開眼法要を済ませた翌18日には、宿から近かったのでまず、 (鎌倉)長谷寺・はせでら を訪れた。 鎌倉八景のうち「長谷の晩鐘」と謳われた景勝地ということだが、残念ながらお天気は悪く遠望はきかなかった。 が、この時期、回遊式庭園散策路には枝垂れやシャクナゲなど多くの花が美しく咲いていた。
長 谷 寺 (鎌倉市)
◆
車窓から
途中、横浜市内で車から電車に乗り換えて、上野・国立科学博物館 に向う。
都会の電車にはなんと ドアの上に
天気予報や、次の駅のお知らせが次々と映し出される(@@)
と言ってもじっと見ていたのは、
イナカモノの私だけだったかもしれないが(~~)
◆
JR上野駅(公園口) を出てすぐ目の前のここを入っていくともう 上野公園
弟夫婦が昨年、マチュピチュ を旅行したこともあって、国立科学博物館で開催されている、 -マチュピチュ「発見」100年-インカ帝国展 を見ることにしたのです。
「インカ帝国展」 への 入口と シロナガスクジラ のいる出口
平日だったが来場者は多く、 立ち止まった列が動かない。 「最前列の方は移動しながら見てください」 と係の方がずっと声を掛けていたが、大きく書かれた説明文や、説明されてる映像が各所にあり、どうしてもそこでは滞ってしまう。
「インカ帝国展」 (国立科学博物館)
この場面だけが撮影可で、皆さんとりあえず撮っとこうかと・・・ ↑
標高2400メートルの「空中都市」マチュピチュの文化を、 はじめて「音声ガイド」を利用して説明を聞きながら観て行ったのですが、もちろん?ほとんど頭に入っていないですけどねぇ・・・><;
「2つで一つ」で丸く治まる? というような考えが浸透していたらしいということが記憶に残った。 男女の人形像、町も上と下に分ける、ペアの土器、・・・・ 「対・つい」 と言う考え方は、そんなところから今に引き継がれて来てるんだろうと思った。
ただの印刷物にしか見えないシートだが、スティックの先で数字をタッチすると
イヤホーンから説明が聞こえてくる (音声ガイドシートを開いたところ↓)
あんな高いところにあれだけの町を築く文化を持ちながら、文字はなかったらしく、紐の結び目で数字を表したらしいという、 「キープ」 と呼ばれるものの展示もあった。
大小の結び目、細かく何本にも束ねられた 紐 を見ると、インカの人たちの生活がひしひしと感じられドキドキした。
(おみやげで買ったクリアファイルです)
これだけでも来た甲斐があったと思ったのは、最後のところで3D映像が観られたこと!
マチュピチュの町をコンドルの背に乗ってる気分で、ふわふわと高く低く飛びながら上から本当に眺めてるように見ることが出来たのです。 途中でハチドリが右端にいる私たちの頭上に来てぶんぶん呼びかけるので、思わず手を差し伸べて応えたくなった。
あとで、中央辺りにいた弟に尋ねると、弟もハチドリは自分の頭上に来たように感じたらしい。 3Dというのはそういうものなんだろう・・・
「インカ帝国展」公式ホームページの「開催情報」で
今後のスケジュールが分ります。
「インカ帝国展紹介映像 ▶ 」をクリックすると、「記者発表映像」 もあり
ほんの少しですが 3D映像 を垣間見ることが出来ます。
なんにしろ専用の眼鏡をして見る初めての3D経験で、
これは よかった
15分程度だったらしいけど、マチュピチュの町を
空の上から探検することが出来、まずは満足して会場を出た。
科学博物館から出てすぐのところで、遠く木々の間にタクトを振ってるような後姿の銅像を目にした。 あとで案内板で確認すると「野口英世像」とある。
上野公園とどういう関係があるのか・・・? 気になりました。
「ディープな上野公園(銅像編)」 をリンクしてみます。
振ってるように見えたのは、タクトではなく、試験管らしい(^^)。
この上野の山は、元々病院建設予定地であったらしい。
さて 「インカ帝国展」 のあとは、 西郷ドンの銅像 に向った。
小学生の時のたった一度の家族旅行、北海道の親戚ンチに行く途中、上野での乗換えを利用して父が見せてくれたかすかな記憶、それ以来の上野公園であり、ぜひ見てみたいと思ったのです。 ど真ん中にあると思いきやかなり端の方で、私の足ではかなり歩いた気がした。
着物の裾がヒラヒラしていたという記憶と、いや軍服だったか? とあやふやになってきていたが、 やはり着物だったんだ、とは思ったがそのほかのことについては、想像・記憶とも全然繋がってくるものはなかった。 なにしろ、60年も前の話・・・・
西郷隆盛銅像(高村光雲作・犬は後藤貞行作) 一重の山吹 .
