余暇Hike気分

「起きチョッた~?」退職後の生活を楽しんでる私は娘からの電話に応えます。「起きチョるよ~!」

福岡・紅葉トライアングル

2017-10-10 | ドライブ・たび
前回の3、4年前の話に引き続き、今回は 残しておきたい去年(2016年)の秋の話 (^^です。
行ってみたいと思っていた「秋月」の含まれたバスツアー『福岡 秋の紅葉トライアングル』に乗り込んだのは、去年の11月23日(祝)のことでした。
その2日前から腕に湿疹ができていて、町の病院で処方された薬を飲みながらでしたが、そのときはまだ帯状疱疹だとは分かっておらず、帰った翌日に診察を受けた大学病院に、そのまま入院、点滴治療の8日間という・・・・(^^; それからの戦い?は退院後のペインクリニック通い3か月・・・と、紅葉の秋月のことなどすっかり飛んで行ってしまっていました。


麻生大浦荘(あそうおおうらそう)

秋色に色づく福岡の名所の最初は 「筑豊御三家」のひとつに数えられた麻生一族の住宅のひとつという、麻生大浦荘  でした。
 
11時、バスからは少々歩いて立派な門から入ってすぐが 広々とした庭、
紅葉に包まれながら 


ぞろぞろと浸りました。
公開初日とあって来場者も多く、大正末期に建てられたという和風入母屋書院造りが美しい邸宅へは  上がらずに、庭から眺めるだけでいいことにしてしまいました。


秋月城址

13時少し前に次の目的地、秋月藩主黒田家の居城であった 秋月城址 に着きました! さっきから 時雨気味 です。
でも大丈夫・・・・「秋雨じゃ濡れてゆこう・・・」 歩いて行けます      秋月城下町のパンフレット
城址への道 杉の馬場 の入り口付近に
ナンの石碑? 「種痘の父」だそうです。 「我が国で初めて人痘種痘に成功」したのが、この秋月藩医緒方春朔だということ、初耳です!!

  種痘といえば、あの、腕に予防接種をしていた・・・と久しぶりに上腕を確かめてみました。 半分もう忘れていましたがまだ跡は残っています。
なんだろうとよく見ると消火栓  です。
さすが観光地秋月ですねぇと感心しました!

野鳥川にかかる野鳥橋の あっち側と こっち側・・・ の水の音


野鳥橋を渡った杉の馬場沿いには
秋月美術館  や郷土館がありましたが、今回は素通りです。 

左にお城の石垣と水堀を見ながら 杉の馬場を進みます 
 

瓦坂(かわらざか) 瓦を縦に並べて土の流れを防ぐ


秋月城の跡には今は 秋月中学校の敷地となってるそうです


石段上は 長屋門 長屋門右脇は櫓台石垣

この門は、裏手門として使用されていたそうです

霧雨にしっとり いい色 いい風情、これから!のちょうどいい紅葉です


秋月城本門(黒門)

上に上がってみました

参道の左手に、高浜虚子が秋月での父を偲んで詠んだという句碑
濃紅葉に涙せき来る如何にせん  虚子」
があったらしいのですが、気が付きませんでした。


時間があればもっとゆっくり浸っていたかったのですが・・・
やさしい上品な紅葉色を脳裏に焼き付け
石垣の残る堀と瓦坂を右手に見ながら秋月城跡をあとにしました



英彦山(ひこさん)

次の目的地  英彦山

英彦山には、昔ながらの石段の参道に沿うように、
スロープカーが走っています。
「花駅」から乗り込み「スロープカーで紅葉を観ながら空中散歩」8分

雨上がりにけむる山々!
思いがけなくやわらかな景観に癒されながら「神駅」まで


終点「神駅」を出ると待ち受けている「英彦山神宮奉幣殿




英彦山は日本三大修験場と言われる霊山で訪れる人も多く
石の参道を上がってくれば、坊舎跡や雪舟が築いたとされる庭園、

高浜年尾の句碑 「石垣はみな坊跡や蔦紅葉」 や
杉田久女の句碑 「谺して山ほととぎすほしいまゝ」 など
参道沿いに建てられているらしいのですが・・・・
お手軽ルートではやはりそれなりの味わいにとどまるということで・・

桃源郷のような 下界・・・?


眼下に広がる桃源郷に向かってするすると降り・・・

もやもやうやむや(^^?に もぐりこんで帰りました

一度も訪れたことのなかった福岡紅葉の3か所を
駆け足ながらはじめて巡ることができとっておきのバスツアー
となりました。 今年もそろそろですねぇ・・・



今年もあと3か月を切ってしまいました。 
来週初めのスケッチ旅行(祝島)、来月半ばのビデオ旅行(石見銀山)
その後は例年どおりK&Fダンス発表会のビデオ制作 と、
これでもういっぱいいっぱい、何する間もなく今年も終わりそう・・・
<;;



行楽の10・11月

2017-09-30 | ドライブ・たび
  10月11月は行事が目白押し・・・ なので日記のつもりのブログにも揚げてなくて、あれ?あれはいつだったか、どこだったか、日記としての役に立っていません(><;;  ここにメモ代わりに少しまとめて書いておくことにしました。



   2013/10/02 子供yoshiと二人で周防大島に。
大島大橋を渡り、「日本ハワイ移民資料館」に寄り 「竜崎温泉ちどり」に一泊 亀島神社  まで散歩。
周防大島文化交流センターで宮本常一さんの関連資料展示室  や星野哲郎記念館、浄念寺  により、帰りにちらりと「グリーンステイながうら」  に・・・と一泊二日で周防大島をぐるりと。
  周防大島出身の星野哲郎さん 「星野哲郎記念館」には次回チャンスがあればぜひもう一度ゆっくり行ってみたいと思ったのですが、そのままになっています。 星野哲郎さんの歌詞の世界に入り込めてとても楽しめます。 


   2013/11/06 私道 宇部興産専用道路を走る!!
 “事業活動の成果を還元する形で社会貢献を実践してきた企業等の様々な活動を届ける” という 大人の社会派ツアー というのがあるのですが、その中の一つ 「セメントの道」に参加し、
伊佐工場 

の見学をしたり、美祢の石灰石鉱山 などを見学し、
 

一般道は走らない巨大な^^?トレーラーの運転席に座らせてもらったり


なんといっても、日本一長い私道 宇部興産専用道路 (全長31.94km)を 
  走って美祢から宇部興産本社まで戻るのです。 途中自社のダンプカー意外の車に出会うことはありません! これも yoshiと二人で参加。
取り組みは毎年ありますが、県外の人の参加もあり好評のようです。


   2013/11/07・08 ビデオ研修^^?旅行
原尻、岡城址
から見下ろし  豊後竹田あたりの橋、轟橋(とどろばし)  や出会い橋(奥に見えてる橋)、九重・小国、由布 と一泊二日をfujipaのビデオお仲間と三人で。


   2015/09/27 広島奥田元宋・小由女の美術館でゴーギャンも観ての帰りは、世羅高原農場ダリア園  に寄る。


   2015/11/18・19 九州日田・耶馬溪で 鍋ヶ滝、東椎屋の滝、深耶馬渓  は、ビデオ教室の撮影旅行でした。

などなど、ブログアップしないまま、大量の写真と一緒に記憶も眠ってしまってるので項目だけでも・・・ ということで、文字通り行った先の羅列だけになりました。



ばら園と岩国城

2017-06-16 | ドライブ・たび
5月30日 fujipaのお仲間に誘われて行ってきました! 
  山口県の東端、広島県との県境近くにある蜂ヶ峯総合公園(山口県玖珂郡和木町)に着いたのは 8時半過ぎ、やはり3時間はかかってますね。
ここは総合公園ということで、アスレチック施設や「大型ローラー滑り台」や「ミニSL」など、思いっきり遊べるようですが・・・・、 大人の私たちはまっすぐ 180種4,000株が咲き誇る山口県最大級!? という 「バラ園」へ・・・



