思い出をあける鍵 Ⅲ

古びたオートバイと、思い出の風に乗って。

ジーンズ・ショップ の続き

2020年09月27日 | 思い出

今日は、修理のGパンを取りに行っての帰り道。
小っちゃい頃、弟と二人で「お年玉」をにぎって走って行った商店街へと。
瀬田の田舎の子供にとって、ここは夢のような場所でしたねぇ、
大きい「おもちゃ屋さん」が二つくらいあった。


どこの商店街でもそうやけど、ほとんどシャッターが下りてるんやなぁ・・
寂しいですね。


ちょうど、お昼時やしね。
ちょっとは、お金を落として行こうかと、カレー屋さんに入りました。


シンプルなメニューで。


コーヒー 250円・・・
高校生の頃、確か250円くらいやったよなぁ・・・


表の手書きの看板に「インドカレー専門店、缶ビールあります。」と。
電車やし、缶ビールをいただくかと。


「すいません・・・・ちょっとルーが入りすぎて、すいません・・・。」
と、奥さん平謝りで。
「いやぁ、いいです、いいです。」
(ルーが少ないよりは。)


甘いものをひとつ、どうぞ。
サービスです。
ほぼほぼ、街起こしのボランティア活動でお店をしてるそうで、
「レシピどおりに作ると、時間がかかり過ぎるのでね、
半分くらいの時間で仕込むんです。内緒ですけど。」
なんてね、楽しい時間を過ごしました。


僕らが高校生くらいの頃は、こういう自転車屋さがいっぱいあった。
オートバイは、自転車屋さんで売ってたんです。


子どもの頃、ここは大きい本屋さんでした。
こんな大きい本屋は、見た事なかったね。
この本屋を過ぎると、もうじきにナカマチ商店街。
子ども心にワクワクしたもんです。


昭和38年頃の写真です。


これは、昭和45年頃。
チンドンヤ、小っちゃい頃に母の実家近くで初めてみましたね、
瀬田の田舎では、見られへんた。


昭和50年頃の写真。
僕は中学生でした。


にぎやかなイベントもあったようです、昭和51年頃の写真。
僕は高校1年生、スマートフォンもコンビニも無かったけどね、
街には公衆電話が所々にあって、喫茶店もいっぱいあった。
いい時代でした。


ひざが抜けた「359BF」も。


きれいに直ってました。


ダメ元でもって行った、Gジャン。


袖丈が長くて、1Cmだけ詰めてもらい。
ピッタシ。


ポケットは。


サービスで直してくれはりました。
また行くかな、カレー屋さんのおばちゃんとお話しをしに。














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