・・・着物の裾がヒラヒラ・・・などと何気なく書いたが、調べていて初めて、「正装をさせるわけにはいかなかった事情・・・」 があった! 銅像の姿にも政治的意図が働いていたらしいと知った!! ふううむ ⇒ 東京・上野の西郷銅像 そういえば両親がそんなことを話題にしていたような気もしてくるが・・・・??
清水観音堂 と 秋色(しゅうしき)桜
お秋(俳号:菊后亭秋色)13歳の時に詠んだという
花見客で賑わう井戸端の様子の句。
以来、秋色桜と呼ばれるようになったということです。
それからもう一つ、思いがけないものを目にしました。
「正岡子規記念球場」です。
子規はとても野球を愛好し、日本に野球が紹介されて間もない頃、この上野公園内で草野球を楽しんでいたという。 baseball を「弄球」と訳したほか「打者」「走者」「直球」などと訳し、それらの功績で平成14年に野球殿堂入りをしているらしい。
上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、子規の句碑が建立され、野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が付けられたそうだ。
句碑の句 春風やまりを投げたき草の原 子規
子規記念球場 と 句碑(文字が読めない><;)
写真を大きくしてみると「正岡子規記念球場」の文字が見てとれます
公園内はこんな感じで、普通に通行する道になってる? ようでした
このまま真っ直ぐ戻っていくと、右手に「上野駅・公園口」
結局私は、上野恩賜公園の底辺、国立科学博物館から西郷像までの道を往復しただけで上野を後にした。 公園には、国立・民間の博物館・美術館など10あまりの施設のほか、「上野動物園」 や 「不忍池」 というものもあるらしい・・・*(^o^)*アハハ
あ! 忘れてた・・・ 上野公園で拾った音
ということで4月に田舎者がうろうろしたお話、長すぎ><; でした。
次は何でしょうネェ・・・早くしないと夏も終わってしまいますネェ。
長 谷 寺 (鎌倉市)
経蔵の内部にある回転式の書架「輪蔵(りんぞう)」。 中には一切経(大蔵経)が収められており、一回転させると全て読誦した功徳が得られるらしい。 回すことの出来る日は、毎月18日の観音御縁日と正月三ヶ日だけという。 お! 今日は運良く18日、これも何かの縁、ということでさっそく一回りさせていただきました!! |
← 仏足石 なんとも優しいお顔の ↓ 和み地蔵(良縁地蔵) | |
花びらの散る地に和み地蔵かな ふじ ふうう・・・ たった一句なのに三転四転・・・><;; |
傾斜地を利用した 眺望散策路 の周辺には約2500株のアジサイが群生していて、梅雨の季節には一山が紫陽花で埋め尽くされるという。 いつかそんな時期にゆっくり来てみたいものと思いながら長谷寺をあとにした。
・・・・・ ただいま ◆ 四句八句中 ・・・・・ 折角来た古都鎌倉、是非一句、記念に詠んでおきたいものです。 鎌倉の狭い路地、はらはらと散る花びらを軒に見ながら「バイバイ」と、少し名残惜しく思いながら車で抜け、鎌倉を後にしました。 黒い軒に白い花びらが印象的でした。 これが鎌倉なんだなぁと感無量でした。 「軒と軒」、こう書いておけばこの場面は思いだせると思いながら手帳にメモして置きました。 さて、作った?俳句は・・・・ もういい! これに決めた! 1 『鎌倉の軒のあはひや桜散る』 置いてみるとどうもしっくり来ません。 自分が一番感じた軒と軒の狭さや黒さがでていません。 2 『鎌倉の軒黒々と桜散る』『鎌倉の狭き家並や桜散る』 などと考え、 『鎌倉や軒端黒々桜散る』 にしました。 ここで照れまんさんに「軒の端の方は黒々としている。そこに真っ白い 桜の花が散っている。