10日ばかり遅かった(ーー感がありましたが、いいところをざっと写真で 


薔薇のアーチの奥に見えるのは 休憩所

少し高い隣りのスペースに 観覧車も見えます


赤いバラ

  ↓ 赤いバラの下で思案中の雀


↓ 「ポールノエル」ほか ピンクのバラ


今回一番の お気に入りの一枚 は ↓ これで(~~♪す




ところどころ立ち上げて 高く飾られていました



↓ 「モーニングジュエリ」 これも感じよかったですね






  人っ子一人いないように見えますが、ウォーキングの人が入れ代わり立ち代わり・・・ でしたが、気がつくと急に人が増えた! と思ったら、駐車場に大型バスが2,3台、それを機にそろそろお暇・・・と、バラ園を後にすることに。
結局3人で撮った記念写真  が一番雰囲気が出てるような・・・(--;;と思っておいてみました。
ということはやはり、こういうところは人とのふれあいの垣間見えるものが欲しいですね、、 一声かける勇気もねぇ・・・^

実は私は自分のカメラのセルフタイマーを使ったことがなかった ><;
念のために持って行っていた Quick Guide は車のなか!ーー!
お蔭で帰りの車の中で実習して「このダイヤルかぁ~!」と覚えました・・・・が、さてさてチャンと頭にインプットされたでしょうか・・・・・・

ちょっと色にいたずらして


バラ園を後にする前に公園売店“はっちの家”で fu^^ソフトクリームを食べ
さて時間はまだまだたっぷりある  ということで
錦帯橋、岩国城の方を回わることに・・・錦帯橋は何年ぶりでしょうか
・・・ちょうど10年前の春、fujipaと行ってますねぇ・・・・それ以来です

10:40 には 錦川に沿って錦帯橋に向かっていました


上河原駐車場に車を置き、錦川沿いにぶらぶら

橋の下に休めてある船や 川に繋いである船

錦帯橋を渡る人は 今日はまばら、私たちもながめるだけで・・・

橋の下をはじめてじっくり見ました 


岩国城の前に 「食事処 むさし」 と 「佐々木屋小次郎商店

むさし と 小次郎、ここでもライバル争いを繰り広げているとか(^^?
錦帯橋創健をたたえて建てられた 吉川広嘉公像 
を、佐々木屋小次郎商店二階の窓から見下ろしながら、 私たちはお昼を。

久しぶりの 肉そば(¥620) おいしかった! です。
岩国寿司(¥600)は詰めてもらってお土産にしました。

吉香公園(きっこうこうえん)」は旧岩国藩主吉川家の居館跡だそうです。
 香川家長屋や噴水
などをちらちら見ながら 

およそ10分で ロープウェイ乗り場へ。
ロープウェイで3分間、上りながら 1枚。

で、降りたらすぐ「岩国城」と思っていたら、それが違ったのです(><;

後で調べると、『・・・、ロープウエーで3分。ロープウエー下車後、徒歩10分』 と書いてありました。 降りてから 徒歩10分! ちゃんと整備された道でしたが、これがきつかった!!(あくまでも私にとっては・・・ですけど(--)
口コミでも
・ 城までは徒歩で移動、私には距離が長く感じて少し疲れました。男40代
・ ロープウェイおりて8分て書いてましたが結構歩いた感じがありました。50代
とあります。
 ま、最初からそうと分かってればまた感じは違うかもしれませんね。

岩国城天守内には、錦帯橋の精密模型、写真、刀剣や武具甲冑類のほか、


全国にあるお城の写真、珍しい橋の写真が展示してあり、
見ているとお城好きになったような気分です(^^

この中で実際に行って観たことがあるのは、・・・え~っと~?

天守閣は展望台になっていて、錦帯橋はじめ岩国市街の眺望を楽しめます


当時の石積み技術のままに修復された、旧天守閣跡の石垣


ロープウェイで降り、駐車場までは 菖蒲園 を観ながら・・・

そういえばこの細長い菖蒲園はたしか、kotaroさんの記事で見たことがある!


最後は岩国出身と言われている? 菖蒲園をバックの
「佐々木小次郎」さんに見送ってもらって(^^ 帰途につきました。

帰りの途中に、国道2号の道の駅「ソレーネ周南」に寄り
ここでまた 搾りたてこだわりの という Soft Cream をよばれ(^^*
特産品、農産品の中から、食べ度のしそうなお餅とはちみつ、
野菜三種と「夏みかんわらび餅」を買ってこの日の出費を締めました




久しぶりの横浜

2017-04-04 | ドライブ・たび
  3月初め、母の23回忌の法要があり、久しぶりに横浜に行ってきました。
  新山口まで行くのに今回初めて、宇部空港まで車で行き、空港から直通の特急バスで行ってみた。 空港の駐車料金は無料だし、宇部市営バスは70歳以上「高齢者優待乗車証」がありどこまで行っても100円(^^。 おかげで新山口まで、車の運転てどきどきしなくて済んだ・・・

10:30 新山口発 のぞみ160号での一人旅

14:44 新横浜に着くまでぼんやり車窓を うれしいことにいいお天気!
気持のいい青空に、不思議にとけこんでいる無数の電線
もはや同化してしまってるようだ・・・なんてぼんやり思いながら・・・

隣りの席に乗り込んでくる人もなく、窮屈な思いをしないですんだ



  まず「横浜市歴史博物館」と「大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡公園」 へ
  15時前に新横浜につき、そのまま弟の車のナビ頼りで行った 横浜市歴史博物館 には、原始Ⅰから始まり原始Ⅱ、古代と続き近現代までの6つの部屋に歴史が展示されていました。
  本物の石器などはほかでも見たことはありますが、そのそばに 「石の斧でこんな風に皮をはいでいました」 という映像もあり、氷河時代の環境の中で石器を用いていた人々の素朴な生活の様子が想像でき、興味深く親しみが持てました。 もっとゆっくり見てみたい歴史館だったのですが、17時閉館まで駆け足状態だったのが残念 (><;

  歴史博物館に隣接して 大塚・歳勝土遺跡公園 があり、 博物館を通り抜けて行くことになります。
大塚遺跡  (約2000年前の弥生時代のムラの跡)
 
初心に引き戻してもらえるようで、私はこういう公園が嫌いではない。 行ってみたいところの一つに揚げていたら、さっそく連れて行ってもらえました。
九州佐賀県の 「吉野ヶ里遺跡」 にも3回行ったかナ(^^? 浸ってるだけで、ほとんど覚えてはいないんですけど・・・ネ
竪穴式住居、これで生活していた のに・・・・ 子供のころにはなかった、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、車・・・いつの間にかあるのが当然のようになってしまった。 どれか外せるか・・ 便利に使うことは悪いことではない・・・
でも、莫大な負担を伴う原子力発電はどうなんだろう・・・少しは我慢を出しあう歴史も交えていって 「自然」 に折り合いをつけた方がいいのではないだろうか・・・などとうろうろ思考の時間となります(^^。

  来てみると、同じ遺跡なのに吉野ヶ里とは大違いなことが一つ! ビル建ち並ぶ街中にあるのです!!(横浜なんだから当然ですか??) これだけの広さ、押し寄せる街並みによく飲み込まれずに残せたものと思いました。

竪穴住居跡(発掘調査時の姿)
竪穴住居の中で  
  子供たちが遊びまわっていました。  歳勝土(さいかちど)遺跡公園では  方形周溝墓の埋葬当時を復元した姿  
奥まで行くと、移築された江戸時代の民家都筑民家園(つづきみんかえん)
 があり、上から覗いてみただけですが、軒に吊るし雛が飾ってあるのが見えました。

帰り道にある、 展望台から東京スカイツリーや富士山が眺望できる
という 県立 四季の森公園 に寄りましたが、

ここも17時までで、閉まっていて車が入れませんでした・・・次の機会に(^^?



