日本の傳統(伝統)を守らう!

皇位繼承問題を主に扱ひます。メル突(場合によっては電突)を實踐(実践)・推奬してゐます。

何故ここまで騷ぐ? ---- 昭和天皇メモ

2006-07-22 10:42:59 | 靖國神社

何故サヨクの人達はここまで騷ぐのだらうか。 (以下はメモが本物であるといふ前提で書きます)

慥かに歴史的に貴重な資料だとは思ふ。 松岡氏を良く思つてゐなかつたといふ資料は他にも有り、 それを裏附ける資料としても。 しかし所謂A級戰犯の分祀論議とは別問題でせう。 産經の以下のコラムが正に正論だと思ふ。

サヨクの人達は騷げば國民の間で分祀論が優性になると信じてゐるのだらうか。 私はさうは思はない。 むしろ、東京裁判はインチキ裁判、A級戰犯は冤罪だ、 といふことに氣附く人が増え、分祀は必要ないと考へる人達が増えるけだと思ふ。 私のやうに。

もちろん今まで關心が無かつたが、 分祀すべきと考へるようになる人達も増えるでせう。 しかし、それよりも、 分祀する必要が無いと考へる人達が増えるだらうといふ意味です。

だからどうぞ騷いで下さい。

  • ---- 【産経抄】7月22日 (http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/sankeishou/11696/)
     歴史のおさらいをするわけではないが、昭和15年9月の日独伊三国同盟締結は「あの戦争」への大きな分岐点となった。昭和天皇は当時から同盟に危惧(き ぐ)を抱き、推進する松岡洋右外相に不信感をお持ちだった。そのことは多くの史料で明らかにされている ▼その昭和天皇が、A級戦犯の靖国神社合祀(ごう し)に関して発言されたという元宮内庁長官のメモが見つかった。A級戦犯の中でも松岡とやはり同盟推進派だった白鳥敏夫駐イタリア大使の2人が名指しされ ている。昭和天皇の率直な歴史観がにじみ出ているようだ ▼だがメモはそれだけでなく、合祀が靖国参拝をやめられた理由としてある。これには案の定、A級 戦犯分祀派や首相の参拝反対派の政治家やマスコミ、それに中国、韓国が飛びついた。「お言葉」をタテに「A級戦犯を分祀しろ」「首相の靖国参拝はやめろ」 の嵐である ▼「そんなに昭和天皇を敬愛されていたのですか」と、皮肉の一つも言いたくなるぐらいだ。しかしメモはメモに過ぎない。公式のご発言でもなけ れば文書でもない。どういう文脈で話されたのかも不明な状態とあっては「はしゃぎ過ぎ」といっていい ▼むしろ注目したいのは、昭和天皇がそれだけの本音 を公式の場では一切口にされていないことだ。メモが書かれたという昭和63年4月には記者会見もされている。この時も「戦争に進んだ最大の原因は」の質問 に「人物の批判とか加わりますから」と口を閉ざされた ▼自らの発言が政治や歴史論議に影響を与えぬよう、厳しく律しておられたのである。メモが残されて いたことなど、想像もされなかっただろう。これを「政治利用」し、分祀や首相の参拝を論じることこそ昭和天皇のお心にそむくことになる。

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    6 コメント

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    富田メモは捏造の証拠ある。 (ようちゃん)
    2006-07-23 07:24:02
    メモは偽・捏造が判明しました。産経新聞に通報したそうですから記事になります。号外・特報は

    「毒吐き@てっく」さんのコメント欄にコピペして来ました。http://tech.heteml.jp/2006/07/post_640.html

    問題は是を利用して政治問題として提案した大物

    政治家が米様の新聞を借りて、迷惑と内輪の恥を晒してる事なのです。【ロサンゼルス21日時事】訪米中の河野洋平衆院議長は21日昼(日本時間22日朝)、ロサンゼルス市内のホテルで記者会見し、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとするメモに関連し「ポスト小泉と言われる人たちの間で(靖国問題が)議論されるのは当然だ。後任となる人が(歴史認識を)学者に委ね、自分の判断を避けるのはいかがなものか」と述べ、9月の自民党総裁選で各候補に靖国参拝の是非も含めた歴史認識を明確にするよう求めた。 