白と黒の対比。気持ちは よく解ります△」と言うコメントを貰って途端に そうだ! と気が付いたことがあります。 私は自分の目で見てはっと驚き感じたままを句にした と思ってるけれども、実はそれは、今までの万人の思いの二番煎じに過ぎなかったのではないかと言うこと。 私の中で既に鎌倉のイメージが蓄積されていて、それが表に出てきただけなのかもしれない。 それでは新鮮味がないですよね。 そこで気持ちをもっと前に戻して素直なところで^^?詠みかえてみました。 3 『軒に舞ふ花なごり惜し路地抜ける』 と「鎌倉」と言うのをやめ、自分がどんなところに居るのかをハッキリさせてみました。 でも なごり惜し などとは言わない方がいいのかもしれない・・・ だんだんよくなってるのやら悪くなってるのやら、自分ではさっぱりです><;; ここで再びコメント「お寺の境内に咲いている桜かと思っていましたが、町の路地に散っている桜だったのですね。」 を頂き、ナルホドそうだ。 境内の記事のど真ん中に1句だけ置いていたので、そう思われるのは当然だと悟りました。 ではここには境内の句を置くことにして、 4 『花びらの散る地に添ひし和み地蔵』『花びらの散る地に和み地蔵かな』 この句なら右上に写真もあるし・・・ でも背丈の低いこの「和み地蔵」という固有名詞・別名を知らない人が読むと どうでしょうかねぇ。 長谷寺境内のこの句をあそこに置いたとして、 さて、最後にやはり、路地に散る桜、散り場所を心得てる花びらの一句を置きたいものです。 泣きの一句はこれでどうでしょうか・・・ 言わなくても路地っちゃ細いモンじゃ、ということになれば、 「古都の路地」とか「古都めぐり」 とかなんとかと思ったりもしたのですが・・・ 路地ほそく散る花しばし軒を借り ふじ くどくどと長文になってしまいました |
◆
車窓から
途中、横浜市内で車から電車に乗り換えて、上野・国立科学博物館 に向う。
都会の電車にはなんと ドアの上に
天気予報や、次の駅のお知らせが次々と映し出される(@@)
と言ってもじっと見ていたのは、
イナカモノの私だけだったかもしれないが(~~)
◆
JR上野駅(公園口) を出てすぐ目の前のここを入っていくともう 上野公園
弟夫婦が昨年、マチュピチュ を旅行したこともあって、国立科学博物館で開催されている、 -マチュピチュ「発見」100年-インカ帝国展 を見ることにしたのです。
平日だったが来場者は多く、 立ち止まった列が動かない。 「最前列の方は移動しながら見てください」 と係の方がずっと声を掛けていたが、大きく書かれた説明文や、説明されてる映像が各所にあり、どうしてもそこでは滞ってしまう。
「インカ帝国展」 (国立科学博物館)
この場面だけが撮影可で、皆さんとりあえず撮っとこうかと・・・ ↑
標高2400メートルの「空中都市」マチュピチュの文化を、 はじめて「音声ガイド」を利用して説明を聞きながら観て行ったのですが、もちろん?ほとんど頭に入っていないですけどねぇ・・・><;
「2つで一つ」で丸く治まる? というような考えが浸透していたらしいということが記憶に残った。 男女の人形像、町も上と下に分ける、ペアの土器、・・・・ 「対・つい」 と言う考え方は、そんなところから今に引き継がれて来てるんだろうと思った。
イヤホーンから説明が聞こえてくる (音声ガイドシートを開いたところ↓)
あんな高いところにあれだけの町を築く文化を持ちながら、文字はなかったらしく、紐の結び目で数字を表したらしいという、 「キープ」 と呼ばれるものの展示もあった。
大小の結び目、細かく何本にも束ねられた 紐 を見ると、インカの人たちの生活がひしひしと感じられドキドキした。
これだけでも来た甲斐があったと思ったのは、最後のところで3D映像が観られたこと!