  次の日は母の23回忌の法要、5年前に宗像大島から弟の居る横浜にお墓を移して以来、ハマっ子の甥っ子姪っ子も勢ぞろいする。 13:30 にはお斎も済ませて、ディズニーランドに行くという京都の姪っ子たちと別れ、大阪から来ていた妹親子も一緒に、弟の後ろを 
電車でぶらぶら移動。
途中、SOTETSU横浜駅  で乗換え

上を走ってる高架はたぶん首都高速、その下の川や大きな道路の上を歩いて横切ったり・・・ してると 横浜人形の家 というのがあり 入ってみた。
 (全館 撮影可)
こんな感じで世界中の 
人形が 集められていて、わが山口県の人形としては大内人形が飾られて 
いました。
「なんと木彫りです」とある 平田郷陽の 創作人形「粧ひ」(よそおい)

さすが人間国宝、とても木彫りには見えないきめ細やかさ!!

青い目の人形  に見送られて 山下公園へ 

この山下公園からは、一度経験したかった シーバス(水上バス) に乗り、

ベイブリッジをふわふわ海から眺めながら、横浜港内を 10分
 赤レンガ倉庫で下船し少しぶらぶら。 
 赤レンガ広場はテントが張られナニかのイヴェント・・・(パンのフェス?) でにぎわっていました。
お土産を買うという妹に付き合って倉庫の中を少し見て歩き、再びシーバスで終点 横浜東口 まで。 
灯がともりはじめたベイクォーター!

なんだかわくわくする曲線・・・を横目に 再び SOTETSU横浜駅から家路へ

妹たちは大阪へ戻り、私はもう一泊・・・




2泊3日の3日目、帰りの新幹線の時間までの  半日を弟の車で待望の(^^? マリンタワー、大桟橋 をまわり、最後にそごう美術館で 「絵画の潮流展」を観るというおまけつきで!!

マリンタワーから
眼下には山下公園、右手を走ってるのが 首都高速狩場線 か?


右手、山下埠頭の向こうにはベイブリッジが見えるはずですが・・・
春霞・昼霞でかすかでした、残念   このはるか向こうに
東京スカイツリーも見える! らしい・・・ お天気がよければですが

左手には 日本郵船氷川丸、次の小さ~いのが昨日乗ったシーバス
その隣の白っぽい船が おしゃれな極上クルージングのできる
という マリーン ルージュ と並んでいます。

氷川丸を右手に、北西、赤レンガ倉庫、コスモワールド方面を臨む


アップしてみると、赤レンガ倉庫 の手前に今から行く 大桟橋

360度眺めることができるのですが、霞んでるし、
自分の見覚えのある 海側しか写真撮っていませんねぇ ><;
展望室の床の一部に下が  こんなふうに見えるようになっているところがあり、マリンタワーの足元が見えます こわこわ~~




横浜港大さん橋国際客船ターミナル 通称「大桟橋(おおさんばし)」


  大桟橋(長さ430m)は、世界各国のクルーズ船が寄港する世界でも有数の客船ターミナルだそうですが、それはまるで海にせり出した公園のようです。
この日はしっとり霞んでいてムード満点に(^^? 春の雨までぴらぴら・・・ということで人影はほとんどありませんでしたが、そんな 「・・・大桟橋に春の雨・・・」 な気分を堪能することができました(^^!

 春旅を大桟橋で締めくくる 


大桟橋の流線型が くじら を想像させることから、
くじらのせなか」と名付けられたとか・・・ということは中は「くじらのおなか
私には、黒々としたとてつもなく巨大な 船にも思えました。

胎内? から はるか差込む光をめざして!!

1階の駐車場から 上に出る スロープ すべて木製の床張り

大きな折り紙で丁寧におられた ジャバラ のような階段、
その向こうから 傘をさした人影は 急ぐでもなく・・・


この大桟橋から 横浜三塔 と言われている
キング(神奈川県庁)、クイーン(横浜税関)、ジャック(開港記念会館) の
三つの塔が見えるらしいというので探しました。

あれ↓と あれ↓と あれ↓ らしいけど、霞んでるので止めときましょう(^^


屋上デッキには天然芝の緑地スペースが設けられているそうですが、雨の中、屋根のないところには行きませんでした(><; 次回はぜひ・・・

2階は 出入国ロビー  と CIQプラザ(空港のように、外国客船の入出港時に税関・出入国管理・検疫を行う施設) です。  出入国ロビーには椅子がずらり、ガラス張りのエレベーター 


待合スペースの奥が ショップコーナーとなっていましたが、人影が少ないので行くのは遠慮しときました (^^;  

大桟橋からの 赤レンガ倉庫もランドマークタワーも 霞んでますねぇ・・


この大桟橋や大塚・歳勝土遺跡公園で、吟行をしたというブログ記事をどこかで読みましたが、大桟橋も遺跡公園も撮影会や吟行会、俳句なんていくつでも詠めそうな?^^? いい雰囲気でした。



最後は弟がチケットを用意してくれていた 「絵画の潮流展


  「明治から昭和の日本画と洋画」 ということで、以前にも観たことのある 横山大観、東山魁夷、平山郁夫などの作品をはじめ、小磯良平、向井潤吉など60点、 駆け足でしたが幅広い作品を楽しむことが出来ました。 

印象に残った作品の一つをパンフレットの中から選ぶと、パノラマ写真のような 高橋由一「江ノ島図」 だったでしょうか。
思いがけなかった絵画展に得した気分・・・のまま、帰りの新幹線に乗り込み、横浜の旅を終えました・・・最後に焼売弁当を買って(^^♪

赤レンガ倉庫、山下公園は初めてではありませんでしたが、
ほかは初めての横浜・・・ また何度でも行ってみたい魅力の 横浜です。
次には、スケッチをし、句をひねるぐらいのペースで・・・・行きたい

ちょこっと横浜! (2:57)




国東半島を・・・(2)

2017-02-19 | ドライブ・たび
  国東半島を巡るビデオ撮影旅行の二日目
ホテルヴィラくにさき」の窓から見えているのは 日本海?
ではなくて 瀬戸内海・周防灘  とは言えはるかな対岸!

肉眼では小さく見える船影の奥に 一つ二つ島影が見えていたのですが
山口県の八島、祝島あたりでしょうか・・・??

