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深井少佐の甥ブログ(とっても気まぐれ)

横須賀から海兵士官として神風特攻した深井良に思いを馳せながら、凡庸な甥の日常を切り取ったブログ、ものぐさゆえに画像多し。

762空攻撃501飛行隊 501st Attack Squadron 762nd Naval Flying Group

2012-05-24 12:02:17 | 太平洋戦争

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5月22日から23日まで、鎌倉で行われた日本海軍攻撃501飛行隊の生存者の会合、銀河会に参加させて頂きました。伯父深井良が、短期間でも最後に501に所属していた事で、飛行隊長鈴木暸五郎氏(元航空自衛隊副幕僚)の許可を得ての参加でした。全ての日本人、国土を守るために最前線で戦われた戦士も、80代後半~92歳の好々爺となられたものの、当時の話となると、深夜まで生き生きと語られるご様子は、往時を彷彿とさせられます。真相は定かにはなりませんでしたが、伯父の特攻出撃の前日、伯父機を見送ったN中尉に、当時の状況をお聞きすることができました。近く、いきさつをまとめようと思います。Cimg0317_3

I was allowed,by Lt.Ryogorou Suzuki, to join  an annual reunion party for 501st Attack Squadron 762nd Naval Flying Group in Imperial Japanese Navy held at Kamakura on 22nd. My uncle Ryo Fukai was in this squadron when he died as Kamikaze. Fighters to protect Japan turned latter 80's to 92. Once they started talking about old days,they become like 20's. The question I had for a long time that when did my uncle receive the order for suicide attack remained unsolved, but Lt.jg N who saw my uncle's plane off one day before the attack
told me how things work on those days.


旧横須賀鎮守府を訪ねる Visiting ex-Japanese navy Yokosuka HQ

2008-12-06 23:33:54 | 太平洋戦争

二日前に横須賀の深井良の妹角田叔母から連絡があり、6日に横須賀のベースが一般解放されるグランドイルミネーションの開催を知った。伯父が足を運んだ横須賀鎮守府(基地)をぜひ見てみたいと出かけた。原子力空母ジョージワシントンの飛行甲板に飛行機用エレベーターであがり白い富士山を遠望し、何か奇異な感じに囚われた。63年前、日本を守ろうとした若者たちがこのような空母のブリッジやエレベーターを目指して飛び込んでいった事実がある。

伯父の弟である父によると横須賀鎮守府に公務で来た伯父が鎮守府から歩いて10分程の実家に寄り、数日後に飛行機で実家上空を通過すると伝えた。父は深井砂糖店上空を翼をバンクさせて(振って)飛び去る単発機を目撃している。伯父が航空隊でなく鎮守府になぜきたのかは分からないが、当時の建物は米軍が現在も使用しており、このスロープを上がりこの建物に伯父が向かっていったと思うと感慨深いものがありました。

My aunt taught me of Grand illmination Ⅱon Yokosuka U.S. Naval Base. I wanted to see the building of ex-Japanese Naval Base headquaters which Lt. JG Fukai, my uncle used to visit. After watching the flight deck of aircraft carrier USS George Washington, I headed for the building. It was not open to public but I was impressed remembering this was the very same path my uncle once walked to report to his senior officer, afterwards he dropped by his own house to tell his younger brother that he would fly over the house on his way to air base in Ibaraki pref.Dscn4100 

 


田母神航空幕僚長                 Tamogami ASDF Chief of Staff Gen.

2008-11-08 19:37:29 | 太平洋戦争

2008年10月31日航空自衛隊田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長が、防衛省内規に反し無届で一企業の懸賞論文に応募したため防衛相により更迭された。「日本は侵略国家であったのか」と題した論文は、日本のアジア諸国への侵攻の正当性を主張している。主張の一部は個人的には理解できる。しかし、航空自衛隊幕僚長としての発言である以上、シビリアンコントロールに挑戦するとも取れる思慮の無い論文発表だ。

