末に開催されたときに、ワークショップ「ストレスマネジメント教育」を主催したのですが、急遽震災ストレスの現状と対応というテーマに置換し、自分を知ろうチェックリストをつかった子どもたちの現状を服部先生に報告してもらいました。直後、朝日新聞論壇にその詳細を、服部先生に書いてもらいました。以後、テレビの取材が殺到しはじめました。
 学会以外では、3月に大阪府立こころの健康総合センターが中心となって、ロサンゼルスの元消防隊員で災害時PTSD予防の専門家、デビッド・ロモさんを呼んで、災害支援のボランティアを対象として講演会を開催。大阪府立病院講堂は満員の大盛況でした。日本ストレス学会は4月に、カイ・エリクソンという災害社会学者を呼んでくれました。私は彼夫妻を被災地神戸に案内しました。
 こうした喧騒の中、じっくりと私たちの活動を学術的に支えてくれたのが生理人類学会ストレス研究部会でした。3年間の介入活動を終えた頃、宮野先生が編集長となって和文誌を発刊することになり、ストレス研究部会の活動もその任を終えたと判断し、特集号を作ってもらうことになりました。
 そのおり、全国の小中学校で、震災発生後に生じるいろいろなできごとを時間経過にそってわかり易く解説した、マニュアルが必要だと意見が一致し、1998年の1月に「小学生版 震災ストレス・ケアマニュアル」を出版することになりました。
3000部を刷り、生理人類学会経由で全国に配布しました。朝日、毎日、日経、ダンケイなど主要新聞社も関心をもってくれ、ほぼ8割を配布し終えました。
 このマニュアルは、その後発生した鳥取地震、台湾地震などでも利用されたと伺っています。今も100部くらいは私の手元に残していますが、PDFファイルとして、PGS研究会のホームページ、webpgsから無料でダウンロード可能にしています。

2008年1月5日記 山田冨美雄


ストレスマネジメント研究の歴史-2

2008-01-05 10:33:47 | Weblog
子どものストレス研究会
 1995年1月17日午前5時46分。兵庫県南部地震が発生。死亡者5502名(同年5月統計)、避難者者30万人の大被害となった。
 西宮市教委からOSMA研究会の服部先生に学校で心ケアをしてくれないかとの依頼を受け、2月5日に当地訪問。西宮北口周辺の小学校2校、中学校1校に子どもたちの心のケア介入することとなった。
 今でこそ、災害や事件が発生すると、学校に医師や心理士などの専門家が派遣されるのが当たり前になったが、当時はおそらくはじめてのこと。双方何をどんな順番で行ったらいいのかわからない状態でした。
 2月初旬、上六の都ホテルロビーで私と服部先生が介入計画を相談したことを昨日のように生々しく思い出します。まず子どもたちの元気の様子を測定しておこう、それからストレスマネジメントを学校でやりましょうということになりました。
 パイノスという人たちが、1989年のアルメニア地震の1年半後に使った、CPTSDR(子ども版PTSD反応指標)を使うことに。しかし、小学校低学年の子どもから中学3年生までに等しく使えるかどうか。専門家による面接調査は物理的に無理。なんとかならないかというので、イラストを使った、集団検査法のアイデアが生まれました。
 誰にイラストを描いてもらうかが課題でした。運良く、パソコン通信仲間のイラストレーター、ハンドルネーム「モップさん」実名小浜さんに依頼したら二つ返事。原稿料もいりませんという熱意で2日後にはアウトライン完成、1週間で原画完成。印刷は看護大に出入りの印刷屋さんに特別の配慮でお願い。数日後には自分を知ろうチェックリストver1.0が完成したのです。
 2月中に検査の因子構造と信頼性くらいみたいねというので、中学3年生を対象として、CMIとあわせて実施。担任の先生にマニュアルどおり読んで実施してもらいました。回収した調査用紙を、看護大の学生(まだ1回生しかいない)20名ほどにお願いして、エクセルに入力。エラーチェックのあと、SPSSで因子分析。4因子構造であることを確認し、それぞれを、①不安、②うつ、③混乱、④愛他と命名しました。CMIとの相関もとり妥当性を確認。
 急遽完成版を使って、子どもたちの震災ストレスを測るプロジェクトを、看護大に集まったOSMA、KASMAを中心としたメンバーに説明しました。子どものストレス研究会報告の瞬間です。
 こうして西宮の小中学生1800余名への介入がスタートしました。3月初旬のことです。併せて、羽曳野市内の小学校2校、中学校1校(合計1800余名)にもお願いして、いわゆる対象群として調査をさせていただきました。
 こうして3月、7月、翌年1996年1月の丸一年間、共通の検査用具を使っての客観的震災ストレス評価の確認と、ストレスマネジメント介入がスタートしました。
 「阪神淡路大震災と子どもの心身」は、こうした私たちの学術的活動記録を集大成したもので、1999年に名古屋大学出版会から出させてもらいました。今でもこの本の表紙をみるたびに、あの頃の加熱した議論が思い出されます。

2008年1月5日記 山田冨美雄

ストレスマネジメント研究の歴史-1

2008-01-05 02:15:20 | Weblog
OSMA(オズマ)
 日本で最初のストレスマネジメントの研究会は、おそらく私たちが作ったOSMAが最初ではないでしょうか。1994年のことでした。
 OSMAとは、Osaka Stress Management Associationの略。日本語では、大阪ストレスマネジメント研究会というんですが、ちょっとかっこよくつけたんでしょうね。
 大阪府立看護大学(現大阪府立大学看護学部)の設立にあわせて、服部祥子先生と私が発起人となって作ったものでした。矢内順吉副学長を顧問とし、医療・教育・福祉の三位一体による健康づくりこそ大切というのが歌い文句でしたか。
 設立メンバーが写るこの写真は、第一回の研究会のおりのもの。
 看護大の医師、心理士、看護師、作業療法士、社会福祉士などのほか、他大学の心理学や福祉・看護などの先生がたがメンバーとなって、月1回看護大に集まって勉強会をしましょうという、他愛ないものでした。
 この研究会の発足と前後して、大阪府立こころの健康総合センターストレス対策課の夏目誠先生、野田哲郎先生を中心としたKaSMA(Kansai Stress Management Association)も発足しました。
 これら二つの研究会は、翌年1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による災害、通称阪神-淡路大震災後に西宮市教委で活動した「子どものストレス研究会」の母体となっていきました。
 研究会本体は、1995年から3年間にわたって当時文部省からいただいた科学研究費試験研究A「子どもから老人までを対象としてストレスマネジメント教育システムの開発(交付額2720万円)」の中心研究班として研究会の質を高めつつ、シェイプアップを図ることになりました。
 1995年から研究班活動としてはじめたグリーンバーグの包括的ストレスマネジメント2版の輪読は、1996年3月には報告書としてまとめられました。
 PCについないで家庭で気軽に計測できるストレス反応測定器を企画・設計・開発し合計10台完成品を研究班員にくばって科研の研究は1998年3月に終焉を迎えることとなりました。OSMA自体はさらに月一度の開催を継続しつつ、包括的ストレスマネジメント6版の翻訳活動へとつながっていきました。

2008/1/5・山田冨美雄