まず豪華な 朝食  をすませ、
途中すぐ近くの大分空港  に寄り買い物・・・ お土産を買って、10時過ぎに「真木大堂」に着きました。


3 真木大堂 (大分県豊後高田市) 11/10 10:10



かんじんの写真はありませんが、右手の建物が 旧本堂

ここでも、杖の置かれた石段は横目で見上げただけ 

国東半島に散在していた六郷満山文化の遺産
国東塔、宝筐印塔(ほうきょういんとう)、庚申塔(こうしんとう)、五輪塔、
板碑、石仏
等多くの石造文化財が遷仏されてるという
古代公園


これは  ナンでしたっけ(^^?
こちらは庭にお似合いツワブキの花 
帰り際に、誰かさんの撞いた鐘で 余韻を楽しませてもらった 



4 富貴寺 (大分県豊後高田市) 11/10 11:00



こちらもまたまた立派なお寺 山門 
 山門から石段を上がると
富貴寺大堂 ・ 境 内


境内に陣取ったビデオカメラ陣ですが・・・さて(^^

いい 「映像」 になったでしょうか 





駐車場まで戻って見上げると 帰り花 が!


富貴寺を出てお昼は、  このあたりの名物の「だご汁」を!・・・と思いきやここ 地元食材の田舎料理・榧の木 では、自家製手延べの くにさきだんご汁 となっていました。
この平べったいだんごとは少し違いますが、子供のころメリケン粉を団子にした「だんご汁」が大好きで、よく食べていたのを思い出します 

お昼をいただいた店の傍でも案山子さんたち

板に乗ってる「ぶんご合鴨」さんたちも・・・・うんそれらしく見える
そういえば最近の案山子はこんな風に手の込んだものが多いですね
昔のように「の」の字の横目、麦藁帽で突っ立ってる案山子
あまり見なくなったような・・・・・。 役割が変わってきた??


5 熊野磨崖仏 (大分県豊後高田市) 11/10 13:00

撮影旅行最後の目的地となりました

この磨崖仏だけでも石段を登っていってみようか・・・ナ?

  2,3年前の四国美術館めぐりのツアーで歩き過ぎて、帰ってから股関節が痛み大変な目にあって以来、足で無理をするのは自重しています。
今回も大事をとってきたのですが、この磨崖仏で終わりです・・・・
  ここだけでも上まで行ってみようか・・・

と軽く思ったのですが・・・磨崖仏までの坂道距離は350m?

健常者で 登り20分 降りるのに10分 の道程だとか

坂道と併走する・・・水のない川? 谷?  丸っこい石で明らかに人の手で作られたものです・・・よね。

20分登ってきましたがまだまだ先に長い石段


よう来たと汗をねぎらう磨崖仏   信心を石段で見る磨崖仏
の石碑をながめて 一息入れて・・・・・

見上げる石段、 ここからはごつごつの乱積み

その昔、鬼が一夜にして築いたとつたえられる石段だとか・・・
こんな感じで  距離にして87mほど
100段ばかりのこのごろごろ石段を登りつめるとやっとやっと左手に

お顔が見えてきました・・・・・国内最古にして最大級の磨崖仏


私は杖にすがり、手すりを頼りにやっと上ってきただけですが
この石段を積み上げ、その先にこんな大きな不動明王を彫った人たち・・・
信心の気持は並大抵ではなかったはずです
少々風化してみえる像を見上げていると、強い信仰心と祈りを感じます

巨大な 不動明王像

国指定の重要文化財だそうです

この石段は健常者でも杖か手すりに大いに助けられるのではないでしょうか。
石段の両脇に付けられている手すりはかなり頑丈!
私は左股関節症の足をかばって、ほとんど手で登るべく 
右手で手すりを持ち体を引き上げるようにして登り、十分支えてもらえました。

不動明王像の右手に彫られている 大日如来像


この先もうほんのちょっと登ると 熊野神社 があるらしいのですが
いえいえ私にはもう余力はなく
不動明王さんのお顔を拝しただけで降りました



結局みなさんの倍の時間(登り40分、下り20分)をかけて
無事に下山?するにはしたのです、
が、ここで無理をしてしまったことには変わりなく・・・(><

  戻ってから、ストレスと免疫力の低下が原因という帯状疱疹に罹ってしまったのでした(--  おかげで足の方は何の支障もきたさなかったのですが、胸から手のひらまで右手内側全体が赤い湿疹で埋まり、ほかにも、頭、顔、首筋、背中・・・と湿疹が汎発し、診断書には 「劇症帯状疱疹」だ 書かれていました。
一歩に一歩を重ねて行けば少々のことはやり遂げられる・・・・・
とは思うけれど、身体の限界はどこでどうやって分かればいいのだろう

あと「100mで案内所」まで下りてきたところで 
チラリと入り口辺りの紅葉が見えてきた


「無理はいけないな」 と思い知らされた・・・ と
思いながらも「次回行ったときには、右手だけでなく左手の力も借りて・・・」
な~んて、 頭の隅でひょいと考えてる自分がいる・・・  バカ^^な
性懲りもなくそんなことができるはずがない。

 でも曲がりなりにも一度、この石段を経験できてよかった 
できうればもう少し若いころに経験しておきたかった、
ですけどね

  かくしてぐるりと駆け足で廻った 国東・くにさき でした。
もちろん撮影旅行ですから動画も録ってるのですがさて、とても作品になりそうにはありません。 こうしてブログに写真を並べただけで終わりそうです。
 

国東半島を・・・(1)

2017-02-15 | ドライブ・たび
  昨年(2016年)秋、ビデオ教室で国東半島撮影旅行をしたのですが、写真の整理の途中のまま年を越してしまいました。
両子寺、文殊仙寺、真木大堂、富貴寺、熊野磨崖仏、とぐるりと廻ったのですが、写真を見ても既に頭からはほとんど消えてしまっています

はじめての国東半島は、「ぐるりと廻る」という語感のように簡単にはいかないところだと実感、 それは途中で誰かが、 「お袋を乗せとったら『わしを捨てる気か』というにちがいない。」 と姥捨山を思い出させるほど・・・山山山、半島そのものが山なんだ と気づかされた撮影旅行でした。
  お寺巡りの前に半島入り口辺りの 昭和の町   (大分県豊後高田市)に立ち寄りました。
懐かしい・・・というか、ついこのあいだのこと(^^?でして


昭和30年代を再現したという昭和の町を散策することもできたのですが、
歩かずに、上の写真のように「昭和ロマン蔵」を見るだけになりました。

以下国東のお寺巡りの、写真だけでもアップして証拠を残しておきましょう


1 両子寺(ふたごじ) (大分県国東市) 11/09 12:20

両子寺は国東半島のほぼ中央にある両子山の中腹にある

さあ着きました


山茶花の根元にお二人でちょこんと座っておいでる(^^


鐘 楼  と  護摩堂


ちろちろと川が流れていて、  橋の向こうに見えるのは稲荷堂。

しぐれ紅葉・・・この下に立って上を見上げると

晴れた日でもしずくが落ちるといわれているそうです
さもありなん と うなずけるすがた・・・立派な 樹形です 

山川のおとは父母の愛に似てかわることなしたゆることなし
(金田一京助)

(金田一春彦)
山川の瀬音の中に身を置けば亡き父の我を諭す声聞ゆ

国東や枯れていづくも仏みち (能村登四郎)


空覆う紅葉はかすかに色づきはじめてるところでしょうか

境内の広さや屋根のひさしをちらりと見ただけでも立派さが分かります


うーん ↓ この石段(鳥居の奥)は見上げるだけにしておこう(^^ゞ

ということで1時間余りをすごし、両子寺をあとにする


2 文殊仙寺 (大分県国東市) 11/09 15:20

文殊仙寺はあの “三人寄れば文殊の知恵” ゆかりの地で 
日本三文殊の一つに数えられる国東随一の古刹らしい

仁王様の向こう ここにも長い石段・・・
あの奥に見える 山門 までは頑張ろう




鐘楼は山門の右手にあった       長い長い根っこ・・水を求めて


満開の山茶花の石段を降りる

紅葉は今一つだったとはいえ  このくらいのところもありで、一日目の行程を終えました。

宿泊先「ホテルヴィラくにさき」へと向かう私たちを、道路沿いの田んぼから
行く先々でちらちらと見ているのは・・・ 案山子さんたち!


