2018年度の卒業論文で宮古島の水環境を紹介します。
亜熱帯宮古島における地下水中の硝酸態窒素濃度の経年変化の解析
宮古島の地下水中の硝酸態窒素濃度の経年変化から、人間活動との関係を洗い直し、投入されたサトウキビ畑への窒素肥料が主な原因であることを明らかにした。現地調査と報告書から作物の種類、肥料の購入量、サトウキビ畑等の耕地面積と収穫面積、収穫量、降水量などを時系列に並べ、地下水中の硝酸態窒素濃度との関係を解析した。そして、文献から沖縄におけるサトウキビ農業の動態をまとめ関係を求めた。このような解析を水の環境史、水の文化史的な方法として新たに試みた。
地下水中の硝酸態窒素濃度は宮古島市地下水水質保全調査報告書と宮古島市上下水道部の浄水月報の資料を使用した。現地調査においてパックテスト(硝酸イオン)により、資料と比較検討をおこなった。その結果、同様の値が出たので資料の値を使用した。
図3.1.1は宮古島でのサトウキビ畑の面積、収穫量、化学肥料の使用量と硝酸態窒素濃度を示している。硝酸態窒素濃度は1987年に最も高くなり、それ以降は下降傾向になっている。肥料の使用量は1981年に最も高くなり、それ以降は下降傾向になっている。2000年代に少し増加しているが、1981年ほどではない。サトウキビ畑の耕地面積は、1965年からほとんど変化は見られないが、1990年に急激な増加が見られ、その後は一定の耕地面積となっている。宮古島では、1955年頃まで甘藷を育てていたが、甘藷の減少に伴いサトウキビが増加していった。そのため、甘藷からサトウキビへ移行したと考えられる。
地下水中の硝酸態窒素濃度の供給源は肥料、畜産、人為的影響、自然起源によると考えられる。図によると、畜産、人為的影響、自然起源はあまり影響を与えていないことがわかる。まず畜産に着目すると、牛飼育頭数が最も高い2002年の後の硝酸態窒素濃度は下降傾向にあることがわかる。次に、人為的影響に着目すると下水道のグラフを見ると0に近くほとんど影響を与えていないことがいえる。最後に自然起源に着目すると、降水量の棒グラフを見ると、1985年が最も多くその後の硝酸態窒素濃度を見ていくと下降傾向にあるので影響は小さいといえる。
肥料に着目すると、1980年から1981年の化学肥料のグラフが急激に増加している点から使用量が増えていることがわかる。化学肥料の使用増加に伴い白川田では1987年、加治道水源でも1987年、袖山1989年に3つの地点で硝酸態窒素濃度が最も高くなっている。1965年のサトウキビを育て始める前の甘藷の時には、硝酸態窒素の濃度が2前後であり低かった。甘藷からサトウキビへの移行から化学肥料の使用量に変化が生じたと考えられる。
図によると、化学肥料を最も使用している1981年から加治道での硝酸態窒素濃度が1987年に最も高くなっている。化学肥料を使い始めてから地下水に影響を与えるまでに時間差があることがわかる。甘藷の時に比べ、化学肥料を使い始めサトウキビへ移行してから収穫面積が増えていることから育てやすくなっている。化学肥料の使用量が増えると考えられる。時間差はあるものの地下水に与える影響は高いといえる。甘藷からサトウキビに移行したことが化学肥料の使用量が増える要因だと考えられる。施肥時期とサトウキビ畑に化学肥料が吸収される時期にずれが生じている。そのため、吸収される時期に施肥するのに比べ、吸収されるまでに地下水に浸透する量が増加すると考えられる。人間活動との関係を見直してみると、硝酸態窒素濃度の上昇の原因は、主にサトウキビ畑に使用される化学肥料が原因であると考えられる。
表3.1.2はサトウキビ農業の歴史を表している。化学肥料の使用時期と栽培作物の変わる時期について検討した。同様のことが宮古島でもいえると考えられる。
1889年頃、多良間島では主に甘藷を育てていたことで、化学肥料の使用量が少なかった。しかし、1960年頃にサトウキビが持ち込まれたことにより、甘藷からサトウキビに変わっていった。一時は、干ばつなどの自然災害により、サトウキビの生産が減ったが、政府によって栽培が開始されたことで化学肥料も使われるようになった。1975年のサトウキビの急激な拡大により、化学肥料の使用量が増えたことで、地下水に大きな影響を与えるようになった。図3.1.1で見られた通り、サトウキビ畑への化学肥料の使用量が大きな影響を与えていると考えられる。
図3.1.2は施肥頻度とサトウキビ畑に化学肥料が吸収される時期や量の関係を表したものである。サトウキビは16~18か月の栽培期間のうち施肥は栽培初期のわずか3か月間の極めて短期間に集中している。10月~12月の施肥頻度は全体の80.5%を占めている。
