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ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

充実のゴールデンウィーク

2022-05-09 15:19:12 | 芸術およびコミュニケーション
今年のゴールデンウィークはメチャクチャ充実していたので、詳細はまた書けるときとしても、忘れないうちにアウトラインだけでも書いておこう。

4月29日(金)Sさんと
『大河ドラマ「鎌倉の13人」スペシャルトークショーin宇治』
第1部 長村祥知さん<時代考証> 聞き手:宇治市源氏物語ミュージアム館長
第2部 青木崇高さん<木曽義仲役>
    町田悠宇さん<今井兼平役>
木曽義仲の時代の話も面白かったし、「鎌倉の13人」を観ていないにもかかわらず出演者のトークショーは「演じる」という意味で面白かった。

4月30日(土)
出勤

5月1日(日)
恒例の我が家バーベキュー
大人7人、子ども6人
美味しくて楽しいひと時でした。

5月2日(月)
出勤

5月3-5日(火ー木)プレイバック・シアター研究所主催
『「和歌浦」で過ごすゴールデンウィーク合宿ワークショップ
潮みちくればin和歌山』
プレイバック・シアター
散策・詩作・パフォーマンス、他

5月6日(金)
家でひたすら休養、洗濯

5月7日(土)
出勤

5月8日(日)Aさんと
午前 『サロン!雅と俗 京の大家と知らせざる大坂画壇』
京都国立近代美術館
江戸時代後期だけでなく明治・大正そして昭和初期も少し。
それによって日本画の系譜を感じる。
けど、江戸後期からすでに西洋の影響は色濃くあって
絵画の印象の新しさが必ずしも年代順ではなく。
他方で日本独自の戯画的な絵画や
3人の絵師の箕山瀑布図が並べてあったり。
植物図鑑に載るような線描きの竹の絵に感心したり
昭和期の水墨画にターナーを感じたり。
おもしろい日本画展でした。

美術館内のカフェでランチ

午後 『セールスマンの死』
ロームシアター京都
アーサー・ミラー作
広田敦郎訳
ショーン・ホームズ演出
キャスト
段田安則<ウィリー>
鈴木保奈美<妻リンダ>
福士誠治<長男ビフ>
林遣都<次男ハッピー>
鶴見慎吾<友人チャーリー>
高橋克己<兄ベン>

この顔ぶれだけでもゾクゾクする。

SさんやAさんのように誘ったり誘われたりする友人がいて、本当にありがたい!

コミュニケーションについて

2022-04-26 09:57:01 | 芸術およびコミュニケーション
『演劇と教育』に夫とのコミュニケーションについて書いた。
それ以来、コミュニケーションについていろいろ考えている。

以前にも『なってみる学び』(渡辺貴裕・藤原由香里)から「フラットな対話の関係」を話題にした。

もうひとつの材料は、NPO法人アートインAsibinaによる「コミュニケーション教育事業」だ。
文化庁により「文化芸術による子供育成推進事業」が実施されており、その制度に乗っての実践である。
ほぼ月に1回の割合でNPO法人アートインAsibina主催による勉強会がオンラインあり、私も何回か参加させてもらった。
ここでいうコミュニケーションは何だろうと考えさせられる。

今、夫との良好なコミュニケーションが回復しつつある。
けれど私の中には、一方的にこちらが努力しているという思いと、
私という人間が夫に尊重されていないという思いがまだぬぐえない。
戦後の民主主義の時代に育ったはずだが、「男尊女卑」という刷り込みから逃れるのはなかなか難しいようだ。

私は演劇的な体験すなわち「なってみる学び」がコミュニケーション能力を育むだろうと思っている。ひとつには、なってみることで他者をくみ取ろうとするから。もうひとつはお互いに表現し合うことは、お互いに相手を感じようとすることにつながるから。

けれど演劇は(映画やオペラや、あらゆる芸術分野におよびそうだが)、「フラットな対話の関係」による豊かなコミュニケーションで創造される場合と、そうではない場合があるようだ。
演劇界でのセクハラ・パワハラの告発があとを絶たないのは、その関係においてコミュニケーションがいかに一方的であるかを示している。

例えば権威主義的な芸術家がコミュニケーションのワークショップをした場合、子どもたちは素晴らしい表現をつくることを学ぶかもしれない。
「ある演出家が小学校で劇を演出し、そのできばえに保護者から絶賛だったが、学級内での人間関係は悪く子どもたちが暗い顔をしていた」という話を沖縄で聞いたことがある。
そういうこともありえるだろう。

コミュニケーションがスキルで向上することはある。
人の話をよく聴くということは、訓練によってある程度身につけられる。
けれど関係性の問題だから、なかなか難しい。
他人の場合はこじれても距離をおけばよいけれど、家族関係の場合は本当に難しい。

4月23日の朝日新聞「多事奏論」(河合真美江)に「こんなことを言ったら笑われるかなと思っても言うのが勇気。だれかが言ったことに、よく思いついたなあと思えるのが愛」という言葉があった。お互いが愛と勇気をもって話し合えば、良いコミュニケーションが生まれるだろう。
つまり、スキルだけでは良好なコミュニケーションは生まれない。