戦後GHQは「大東亜戦争」という呼び方を禁じ、「太平洋戦争」と言い換えさせた。ヨーロッパをひとつの共同体としてEUと呼ぶのと同じ様に大東亜=アジアの共同体という概念を嫌ったアメリカの日本統治政策と考えられる。軍事的に最も進んでいた日本が指導者となって欧米列強に蹂躙されていたアジアをそれぞれの植民地宗主国から解放するという一側面(戦後GHQの指導の下100%侵略戦争と位置づけられてしまったけれど)もあったという事実は抹殺されて、アメリカが悪=日本帝国を倒した戦争という解釈が押し付けられて、異論を唱えれば吊るし上げられるような日本の社会になってしまった。しかし、1973年、タイの首相ククリット・プラモード氏は「サイアム・ラット紙」主幹時代に「12月8日」と題して次のような社説を掲載している「日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産してその母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。こんにち東南アジア諸国民が、米英と対等に話しができるのは一体誰のお陰であるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない」必ずしも全ての日本人がこの理想を理解していなかったために、悲惨な目に遭わされたアジア諸国の方々から見れば、日本の侵攻はどう説明しようと正当化される事はない。それでもこの様に事実をしっかりと見つめてくれる人もいたのだ。東京裁判のパール判事は戦争であったのだから、被告全員は無罪であると主張したし、マッカーサー本人も後に日本の戦争は自衛の戦争であったと述懐している。私は日本の起こした戦争が何の責めも負わなくて良い戦争だったというつもりは無いけれど、上に述べた点から100%侵略戦争だったという意見には異を唱えたい。以上の理由で田母神論文について一部理解できるのです。

では何がいけないのか。自衛隊員を軍人とみなすなら、彼らが最も守らなければいけない事は、チェーン・オブ・コマンドつまり命令系統遵守であり、今回の幕僚長としての論文発表は最高指揮官としての文民の侵略が存在したという見解と矛盾齟齬するものであり文民統制を脅かしている。日本はなぜ文官が制服を指揮するかといえば、戦争中に陸軍を中心とした軍部が、昭和天皇の名を利用して国政、対外政策を牛耳って国の進路を誤らせた反省による。意見を発表するのは良いが、制服の頂点の立場の人間が文民の見解に挑戦するかのような言動は自衛隊員とそれ以外の国民を混乱させる。だから公的な立場での発表は好ましくない。私的な立場で語るなら「私は幕僚長として立法府、司法府、行政府を尊重し、防衛相の下、防衛計画や部隊の管理運営を行うものであるが、個人的な見解を述べさせてもらうなら~。また、この考え方を自衛隊員に押し付けるつもりもない」と最低限前置きすべきだろう。この様な姿勢でなく司法判断に対しても「そんなの関係ねー」では軍の造反、国家、国民への背信と取られてもしかたがないと思う。

On Oct. 31 Air Self-Defense Force Chief of Staff General Tamogami Toshio was replaced by the defense minister for applying an essay without a permission to commercial essay competition regarding the understanding of responsibilities against Japanese government's leadership during WW2.  The essay titled "Was Japan an invading country?" trying to justify invasions in Asia. Expressing this idea as ASDF Chief of Staff Gen. in public is like challenging civilian control system.

I understand there are many aspects to look at the War such as Japan fought the War to free other Asian countries ruled by Western countries, to establish  exploitation free Asian countries group. However facts that many Asian nationals suffered by Japanese act of aggression does exist. And that was the official government view on the matter.

Mr.Tamogami should have known better not to confuse his men and Japanese nationals by releasing thoughtless essay in public. He must know his superior in the chain of command is the government and not anybody in military system.

7日にご逝去された筑紫哲也様に哀悼の意を表します。Dscn4064 「第九銀河隊指揮官深井良」をお読みいただきました。

I would like to deliver a eulogy on the late Mr. Chikusi Tetsuya, the newscaster, who I talked with, sent complimentary copy of my book.

 

 

 

 

 

 

 


戦場に輝くベガ

2008-06-14 23:06:22 | 太平洋戦争

先日、かねてから観に行こうと思っていた築地のタイムドーム明石のプラネタリウム番組「戦場に輝くベガ」を観にいきました。太平洋戦争中、海軍が天体の位置から自分の位置を割り出す数字の表を作るデータを、日本各地の高校生に依頼して作成していた事をもとにドラマ化したものをスライドショーでみせてくれるものです。戦史研究家の神野正美氏、伯父の所属した攻撃501飛行隊の飛行要務士塚越雅則氏等の監修による40分前後のものですが、プラネタリウムですから全天がスクリーンになっていて、陸上爆撃機銀河の飛行シーンはプラネタリウムの星と連動して、自分が銀河の先端の偵察員席に座っているような錯覚がしました。私の伯父が乗って特攻出撃した機です。伯父は操縦員でしたが、このような満天の星を見ながら飛行訓練をしたのでしょうか。飛行教官であった伯父は初めての出撃が特攻でした。鹿屋航空隊のシルエットが再現されましたが、伯父も目にしたものでしょう。偵察員の和夫と女学生の久子は架空の人物ですが、この様なドラマは人知れずきっとあった事と思われます。必ず帰ると約束して果たせなかった和夫に戦争の不条理を思い知らされます。明日15日が最終日です。日比谷線の築地駅から徒歩7分。ご予定の無い方はぜひどうぞ。観覧料300円です。