施肥時期は主に10月~12月に集中しているが、吸収時期は5月頃からである。施肥してからサトウキビ畑に吸収されるまでに時間差がある。吸収される時期に施肥するのに比べ、吸収されるまでに地下水に浸透してしまう量が増えることが考えられる。これは化学肥料を撒いてサトウキビ畑に吸収されるまでに、土壌中に残り続けることはできず、雨などによって地下水に浸透してしまう。化学肥料の施肥時期がサトウキビの収穫時期と重複してしまうことから、早い時期に撒いている。化学肥料の施肥時期が、前々年の夏または前年の春に植付けたサトウキビの収穫時期と重なっている。このため、農家の人たちは収穫を優先させるために、収穫時期の前後のどちらかにしなければならず、その結果収穫時期前を選択したので、施肥時期が10月と12月に集中している。地下水中の硝酸態窒素濃度に与える影響を減らすためにも3月頃の施肥が適当だと考えられる。
経年変化を使った水文化史・水環境史的な解析のまとめ
宮古島の地下水中の硝酸態窒素の経年変化から、サトウキビ畑への窒素肥料が主な原因であることが明らかになった。サトウキビ畑への化学肥料の施肥量の増減が地下水中の硝酸態窒素濃度に大きな影響を与えている。また、化学肥料を撒く時期とサトウキビ畑に吸収される時期のずれが生じていること、地下水の年代測定から地下水の流速が場所により異なることも明らかになった。
以上のことから、化学肥料が土壌中に残り続けることはできず、雨などにより地下水に浸透してしまう。そのため、地下水に浸透してしまう量が増え、硝酸態窒素濃度に影響を与えている。地下水の流速が遅いことから、化学肥料を施肥してから地下水に影響を及ぼすまでに約6年の時差が生じている。地下水の流速が遅いことにより、観測地点にたどり着くまでに時間がかかってしまうからである。
宮古島において、窒素発生源の中心は高度化成肥料に含まれるアンモニア性窒素である。これは畑地条件では速やかに硝化され硝酸イオンとなる。宮古島の地下水は隙間の多い石灰岩の中を流れるため酸化状態にあり、硝酸イオンは亜硝酸イオンなどに変化しないで安定して流動していると考える。
経年変化を使った水文化史・水環境史的な解析から、地下水中の硝酸態窒素濃度を低下させるには施肥時期をずらすこと、施肥方法の改善が必要だと指摘できる。
地下ダムのDOと水温を測定中です。
亜熱帯宮古島における地下水中の硝酸態窒素濃度の経年変化の解析
宮古島の地下水中の硝酸態窒素濃度の経年変化から、人間活動との関係を洗い直し、投入されたサトウキビ畑への窒素肥料が主な原因であることを明らかにした。現地調査と報告書から作物の種類、肥料の購入量、サトウキビ畑等の耕地面積と収穫面積、収穫量、降水量などを時系列に並べ、地下水中の硝酸態窒素濃度との関係を解析した。そして、文献から沖縄におけるサトウキビ農業の動態をまとめ関係を求めた。このような解析を水の環境史、水の文化史的な方法として新たに試みた。
地下水中の硝酸態窒素濃度は宮古島市地下水水質保全調査報告書と宮古島市上下水道部の浄水月報の資料を使用した。現地調査においてパックテスト(硝酸イオン)により、資料と比較検討をおこなった。その結果、同様の値が出たので資料の値を使用した。
図3.1.1は宮古島でのサトウキビ畑の面積、収穫量、化学肥料の使用量と硝酸態窒素濃度を示している。硝酸態窒素濃度は1987年に最も高くなり、それ以降は下降傾向になっている。肥料の使用量は1981年に最も高くなり、それ以降は下降傾向になっている。2000年代に少し増加しているが、1981年ほどではない。サトウキビ畑の耕地面積は、1965年からほとんど変化は見られないが、1990年に急激な増加が見られ、その後は一定の耕地面積となっている。宮古島では、1955年頃まで甘藷を育てていたが、甘藷の減少に伴いサトウキビが増加していった。そのため、甘藷からサトウキビへ移行したと考えられる。
地下水中の硝酸態窒素濃度の供給源は肥料、畜産、人為的影響、自然起源によると考えられる。図によると、畜産、人為的影響、自然起源はあまり影響を与えていないことがわかる。まず畜産に着目すると、牛飼育頭数が最も高い2002年の後の硝酸態窒素濃度は下降傾向にあることがわかる。次に、人為的影響に着目すると下水道のグラフを見ると0に近くほとんど影響を与えていないことがいえる。最後に自然起源に着目すると、降水量の棒グラフを見ると、1985年が最も多くその後の硝酸態窒素濃度を見ていくと下降傾向にあるので影響は小さいといえる。