マチュピチュの町をコンドルの背に乗ってる気分で、ふわふわと高く低く飛びながら上から本当に眺めてるように見ることが出来たのです。 途中でハチドリが右端にいる私たちの頭上に来てぶんぶん呼びかけるので、思わず手を差し伸べて応えたくなった。
あとで、中央辺りにいた弟に尋ねると、弟もハチドリは自分の頭上に来たように感じたらしい。 3Dというのはそういうものなんだろう・・・
「インカ帝国展」公式ホームページの「開催情報」で
今後のスケジュールが分ります。
「インカ帝国展紹介映像 ▶ 」をクリックすると、「記者発表映像」 もあり
ほんの少しですが 3D映像 を垣間見ることが出来ます。
なんにしろ専用の眼鏡をして見る初めての3D経験で、
これは よかった
15分程度だったらしいけど、マチュピチュの町を
空の上から探検することが出来、まずは満足して会場を出た。
科学博物館から出てすぐのところで、遠く木々の間にタクトを振ってるような後姿の銅像を目にした。 あとで案内板で確認すると「野口英世像」とある。
上野公園とどういう関係があるのか・・・? 気になりました。
「ディープな上野公園(銅像編)」 をリンクしてみます。
振ってるように見えたのは、タクトではなく、試験管らしい(^^)。
この上野の山は、元々病院建設予定地であったらしい。
さて 「インカ帝国展」 のあとは、 西郷ドンの銅像 に向った。
小学生の時のたった一度の家族旅行、北海道の親戚ンチに行く途中、上野での乗換えを利用して父が見せてくれたかすかな記憶、それ以来の上野公園であり、ぜひ見てみたいと思ったのです。 ど真ん中にあると思いきやかなり端の方で、私の足ではかなり歩いた気がした。
着物の裾がヒラヒラしていたという記憶と、いや軍服だったか? とあやふやになってきていたが、 やはり着物だったんだ、とは思ったがそのほかのことについては、想像・記憶とも全然繋がってくるものはなかった。 なにしろ、60年も前の話・・・・
西郷隆盛銅像(高村光雲作・犬は後藤貞行作) 一重の山吹 .
・・・着物の裾がヒラヒラ・・・などと何気なく書いたが、調べていて初めて、「正装をさせるわけにはいかなかった事情・・・」 があった! 銅像の姿にも政治的意図が働いていたらしいと知った!! ふううむ ⇒ 東京・上野の西郷銅像 そういえば両親がそんなことを話題にしていたような気もしてくるが・・・・??