宿のすぐ近くの道の駅でも  お迎えが出ていました

・・・ふうん 国東半島ってこんなところじゃったんじゃねぇ・・・
四方八方から山の中を登ってはお寺、登ってはお寺・・・
お寺巡りですから当然そうなりますかネ ハハハ
さて明日(11月10日)は、真木大堂、富貴寺、熊野磨崖仏 です。



石見神楽とSL

2016-07-12 | ドライブ・たび
  梅雨の星どうでもいいさそんなこと・・・  などと投げやりなことを言ってないで  もう一度確かめてみる梅雨の星 
  「梅雨の星」というのは、梅雨の晴れ間に雲の間に見える星のこと、をいうらしい。 けど、本来は、 麦の刈り入れの頃の夕暮どきに、東の空に見える麦と同じようなオレンジ色をした星、 「アルクトゥールス」の別名 だと、「こよみのページ」に書いてあった。  単に、梅雨なのに星が見えた~~ というノリだけではない意味もあるんですねぇ。
ということで・・・・  まだまだ続く梅雨ですが ;;

  6月19日 ビデオ・写真のお仲間、いつものお二人に誘われて津和野の道の駅でのイベント、石見神楽を見に行きました。

8:20 に出発し、9:50 に津和野に入る


11時に始まる神楽公演にはまだ時間があるので、隠れキリシタンにまつわる聖堂がある、らしい 「乙女峠」 に行ってみることに。
津和野には今まで4、5回は行っていますが、大抵は駅前の 安野光雅美術館 目当てなので町なかをぐるっと巡るぐらいで、こんな上の方(津和野駅西側の山中)まで上がったのは初めてでした。

乙女峠マリア聖堂

詳しいことは キリシタン殉教史跡「乙女峠の由来」 で。

三尺牢跡 「聖母出現の場

私は此の三尺牢屋の内にて淋しゅうはございません

キリシタン弾圧によりここ津和野藩にも預けられていた人々がいた
そんな歴史を垣間見ることができました
「山陰の小京都津和野」と言われる町にこんな歴史の一角もあったとは・・・・


全体の案内図  と その説明 


  出口のところに今や懐かしさを感じる 公衆電話BOX が立っていて黄緑色の電話機が見えた。 木の枝におおわれていて扉の開閉もままならないような感じで、利用されずにそのまま放置されているようだった。
チラッと見ただけで写真も撮らずに下りてきた。 が、帰ってから知ったところによると 《受話器が二つある電話ボックス》? だったらしい。
3者通話ができる珍しい電話 「デュエットフォン」 で、なんと全国で3台しか残っていない代物らしい。 残念! もっとじっくり見て、使えるかどうか確かめてみるんだった 
 
一度老朽化による故障で撤去されるところ、2014年1月、津和野の復興になればとNTTが修理して復活、町観光協会は “恋フォン” としてPRしていたらしいけど・・・・・なにしろ訪れる人もそんなに多くないような気がするので、今はどうなんでしょうね。

さて帰り道はこの急坂を・・・ あまりの急坂に上りの写真はなし!


駐車場そばの登り口には、「乙女峠参道 徒歩5分」 とありました・・・が、
いやいやいや 必死にものも言わずに 10分はかかったような
徒歩というよりちょっとした登山と思える上り坂でした。



杖はもちろんですが この手すりにすがれなかったら私は
途中で断念していたかも・・・・



そろそろ時間になるので、
石見神楽の公演会場、道の駅「なごみの里」 に移動









毎月 第1・第3 日曜日に、石見神楽の定期公演
19日のこの日は、石見神楽保存会 日原社中のみなさん による公演

道の駅「なごみの里」に 設えられた神楽の舞台


太鼓の調子は、OKかな?


そろそろ始まるよ


11:00 第1部公演の演目は 「四神・よじん」 と 「道返し・ちがえし」




突然うしろからも登場!






14:00 第2部の演目 は 「八幡・はちまん」 と 「鹿島・かしま」 でした




なかなかの熱演で、今まで見たことのある中で一番引き込まれました



  どうせうまく撮れないので、途中から大きいカメラ(D70)は引っ込めて、コンデジで動画を録ってみたり・・・。 体力が続かないので一眼レフを持ち出すのはもうやめよう・・・・ なんていうのは弱気すぎるかなぁ・・・。

  公演の終了した15時過ぎは、1日一往復している山口線のSLがそろそろ津和野を出発する時間。 その姿をちょうど見られるはず、ということで見下ろせるところに向かう。

津和野の街を見下ろして

  ↑ D70(画素数:3008×2000pixel)で ↑
こちらは ↓ コンデジRX100(5472×3080) ↓  .


  コンデジの方がシャープに見えるのは、画素数の違いでしょうか。 お天気もコンデジの方が恵まれているので、眼デジの分が悪い・・・か
最近のコンデジはすばらしい! と思う一方、画素数の低いちょっと前のカメラで、風景写真ではコンデジに負けてる? かもしれないけど、D70の雰囲気も好きなんですよねぇ(^^♪

以下は コンデジ動画からの静止画保存で、津和野の街を抜けるSL!





ここで見送ってから帰途につき、途中、長門峡でまた見られるはず
と寄ってみました。
ほかにもどこからか何台かの車が乗り付けていました

道の駅・長門峡


すぐ手前の「長門峡駅」で長い長い汽笛を鳴らし
煙だけが見えていましたが しばらくして姿を見せました!
こちらも、コンデジ動画から静止画として保存



景気のいい 汽笛 と 蒸気を 見学者に大サービス!?



あっという間に通り過ぎました
もう少し ワイドに構えておくべきだった(><;



一緒に行った アリンコさんに頂いた写真


写真撮影目的の津和野行きだったはずが
途中からコンデジで動画! になってしまいました・・・
手持ちで ゆ~らゆ~ら揺れてますが(^^;;

石見神楽 と SL「やまぐち」号

撮影:2016/06/19(DSC-RX100)

  蒸気機関車が黒煙を吐きながら山の影へと消えていった・・・ そのままレンズを津和野の町に戻すと、赤い屋根の上にうっすらと黒煙が残されていた。
赤い屋根、棚引くように黒煙、余韻の残る一景をじっくりと録り、22秒、もういいだろうと思って切った。  すぐ傍に三脚を据えておられるビデオのお二人は、まだ動かれるような気配がない。
写真撮りの4、5人の方は既にがやがやと車の方に戻られていた。 私もそっとその場を離れた。
皆さんの待つ車のところにたどり着いたときに、蒸気機関車が消えて行った山一つ遠い向うの方から、細くもするどい汽笛がひとつ聴こえてきた・・・・
  そうか・・・あのビデオのお二人は、去っていった汽笛のこの遥かに尾を引く一声を待っておられたのにちがいない・・・・・。


今日(7月12日)は「スケッチ」の予定でしたが、あいにくの雨で延期となり、
空いた一日を有効活用^^? おかげでこのブログがアップできそう!


