会津 駅近 ふじみ旅館 若女将ブログ

会津若松駅前のふじみ旅館から、宿のご案内と観光情報などをお届けします。

奥会津 只見町 河井継之助記念館

2020-08-27 10:32:00 | 日記
   河井継之助

誰じゃい?それは?

と、なる人のほうが多いだろうなぁ…

江戸末期の越後長岡藩、藩士の家の生まれで、慶應元年(1865年)に郡奉行に登用されると次々と改革を実行して名を上げ、町奉行、奉行、家老へと進み、藩政改革を大きく成し遂げていった人物です。

時は戊辰戦争の頃、長岡藩は武装中立の立場を主張しましたが、西軍との交渉は決裂、長岡藩の人々を守るため、西軍との戦いへと進んでしまうのです。

一度は落城した長岡城を奪還するも、再び退却を余儀なくされ、この際に受けた脚の負傷も悪化。

会津藩領であった只見もまた、戊辰戦争に巻き込まれ、西軍と戦っており、落ち延びてきた 継之助一行を向かい入れ看護に尽力しました。

しかし、脚の負傷が悪化、奥会津只見の地で息を引き取ります。

作家 司馬遼太郎氏の小説 『峠』は、
彼の生涯を描いたもので、私も以前からこの地を訪ねてみたかったのです。
 
ちなみに、役所広司さん主演で、映画化されており、コロナの影響で公開延期になっているそう😣

司馬氏も小説を書いた後、只見町を訪れています。



只見川の見晴らし良い地にある記念館↑



継之助が亡くなった
村医 矢沢宗益の家を移築したもの↑



 


継之助が使用していた 毛布と箱枕↑




武装に関しては
早くから先進的な考えを持ち、西洋式の軍備を取り入れ、長岡の民を守るため当時日本に3門しかなかった
ガトリング砲2門を購入し応戦。






滔々と流れる只見川


継之助に関する本、資料も豊富!
その場で読むことが可能です。
椅子もありましたよ。



只見への途中、金山町での 道の駅にて
 特産の 〈金山赤かぼちゃ🎃〉のソフトクリーム


地面に直に這わせる栽培でなく、実を吊り下げて作るかぼちゃなので、形が所謂
キレイなかぼちゃの形ですって😄確かに!



金山町からの只見川










コメント (2)
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