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060722-00000036-jij-pol



    この人、相変わらず国内を過去の歴史で混乱させたいらしい。誰が得して、誰が損をするかの計算ずくめの妖怪の世界が政界なんだろうけど。



    紅ノ庸兵奴! 子供の臓器貰って生き延びてるゾンビかキョンシーか化け物がフラフラと公費でロスサンジェルスまで遊びに行って、迷惑・攪乱行為を企てるという国賊のままで老醜を晒すとは! 「もう嫌、こんなの相手にしてたら こっちが腐る。臭い!」





    返信する
    富田メモは昭和天皇ではなく藤尾元文相の発言 (通りすがり)
    2006-07-24 14:38:54
    http://oiradesu.blog7.fc2.com/

    日本経済新聞はよっぽど強制捜査の話題を大きくしたくなかったんだろうね。例の日経とっては大問題のインサイダー事件の強制捜査は7月20日でこのスクープの日。



     日経の記事に書かれた全文



     私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、

     筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

     松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と

     松平は 平和に強い考があったと思うのに

     親の心子知らずと思っている

     だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ



    前にもあったが どうしたのだろう

     中曽根の靖国参拝もあったが

     藤尾(文相)の発言。

     =奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。



     私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、

     筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

    松平の子の今の宮司がどう考えたのか

     易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに、

    親の心子知らずと思っている

     だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ。





    はい、そうです、

    中曽根総理大臣の靖国参拝を中止したことが話題になっていた当時の、藤尾元文相の発言です。昭和天皇の発言ではありません。



    藤尾正行といえば1986年中曽根内閣で文部大臣に登用された後、「戦争で人を殺しても殺人には当てはまらない」「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国にも責任がある」などの発言して問題にされ中曽根に罷免された人です。当時、タカ派と呼ばれ、「放言大臣」とか揶揄されていました。 さてこのメモの中で「奥野」という名前も出てきますね。奥野という人はどういう人なのでしょう?



    奥野誠亮はこの当時国土庁長官



    藤尾氏と同じようにタカ派と呼ばれ「従軍慰安婦は商行為」とか日中戦争について「あの当時日本に侵略の意図は無かった」とか発言し同じく国土庁長官を辞任させられています。



    その奥野氏は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の初代会長でもあるわけです。

    つまり靖国神社参拝推進派



    藤尾氏と奥野氏、同じタイプのタカ派と呼ばれていましたが、実は靖国参拝を推進する奥野氏と違い、藤尾氏は靖国参拝をしていないのです。

    また「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」にも参加していません。



    つまり、藤尾氏のこの発言は同じタイプと言われるが行動が異なる奥野氏のことに触れるとともに、自分(藤尾氏)が何故、靖国参拝をしないのか、その理由を発言したものなのです。



    さらに昭和天皇が参拝を止めたのは1975年です。しかしA級戦犯の合祀は1970年に決定されています。当時、合祀は宮司預かりとなっており、実際にはA級戦犯合祀されたのは宮司が変わった1978年。1975年当時に1978年に合祀されることもわかり得ないのに、それを理由として参拝を中止したと言うのは辻褄が合いませんね。



    つまり、この発言は昭和天皇の参拝取りやめに関する発言では無いのは明白で、藤尾元文相が参拝を中止した理由を述べた発言です。



    マスゴミの捏造報道もいい加減にして欲しいものですね。
    返信する
    株式日記と経済展望より (通りすがり)
    2006-07-24 14:53:13
    http://blog.goo.ne.jp/2005tora

    1.メモはプレスの会見を筆記したものである。

    2.昭和63(1988)年4月28日の記述である。

    3.質問に対るす答えは率直な感想を述べているように読み取れる。発言内容を事前に

    チェックされる立場の人間ではない事が判る。

    4.高松宮様に対して薨去という言葉を使っている事から宮家ではなく 、仕える立場の

    人物の発言と読み取れる。

    5.「(3) 4:29に吐瀉したが」のくだりは客観的な表現で自身の事ではない。

    6.戦争の感想を問われた時「嫌な気持を表現」している人物である。

    7.あまり閣僚を知らない人物である。

    8.会見時の発言に「そうですか」が多かった。

    9.靖国神社の松平永芳宮司を松平の子と呼ぶ事から近親者で年配者である事が

    判る。



    以上の事から考えて、このメモの発言者として最も適当な人物は徳川侍従長である

    事は明白です。





    (私のコメント)