神宮お膝元・二見

2016-06-14 | ドライブ・たび
近畿鉄道観光特急「しまかぜ」


  西日本から伊勢に行くには新幹線で、大阪経由か京都経由か名古屋経由かになるが、大阪での乗換はイヤだ!と思って京都経由にした。
実は名古屋経由が順当なのか、検索でも一番に出てくるし、到着も20分早い。
が、名古屋で下車したことがなく不安だし、ネットの口コミを見ても乗換の時間やルートを心配している人が多い。 京都なら何度か降りたことがあるので何とかいけそうと思って、京都経由に決めた。

特急「しまかぜ」の最後尾(京都駅にて)


京都でこの「しまかぜ」賢島行 に乗り換えて 伊勢市へ!


ナンの予備知識もなしに乗ったのですがこの「しまかぜ」は
高級感あふれるゆったり3列シート@@! 前の人の頭も見えないぐらい高い

車両に乗ったところにロッカーもついていた 

アテンダントさんから皆に記念乗車証とおしぼりが配られた
注文できるということなのでコーヒーを・・・


幾枚も代田を抜けて伊勢に入る

街なかを過ぎると わりと田園風景が続く・・・私が利用するにしては
ぜいたく過ぎる列車だと思いながら 快適な道中でした


  こうして4月17日は、伊勢に着いたお昼過ぎから既述のとおり外宮、内宮 と回り、翌18日は、二見浦の方に行ってみた。  朝、宿のご主人に「賓日館」の近くまで送ってもらって助かった!
海は身近にあるのでめずらしくはないけれど、瀬戸内海とはちがう(^^し、海沿いにお土産屋さんが並んでるし・・・雰囲気は違う。


***** 賓日館・ひんじつかん *****

  古くから神宮参拝の前に禊場(みそぎば)として訪れる人が多かったという 二見の町。  伊勢神宮のお膝元であるその 二見町 に賓日館はあります。  休憩、宿泊施設として、ご幼少時の大正天皇をはじめ、歴代諸皇族や要人の皆さんが数多く宿泊されたということで、広間や庭園の格式の高さに、さもありなんと伺い知ることができます。

まず2階にあがると・・・

桃山式の折上格天井が特徴の  「大広間」


「大広間舞台」  と   大広間「床の間」「床脇」「違い棚」


 御殿の間 


御殿の間の隣りにある千鳥の間 は、
お供の人や護衛の人の控室だったようですが、
この日は会議で使用中でした。


ガラス戸越しに広いお庭が見下ろせる

翁の間






一階に下りて

客室「桜の間」 

客室はほかに「うめ」「まつ」「もみじ」「うぐいす」「つる」とありました

庭 園


ししおどし  や  水琴窟 も・・・

えも言われぬ清らかな水琴窟の音色、順番にみんなで聴きました 
遠くいにしえから聞こえてくるような音色に、引き込まれそうでした



一階には使われてきた宿の調度品や古文書などの資料室がありました
本来ならここをじっくり見るところでしょうが、
この日は模様替えやなにやかがされていて大変そうでした
撮影禁止でしたが、神宮のある伊勢ならばこその色紙を
一つだけ覚えて帰りました ^

日本がここに集まる初詣   誓子


賓日館を出てそのまま 二見浦をそぞろ歩いて 夫婦岩の方へ・・・
海岸線に沿ってお店がある


ここから海沿いを右に500mあたりに 夫婦岩が見える


私はひとりこの波止から見るだけにして
夫婦岩・二見興玉神社のところまでは行かなかった


遠くから見るここからの風景も いい


  戻ってきたみんなとお土産を少し買い足し、 「二見浦駅」へは タクシーで。
「二見浦」は無人駅だった。 観光地だと思っているので少し意外な気がした。
切符はどうなるのだろう? 宇部線と同じように車両に乗るときにバスのようなボックスがついてるのだろうか?
ホームには4、5人の人が待っていた。
立っている人にそれとなく声をかけてみた。
「切符はどうするんでしょうねぇ?」 「そうですねぇ・・・」
すると座っていた人が地元の人だったらしく、 つと立ってきて
「車内で車掌さんが回ってきますからその時でいいんですよ。 もし来なかったら降りて改札口で 『二見浦』 からと言えば大丈夫です。」
「あ、そうですか、じゃあ ざっと小銭を用意しとけばいいですね。」
「どちらまでですか?」 「伊勢市駅です。」
「ああそれなら210円です。 ほかは分かりませんけど、伊勢市なら分かります 。」 ああそうですかありがとうございますとお互いが笑いながら・・・・

伊勢市駅を出て鳥居越しに見える道が外宮への参道
昨日に続き再びぞろぞろと10分ぐらい歩き外宮へ 



帰る前にもう一度外宮まで行き、
心残りの 博物館「遷宮館」をざっと見学し伊勢の旅を終わりにした。





「京都へはこの階段ですねぇ・・・」と駅員さんに声をかけながら降りようとすると、「お客さん!京都はもう一つ向こうです。」 とその駅員さんの声が追ってきた。 えっ違う!?
ああ降りてしまわなくてよかった、と思いながら、降りようとしていたほかの何人かと一緒に向きを変えもう一つ向こうにあるらしい階段に向かった。
4分、ここ大和八木駅で山田鳥羽線大阪難波行きから橿原線京都行きへ乗り換えるのに4分しかないのだ。 間違ってしまったら間に合わない。

どどどどと急ぐみんなに挟まれながら途中の踊り場で直角に曲がるようになっている階段を下りた。 本当はちゃんと立ち止まって見渡せば下りる階段を間違えたりはしないはず、けど、立ち止るなんてそんなことは出来ない。 こんな状況でひとり急に立ち止れば周りの人がどんなに迷惑するか・・・ だから立ち止るなんてできない・・・よね
降りてすぐのホームに電車が止まっていた。 チラッと見まわしたがこれまたどこ行きやら、近くに表示が目に入らずさっぱり分からない、が、ほかに車両が見当たらないのでこれに決めよう・・・・・?
「えーっとこれ、何両目かなぁ・・・」 一番近い乗車口に足をかけながら心配が声になって出た。
するとすぐ後ろから若い男の人の声で 「三両目ですよ。」 と聞こえてきた。
「あ、3両・・・じゃ4両目は・・・?」 と乗り込みながらすかさず訊いていた。
「そっち、左側です。」 「あーよかった、ありがとうございます!」
もたもたして迷惑をかけないように急いで左の車両に入り、座席を探しながらちらっと後ろを振り返ってみたがそのときはもうそれらしい人の姿は目に入らなかった。
席に座り、ああ間に合った・・・・と思って外を見たときにちょうど電車は動き出していた。 今動き出したということは、たぶん間違いなくこれにチガイナイ、・・・とそんなことで確認した。 あの人は3両目だったんだろうか・・・・。

途中の駅 うじがわ

いくら気が急いていたからと言って、顔ぐらいはちゃんと見ればよかった・・・・。 ひょっとしたら少し前からしばらく私の後を一緒に移動されてたのだろうか。
だから何の気負いもなく自然に 「三両目ですよ」 と言葉が出てきたのだろう。
阿弥陀さまは困った人がいたらいつでも手を差しのべようと待っておられるという・・・・・ なんて言うとふっ、笑われるかもしれないが、なんだか誰かに私の周りをほんわかふんわり導いてもらえてるような気がした。 ありがとう・・・
おかげで気持のいい風に包まれているようないい旅になりました。
とっさの一言しかかわしていない人に、そんな気持が伝わるはずもなく・・・切ない恋でもしてしまったようなもどかしさ・・・;;

新幹線の車窓から


いやいやそんな切なさもひっくるめて
いい伊勢の旅となったことにはちがいない 


伊勢!神宮!!