声の大きい人、権威を持っている人は、自分のコミュニケーション能力(方法)に問題があるとは感じていない。

私は「人を人として尊重すること」と表現してきたが、実はこれがなかなか難しかったりする。
自分の理解できないことを遭遇すると、怖がったり逆にさげすんだりしてしまいがちなのだ。
私自身競争社会の中で育ち、そういった感覚から抜けられていないと思うことも多々ある。
いつでも誰にでも愛を持って接することは、私にはできない。

ロシアのウクライナ攻撃もあって、絶望的になる。
でも、絶望ばかりもしておられないので、少しずつ自分のできることからやっていこう…と、自分を励ましている。

前進座『ひとごろし』

2022-04-11 09:43:21 | 芸術およびコミュニケーション
なんと物騒なタイトル。
喜劇とあるけれど、あまり気が乗らないなあと思いつつ観劇。

結果、落語のようなホントに楽しいお芝居でした。

4人の役者とそれぞれの書見台だけの簡素な舞台。
ところがそれぞれの場面がほうふつとする役者の演技。
所作のすばらしさ、鳴り物のタイミングも含めて息ピッタリの間合い。
どんどん引き込まれます。

大笑いしながらも、「ひとごろし~」と叫び続けて武力行使を阻止しなければと、現在進行形の出来事を考えさせられた、素敵な舞台でした。

クレッシェンド

2022-02-24 11:12:59 | 芸術およびコミュニケーション
『ドライブ・マイ・カー』に引き続き、映画館で鑑賞。

『ドライブ・マイ・カー』は演劇
『クレッシェンド』は音楽
どちらも芸術の力を信じているという点で、繋がりを感じた

以下、『クレッシェンド』をこれから観る人は、観てから読んでください。

『クレッシェンド』は、イスラエルとパレスチナの若者が一緒にオーケストラを奏でるというもので、一筋縄ではいかない。
その対立の根深さ。
憎しみが憎しみを生む連鎖。

けれどそれを何とかしなければと思う人がいて、若者に希望を託そうとする人がいる。
ささやかな、実を結びにくい抵抗であっても。
争いでなく、芸術の力を借りて。

空港での最後の演奏がかすかな希望を示す。
その曲にボレロを選んだのはすばらしい。
楽器が次々と加わり、力強さを増していく。

「なぜ感情をこめて演奏しない?」と聞かれて、「曲自体が素晴らしいから」と答えていたレイラが、
体をゆすり感情を込めて演奏する姿が印象的。

日々ぬるま湯のような自分の生活は、ありがたくもあり、これでよいのかとも思う。

ドライブ・マイ・カー

2022-02-22 09:24:13 | 芸術およびコミュニケーション
ホームシアター派の夫が珍しく、映画館で観ようと言ったのは、自身が広島出身だから。

安芸灘大橋の根元、呉市川尻町にマンションがある。
居室は7階で、安芸灘大橋がよく見える。
主人公家福悠介が広島での宿泊先とした御手洗にも行ったことがある。
それやこれやで、興味をもった。

3時間は永かった。万人受けする映画ではないではないと思う。

私は「ワーニャ叔父さん」の演劇を上演するまでのプロセスがとて面白かった。
オーディションから始まって。
もし本当に上演されるなら、何としても観てみたい。
手話も含め、いろいろな言語が飛び交う芝居。

演出家は俳優たちにただひたすら台本を読むことを要求する。
ゆっくりと感情をこめずに。
台本の力を信じているからだ。
台本がすべて自分の中に入って、それで動き始めると、予期しないことがおこる。
台本と真摯に向き合えば。

こういう演出を良しとしない人もいるかもしれないが。

主人公はマイ・カーの中で繰り返し「ワーニャ叔父さん」のセリフを聴き、ワーニャのセリフを言う。
そのセリフが主人公の心の内とシンクロする。

自分の妻と向き合えなかった。
そのことが妻の死に影響した。
妻の死と向き合えない。
だから自分はワーニャがやれない。

最後のワーニャとソーニャのシーンは、主人公家福悠介とドライバー渡利みさきとの関係を暗示する。

自分や自分の身近な人と誠実に向き合うということは、なんと難しいことだろう。
失いたくないから、本音で話せない。
ああ!私も!

主人公が演じる「ゴドーを待ちながら」の一シーンも出てくる。
わけの分からない私の苦手な芝居だが、昨年末ワークショップで触れ、脚本も読んだ。
不条理劇と言われるこの芝居は、それこそお互い異なる言語で演じられるにはふさわしいかもしれない。

安芸灘大橋の根元のマンションは映りそうで映らなかった。
西島秀俊の横顔が長男に似ている。

この映画はあとあとまで心に残りそう。
村上春樹の小説は『ノルウェイの森』しか読んでいない。その時、あまり好きなタイプの小説ではないと思ったが、原作となった「女のいない男たち」を注文した。ここでも新たな出会いがあるだろうか。