    昨日のテレビでは富田メモについて論じていましたが、いずれも本物である事が前提だった。しかし私も書いてきたとおり天皇の発言としては率直過ぎて違和感がある。公開されたメモの前のページを写真から解読してみると、徳川侍従長の記者会見のメモのように思える。だから「私」とは徳川侍従長のことなのだろう。



    しかしテレビでも公開しているのは赤字の部分だけに抜き出して論じているからマスコミ報道は意図的なのだ。昨日のサンデープロジェクトでも櫻井よし子氏がカットされている部分の事を言おうとしたら田原総一郎はあわてて言葉をさえぎってしまった。おそらくマスコミ関係者は誤報である事にうすうす気がついているのかもしれない。



    このような意図的な誤報は朝日新聞がよくやる手であり、大々的に報道して世論の流れを作り、目的が達成した後でこっそりと誤報である事を発表する。歴史教科諸問題でも同じ手を使って誤報を大々的に行なって、実際には「侵略」を「進出」と書き換えた教科書はなかった。中国との外交問題にもなったのですが調べてみたら新聞の誤報だった。



    今回の事もおそらく世論の流れが決定的になった時点で日経新聞はこっそりと誤報の事実を発表するつもりなのだろう。しかしメモの文面を少し見ただけで天皇の発言としてはおかしいと気がつかなければジャーナリストとしては失格だ。しかし朝日新聞がよくやる手なのに今回はなぜ日経新聞なのだろう? これでますますマスコミの信頼性は失墜する。
    返信する
    放置でいいと思います (cassand)
    2006-07-27 00:58:38
    お疲れ様です。私は「たとえメモが真実でも、神道の概念に於いて分祀の必要無し(無意味)」と判断してますので、この件に関しては特に触れる必要ではないかと。
    返信する
    ようちゃんさん、通りすがりさん、 (fuji2630)
    2006-07-27 12:40:28
    私も昭和天皇の發言であると斷定はできないとは思つてゐます。



    cassand さんへ、

    内容に關しては全く同じ考へです。

    報道姿勢としては糺彈されるべしと思ひますが。

    返信する
    株式日記と経済展望より (通りすがり)
    2006-07-30 20:28:07
    なぜ半藤一利は、ああいう形で昭和天皇の「発話」を活字に

    することに問題を見出さなかったのか、そこに疑問を覚える。



    2006年7月30日 日曜日



    ◆天皇の中立性を侵した日経こそ問題  養老孟司



    小泉首相は靖国に関して「心の問題」といいますが、その通りで、本人の問題だと思います。行きたいのであれば行けばいい。そのことでメディアに叩かれることもない。それが「信教の自由」だと思います。



    首相が参拝すると様々な問題がある、といわれますが、問題が「ある」のではなくて、メディアが問題を「作って」いるんですよ。「経済に影響する」というのもメディアですが、本当に影響があるのか。



    今回も、日経新聞がスクープによって新たな「問題」を作り出した。「天皇の中立性」というものを日経の記者はどう考えているのか。 昭和天皇ご自身は、自らの政治的中立性を、強く守っておられたはずです。



    今の天皇陛下も、色々とおっしゃりたいことはあるでしょうが我慢している。「天皇の中立性」とは、天皇陛下が我慢しさえすれば守られる、というものではなく、皆がそういう意識を持つことで守られるものです。



    「これは特ダネなんだから、天皇の中立性なんて潰してもいい」と考えたのでしょうか。メディアは今一度自らの倫理基準を問い直すべきです。「天皇の政治的中立性なんて、ウチの会社は認めませんよ」というのなら、現在の天皇制のあり方自体を考えなくてはいけなくなる。