2016-05-31 | ドライブ・たび
初めての伊勢!! 初めての神宮!!
一番印象に残ったのは、神宮全体がこんもりとした
「自然の杜」であったこと!
そして1500年もの間毎日、朝と夕と二度のお食事を奉る神事が
昔ながらの火鑚具(ひきりぐ)で火をおこすところから、
粛々と続けられてきているということ。
そんな地に直にこの身を置いたというだけでも 行けてよかった

  「たまには姉弟で集まろう」ということで決まった今回の伊勢参り。 弟夫婦、妹親娘とわたしの5人、一緒に行くつもりだったyoshiが直前に都合が悪くなり、やむなく私はひとり旅となった。 「はじめてのおつかい」ではないけれども・・・・ 京都での乗り換えはまだいいとして、帰りの大和八木では4分間で・・・と、何度も頭の中でシュミレーションして・・・・(^^
4月17・18日  ま、無事に予定通り行ってこれてよかった

  前もって弟が、ボランティアガイドさんを予約していて、説明を聞きながらの3時間半でした。  ・・・が、写真も撮らなきゃならないし(^^、声は聞こえているのに内容が頭に入ってこない・・・ ってそれは年のせい ><ですね。
うまく説明はできませんので、 詳しいことはこちらで ↓

ということで、以下は写真を頼りに私の備忘録のつもりで・・・・
   
  外宮から内宮へ、御正宮から別宮へ、の順に参拝するのが古くからのならわしだということで、まず外宮へ向かいました。

***** 外 宮 (豊受大神宮) *****
【げくう (とようけだいじんぐう)】

(12:40) 参道日除橋・ガイドさんに続いて!       


  日除橋を渡ってすぐの鳥居の前に立ったときに、ふいに鳥居の上の方から一陣の風が吹き降りてきた。 わぁーと皆でちょっと頭をおさえ、それから両手を広げ全身で受けた。 迎えてもらえてる? と思った・・・。 不思議な気持だった。 なんともありがたい気がした。
  この日は朝家を出る直前に山口県を通り過ぎて行った台風並みの大風のため、乗った新幹線も12分遅れだった。 その風のひと塊がこの地にまだ残っていたのだろうとは思うけれど・・・・・。

鳥居には榊が具えられていて、10日に1回
(12:48)   全体では100本の榊が替えられるそうです。


(13:06)


まっすぐ 正宮(豊受大神宮)に向かわずに、右の方の道を回って行く
こちらの方がなかなかいいでしょ? とガイドさん。

(13:07) こんもりした木々の様子が分かるでしょうか・・・・




正宮(豊受大神宮)をお詣りした後、この池のあたりまで戻り


風の宮・・・だったか? 
や、土の宮  のあと、
これからもう一つの別宮の方へというところで
だいぶ歩いたので大事をとって、私はひとりぶらぶらすることにし、
別宮から戻ってくる皆を 15分ぐらい? 待った。

(13:18)


正宮は撮影禁止です・・・が、 アレにちらちら見える屋根は?  戻ってきた皆と今度は豊受大神宮を回り込むように  北門の方へ進むと「御厩」。

(13:38) お留守のお隣さんが気になるらしい 神馬(しんめ)笑智号


運が良くて(^^? なかなか会えないという神馬にも逢うことができ
御厩(みうまや)を最後に 外宮を後にする。

左端に見える長い屋根が、外宮前のバス停  内宮まで3.8km らしい


道路を渡ってバス停から外宮の方を見て


(14:00) ガイドさんも一緒にバスで内宮へ向かいました。 バス代 430円



***** 内 宮 (皇大神宮) *****
【ないぐう (こうたいじんぐう)】


(14:27) さあ内宮に着きました


  聖俗界を分ける境界といわれる宇治橋  別名御裳濯橋(みもすそばし)を渡り、さてさてえらく元気そうに^^?  
まずは西を流れている五十鈴川の御手洗場(みたらしば)に向かい、手を浄める。 (14:50)
内宮神域を流れる五十鈴川(いすずがわ)は、倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説のある、あの「御裳濯川(みもすそがわ)」ともよばれた川だそうで、かつては手洗いだけではなく、口濯ぎも行われてたんだそうです。

(14:51) 瀧祭神


(14:53) あっちへ曲がり  こっちへ曲がる


  五十鈴川の支流、島路川に架かる風日祈宮橋

内宮入り口で渡った宇治橋を、少し華奢にしたような橋ですね(^^?

15時前後に 風日祈宮橋  を往復し、
 風日祈宮(かざひのみのみや)  へ。

(15:10)


  さあここを右手に少し登れば 正宮(皇大神宮)! というところで再び私は自重した。 外宮に続き内宮に来てからでも、ゆっくりではあるが小一時間歩いている。 
6年前の四国ツアー後の病院通いですでに、「股関節症の末期です」と言われていて、もう無理はしたくない。 人工関節に頼ることにならないよう、無理をせずに、残ってる機能を大事に使って楽しんで終わりたい 
  少々ひざを痛めてるらしい妹も休憩ということで、一緒に神楽殿のあたりでぶらぶらしながら弟夫婦が戻ってくるのを待った。

(15:13) 神楽殿のあたり・・・ 撮影禁止もあるのでこんな感じ



(16:00) 最後の記念撮影スポット・・・宇治橋の下で

(この橋を5月26日、伊勢志摩サミットに出席のG7各国首脳が・・・・!!)

  ガイドさんとは内宮を出たところで別れた。
ずっと休みなく説明して下さったガイドさんには大変お世話になりました。
ボランティアをするようになって神宮・神のいろんなことをだんだん深く分かってきて、うれしくてたまらない、ととてもやりがいを感じておられたガイドさん 
そんなガイドさんについてもらえて、彼女と同じような喜びを感じることが出来ました 。 ありがとうございました。

内宮参道・おかげ横丁



ガイドさんと別れ、内宮参道・おかげ横丁を30分ばかりぶらぶらして
外宮まえにある宿へとバスで向かい一日を終えました。

(18:10) 宿から見える外宮前


(20:54) 外宮は黒々とした山になった


翌日は「二見浦」の方へ行き、「賓日館」「夫婦岩」を見学のあと、
再び伊勢市駅・外宮に戻り、
見残していた外宮の 「遷宮館」 を見学して帰りました。

*「賓日館」「夫婦岩」 の記事は 次の 「神宮お膝元・二見」 でどうぞ

***** 遷宮館・せんぐうかん *****

「遷宮館」は外宮を入ってすぐ左手の
まがたま池のほとりにある博物館のこと。
外宮正殿の原寸大模型の展示やスクリーンに投影される動画で、
伊勢神宮のことを知ることができます。



20年に一度行われる神宮式年遷宮の様子や、雨の日も雪の日も
厳かに繰り返されている神事を、映像で見ることができます。
こうして伝統・文化が伝えられ継承されていくのですね。



伊勢市駅


  結局は正宮(皇大神宮)には詣ることは出来ませんでしたが、感謝の念はいっぱい感じ、手を合わせることが出来ました。
遷宮館を出て 昼食に「伊勢うどん」を食べてみんなと別れ、「もう一度来たい」 と思いながら帰路につきました。 

  もう一度行くことがあれば、今度は途中でスケッチでもするぐらいのゆっくりペースで(^^、内宮は翌日に回すぐらいのペース・・・それなら私でも全部まわれるような気がする・・・・

  「せんせーが、どこか行きたいところがあったら、いつでも調子のいいウチに行っていいよ、って。 『それじゃ 伊勢神宮!』 って言ったら、それはちょっと・・・・ と言われてしまった。」
と言って ちょし は笑った。
  ちょし の遺したまだ新しいスニーカーのサイズが私にちょうど合うので使っている。  伊勢にもそのスニーカーで行った。 
何が何でも行きたかった ってわけではないのよ、と言って笑ってるような気がする・・・・・