清水観音堂 と 秋色(しゅうしき)桜
井戸ばたの 桜あぶなし酒の酔 秋色 |
花見客で賑わう井戸端の様子の句。
以来、秋色桜と呼ばれるようになったということです。
それからもう一つ、思いがけないものを目にしました。
「正岡子規記念球場」です。
子規はとても野球を愛好し、日本に野球が紹介されて間もない頃、この上野公園内で草野球を楽しんでいたという。 baseball を「弄球」と訳したほか「打者」「走者」「直球」などと訳し、それらの功績で平成14年に野球殿堂入りをしているらしい。
上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、子規の句碑が建立され、野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が付けられたそうだ。
句碑の句 春風やまりを投げたき草の原 子規
子規記念球場 と 句碑(文字が読めない><;)
写真を大きくしてみると「正岡子規記念球場」の文字が見てとれます
公園内はこんな感じで、普通に通行する道になってる? ようでした
このまま真っ直ぐ戻っていくと、右手に「上野駅・公園口」
結局私は、上野恩賜公園の底辺、国立科学博物館から西郷像までの道を往復しただけで上野を後にした。 公園には、国立・民間の博物館・美術館など10あまりの施設のほか、「上野動物園」 や 「不忍池」 というものもあるらしい・・・*(^o^)*アハハ
あ! 忘れてた・・・ 上野公園で拾った音
ということで4月に田舎者がうろうろしたお話、長すぎ><; でした。
次は何でしょうネェ・・・早くしないと夏も終わってしまいますネェ。
すごい記事ですねー、これだけ書こうと思ったら大変でしょう。時間がかかるはずです。
長谷寺は有名ですね。聞いたことはあっても、行ったことがないので しっかり見させて頂きます。
それから、インカ展。インカには一度は行ってみたいと思いますが、とても行くことは出来ませんし、インカ展にも行くことは出来ないので、しっかり見せて頂きます。
それにしても、これだけの距離を歩いて、fujimさんの足は 大丈夫でしたか。それが、ちょっと心配でしたけど・・・・。
また、ゆっくり来ます。
長いだけでどうも生き目がいかない^^ゞ まあ、ざ~っと見て歩いただけですからしかたないですね。
「長谷寺」とはよく聞きますが、どこの長谷寺のことだったんでしょうねぇ? 奈良大和路の 長谷寺の方が有名なんでしょうか? 私が行ったのは鎌倉の方です。
どちらも開基は同じで、楠の大木から2体の十一面観音が造られ、大和 と 鎌倉 それぞれのご本尊になってるんだそうです。
広いのであまり歩いていないので、どのくらい伝えられてるか><; もう一度ゆっくり廻ってみたいお寺ではありました。
インカ展の方は写真もありませんので難しいですね。
足のほうは、ツアーではないのでマイペースで歩けて 大丈夫でした。 心配してくださってありがとうございます(^^)。
カメラだけを向けて、なるべく小回りに距離を端折っています。 上野ではインカ展だけの積りだったのに、思いのほか見るものがあってびっくりでした。 さすが上野のお山ですね。
長谷参りって言ったら、この長谷寺のことだと思ってた。どっちの長谷寺を差してるのかねぇ。
上野公園は広くて何度行っても飽きない。その度に見るものがあるからね。美術館 博物館 科学館 学術の都であると同時に庶民の街でもあるのよね。お澄まししてない飾らない一面もあったでしょう。おのぼりさんが安心して歩けるのがこの公園だと思うわ。私も良く行きました。江戸の粋は下町にあるのかなと思うよ。
インカ展 人の頭だけを小さくしたミイラはなかった?あれを見た時にはショックでめまいがした。今でも本当に人の頭なのか判らない。うそだと思うんだけど、本物なのかなぁ? 単なる作りもののお土産だったのかなぁ?