肥料に着目すると、1980年から1981年の化学肥料のグラフが急激に増加している点から使用量が増えていることがわかる。化学肥料の使用増加に伴い白川田では1987年、加治道水源でも1987年、袖山1989年に3つの地点で硝酸態窒素濃度が最も高くなっている。1965年のサトウキビを育て始める前の甘藷の時には、硝酸態窒素の濃度が2前後であり低かった。甘藷からサトウキビへの移行から化学肥料の使用量に変化が生じたと考えられる。
図によると、化学肥料を最も使用している1981年から加治道での硝酸態窒素濃度が1987年に最も高くなっている。化学肥料を使い始めてから地下水に影響を与えるまでに時間差があることがわかる。甘藷の時に比べ、化学肥料を使い始めサトウキビへ移行してから収穫面積が増えていることから育てやすくなっている。化学肥料の使用量が増えると考えられる。時間差はあるものの地下水に与える影響は高いといえる。甘藷からサトウキビに移行したことが化学肥料の使用量が増える要因だと考えられる。施肥時期とサトウキビ畑に化学肥料が吸収される時期にずれが生じている。そのため、吸収される時期に施肥するのに比べ、吸収されるまでに地下水に浸透する量が増加すると考えられる。人間活動との関係を見直してみると、硝酸態窒素濃度の上昇の原因は、主にサトウキビ畑に使用される化学肥料が原因であると考えられる。
表3.1.2はサトウキビ農業の歴史を表している。化学肥料の使用時期と栽培作物の変わる時期について検討した。同様のことが宮古島でもいえると考えられる。
1889年頃、多良間島では主に甘藷を育てていたことで、化学肥料の使用量が少なかった。しかし、1960年頃にサトウキビが持ち込まれたことにより、甘藷からサトウキビに変わっていった。一時は、干ばつなどの自然災害により、サトウキビの生産が減ったが、政府によって栽培が開始されたことで化学肥料も使われるようになった。1975年のサトウキビの急激な拡大により、化学肥料の使用量が増えたことで、地下水に大きな影響を与えるようになった。図3.1.1で見られた通り、サトウキビ畑への化学肥料の使用量が大きな影響を与えていると考えられる。
図3.1.2は施肥頻度とサトウキビ畑に化学肥料が吸収される時期や量の関係を表したものである。サトウキビは16~18か月の栽培期間のうち施肥は栽培初期のわずか3か月間の極めて短期間に集中している。10月~12月の施肥頻度は全体の80.5%を占めている。
施肥時期は主に10月~12月に集中しているが、吸収時期は5月頃からである。施肥してからサトウキビ畑に吸収されるまでに時間差がある。吸収される時期に施肥するのに比べ、吸収されるまでに地下水に浸透してしまう量が増えることが考えられる。これは化学肥料を撒いてサトウキビ畑に吸収されるまでに、土壌中に残り続けることはできず、雨などによって地下水に浸透してしまう。化学肥料の施肥時期がサトウキビの収穫時期と重複してしまうことから、早い時期に撒いている。化学肥料の施肥時期が、前々年の夏または前年の春に植付けたサトウキビの収穫時期と重なっている。このため、農家の人たちは収穫を優先させるために、収穫時期の前後のどちらかにしなければならず、その結果収穫時期前を選択したので、施肥時期が10月と12月に集中している。地下水中の硝酸態窒素濃度に与える影響を減らすためにも3月頃の施肥が適当だと考えられる。
経年変化を使った水文化史・水環境史的な解析のまとめ
宮古島の地下水中の硝酸態窒素の経年変化から、サトウキビ畑への窒素肥料が主な原因であることが明らかになった。サトウキビ畑への化学肥料の施肥量の増減が地下水中の硝酸態窒素濃度に大きな影響を与えている。また、化学肥料を撒く時期とサトウキビ畑に吸収される時期のずれが生じていること、地下水の年代測定から地下水の流速が場所により異なることも明らかになった。
以上のことから、化学肥料が土壌中に残り続けることはできず、雨などにより地下水に浸透してしまう。そのため、地下水に浸透してしまう量が増え、硝酸態窒素濃度に影響を与えている。地下水の流速が遅いことから、化学肥料を施肥してから地下水に影響を及ぼすまでに約6年の時差が生じている。地下水の流速が遅いことにより、観測地点にたどり着くまでに時間がかかってしまうからである。
宮古島において、窒素発生源の中心は高度化成肥料に含まれるアンモニア性窒素である。これは畑地条件では速やかに硝化され硝酸イオンとなる。宮古島の地下水は隙間の多い石灰岩の中を流れるため酸化状態にあり、硝酸イオンは亜硝酸イオンなどに変化しないで安定して流動していると考える。
経年変化を使った水文化史・水環境史的な解析から、地下水中の硝酸態窒素濃度を低下させるには施肥時期をずらすこと、施肥方法の改善が必要だと指摘できる。
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