会津 駅近 ふじみ旅館 若女将ブログ

会津若松駅前のふじみ旅館から、宿のご案内と観光情報などをお届けします。

幕末期人物 西郷頼母邸跡

2021-03-16 14:43:00 | 日記

戊辰の戦い当時の家老
    西郷頼母邸跡が、鶴ヶ城正面
追手町にあります。
 銀座4丁目の角っていう感じです。

西郷家は、藩祖以来の重臣で、
頼母は江戸時代後期、幕末期の家老。

松平容保公が、京都守護職を引き受けざるを得ない状況のなか、もう一人の重臣、
田中土佐と共に反対を唱えます。
その為、容保公の怒りを買い
家老職を解かれてしまいます。が、
戊辰の戦い時には
家老職に復帰、白河口総督として戦いますが、ここを破られ会津に戻り、落城時には会津には居なかったということです。
しかし、
残った奥方はじめ、一族の女性たちは、籠城の足手まといにならぬようにと、
老女からわずか2歳の娘まで自刃して果てたといいます。
 妻 千恵子の辞世の句
 なよ竹の 風にまかする 身ながらも
  たわまぬ節は ありとこそきけ
    わずか34歳の生涯でした。





やはり桜の季節には🌸花に覆われます

いまだに、花を手向けられる場所です。



その場から鶴ヶ城を望むと↓







近くには、幕末期の人物、
 萱野権兵衛  郡長政について記した看板もあります。

街歩きに適した季節になりましたね。
ブラブラしてみてくださいな🚶‍♀️🚶🏻🚶‍♂️








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山鹿素行 生誕の地

2021-03-15 21:17:00 | 日記

山鹿素行(やまがそこう)は、江戸時代前期の兵学者。また思想家(儒学者)として
『日本の道徳教育の生みの親』として有名です。
 


その生誕の地が、鶴ヶ城近くに石碑として残っています。
 山鹿素行は、この地で元和8年に生まれました。
この地は今、【山鹿町】として、その名が残っているのですよん。

 それまでの学問である朱子学(12世紀の中国の道徳教育)を、17世紀の日本国の江戸時代にあった、太平の世の武士のあるべき姿を具体的に説いたものでした。
 いわゆる、『武士道の精神(忠.義.信)を確立した人』として、世に知られているのです。その教えは、幕末の吉田松陰や、明治の乃木大将、大正・昭和の東郷平八郎らへと続きました。
 この↓石碑は、大正15年4月 東郷平八郎の書によって、建てられたものだそうです。



また、兵学者としては31歳の時、赤穂藩に認められて、1000石で8年間赤穂藩に仕えました。そのとき、独自の兵学山鹿流》を完成させました。
 赤穂浪士の生みの親と言われていますよね。
 文武両道を極めた、人としての正しい道を確立したこの道徳は、現代にも通じるものがあります。
     一部 鶴ヶ城通りまちなみ協議会の文書から引用しました。
 

また、その後、この地は上杉家が越後から転封された際、上杉景勝の家老、大河ドラマの主人公にもなった直江兼続の屋敷も置かれたそうです。


さくらの大木もまだまだ蕾は固いよう。
会津のこの辺りは桜🌸の開花も、またひと月も先でしょうか。



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気分アゲアゲの 飴ちゃん

2021-03-13 11:15:00 | 日記
今日は、雨風の一日🌧💨🌬☔️
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
雨風にも警戒が必要です。
ご自愛ください。

で、ワタクシはと言うと、

やらねばならない事務のお仕事(国民の義務ね)をまとめたり、やっぱり バタバタするのです。
 最近、と言うかずっと前からだけど、
2つのものを取りに別室に行っても、一つは忘れるという…💦💦情けな😭い、昨今

でも、ちょっと🤏嬉しい事も😊
これをいただいたので↓





綺麗な水晶みたいな飴ちゃんでした。


スッキリ、少しの塩味で
    うん コレはGOOD👍



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太郎庵のコラボ商品

2021-03-12 14:27:00 | 日記
昨日は、とっても真面目な一面をお見せしてましたので、今日は、また別の一面をお見せしたいわ😁
会津地方で大きく展開する
  お菓子の蔵《太郎庵》
の、新商品をご紹介したいわ❣️
 
 飯盛山参道で【串かつ】専門店をひらいている【串鶴】さんの人気サイドメニュー
《会津山塩じゃがチップス》の、厚みのある北海道産じゃがいものチップスには、会津山塩のみで味付け。その上に
ほんのりビターなダークチョコレートをかけた、手作り感満載の味と食感!
  【串鶴❌太郎庵】のコラボ

  会津山塩じゃがチップスショコラ

190gで1512円(税込)と少々お高い(ワタクシにはね😅)けど、食してみてね!


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あの日から10年、単なる通過点 震災遺構を考える

2021-03-11 12:14:00 | 日記
合掌


若松市内の県立博物館で、
【震災遺構を考える】が開催されています。今日、伺うのに意味があると考えました。


沿岸部で津波被害の残るカーテン↑
津波被害で壊された標識など↓


当館近くにあった、仮設住宅の看板↓





避難所での臨時学校での、子供達の当時の夢が書かれています。
ただ、お家に帰りたい そんな小さな夢ばかりでした。


富岡中学校、高校(バドミントン部が強豪で、桃田選手の出身校)も、部活中途で、
全町避難の為、そのまま…


ご存知でしょうか?
フレコンバック
放射能に汚染された土を入れる袋です。
現在、この袋の中間貯蔵施設が沿岸部、帰宅困難地域などに貯蔵されています。



飯舘村の綿津見神社の御神木
汚染を心配された関係者が、苦渋の決断の元、伐採しました。150年以上地域を守って来た大木でした。


南相馬市の内陸にあった老人保健施設の津波の跡↓


被災したパトカーのルーフ『双31』と書いてあります。ふたりの警官が殉職されました。


つなみで流出した郵便ポスト📮








会津の桜(小彼岸桜のはず)はまだまだ


 あの日 会津若松は、そして被災した各地は、ちらちらと小雪舞う寒い日でした。
抱えきれない哀しみや、その後の不安な状況、未だに続く福島第一原発の事故、
『あるべき日常』を奪われた
 あの震災からはや十年の歳月が流れました。
早かったようで遅かったのか、遅いようで早かったのか…それぞれの感じ方にはなりますが、政府などは、一区切りとみるようです。
被災した各地は、それなりの復興の途上にありますが、この十年は一区切りではありますが、単なる通過点です。
 最愛の家族を失った悲しみ、我が家、仕事、地域を無くした悲しみ、は、決して他人事ではありません。10年の月日がその悲しみを癒やしてくれるわけもないのです。

 福島県では、原発事故により故郷を追われ、避難せざるを得ない県民がまだ、まだ、4万人以上もいらっしゃいます。
 古里に帰ることが出来ない、その哀しみを心に留めておいてくださいますか。
 原発の廃炉に向けた現実は、未だ、コントロールされておらず、廃炉へのその端緒すら覚束ない状況です。
 風評被害に苦しむ県民もいると言うことを、心の片隅に留めて置いてくださいますか?

 今日、会津若松は春のような陽気です。

 あの大震災から、私たち今を生きる大人たちは、数多くの教訓を学んだはず。
 将来を担う子供たちに、胸を張って
なにを託せば良いのか、自問するこの頃です。


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