3D映像 見た事ないけどそう、飛びだして来るのね。
上野動物園は面白いけど、不忍池はたいしたことないよ。
長谷寺ってここだったんだぁ! と思ったんだけど、頭の中ではコスモスさんアタリで出てきたような記憶もあったのよね。 こうなったら奈良大和の長谷寺にも行ってみるべきか、・・・いずれにしても立派なお寺だったよ。
fufufu今、突然思い浮かんだけど、こんなお寺にお互い出向いて一度ぐらい一緒にぶらぶらしてみたいもんだね^^あははうーん、トンだヒラメキだ^^。
上野公園はホント、庶民的というか、観光地としてよく名前が挙がるような ○○公園というようなのとはちょっとちがうね。 普通のそのアタリのすごく広い公園と言う感じだった。
Puさんなんか何度も来てるだろうなと思ったよ。
インカ展、人の頭だけではなく、人骨やグルグル巻きにした ミイラ なんかあったよ。 魂はホントに抜けてるの?と思いながらチラッと見た。 抜けてないんだったらこんな持ち出したりしちゃいけんでしょーー^^;
服の名前に「チュニック」とあった、古い言葉なんだねぇ。
3D映像は、実写だったからよかったよね。 全部がバーチャルだったらアニメ映画みたいでそうでもなかったかもしれないけどね。
「実写映像とVR(バーチャル・リアリティ=仮想現実)の組み合わせ」 で日本初の試みだったらしい。
「不忍池」 ッて名前がいいよね。 私のようなイナカモノでも名前を聞いたことがある^^。
インカ展、面白そうですね!
天空都市マチュピチュのことを知ったのはいつのことだったったか・・
初めて見たときは只々驚愕!でした。
テレビでマチュピチュの放送があると齧りついて見ていたものです。
遺跡は紀元前の頃かと思ってしまいますが、今から600年前というと日本では室町時代あたりですよね。。
しかし弟さんはマチュピチュを旅行されたとは凄いですね!@
マチュピチュの上空をコンドルになって見る3D!大体想像できますよ~、私も見たいです^^。
上野の西郷どん、やはり鹿児島の軍服よりはこちらがピンときますね~^^。
上野で拾ったボレロはどうやって録音?したんですか~^@^
弟たち夫婦は毎年こんなちょっと変ったところ?に旅行してるようですが、それには理由があります。
バカだから(本人の言)、 退職後のことなんて何も考えてなかった。 いざ直面して計算してみると、年金だけではやっていけないことが分った。 もっと早く気が付いてれば手立ては出来たと思うけどもう遅い。 となればやぶれかぶれ、あるお金を使っていくしかない。 ということで行けるところまで年に一度の海外旅行、行けなくなったらそれまで、、、ということらしい^^。
オールディーズ音楽仲間とバンドを組んでテケテケやって、娘を引っ張り込んで歌を歌わせてみたり、週何日かの勤務の合間にキャンプやヤキニク、、、ほぼ小太郎さんと同じような気が・・・^^あはは。
「インカ帝国展」の紹介映像 を見つけて、記事に書き足しました。 今後のスケジュールや 記者発表映像に 3Dもチラリとあります。
http://www.tbs.co.jp/inkaten/outline.html
⇒カメラを 動画 に切り替え、シャッターボタンに人差し指を置き、押し込む・・・・・ って^^
そういうことが知りたいわけではないですね。
コンデジで撮った動画(後半に使ってる部分)の音楽部分をコピーして繰り返し使っています。
ムービーメーカーの 「タイムライン画面」 で、 動画の 「オーディオ」 だけをクリックして、 その下の 「オーディオ/音楽」 のラインにドラッグすると、 ペコンと映像が消えて音楽だけになります。 ・・・ ってこれはご存知でしたっけ^^ゞ
その音楽だけを重ねて繋いで秒数を稼いでいます。 ようするに、最後の動画の部分を繰り返し使っています。
なるべく繰り返しが分らないようにと声のあるところをカットしてますので、折角のリズムがぐじゅぐじゅぐじゅ となっていて、小太郎さんや照れまんさんのような音楽人^^? には、 耳障りなところがあると思いますが勘弁してくだされ(^^*);
東の長谷寺へ・・・大仏さんとセットで行く場所なのですが今回は大仏へは行かれなかったのでしょうか?