    天皇陛下のプライベートな発言を、今度は別の社が「こういうことも言っている」と使うかもしれない。そういう天皇制の根幹に関わることを、勝手に一社が、スクープのためにやらないでくれ、といいたい。



    新聞は「談合を許すな」と書きますが、自分たちにも職業倫理がないなら、そういうことを書く資格はない。



    私は、今回の騒動の中で本当に国益を考えて行動したのは、福田康夫さんと小泉首相だと思っています。福田さんは、日経の記事が出た翌日には不出馬を表明した。 「国論を二分することになりかねない」というのは明らかに中国を意識した発言です。



    富田メモで、参拝反対派に追い風が吹き、世論が安倍、福田でまっぷたつに割れる、ということを恐れたのでしょう。小泉さんが「心の問題」といって、大事(おおごと)にしないのも、極めて正しい対応だと思いますよ。



    今、戦争で亡くなった方のためにお参りしようと思ったら、靖国神社以外にはありません。そして、戦犯もある意味では戦争の犠牲者です。戦争とはそういう犠牲者を生む行為だということを、あそこに参拝することで示してもいる。靖国をなくしてしまったら、日本人の記憶から戦争自体が消えちゃいますよ。



    ソース:週刊文春8月3日号 24ページ (エマニエル坊やがテキスト化)





    ◆天皇「発言メモ」の読み方 7月25日 亀井秀雄のアングル



    〇直筆でないことの意味

     これまで私は、寡聞にして、近代の天皇が日記をつけているとか、メモを残したとか、そういう話を聞いたことがない。おそらくほとんどの人も同様だろう。

     また私はこれまで、天皇が誰かに直筆の私信を出したという話を聞いたことがない。多くの人も同様だろうと思う。

     しかしもちろん、日記やメモを書くことは全くなかったと断言することはできない。だが、もしそういう私的な記録が残ったとしても、宮内庁は固く秘匿して、決して公開することはないと思う。

     また「直筆の私信」について言えば、天皇はそういうものは書かなかった。万が一、いや百万に一つ、もしそういうことがあったとしても、受け取った人は固く公開を禁じられたか、そうでなければ、その人自身が深く慎んで来たにちがいない。



     なぜ私がそう判断するのか。それは、天皇の私情を語った言葉は、誰によってどんなふうに利用されるか分からないからだ。もしある時、ふと天皇が「あの男は信用出来ない」とか、「私はあの男が嫌いだ」とかいう意味の言葉を洩らしたとしよう。その言葉は巡りめぐって、天皇に名指しされた人物を失脚させ、時には死に追いやってしまう。そういう恐ろしい威力を秘めているからにほかならない。



    〇公表は天皇の意志か

     それとこれとは必ずしも同じではないが、〈天皇たる者、軽々しく個人的な心情や、他人の好悪など口にすべきではない〉という心構えの点では、相通ずるものがある。

     とはいえ、全く口を閉ざしていることには耐えられず、信頼する側近に洩らすこともあっただろう。だが、自らそれを書き留めたりはしない。証拠として残ってしまうからである。

     では、側近に書き留めさせたのか。そんなことはありえない。繰り返しになるが、その理由は、「天皇のお気持ち」なるものが独り歩きを始める危険があるからで、とするならば、側近がメモに書き留めたり、公表したりすることは、天皇から受けた信頼に対する裏切りになりかねない。

     富田朝彦は心覚えのためにメモを取っておいたのかもしれないが、彼自身、その公表を予定していただろうか。あるいは自分の死後、公表されることを望んでいたのだろうか。この疑問は、そもそもこの資料の出所はどこか、どういう経緯で公表に到ったのか、という疑問を誘発する。

     

     そのように考えを詰めてゆくと、次のような問題に行きつくだろう。〈昭和天皇は自分の言葉が富田メモにあるような科白の形で、しかもこのような経緯で公表されることを望んでいただろうか〉。



    〇半藤一利の読み方

     毎日新聞はこのようなテクストに関する、小説家・半藤一利の解釈を紹介している。



    《引用》

      あり合わせのメモが貼り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた。A級戦犯合祀を昭和天皇が疑問視していたことがはっきり示されている。小泉純一郎首相は、参拝するかどうかについて、昭和天皇の判断を気にしていないのではないか。あくまで首相の心の問題で、最終的には首相が判断するだろう。



