戊辰の戦い当時の家老
西郷頼母邸跡が、鶴ヶ城正面
追手町にあります。
銀座4丁目の角っていう感じです。
西郷家は、藩祖以来の重臣で、
頼母は江戸時代後期、幕末期の家老。
松平容保公が、京都守護職を引き受けざるを得ない状況のなか、もう一人の重臣、
田中土佐と共に反対を唱えます。
その為、容保公の怒りを買い
家老職を解かれてしまいます。が、
戊辰の戦い時には
家老職に復帰、白河口総督として戦いますが、ここを破られ会津に戻り、落城時には会津には居なかったということです。
しかし、
残った奥方はじめ、一族の女性たちは、籠城の足手まといにならぬようにと、
老女からわずか2歳の娘まで自刃して果てたといいます。
妻 千恵子の辞世の句
なよ竹の 風にまかする 身ながらも
たわまぬ節は ありとこそきけ
わずか34歳の生涯でした。
やはり桜の季節には🌸花に覆われます
いまだに、花を手向けられる場所です。
その場から鶴ヶ城を望むと↓
近くには、幕末期の人物、
萱野権兵衛 郡長政について記した看板もあります。
街歩きに適した季節になりましたね。
ブラブラしてみてくださいな🚶♀️🚶🏻🚶♂️