ある時期、期寂れたと言われた鎌倉も何時の頃からか団塊の世代が大勢訪れるようになって何処へ行っても混んでるので行く機会は少なくなってます。車で行ったら何処も観れないで帰ってくる事にも成りかねないので鉄道を利用するほうが良いですね。
長谷寺はアジサイ寺として有名なのですが、その季節には一度も行ったことはないです。他にも10程の紫陽花寺が有るので6月は鎌倉がより賑わう季節ではないでしょうか。
寺院が119、神社が41もある街ですから平日にでもユックリ訪ねて見ようかなと思ってますが中々行く機会がないです。
車窓からの風景見慣れた場所だと思うのですが、横々道路では?
京浜東北線で上野へ行かれた様ですが停車駅が多いので大変だったでしょう?だからって訳ではありませんが乗降口の上にテレビが有るんですよ!?テレビのある車両が走り始めたのは5~6年前だったかと?バイトで新子安まで行くのに使ってたので良く見てたのですが、CMばかりで飽きちゃいますね。ちなみに私がよく利用する横浜線、相模線にテレビは設置されてません。
上野は文化の街?博物館等が多くて数々のイベントが開かれてるのは聞きますが、行く事は殆ど無いですよ。何時だったか覚えてませんが不忍池に行ったのが最後です。
マチュピチュと言うとナスカの地上絵と同じ時代ではと思ってしまうのですが、地上絵は紀元前600年頃、マチュピチュは西暦1500年頃ですから2000年程も後の遺跡に成るんですね。勉強不足で南米の歴史は全てがゴチャ混ぜに成ってます^_^;
それにしてもマチュピチュまで行かれるとは弟さん凄いですね。日本の裏側一度は言ってみたいけど・・不可能だと諦めてます。
大仏様は以前に、といっても何十年も前ですが^^、行ったことがありますので今回は行きませんでした。
観光客は多いのでしょうね。 昔のままのようなたたずまいがいいのでしょうけど、確かに道が狭いようなので、紫陽花寺と名の付くお寺が10もあるのではなお更、シーズンには混雑するでしょうね。
車窓からの景色は一体どこを通ったのかさっぱり分りませんが^^、鎌倉から二俣川駅に行く途中だと思います。
写真で確認すると、港南台へ2km 日野へ4km 東京へ51km のアタリです^^あははは 桜らしい色で彩られたきれいな春の山のトンネルだったのでパチリでした^^。
saganhamaさんのところからは、わざわざ上野に行かなくても、近くに美術館や博物館は沢山あるでしょうから、それであまり行く必要がないんでしょうね。
マチュピチュが見付かったのが16世紀ということなのは、ちょっと意外に感じますね。 美しい織物や美術工芸品を見ると、文字・数字がなかったというのも意外な気がします。
紫陽花の季節に TV で芸能人が鎌倉の紫陽花寺を散策 と言うのをいくつか見ていたのです。
でも、何というお寺だったか、覚えてないのです。たぶん、長谷寺だったように思うのですが?
鎌倉には 紫陽花寺がそんなにあるのですか?これまた耳からうろこです。
俳句 変えましたね。推敲することはいいことです。なかなか自分の思いとはぴったりはまらないでしょう?短いから、これでもかと直すのに うまくいかないんですよね。前のは あわい でしたかね?
○○と○○のあはい。軒の片方しか言わなかったので、やや不満が残ったのでしょうか?
今度は 軒端 のきば。軒の端の方は黒々としている。そこに真っ白い 桜の花が散っている。白と黒の対比。気持ちは よく解ります△
秋色さんのことは ほとんど知らなかったので、あれこれ見ていくうちに どんどん面白くなって 講談のようなものまで 読んでいました。
ありがとう。
それから、上野公園も何度か行ったのに ほとんど記憶に残っていなくて、楽しく見て読ませて頂きました。
正岡子規も「坂の上の雲」を思い出しました。