     これは半藤一利自身が書いたものではなく、取材した毎日新聞の記者が彼の談話を文章化し、それを半藤に見てもらったものであろう。

     もし毎日の記者が半藤に了解を取ることなしに、これを発表してしまったら、半藤は腹を立て、クレームをつけたにちがいない。私はそう考え、そうであるだけに、なぜ半藤はああいう形で昭和天皇の「発話」を活字にすることに問題を見出さなかったのか、そこに疑問を覚える。



     また、この文章を見る限り、半藤は実際に富田の手帳とメモを手に取ってみた立場で発言しているように読める。が、仮にそうだとしても、「昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた」という判断には、飛躍がありすぎる。私の理解では、宮内庁長官が「その場」で、あり合わせの紙に、天皇の言葉を書きつけるなんて、そんな不躾なことはしない。

     これは半藤が言う「その場」の空間的な幅や、時間的なスパンの取り方にもよるが、まさか富田が天皇の前から退出してから、自動車のなかで書くことも「その場」に含めると、そこまで拡大して言ってたわけではないだろう。

     それやこれやを考えると、半藤が感じたという「臨場感」というのは、どうも嘘くさい。単なるレトリックではないか。



     もう一つ疑問点を挙げるならば、半藤は「昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた」と言っており、前半の部分は納得できる。だが、後半の「メモ」云々の意味がよく分からない。「メモでは案外に自分の考えを話していた」というのは、言い方そのものとしても可笑しいのだが、この一般論的な言い方から判断すれば、半藤は富田のあのメモ以外にも、幾つかのメモを見ていたことになる。それは誰のメモだろうか。



     それやこれや疑問が湧いてくる、不思議な文章なのだが、毎日新聞は、半藤一利の「話」を引用するに先立って、「「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さん」と紹介していた。

     たしかにこの本は「対話語録」というより、「独白録」というにふさわしい。ということはつまり、昭和天皇の発話は本質的に他者との対話性を欠いた、「独白」だったのではないか。そういう視点から、天皇の発話の性格を捉える必要があるのだが、どうやら小説家の半藤一利はその用意を欠いていたのである。



    〇ガセネタに要注意

     私は長年、文学研究を仕事とし、現在は文学館の館長をしている。その間、しばしばこの種の〈新資料発見〉事件を目撃し、私自身も新資料を紹介したことがある。



     私自身が行なった、最近の例としては、「戦略的な読み―〈新資料〉伊藤整による『チャタレイ夫人の恋人』書き込み―」(岩波書店『隔月刊 文学』第6巻第5号、2005年9月)や、「書き込みに見る多喜二と同時代」(『市立小樽文学館報』29 号、2006年3月)があり、後者は私のHP(「亀井秀雄の発言」)にも載せてある。読んでもらえれば、大変ありがたい。



     ともあれ、そういう経験を踏まえて言えば、私たちは〈新資料〉が紹介された時、まず資料の出所や発見の経緯を検証し、さらに書体や内容が、その資料の書き手とされる人物にアイデンティファイできるかどうかを検討する。以上のうち一つでも曖昧な点があれば、当然私たちは〈新資料〉の信憑性を疑うことになるだろう。

     特に今回のように、別の人物によって引用された発言の真偽を問う場合は、以上の手続きだけでは決して十分とは言えず、テクスト論や言語行為論の視点と方法も必要となってくる。



     ここに書いたとこは、その初歩的な応用にすぎないのだが、書いているうちに「どうもこれはガセネタではないか」という心証が強くなってきた。

     数ヶ月前、民主党の坊や議員が、ライブドアの堀江貴文のメールなるもののコピーを国会に持ち出して、自民党の武部議員を追い詰めようとし、だが、そのメールがガセネタと分かって大笑い、坊や議員が辞職して一件落着となった。

     あれは文字通りガセネタだったらしく、今回の「発言メモ」とは性質が異なるが、検討すればするほど曖昧で、信じがたい点が増えてくる。

     眉に唾つけて読んだほうがいい。(2006年7月23~24日)
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