萩遊覧船と「花燃ゆ大河ドラマ館」

2015-07-14 | ドライブ・たび

  ◆ 満潮に揺る紫陽花や遊覧船  ふじ

  萩にはもう何度も行ってますが、舟で観光するという遊覧船にまだ乗っていない・・・・ 一度乗ってみたいねと話していたこともあって、今回思い切って行ってきました。 
  7月2日 前夜からウチに泊まっていたyoshiが、手にした携帯を見ながら「今日のお母さんの運勢は、『何も考えなくてもうまくいく日』ってよ。」 と読みあげる。 ならば、今から「萩」に行く?  と10時過ぎに 急きょ、大河ドラマ「花燃ゆ」で燃えている という 「萩」 に向かって車を走らせました。

  地図を確かめると、萩まではR490をまっすぐ北上すればOK、ということで軽い気持で、だったのですが・・・・・(^^?ゞ


水の都・萩の景観を 川から海から眺める 萩八景遊覧船


■運行期間: 3月~11月 ※天候不良の場合は運休もあり
■所要時間: 約40分                      .
■料金  : 大人1,200円、小人600円           .
           .

船着き場 に着き、団体さんに  先を譲り 次に待機の舟にゆったりと乗り込みました  定員は12名のようですが、随時適当に出発してもらえます。 川沿いには紫陽花が咲き  私たちと同じぐらい楽しげに? 見ています(^^。



左に曲って橋本川の常盤橋をくぐるとすぐに見えてくる石垣、江風山月書楼跡  萩藩主の別邸の一つで、川手御殿、花江別邸とも呼ばれていたらしい。 このあたりの武家屋敷群を川から眺める約40分です。
平安古松原  以前は松の大木が並んでいたようですが、マツクイムシによって次々に枯れていったそうです。
双耳峰に見える左の山が面影山で、   面影山に積もった雪が夕日に照らされて川面に映った景色が・・・どうたらこうたらで萩八景になってる・・・と、マイクで説明をされたのですが、 ようキキトレンです!><!
長い長い白壁(330m)の中に残っている家は数件らしい。
そのうちの一軒 元内閣総理大臣田中義一別邸 を見ながら

ここでぐるりと回って戻ります。

戻ってきて遊覧船乗り場をやり過ごし、少し海の方へ。
笠山なども遠く見ながら、菊が浜海水浴場  や、 去年、『花燃ゆ』の撮影で、押し寄せてきた外国船に大砲を打つシーンなどのロケが行われ、毛利の家紋の入ったたくさんの幟や旗が立っていたという小浜(こはま)   と ぐるりと海を回り、戻ってきました  

桜の開花時期には、20分延長して橋本川土手の桜並木を眺める【桜鑑賞コース】が運行されるようで、それだと写真も一味違ったものになりそうでいいかもしれません。

船を降りた時点で12時45分になってたようですが、そのまますぐに次の目的地 『花燃ゆ大河ドラマ館』となっている旧明倫小学校体育館へと車を走らせました。

「あ、バスも宣伝してる!」 助手席のyoshiに撮ってもらう



文と萩物語花燃ゆ大河ドラマ館


開催期間:平成27年1月11日(日)~平成28年1月10日(日)
9:00 ~ 17:00(最終入場16:30 無休)
開催場所:旧明倫小学校体育館

(表表紙)        パンフレットより        (裏表紙)

吉田松陰のうた    ↑
親おもふ心にまさる親こころ けふのをとつれ何と聞くらん
大正五年四月楫取美和子書
裏表紙にある吉田松陰のうたは 妹の文が書き写したものだそうです。 素晴らしい筆あと!!
比較的石高の低い半農半士のドラマの中の文の生活は、塾生の世話ばかりで勉強している姿はほとんど出てきてませんでしたよね。
パンフレットによると、男子にはさほどうるさくなかった母親の滝が、女子には「忍耐強くなるように」と厳しく指導し、「文字が読めないと先々困るから」と学問の時間を与え手習い(習字)をさせたのだそうです。
文をとりまく人々(杉家略系図)                        .


滝はまた陽気な性格の持ち主でもあり、蚊帳が破れて嘆いている亀子を見て「やぶれかや程目出度ものはなし、つる(吊ると鶴をかける)とかめ(蚊奴と亀をかける)が舞い下る」と言って笑わせたそうです。
こう聞くと、ドラマでは「せわぁない。」という言葉で、暖かい家庭を築くユーモアあふれる滝を表現してるのが見えてくるような気がします。

ドラマ館では、「俳優さんの写真とサイン以外」はすべて撮影OKです

写真や映像がふんだんにありサイン色紙も壁一面に貼られていました

「撮影スポット」とあるので、シカタナイ写らねば(^^v


松下村塾の前で撮ってみたり 、 用意してあった笠や背負子など小道具を使って、ボタン一つで背景が春夏秋冬に替わったりするので面白がって  撮ってみたり 、 座り込んで「萩での撮影時の裏映像」を見たり、 結構楽しんでしまった 









窓からのぞくと塾生たちがなにやら動いて見えます



誰に似ている? 吉田松陰先生が判定


私は「吉田稔麿」 に似ていると、かの吉田松陰先生の判定です。
「 吉田稔麿の才は素晴らしい。
口数少なく静かな性格で自分の信念、考えを曲げない。」
おおおお あたってるかも~~ おほほほ

出るときに 久坂君と高杉君に呼び止められて眼がハートになっちゃった


ドラマ館を出て何か食べようとちょっとした休憩場所に座り込んだのが14時30分
食べた肉うどんのおいしかったこと!!

帰り際に記念に撮った 旧明倫小学校本館


吉田松陰や楫取素彦もここで教鞭をふるったという萩藩校。 約150年の長期にわたって藩校としての教育が行われ、幕末の長州藩の中で大きな役割を果たしたという。 旧明倫小学校本館の内部は見学できないらしいけど、同じ敷地内の剣槍術場である「有備館」などは自由に見学できるらしいので、もうひと頑張りして見学すればよかったか・・・・・


  ◆ 梅雨晴やカルスト台地縦断す  ふじ

  たしかに行きは無事に R490 で初めての「小郡萩道路(無料)」にも乗れ、萩市に入ってからもほぼ頭に描いていた地図どおりに遊覧船の乗り場に着いたのだけれど・・・・ 帰りは迷ってしまった。
このまま行けばもうすぐ「小郡萩道路」の標識を見ているのに、どういうわけか「秋吉台はこちら」 てなことになっている。 ま、それならそれで秋吉台経由で帰ろう 。 



久しぶりの秋吉台、「ちょうどよかったねぇ」と言いながら 途中 帰り水 では合歓の木  を撮ったり、緑の台地のどこからともなく聞こえてくる夏鶯の声を聴いたり、   いつ通ってもここのドライブは気持がいい

いい気持のまま秋吉台を後にし、・・・えーと今ここはどこ?? と言いつつ標識を見ると R31 って? 秋吉台からは迷うはずがないのに どこ?? R31なんて走ったことないよ・・・・ まぁとにかく南に向かってれば知ってる道に出るでしょう、とばかりに走らせ無事に「十文字」に行き当たった。 ここからはもう迷いようがない! いやほんと( ̄▽ ̄) v エヘヘ

考えてみたら、萩からは一度もまともに帰れていない。 前回は山口県庁前経由になったんだった・・・・


  ◆ 星今宵短くメール呉れし人  ふじ